九州の防災安全

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宮崎県の地震活動の特徴 | 地震本部

www.jishin.go.jp/regional_seismicity/.../p45_miyazaki/ - キャッシュ
宮崎県東方沖の日向灘では、ほぼ十数年から数十年に一度の割合でM7クラスの地震 が発生し、多くの場合津波を伴います。例えば、1662年の地震(M7.6)、1941年の地震(M7.2)や1968年の地震(M7.5)では、地震の揺れによる被害とともに津波 ...


www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki.../bosai/page00176.html - キャッシュ
2018年11月27日 - 本県においては、過去、日向灘を震源として、人的・物的被害を伴う地震や津波に襲われてきたことから、県の日向灘地震、えびの小林地震の想定及び国の東南海・南海地震の想定を踏まえて、平成19年3月に「宮崎地震減災計画」を策定 ...
www.pref.miyazaki.lg.jp/kurashi/bosai/sien.html - キャッシュ
南海トラフ地震における具体的な応急対策活動に関する計画」に基づく宮崎県実施計画の改定について ... 宮崎県津波浸水想定における浸水開始時間予測について ... 本県における最大クラスの地震・津波の各種想定及び新たな地震減災計画について.
www.pref.miyazaki.lg.jp/.../nankaitorafu_miwomamoro... - キャッシュ
南海トラフ巨大地震とは. 最大クラスの震源域 静岡県の駿河湾から日向灘まで延びる南海トラフと呼ばれる海溝では、歴史上たびたび東南海・南海地震などの大きな地震が発生しています。 南海トラフ巨大地震は南海トラフを震源とする科学 ...




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日向灘地震の歴史 被害地震年表

[表示]節内の全座標を示した地図 - OSM
日向灘付近を震央とする地震のうち、死者が報告されている被害地震、M7.0以上の地震、および最大震度5(5弱)以上の地震を示す。
  • 出典:特に注記がないものは、1922年以前は日本地震学会[11]、1923年以降は気象庁[12]による。注記しているが、震源要素の一部は宇津[13]、被害については日本地震学会、地震調査委員会(2004年)も参考とした。
  • 地震発生年月日の欄の月日は全てグレゴリオ暦(新暦)。
地震発生年月日 震央地名 座標 深さ
(km) 規模
(M) 最大
震度 概要
1498年(明応7年)7月9日 豊後水道 北緯33度00分 東経132度15分 / 北緯33.0度 東経132.25度 / 33.0; 132.25 (1498 豊後水道) 7.0 - 7.5 山崩れ、地割れ、泥噴出などがあり、民家の被害が多数、死者も多数出た。同日の畿内の地震や、上海における津波記録から、南海地震との説もある[14][13]ほか、地震そのものがなかったとする説も存在する[15]日向灘地震 (1498年)も参照。
1662年(寛文2年)10月31日 日向灘 北緯31度42分 東経132度00分 / 北緯31.7度 東経132.0度 / 31.7; 132.0 (1662 日向灘) 7.6 日向大隅で死傷者多数。城や家屋の破損、山崩れが発生した。津波があり、沿岸7か村の田畑計8,500石が水没するなどした。(羽鳥、1985年)によれば津波の高さは宮崎で4 - 5mと推定され、日向灘では最大級のものであったとされる。外所地震(とんところじしん)とも呼ばれる[16]
1769年(明和6年)8月29日 (豊後水道) 北緯33度00分 東経132度06分 / 北緯33度 東経132.1度 / 33; 132.1 (1769 (豊後水道)) 7.8前後(異説あり) 日向・豊後肥後で被害があった。延岡城大分城での被害、寺社や町屋の損壊などが報告されている。田の水没や水難による死者が出た。被害をもとに、宮崎で震度6程度、津波が最大2 - 2.5m、地震の規模はM7.8前後などと推定されている。しかし、(松浦 ほか、2003年)などは2日後の水害による被害と混同されている恐れから規模の小さいプレート内地震であった可能性を指摘しており、(地震調査委員会、2004年)はこれを根拠に日向灘地震とはみなしていない[16]
1899年(明治39年)11月25日 日向灘 北緯31度54分 東経132度00分 / 北緯31.9度 東経132.0度 / 31.9; 132.0 (1899 日向灘) 浅い[13] 7.1 宮崎県・大分県で、家屋の破損や土蔵の倒壊などの被害があった。
1899年(明治39年)11月25日 日向灘 北緯32度42分 東経132度18分 / 北緯32.7度 東経132.3度 / 32.7; 132.3 (1899 日向灘) 浅い[13] 6.9 同上
1909年(明治42年)11月10日 (宮崎県西部) 北緯32度18分 東経131度06分 / 北緯32.3度 東経131.1度 / 32.3; 131.1 (1909 (宮崎県西部)) 約150 7.6 プレート内で起こるやや深発地震であり、日向灘地震ではない。大分県・宮崎県・熊本県鹿児島県・高知県・広島県岡山県で被害があり、宮崎市付近で被害が大きかった。
1923年(昭和4年)7月13日 (九州地方南東沖) 北緯30度54分 東経132度00分 / 北緯30.9度 東経132.0度 / 30.9; 132.0 (1923 (九州地方南東沖)) 44 7.1 4 宮崎市、鹿児島市で震度4を観測。震央は地震調査委員会の評価領域の南端付近。震央を種子島付近(南西諸島近海地震の領域)とする文献もある。死者・負傷者なし[13]
1929年(昭和4年)5月22日 日向灘 北緯31度45分 東経131度53分 / 北緯31.75度 東経131.89度 / 31.75; 131.89 (1929 日向灘) 59 6.9 5 宮崎市、人吉市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない[13]
1931年(昭和6年)11月2日 日向灘 北緯31度47分 東経132度00分 / 北緯31.79度 東経132.00度 / 31.79; 132.00 (1931 日向灘) 28 7.1 5 宮崎市、都城市などで震度5を観測。死者1名、負傷者29名[13]。宮崎県・鹿児島県で家屋全壊がそれぞれ4棟・1棟、室戸岬で85cmの津波[11]
1939年(昭和13年)3月20日 日向灘 北緯32度05分 東経131度45分 / 北緯32.08度 東経131.75度 / 32.08; 131.75 (1939 日向灘) 57 6.5 4 宮崎市、熊本市などで震度4を観測。津波があった。死者1名、負傷者1名[13]
1941年(昭和16年)11月19日 日向灘 北緯32度07分 東経132度08分 / 北緯32.12度 東経132.13度 / 32.12; 132.13 (1941 日向灘) 33 7.2 5 宮崎市、延岡市などで震度5を観測。死者2名、負傷者18名[13]。家屋全壊は27棟で、大分県・宮崎県・熊本県で被害があり、九州・四国で最大波高1mの津波があった[11]
1961年(昭和36年)2月27日 日向灘 北緯31度39分 東経131度53分 / 北緯31.65度 東経131.89度 / 31.65; 131.89 (1961 日向灘) 37 7.0 5 宮崎市、日南市、都城市で震度5を観測。死者2名、負傷者7名[13]。家屋全壊3棟、九州から中部にかけて最大50cmの津波[11]
1968年(昭和43年)4月1日 日向灘 北緯32度17分 東経132度32分 / 北緯32.28度 東経132.53度 / 32.28; 132.53 (1968 日向灘) 30 7.5 5 延岡市、宿毛市で震度5を観測。死者1名、負傷者15名(53名とする資料もある)[13]。住家全壊1棟、半壊2棟、道路損壊18件などで、高知県・愛媛県で被害が多かった[11]。四国で到達高3m以上の津波を観測し、床上浸水56棟、船舶の被害も発生した[17]
1970年(昭和45年)7月26日 日向灘 北緯32度04分 東経132度02分 / 北緯32.07度 東経132.03度 / 32.07; 132.03 (1970 日向灘) 10 6.7 5 宮崎市、日南市、都城市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない。負傷者13名[13]。山崩れ・がけ崩れ4件[11]
1984年(昭和59年)8月7日 日向灘 北緯32度23分 東経132度10分 / 北緯32.38度 東経132.16度 / 32.38; 132.16 (1984 日向灘) 33 7.1 4 宮崎市、大分市、熊本市、宇和島市などで震度4を観測。津波があった。負傷者9名[13]。建物の一部損壊319件、津波が発生し、最大で18cm(延岡市)を観測した[11]発震機構解は正断層型であり、フィリピン海プレート内部で発生した地震である可能性がある。
1987年(昭和62年)3月18日 日向灘 北緯31度58分 東経132度04分 / 北緯31.97度 東経132.06度 / 31.97; 132.06 (1987 日向灘) 48 6.6 5 宮崎市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない。死者1名、負傷者6名[13]。建物や道路の被害も報告されている[11]。発震機構解は正断層型。
1996年(平成8年)10月19日 日向灘 北緯31度48分 東経132度01分 / 北緯31.80度 東経132.01度 / 31.80; 132.01 (1996-10 日向灘) 34 6.9 5弱 宮崎市、鹿屋市で震度5弱を観測。津波があったが被害記録はない。死者・負傷者なし[13]。発震機構解は逆断層型。
1996年(平成8年)12月3日 日向灘 北緯31度46分 東経131度41分 / 北緯31.77度 東経131.68度 / 31.77; 131.68 (1996-12 日向灘) 38 6.7 5弱 宮崎市で震度5弱を観測。津波があったが被害記録はない。死者・負傷者なし[13]。発震機構解は逆断層型。
なお、宮崎県や大分県などの沿岸では、日向灘地震だけではなく、南海地震をはじめとした近傍の海溝型地震に伴う地震動や津波によっても、過去幾度も被害が発生している。1854年安政南海地震 (M8.4)や1946年昭和南海地震 (M7.9)では九州でも津波の被害が生じており、1901年奄美大島近海地震 (M7.5)では宮崎県細島で20cm強の潮位変動を観測している[11][18]



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日向灘地震 (1498年)


日向灘地震 本震 発生日震央規模津波 地震の種類 被害 死傷者数
日向灘地震 (1498年)の位置(日本内)
日向灘地震 (1498年)
1498年7月9日 (JST)
日本の旗 日本 大分県佐伯市
北緯33.0度
東経132.25度
   マグニチュード (M)7.0 -7.5
有り
海溝型地震
死者多数
出典:特に注記がない場合は『理科年表 平成20年』による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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1498年日向灘地震1498年7月9日明応7年6月11日)に発生したと思われる地震である。1498年日向地震とも呼ばれる。また、この地震を指して単に日向灘地震(日向地震)と呼ぶ場合もある。その後の研究により6月11日の地震は日向灘地震であった可能性が否定されるとされている。

概要[ソースを編集]

震源地は現在の大分県佐伯市沖で、マグニチュードは7.0-7.5と推定される。
『九州軍記』によれば刻(6時頃)から地震が起り、刻(10時頃)に大地震があって災害は全国に及んだという。九州で山崩れがあり、別府の延内寺では爆発が発生、寺院は住職もろとも吹き飛び、地が裂けて熱泥が噴出、現在の坊主地獄ができたという。 そのほか各地で山崩れが発生、鳥居・石碑は過半倒れ、死者多数と伝えられている。伊予でも土地の陥没[1]など地変が見られた。
同日の刻(15時頃)に京都奈良熊野三河甲斐でも強震であったという。遠江で山崩れ、紀伊や三河で津波が起ったともされる[2]


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南海道沖地震の可能性

同日に発生したとされる畿内東海地方における強震や津波の記録が今回の地震と同一地震ならば、さらに規模の大きい地震と見られ、震源域の変更が必要ともされている。また、同日には中国においても上海での津波や揚子江での水面の震動し氾濫するなどの現象が観測されており、同様の現象は宝永地震安政南海地震でも観測されていることから、この地震は南海道沖の地震であった可能性も指摘されている[3][4]。この、2ヵ月半後の9月20日(明応7年8月25日)に発生した、東海道沖の地震と推定される明応地震と対をなす南海道沖の地震の可能性があるとされる[5]
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一方で、本地震を南海道沖の地震とする説には史料の無理な解釈が含まれ、上海の水面の震動のような現象は1854年安政南海地震の2日後に起った豊予海峡地震でも記録にあり、例えば『九州軍記』の記述を話半分に聞けば、九州付近で起こったフィリピン海プレート内のスラブ地震を仮定しても畿内付近に大きな揺れをもたらすことは考えられるともされている



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