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ooyubari9201のblog
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9600形に伍して活躍したC1101は雄別炭礦尺別専用鉄道向けに製造されたものであった。1944/昭和197月・日本車輛製(製造番号1331)、砂箱が角形、蒸気ドームが丸形、除煙板も角張った戦時形で1944/昭和1910月、戦争激化により休山となった釧路炭田の尺別炭砿から 増産炭鉱の大夕張に振り向けられた。雄別では貸与との認識で、戦後返還を求めたが聞き入れられず、結局尺別では顔見せだけとなった。
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大夕張鉄道では9200形同様のけん引定数が与えられ混合列車や入換・小運転に活躍した。昭和47/1972930日廃車。愛知県長島温泉SLランドに保存後、解体された。
写真は大夕張炭山・昭和40/1965年頃撮影。

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大夕張砿業所閉山により
1973/昭和481215日には南大夕張・大夕張炭山が一部廃線となり、同時にDL化されることとなった。1031日には三菱重工三原製作所製のDL551〜№3が設計認可、1126日竣功届、すぐに本線試運転、乗務員訓練運転が行われ、125日に№111日に№3の使用が開始された。本線試運転の際に車両故障で立ち往生した№214日に使用が開始されている。
55tクラスの液体式ディーゼル機関車で、動力性能は国鉄DD13形の111号機以降と同じであるが、台車がDD13形のものとは異なり、中央部に砂箱を装備しアングルで構成された三菱重工オリジナルのものである。南大夕張砿業所の合理化に伴い1987/昭和627月には鉄道廃止。それとともに廃車され、譲渡先も見つからないまま翌年、現地で解体された。

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ドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル製の1C1タンク機関車で動輪径1,100mm、固定軸距2,400mm、250HPとされている
同形機は北海道鉄道(2代)、夕張鉄道にも納入され、北海道鉄道のものは戦時買収により国有化され3045形(3045・3046)となった。
北海炭礦鉄道(雄別炭礦鉄道→雄別鉄道)へは、1922(大正11)年に2両(103, 104)、1925(大正14)年に1両(106)の計3両が入線している。同社では、番号の一位を入線順位に、百位と十位を形式に当てるという特殊な付番方法を採っている。当初は本線で運炭列車の牽引に使用されたが、C11形や8700形の入線により、入換用に退いていった

最初の2両と増備車の1両では形態に若干の差があり、103と104では運転室の出入口の切り欠きが大きかったが、106では切り欠きが若干小さくなった代わりに四角形の小窓が設けられている。また、103と104は106よりも運転室背部炭庫の容量が小さかった。北海道鉄道と夕張鉄道に入った4両の形態は、106に準じている。
1958(昭和33)年には、103が同系列の茂尻礦業所に移籍、104も日本甜菜製糖磯分内工場専用線に譲渡された。106については、1962(昭和37)年に廃車となった。
写真は雄別炭山のターンテーブル上の103.


国鉄3045形蒸気機関車


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釧路市立博物館では本年1月15日まで企画展「釧路・根室の簡易軌道」が開催されていましたが、その記録集がこのたび出版されました。
各軌道の概要や車両、関係者による当時の回想に加えて図面・写真なども豊富に掲載されています。
1冊750円(税込)で釧路市立博物館窓口・通信販売でお求めいただけます。入手法の詳細は下記をご参照下さい。

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1911年/明治44年開通の専用鉄道時代の主な土木構造物は「葡萄山隧道」(延長137m・煉瓦積)と「遠幌加別橋梁」である。「葡萄山隧道」は前後に勾配区間があり、輸送上の支障となる事から1933年/昭和8年10月より廃止を目的として、曲線修正・勾配緩和の新線工事中のところ、偏圧により翌年4月に隧道内部が崩落、急遽迂回仮線を施設し対処した。新線工事は1934年/昭和9年9月に完了したが、1961年/昭和36年営林署の要請により、前後が封鎖されるまで葡萄山隧道の坑門工は平行する道路の横に残っていたが、2001年/平成13年の国道防災工事により完全に消滅した。また、明治時代の遠幌加別橋梁の形式は不明だが、同橋梁も橋脚に欠陥が発見され1935年/昭和10年に再度架替られている。
1929年/昭和4年6月に、より豊かな石炭資源を求め北部の同市鹿島地区へ炭鉱の操業拠点を移行し専用鉄道も9.6勹篦垢気譴拭1篦更事は1926年/大正15年11月に着工。夕張川上流・シューパロ川沿いに道床工事と橋梁工事が展開されたが、シューパロ川には多くの渓沢が流れ込み、「橋梁は鋼製上路式結構径間48呎及びロ−ル I ビ−ム19呎6吋の2種を使用、橋台は基礎コンクリ−ト上に鋼材を組立てるものにして、本道は勿論全国にも希なものであり、渓沢水路面上100呎以上の高所に架設される様は一大偉観を失わず、全長6哩区間に橋梁の数8箇所を有するもその類例が少ない」(山史・三菱大夕張鉄道沿革史)と記録されている。
この工事では1号橋から8号橋まで架設されたが、橋桁は横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)で製作、海路室蘭で陸揚げされ、冬期に現地搬入され橋本組(小樽市)により架設された。橋桁製作は「標準設計」が採用され、工期を短縮するために鋼トレッスル橋脚を持つトラスド・ガーダー形式を採用し、「Iビーム」と「溝形鋼」からなる華奢な主桁を形構部材からなるトラスのパネルが補強している。トラス28連が同一図面で製作され、側径間の鋼鈑桁(Iビーム+溝形鋼)で支間長を調整している。
1929年/昭和4年1月22日には従来の大夕張駅を南大夕張駅に改称、同年6月1日 南大夕張 ・通洞間を9.6km開業。鉄道院の運転管理を離れ自営運転を開始した。また、翌年7月には防災施設として青葉峠崩落覆(延長・72m420)を設置した。
地方鉄道化後、機関車の大型化・輸送量の増大などにより、1944年/昭和19年に築堤化・廃止された「7号・宝沢橋梁」を除く、これら橋梁の強度不足が顕在化し、1947年/昭和22年9月〜12月に約75tの鋼材を使用して現地アーク溶接により補強工事が実施された。
1952年/昭和27年より開始された大夕張ダム(当時は二股ダムの名称)建設により昭和30年代に南大夕張・明石町間で大規模に線路の移設が行われている。橋梁の撤去・築堤化や並行する道路工事も進められ、これらの工事には9200形の他、同系の美唄鉄道、芦別専用鉄道から貨車の借入が行われた。また南大夕張駅には開発局岐線が設置され、美唄鉄道から機関車が借入れられ、セメント・鋼材等の資材搬入に活躍した。
移設工事により青葉隧道(起点8K548m242・終点8K991m758・延長443m516)と吉野沢隧道(起点・11K195m・終点11K470m・延長 175m)、青葉崩落覆(9K228m地点・延長25m)が新設されたが、北部延長時に架設された橋梁の多くが撤去された。
残ったのは「5号・旭沢橋梁」(橋長72.3m 支間トラスド・ガーダー@14.630m×4、鋼鈑桁@5.943m ×2)と「8号・明石沢橋梁」(橋長18.5m・支間鋼鈑桁@5.943m ×3)だけとなっている。この2橋は廃線後も残り、2014年/平成26年3月4日からのシューパロダムの試験湛水開始により水没したが、渇水期には姿を現すことから2012年/平成24年9月21日、対岸の下夕張森林鉄道の「三弦橋」等と共に「夕張シューパロダム湖周辺の橋梁群とその景観」として夕張市文化財として指定された。
1987年/昭和62年7月の廃止時まで残っていた遠幌加別橋梁(橋長65.5m 支間トラスド・ガーダー@14.630m×4、鋼鈑桁@5.943m ×1)も、廃線に伴い撤去された。
「私鉄統計年報 昭和41年版」による施設概要は軌間:1,067弌∪路延長:本線17.340m・側線延長11.001m、営業キロ程:17.2km、軌条:30圈橋梁:8箇所180m、溝橋:14箇所22m、ずい道:2箇所619m、踏切道:一種乙1/三種1/四種24、停車場:5、停留場:2、機関区:大夕張炭山となっている。
※当時の工事写真をカラー化。キャプションには「三菱北部大夕張鉄道第五号橋梁」とあります。

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