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1990(平成2)年夕張市最後の炭鉱・三菱南大夕張炭鉱が閉山、夕張市は「炭鉱から観光へ」と「石炭の歴史村」「レースイリゾート」と観光開発を進め夕張駅も二度の移転を経験した。
しかし深刻な財政難により2007(平成19)年夕張市は「財政再建団体」に転落し、人口減少に拍車をかけた。「財政破綻」した夕張を応援しようと9月週末の2日づつ、JR北海道により2007年、2008年、2009年と「SL夕張応援号」が運行された。
住民サービスの低下、公共施設の見直し、集落の再編が進められ「市内交通網」の再構築も求められ2013(平成25)年には石勝線支線でデュアル・モード・ビークル(DMV)の実証試験も実施された。
一方北海道旅客鉄道(JR北海道)の経営環境も悪化し、DMVの開発は断念され、単独維持困難とされる石勝線支線(新夕張・夕張間16.1辧砲陵菁4月1日での廃止も夕張市・JR北海道間で合意され、新夕張駅にはバス乗換設備の整備も進んでいる。

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大手炭鉱に生産を集中するスクラップ・アンド・ビルド政策で夕張市の石炭産出量は1966(昭和41)年には最大出炭量426万tを記録した。また新炭鉱の開発も進められ1970(昭和45)年に三菱南大夕張炭鉱、1975(昭和50)年には北炭夕張新鉱が営業出炭を開始、夕張線の輸送力が逼迫し1972(昭和47)年以降は夕張線清水沢以北の石炭輸送(北炭夕張・北炭平和)は全量夕張鉄道線経由となった。
しかし1970(昭和45)年に角田炭鉱(栗山町)、1972(昭和47)年に新夕張炭鉱、そして1975(昭和50)年3月に沿線最大の北炭平和炭鉱が閉山し「夕張鉄道」は終焉を迎えた(写真)。
1975(昭和50)年12月24日国鉄夕張線を我国最後のSLけん引貨物列車(写真)が走り、国内から営業用の蒸気機関車は消滅した。
1981(昭和56)年10月石勝線が開業し「特急列車」が夕張市内を駆け抜けるようになったが、1987(昭和62)年には北炭真谷地炭鉱が閉山、同年7月の三菱南大夕張の石炭トラック輸送切換等により鉄道による「石炭輸送」も終焉を迎えた。
一方1964(昭和39)年以降赤字に転落した国鉄の巨額債務の解消を目的として、同年4月に国鉄分割民営化が実施、JR各社が誕生した。

夕張市石炭博物館
https://coal-yubari.jp/

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戦後の「傾斜生産方式」により炭鉱地帯に重点的には政府資金が配分されたが、1955(昭和30)年7月には「石炭鉱業合理化臨時措置法」が成立した。夕張市内でも中小炭鉱が閉山する一方、大手炭鉱への生産が集中し順調に出炭量を増やした。
1960(昭和35)年夕張市は最多人口11.7万人を記録。札幌市など市外との人々を往来も増加した。
夕張鉄道では1952(昭和27)年4月に気動車を導入。翌年には国・私鉄を通じて道内初となる液体式気動車を導入して国鉄千歳線上で公開試運転を実施した(新聞記事)。
1961(昭和36)年1月15日、国鉄では札幌駅と夕張駅を結ぶ優等列車として、準急「夕張」(のちに急行に格上げ)が岩見沢駅と追分駅で2回進行方向を変えるZ形の経路(札幌駅 - 函館本線 - 岩見沢駅 - 室蘭本線 - 追分駅 - 夕張線 - 夕張駅)で運行を開始した。
一方、函館本線野幌駅・夕張本町駅間に路線を有していた夕張鉄道では国鉄に対抗して、1961(昭和36)年9月1日に野幌駅・夕張本町駅間の急行列車の運行を開始した。野幌バス停留所駅(後の北海鋼機前駅) ・ 札幌大通間を自社バスで連絡し札幌への利用も可能だったが、直通バス路線(札幌急行線)の拡充などにより1967(昭和42)年9月30日に廃止した。
夕張鉄道では旅客の流れから列車の札幌駅乗入を希望、「札幌急行鉄道」構想も浮上したが実現することは無かった(新聞記事)。
1962(昭和37)年1月15日夕張線の旅客列車が全列車気動車化された。これに伴い12月25日に十三里駅・南清水沢駅が開設され、さらに1965(昭和40)年3月1日東追分駅が開設された。
昭和40年代に入ると炭鉱合理化により夕張市の人口も減少、バス路線や自動車の普及により1972(昭和47)年3月14日で急行「夕張」は廃止された。

夕張市石炭博物館
https://coal-yubari.jp/

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北海道で道路が整備され、幹線道路の冬期の除雪も一般化されたのは昭和30年代後半。徐々にバス路線が拡充され、並行路線等では鉄道と競合するようになった。
それまでは人々の移動の手段は、もちろん「鉄道」。鉄道旅客に対するサービスもそれなりに充実していた。
紅葉山駅(現新夕張駅)は国鉄夕張線の中間駅に当たり、機関車への給水など停車時間も長く、また楓・登川方面への乗換駅としても賑わっていた。駅前には大正時代より「大西待合所」が営業しており「もみぢ餅」が人気を集めましたが、戦争激化に伴い1943(昭和18)年頃に販売を中止します。
一方夕張鉄道は1926(大正15)年に栗山・新夕張(後の夕張本町)間が開通、後に野幌まで延長されます。栗山、野幌駅も夕張方面への乗換駅として賑わい、栗山の「栗まんじゅう」や一旦途絶え、復活した野幌駅の「煉化もち」が旅行客の人気を集めた。

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複線化された夕張線だが、1926(昭和元)年10月には夕張鉄道が開業、さらに1930(昭和5)年には野幌まで延長された。それにより火山灰輸送と、一部の石炭輸送が夕張鉄道経由となり、さらに昭和恐慌による経済活動の停滞も加わり、1932(昭和7)年には再び単線となった。
1941(昭和16)年には太平洋戦争が勃発。夕張線、夕張鉄道共に「戦時輸送体制」となる。

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