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カネミ油症被害者の提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。
全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。 和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。 鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為、その後の認定患者への責任は無いとしている。
一方、水俣病では、チッソと一部の患者家族との間で,いわゆる見舞金契約が締結されました。この見舞金契約はわずかな補償と引き換えに将来新たな補償金の要求は一切行わないという内容でした。
この見舞金契約は被害者の窮状と孤立に乗じて,被害者に無理矢理押しつけられたものといえます。この見舞金契約は,後の裁判(水俣病第1次訴訟熊本地裁判決)において,公序良俗に反し無効と断罪されました。 カネミライスオイル 長崎県内における主要流通経路
カネミ製油
カネミ大村工場
長崎米協kk
長崎米穀kk
山道油店
カネミライスオイル長崎県販売経路
www.nagasaki-np.co.jp/press/kanemi/kiji/t20090426.html - キャッシュ
うち長崎市内には、約一万九千五百五十キロが入り、諫早市や西彼杵郡でも売られた。 販売時、一斗缶入り油などを一升瓶に小分けした際、他社の油と混ぜてカネミとは別 名称のラベルを張ったケースもあり、被害の範囲は一層、見えにくい。 www.nagasaki-np.co.jp/press/kanemi/kikaku4/01.html - キャッシュ
男性は四十年前、カネカ(旧鐘淵化学工業、大阪市)製ポリ塩化ビフェニール(PCB)が 混入したカネミ倉庫(北九州市)の食用米ぬか油を、汚染されていると知らず五島市内で 販売した。自分も家族も油症被害を受けながら、油を地域で売ってしまった苦悩を ... www.nagasaki-np.co.jp/press/kanemi/kikaku4/02.html - キャッシュ
油症事件の加害企業、カネミ倉庫は今も自社ホームページで米ぬか油精製の歴史を 自賛する。 同社の前身、九州 ... だが、カネミ倉庫が脱臭装置工事の際、誤って蛇管に 穴を開けて大量混入し、それを隠して販売したという「工作ミス説」も浮上。両企業は責任 を ... http://www.kbc.co.jp/tv/kanemi/image/midashi_archives.gif
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カネミ倉庫
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カネミ油症被害者の提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。
全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。 和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。 鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
一方水俣病では、チッソと一部の患者家族との間で,いわゆる見舞金契約が締結されました。この見舞金契約はわずかな補償と引き換えに将来新たな補償金の要求は一切行わないという内容でした。
この見舞金契約は被害者の窮状と孤立に乗じて,被害者に無理矢理押しつけられたものといえます。この見舞金契約は,後の裁判(水俣病第1次訴訟熊本地裁判決)において,公序良俗に反し無効と断罪されました。 カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、ポリ塩化ビフェニル(PCB)などが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡県、長崎県を中心とした西日本一帯の食中毒事件。油を摂取した患者からは、皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃん(いわゆる「黒い赤ちゃん」)が生まれた。胎盤を通してだけでなく、母乳を通じて新生児の皮膚が黒くなったケースもあった。この「黒い赤ちゃん」は社会に衝撃を与え、事件の象徴となった。学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた[1]。
カネミ油症は、昭和43年10月に、西日本を中心に、広域にわたって発生した、ライスオイル(米ぬか油)による食中毒事件です。 事件の原因は、カネミ倉庫社製のライスオイル(米ぬか油)中に、製造の際の脱臭工程の熱媒体として用いられた、鐘淵化学工業(現カネカ)社製カネクロールが混入していたことでした。このため、ポリ塩化ビフェニル(PCB)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)等が、製品のライスオイル(米ぬか油)の中に混入しました。 症状は、吹出物、色素沈着、目やになどの皮膚症状のほか、全身倦怠感、しびれ感、食欲不振など多様です。こうした症状が改善するには長い時間がかかり、現在も症状が続いている方々がいます。 原因の究明まで患者発生の直前1968年春には、同社製の「ダーク油」を添加した配合飼料を与えられた鶏40万羽が変死していた[3]。1968年(昭和43年)6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断され、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。
1968年(昭和43年)10月18日、九州大学医学部に油症外来を開設して集団検診を始める[4]。
1969年、医学専門誌『福岡医学雑誌』60巻5号には、患者から生まれた死産女子の解剖結果が報告されている。そこでは、副腎皮質が奇形であったことが示唆され、性器の肥大・突出があったことも書かれている。
1969年(昭和44年)11月、食品衛生法第4条該当により廃棄を命じたカネミ油(廃棄分)503ドラムを販売したことを報告した[7]。
1971年、専門誌『産科と婦人科』8月号に患者の性機能に関する報告が掲載された。経血が茶褐色に汚くなったことや性ステロイドの減少が見られることをふまえ、「PCB中毒はあらゆる意味で女性性機能を障害すると考えざるを得ない」とまとめている。翌年、『福岡医学雑誌』63巻10号は「PCBには女性ホルモンを増強する作用がある」と報告した。
日本全国でおよそ1万4,000人が被害を訴えたが、認定患者数は2006年末現在で1,906人と少ない。うち、相当数が既に死亡している。家族が同じ物を食べて被害にあったにも拘らず、家族のうち1人だけが被害者に認定されるケースもあるなど、認定の基準が被害者には曖昧なものであった。
2004年9月、厚生労働省の所管組織である国の「油症治療研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)」は、新たに血液中のダイオキシン濃度を検査項目に加えた新認定基準を発表した。また、自然界では、ダイオキシンに曝露したことの影響と見られる生殖器官の異常など動物の奇形も見られるが、直接の被害者が男性の場合、精子など遺伝子へのダイオキシン類による被害があっても、親から子へと胎内を通じて直接、子孫に影響があると考えられる女性とちがい、血中のダイオキシン濃度測定だけでは、世代を超えた影響は関知しえないという問題もある。
1970年、被害者らは食用油を製造したカネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業(カネカ)・国の3者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。二審では被害者側が国に勝訴し、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったが、最高裁では逆転敗訴の可能性が強まったため、被害者側は訴えを取り下げた。この結果、被害者らには先に受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、既に生活費として使ってしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った。
提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
2008年5月、「カネミ油症新認定訴訟」を福岡地裁小倉支部に提出するが、カネミ倉庫(株)の製造・販売した過失を認め、原告らがカネミ汚染油を摂取した為に、カネミ油症に罹患したと認めながら、「除斥期間により権利が消滅している」として、原告全員の請求を棄却した[10]。原告は控訴していたが、福岡高裁は2014年2月24日、一審判決を支持しこれを棄却。2015年6月2日に最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が上告を棄却し、判決が確定した。
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カネミ油症被害者の提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。
全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。 和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。 鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
一方、水俣病では、チッソと一部の患者家族との間で,いわゆる見舞金契約が締結されました。この見舞金契約はわずかな補償と引き換えに将来新たな補償金の要求は一切行わないという内容でした。
この見舞金契約は被害者の窮状と孤立に乗じて,被害者に無理矢理押しつけられたものといえます。この見舞金契約は,後の裁判(水俣病第1次訴訟熊本地裁判決)において,公序良俗に反し無効と断罪されました。 昭和44年6月12日
厚生省報告事項
1.原油の検査について
2.回収油の精製後の販売先及び数量
大阪支店
大村工場
松山工場
多度津工場
岡山営業所
又野食糧
渋谷食糧
佐??食糧
タカ食品
飯塚食糧
戸畑食販
河内山製菓
大分米穀
丸中製菓
ヤマハ製菓
イナガキ
3.原油の販売先及び数量
日本精米製油
オリザ油化
日商岩井
www.sangiin.go.jp > トップ > 質問主意書 - キャッシュ
(1) カネミライスオイル中毒事件発生当時、カネミ倉庫株式会社の食用油生産量は、 昭和四十二年、三、六七二、〇二一 ... なお、事件を探知した当時においては、カネミ 倉庫株式会社製造の食用油全製品について販売停止及び回収の措置を採り、検査 について ... 本文(PDF) - 参議院(Adobe PDF) - htmlで見るwww.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/.../t072002.pdf
... なされなかった窓のである。 一. 個 カネミ倉庫株式会社製造の食用油についての 地域別出荷量並びに商品名、 販売先ごとの生 ... 隅 油症事件発生後の食用油の回収 量は丶 最終的には、 七八六、〇〇〇キログラムである。 2について ー … 患者数は、 昭和 ...
www.sozogaku.com/fkd/cf/CB0056031.html - キャッシュ
事例概要, 1968年2月下旬から3月にかけてカネミ倉庫のダーク油(食用油を製造する 過程の脱臭工程で分離される脂肪酸を主とした副産物) ... さらにこの事実が判明後、 回収したドラム缶3本分のライスオイルを廃棄せず、正常油と混ぜて再脱臭し、販売した 。
pe.techno-con.co.jp/technovision/series/back9_1601d.html - キャッシュ
今回のカネミ油症事故は、技術者が
など、いろいろな不適切な行為の結果、1万人以上の被害者を出した事故について解説します。
1.事故の概要この事故を起こしたカネミ倉庫の非常勤取締役であった技術者の加藤八千代氏は事故の内容を克明に調査し、後日、著書「隠された事実からのメッセージ(カネミダーク油・油症事故)」(注1)を発表しました。なお、加藤八千代氏はカネミ倉庫の代表取締役の実姉であるにもかかわらず、企業内部に隠されていることを含めて、真実を発表しようという思いを込めて執筆されました。その著書より、事故の概要を引用させていただきます。 『1968(昭和43)年6月頃から福岡県や長崎県を中心として特異な皮膚症状を訴える患者が続出した。10月患者の一人が使用中の米油を大牟田の保健所に届け出て、この米油による中毒事件ではないかと疑いを持つに至った。11月に九州大学油症研究班は、この疾病は北九州にあるカネミ倉庫が製造した米油中に混入した熱媒体PCB(注2)(商品名・カネクロール)の摂取によるものと断定した。PCBの混入原因は、当初、九州大学の調査班によって脱臭缶の加熱コイル(蛇管)のピンホールから脱臭工程中の米油にPCBが漏出し、工場がそれに気づかないまま操業した可能性があると裁判の一審で結論が出された。しかし、高等裁判所ではピンホール説ではなく、工作ミス説が採用されている。当時、“油症ではないか”と届け出た患者は1万人以上にのぼり、食品中毒事故としては稀にみる大事故となった。また、油症が発見される半年前の2月から3月初旬にかけて発生したダーク油事故、すなわち、カネミの製品であるダーク油を配合した飼料によって、西日本各地のニワトリが病気になり、40万羽以上が死ぬという畜産史上稀にみる事故が起きた』
なお、ダーク油は脱臭工程で発生する飛沫油や泡などを回収したもので、暗褐色をしており、ニワトリの飼料用に使用されていました。 カネミ倉庫は福岡県北九州市に本社と工場があり、当時は資本金5000万円、従業員約400人の規模でした。 米糠からとった粗製油を原料にして食用米油(ライスオイル)を製造する際、粗製油は臭いが強く、その臭いを脱臭するプロセスが必要となります。脱臭には粗製油を加熱する必要があり、図1に示すように、脱臭缶内のコイル状の蛇管に高温のPCBを熱媒体として循環させました。カネミ倉庫では、1968年1月末から2月にかけて、媒体のPCBを補充し、結果として280kgのPCBが循環系から漏れて米油に混入していました。さらに、PCBの混入が確認された後も、PCB混入の米油をドラム缶3本を回収し、それを廃棄せず、正常な米油と混合して再び脱臭プロセスを通した後に販売しました。 脱臭缶は図1の全体容器の上部に真空装置を接続し、容器内を負圧の真空状態にします。右側の油入口より未脱臭の粗製油を流し入れ、内部の容器を粗製油で満たします。その後、右側下のカネクロール入パイプより250℃のPCB(沸点300℃以上)を流し込み、PCBはコイル状の蛇管を循環して、真下にあるカネクロール出パイプより流れ出ます。この時、粗製油が満たされた容器内の温度は230℃程度になります。同時に、粗製油の容器の下部より上部に向けて生スチーム(蒸気)を出して、加熱された粗製油を攪拌し、その際に飛沫や泡が米油容器の上部に蒸発します。飛沫や泡は陣笠の防止板に当たって全体容器の下部に溜ります。脱臭作業終了後に図1の下部にある飛沫油出口よりダーク油を排出し、ニワトリの飼料に利用します。
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カネミ油症事件の経過
1)ダーク油事件;カネミ油症事件は予見できなかったのか 1968(昭和43)年2月20日ごろ、鹿児島県日置郡のブロイラー養鶏団地を
はじめ九州、四国、中国など西日本各地で奇病が発生した。鶏が急に元気が なくなり、食欲がなくなり、産卵しなくなり、体に浮腫が来、呼吸困難がき て口を開けて斃死した。その数は推定190万羽から210万羽といわれている。 連絡を受けた鹿児島県畜産課は家畜保健衛生所九州支場に原因究明を依頼 した。まず、死んだ鶏の解剖の結果、肝臓壊死、腎臓の尿細管拡張、腹水、 胸水、心囊水腫、浮腫、皮下浸潤、出血などの所見が明らかになり、ブロイ ラー大量斃死の原因は中毒であることが明らかになった。 3月14日県畜産課は農林省福岡肥飼料検査所に対して「原因は配合飼料に
あると考えられる」と報告した。この配合飼料を製造したのは東急エビス産 業の九州工場と林兼産業の下関工場の2社だけであった。 検査所の聞き取りでは東急エビス産業側は奇病発生の原因となった配合
飼料は二製品で、これらの二製品が他の製品と違うところは、北九州小倉区 東港町のカネミ倉庫の米ぬか油を製造する過程で副生するダーク油を材料に 使っていたことである」と述べている。さらに、このダーク油や飼料を鶏に 直接与えると鶏は全く同じような症状を示した。すなわち、3月の中旬には 鶏奇病の原因はカネミ倉庫のダーク油であることは明らかになった。検査所 は3月15日、農林省畜産局流通飼料課に報告し、16日には二社に飼料の回収 を命じた。3月18日には東急エビス中央研究所ではダーク油による動物実験 を開始している。それによると、2月7日、14日に出荷したダーク油にのみ 毒性があることが分かっている。 3月22日、飼料課長ほか係員たちは、カネミ倉庫の本社工場を立ち入り調
査した。そして、カネミ倉庫の加藤三之輔社長に確かめたところ「ライスオ イルは飲むことが出来ます。私も飲んでいますが、何の異常もありません。 大丈夫です」と答えたという。ダーク油を製造する工程や製品の出荷状況な どについてはかなり詳しく事情聴取をしたらしいが、肝心の人が口にする米 ぬか油については追求されなかった。実際、患者の中には健康や美容によい という宣伝によって、飲用していた者がいたのである。保健所から勧められ たという者もいた。 5月には農林省家畜衛生試験場の小華和忠や勝屋茂美らはこれらの飼料を ひな鶏に食べさせて同じ症状が発症することを確認している。後でわかった ことだが、ダーク油には1300ppm のカネクロール400が含まれていた。 6月14日、問題の配合飼料とダーク油を使って農林省家畜衛生試験場で 行った再現試験の結果が検査所に報告された。それによると「原因はダーク 油の原料である油脂が変質したために起こった中毒である」というもので あった。この時、詳しい原料の化学的分析(たとえば、ガスクロマトグラフ によるなど)を行うべきであった。人の口に入れるものであるから一片の通
知と警告だけで済ませないで、さらなる経過観察を注意深く続けるべきで あった。 当時、アメリカでは同じような鶏の水腫病(chick edema disease)
が多発し、‘60年代には多くの報告がアメリカの畜産関係専門書に報告され、 ある種の有機塩素系化合物が原因であることが推定されていたのである。す なわち、アメリカのCantrellらによって水腫病の原因はヘキサクロロベンゾ -P-ダイオキシンと同定されていたという。さらに、1956年にはハンブルグ大 学の皮膚科研究グループがダイオキシン類は塩素痤瘡を作ることを明らかに していた。1967年にすでに、Jensen(スエーデン)も環境中にPCB を発見 していた。すなわち、注意深く関係の専門家たちがその気になればいくつか の重要な情報はあったのだった。 この時、その鶏卵や汚染鶏を食べた者がどうなったかの調査もない。また
死んだ鶏の80%前後が地中に埋められたとみられる。それらは環境汚染を 起こしてはいないのか、決して腐敗しない化学物質だから現在も残留してい て厄介なはずである。 ダーク油の汚染が指摘された3月下旬から油症が発覚した10月までの約半 年間に国、北九州、カネミは何らかの対策がとれたはずであった。しかし、 何かの対策がとられた形跡はない。 九大油症研究班の倉恒匡徳は「ダーク油事件は油症事件が報道される約
8ヶ月も前に発生していたのである。鶏の病気は人に深刻な影響を与えるお それがある。農林省が、この誰しも考える“おそれ”に配慮して、この事件 を厚生省に連絡しておれば、油症の拡大もまた防げたことが考えられる」と 書いている。 2)油症発覚;食品衛生法違反では
ダーク油事件の当時、西日本の各地で体に黒い吹き出物がでる患者が多発 して各地の医療機関を訪れていた。汚染されたダーク油の出荷時期、ブロイ ラーの発病時期と問題のライスオイルの出荷時期、奇病の発症時期とは同じ だった。
1968年4月以来、ブロイラーの方は出荷停止によって発生が食い止
められた。しかし、ライスオイルの方は人間に関することであったが、発症 が発見されて、原因が分かるまでにさらに時間がかかった。その間、被害は 拡大していった。とくに、被害拡大防止こそが行政の最大の責任であったに もかかわらず、その懈怠によって被害が拡大した。 6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断された
が、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。しかし、食中毒事件 として捉えられていなかったか、少なくともそのような対応は見られていな い。それは、皮膚科は食品衛生法の処理に慣れていなかったこともある。そ の後、九大にライスオイルを持ち込んだ者がいたが問題にされないので、10 月3日、その米ぬか油を今度は大牟田保健所に届けた。そこで、やっと保健 所は翌日、福岡県衛生部に集団的奇病の発生を連絡した。 昭和43年1月度精製々品出来高
昭和43年3月度精製々品出来高
昭和43年4月度精製々品出来高
昭和43年4月度精製々品出来高
その以前から、九大と福岡県衛生部は事前に察知していたと思われる。九
大の五島応安医師は学会に発表するまで控えていたという。これは食品衛生 法の届出義務違反ではないか。 10月10日に朝日新聞で奇病発生が発表されると、翌11日、衛生部は九大病
院に派遣、調査を開始した。新聞は11日にはダーク油との関連を報道する。 一方、北九州市衛生局は11日にカネミ倉庫に立ち入り調査を実施し、サンプ
ルを採取して九大に分析を依頼した。この日、カネミ倉庫に対して原因がはっ きりするまで販売を中止するように勧告したが、会社側はそれを受け入れな かったために、15日食品衛生法によって1ヶ月の営業停止を通知した。 新聞に連日報道されると、疑いをもった人々が保健所に届出て、その数は 同日、30日には1万2270人に達した。 九州大学医学部、同薬学部、県衛生部合同の「油症研究班」が10月14日に結成され。19日には「油症患者診断基準」を決定した。まだ、原因が確定されていない時のもので、未知の疾患に対する診断基準であるからあくまで暫定的なものでなくてはならなかった。
3)病因物質の追求 10月14日に久留米大学の山口誠哉教授はヒ素中毒説を発表した(後否定) 10月18日、九大医学部に油症外来を開設して集団検診を始める。
10月19日に編成された油症研究班は班長、勝木司馬之助(内科、九大病院 長)、副班長は樋口謙太郎(九大皮膚科教授)と下野修(福岡県衛生部長)か らなり、部会として臨床部会(部会長樋口謙太郎)、分析専門部会(部会長塚 元久雄九大薬学部部長)、疫学部会(部会長倉恒匡徳・公衆衛生学教授)を置 いた。 10月22日、高知県衛生研究所がカネミ倉庫の米ぬか油から、27日には国立
衛生試験所がそれぞれ有機塩素系化合物を検出に成功した。米ぬか油から初 めて有機塩素系化合物が検出されたのであった。 11月4日には研究班の稲神農学部教授がカネミ油に含まれた有機塩素系化
合物のガスクロマトグラフのパターンがカネクロール400(鐘化)のパターン と一致することを証明した。原因が油に含まれるPCB とするとどこから混 入したかが問題になった。 11月6日には九大皮膚科の五島應安氏が油症被害と鶏のダーク油による被
害の原因が同じであることを実験的に証明し、11月4日には米ぬか油から、 11月16日にはダーク油から相次いでPCB が検出された。
11月16日、篠原久(化学機械工学)教授を団長とする九大調査団がカネミ
倉庫の製油部工場を立ち入り検査した。その結果、脱臭塔内を通っているス テンレスパイプに3箇所のピンホールを発見して、そこからカネクロールの 漏出が確認された(後にこれは訂正されるのだが)。これによって、原因究 明は終了したとされた。 しかし、1971年、アメリカのR.W.Risebrough博士の指摘によってカネク
ロール400にはPCBsの他にPCDFs、PCDDsなどが含まれていることが分 かった。その結果、油症の主な原因はPCDFsによるものであることが明らか になった。いずれにしても、油症は単純な汚染の結果ではなく複合汚染によ るものであった。したがって、その臨床像も複雑で前例のないものであるこ とが推定された。 追跡調査(五島の患者たち)で分かったこと、生活の場でみる 2000年から2004年にかけて、長崎県五島列島の玉之浦町、奈留町の油症患
者61人(11人は九州在住)について、現地を訪れ検診と聞き取りを行った。 自主医療班は神経内科、精神科、皮膚科、婦人科、疫学、保健師(院生)、看 護師(院生)、社会福祉士からなる。 男性20人、女性41人。年齢は33歳から79歳。平均年齢は男性60.6歳、女性 は64.8歳でいずれも高齢者が多い。 事件が起こった1968年は、たまたま椿油が不作な年で、そこに、高級なカネミ油を格安で販売すると、カネミ油が島に持ち込まれました。あとでわかったことですが、再脱臭した劣悪なカネミ油が持ち込まれたので安かったのだと言われています。
何も知らない島民は、カネミ油で魚を天ぷらにして食べました。ダイオキシンの毒入り油で元気がなくなると、もっと精をつけようとさらに天ぷらを食べたり、美容に良いと、そのままカネミ油を飲んだ人もいました。 五島列島は隠れキリシタンの里です。島のあちこちに教会が立ち、異国情緒のただよう美しい島です。黒い赤ちゃんが多く生まれたのも、堕胎を避けるキリスト教の影響があったと言われています。 かくして、カネミ認定患者の約2割が五島市に集中したのです。 初めて自主検診やヒアリング調査に入った時は、多くの被害者は私たちを警戒しました。何の血縁も地縁もないよそ者が、事件から30年以上も経ってから、なんで来るんだというのが警戒の理由です。今では笑い話ですが、カネミ油症被害者五島市の会会長がこう言いました。「やって来た人たちは、今はやりのオレオレ詐欺の仲間だと思った」。 こんなこともありました。ある被害者の家に原田正純医師たちと訪問しました。その家の奥さんは複数の黒い赤ちゃんを生んだ人です。ぜひ原田先生に診てもらいたいというので訪問したのですが、家に入ったとたんに主人が出てきて、「お前ら、今ごろ何しにきた。来るなら仮払い金を払う前に来い」とどなり、殴りかからんばかりの勢いでした。私たちは急いで家を出ましたが、その家の奥さんが出てきて言うことには、「お父さんを許してください。カネミを食べる前は人一倍元気な人でした。健康な人を見ると悔しいんです」。
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カネミライスオイル生産状況
患者発生の直前1968年春には、カネミ倉庫株式会社製の「ダーク油」を添加した配合飼料を与えられた鶏40万羽が変死していた[3]。 1968年(昭和43)年6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断された、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。
1968年(昭和43)10月18日、九州大学医学部に油症外来を開設して集団検診を始める[5] 。 昭和43年1月昭和43年1月ごろ
福岡県北九州市のカネミ倉庫のライスオイル(米ぬか油)工場で異変が起きる 昭和43年2月
PCBを含んだカネミ油は、1968(昭和43)年2月ごろから10月ごろ、主に福岡県の北九州市や長崎県の五島市で販売(はんばい)されました。そのため、五島市にはたくさんの被害者が出ています。
この油は、初め、米ぬか油を使った高級油として売り出されましたが、五島ではこの時期大安売りされたという話もあります。当時は、今のように道路が整備(せいび)されておらず、船便で運ぶのはいっそう不便でした。そのため、人々は、近所で油を売る店も限られていましたから、「値段」や「それがどんな油か」などあまり考えずに、毎日の食卓に必要だからと買っていました。 昭和43年3月
昭和43年4月
昭和43年5月
昭和43年6月
昭和43年7月
昭和43年8月
昭和43年9月
昭和43年10月
▪カネミ油症事件
1968年の夏頃から、福岡県や長崎県を中心に西日本各地で、吹き出物や爪の変形・変色、手 足のしびれ、倦怠感など健康被害を訴える人が相次いだ。その原因はカネミ倉庫が製造した食 用の米ぬか油に混入していたPCB(ポリ塩化ビフェニル)やダイオキシン類。当時、14,000人 以上が被害を訴え、「国内最大の食品公害」とされる。ダイオキシン類は体内での残留性が高い ことから、45年を経て、今なお多くの患者が後遺症に苦しんでいる。 2012年8月、カネミ油症被害者救済法が成立。患者認定基準も見直され、2013年5月末までの、 カネミ油症患者の認定者数は2,210人(死亡者含む)。なお、いまだ多くの未認定患者には何の 補償もされていない。 カネミ油症事件 昭和43年(1968年)
カネミ油症事件はPCB(ポリ塩化ビフェニール)による日本最大の食品中毒事件である。昭和43年の3月から10月にかけ、北九州市のカネミ倉庫が製造したカネミ・ライスオイルの製造過程で加熱用のパイプからPCBが混入、このPCBの混入によって大規模な中毒事件が起きた。 カネミ・ライスオイルとはカネミ倉庫が製造した米ぬか油の商品名で、天ぷらやトンカツなどの揚げ物に用いられていた。またライスオイルはコレステロールを減少させると宣伝され、口当たりが軽く風味が良いことから、身体に良いだろうとライスオイルを直接飲む者がいた。カネミ・ライスオイルは台所で静かなブームとなっていた。 このPCBに汚染されたライスオイルが、目をそむけたくなるような皮膚病変を引き起こした。黒い吹き出物、かゆみ、全身倦怠感、腰痛などの難治性の症状を示し、さらには多数の死者を出すことになった。被害者は1都2府8県で1万4320人、死者50人に達する大惨事となった。 このカネミ油症事件に言及する前に、この事件の直前に起きた「ダーク油事件」について説明が必要である。もしダーク油事件の原因をきちんと究明していれば、カネミ油症の悲劇は防止できたからである。ダーク油事件とはニワトリに発生したカネミ油症事件であった。 ダーク油事件は、昭和43年2月頃から西日本一帯で発生した。ブロイラーで飼育されたニワトリが肺水腫などで次々に死んでいった事件で、罹病したニワトリは70万羽、死んだニワトリは少なくても20万羽以上とされている。 このニワトリの大量死について、当初は新種の伝染病が疑われたが、死亡したニワトリの解剖所見から家畜保健衛生所は中毒死と断定。ニワトリに与えた配合飼料による中毒死と推測した。ニワトリに与えられていた配合飼料は2種類で、2種類とも北九州市のカネミ倉庫が製造したダーク油を使用していた。 このことから、残されていた配合飼料とダーク油をニワトリに与える実験が行われ、その結果、大量に死亡したニワトリと全く同じ症状が再現され、ニワトリが死亡したのである。この実験からニワトリの大量死亡はダーク油によることが明確となった。 ダーク油とは米ぬか油を精製する過程で生じる脂肪酸が混じったもので、色が黒いことからダーク油と名づけられていた。ダーク油事件の解明のため、農林省はカネミ倉庫の本社工場に立ち入り調査をおこない、カネミ倉庫のダーク油を分析したが、ニワトリを大量に死亡させた原因を突き止めることはできなかった。カネミ倉庫はダーク油が原因と認めず、「製造の過程で、何らかの理由でダーク油が変質した」ということで落着した。農林省は被害はニワトリであって、人間とは無関係としてそれ以上の調査をしなかった。 カネミ倉庫はダーク油だけでなく、同じ製造過程で食用のカネミ・ライスオイルも作っていた。ダーク油事件が米ぬか油の変質によるものだとしたら、同じ製造過程で作られているカネミ・ライスオイルの品質を調べるのが当然のである。しかしその点検を見過ごしたことが悲劇を生んでしまった。農林省はカネミ倉庫に対し品質の管理を十分に行うことを命じただけであった。 このダーク油事件の原因解明が行われていた同時期に、福岡や長崎を中心とした北九州で顔や臀部などに黒いニキビのような吹き出物(後に塩素座瘡と診断)を訴える患者が病院を受診するようになった。それは目をそむけたくなるような皮疹で、四谷怪談のお岩さんのようであった。 患者は皮膚症状だけでなく、身体のしびれや倦怠感を訴えたが、皮膚症状が目立ったため患者のほとんどが皮膚科を受診した。しかし病院側の反応は鈍く、この奇病が家族内発症を特徴としているのに集団中毒は念頭になかった。九州大学付属病院皮膚科には4家族が受診していたが、半年近くも漫然と診察していた。患者たちに共通していたのは、カネミ倉庫が製造した米ぬか油を使用していたことである。そのことを最初に気づいたのは病院での患者同士の会話からであった。 福岡県大牟田市に住む九州電力社員の患者(42)が家庭で使用していたカネミ・ライスオイルを九大病院に持ち込み毒物分析を依頼した。だが九大病院はライスオイルを分析せずに、時間だけが経過した。九大病院をはじめとした多くの医療機関は漫然と患者を診察するだけであった。 ニワトリの「ダーク油事件」は、同年4月にダーク油の出荷が停止され、発症が食い止められた。しかし人間が被害者となったカネミ・ライスオイル中毒は放置されたまま、半年も販売され被害者は広がっていった。 九電社員の患者は九大病院の対応にしびれをきらし、同年10月4日、奇病が集団発生していると保健所に訴え、ライスオイルの分析を保健所に依頼した。九電社員の訴えから1週間後、この奇病が世間の注目を浴びるようになった。それは朝日新聞の記事がきっかけであった。10月10日の夕刊で、福岡市に住む朝日新聞の記者がこの奇病を報道した。この報道のきっかけをつくったのは保健所でも大学でもなかった。記者の妻の友人がこの奇病に罹患し、苦しんでいることを知ったからである。取材によって同じような患者が九大病院皮膚科に大勢受診していることを知ったのだった。 朝日新聞の報道によって被害者たちは自分だけでないことを知った。そして翌日の朝刊には、この事件に先だって発生したダーク油事件との関連性が報道された。この朝日新聞の記事をきっかけに、連日のように新聞やテレビでこの奇病が報道されるようになった。 新聞で報道された翌日、福岡県衛生部の職員4人が九州大学医学部付属病院皮膚科を訪れ、聞き取り調査を開始した。そしてカネミ・ライスオイルを中止すると、症状が消退することを知った。もし九大病院皮膚科がこの事実を保健所に報告し、広く注意を喚起していれば、この事件の被害者は最小限にとどまっていたはずである。このため九大は世間から非難を受けることになった。九大病院皮膚科は学会発表のためにデータ収集と原因分析を優先させ、ライスオイルが原因と知りながら公表しなかったのである。 福岡県衛生部はカネミ倉庫に、原因が分かるまで自主的に販売を中止するように勧告した。しかしカネミ倉庫は県衛生部の勧告にもかかわらず、自社製品の関与を認めず非協力的な姿勢を貫いた。 カネミ倉庫の加藤三之輔社長は「わが社の社員、家族、2000人の中から病人は出ていない。問題の油は偽物ではないか」とコメントし、販売を止めるつもりのないことを強調した。カネミ倉庫が県衛生部の勧告を受け入れなかったため、福岡県は食品衛生法に基づき1カ月の営業停止を通告した。カネミ倉庫は従業員約400人、西日本最大の食用油のメーカーであった。 事件が表面化した段階で、九大病院皮膚科はずさんな対応について患者やマスコミから多くの非難を受けた。しかし集団発生が明確になると、九州大学は大学を挙げて原因究明に取り組むことになる。事件が表面化した4日後の10月14日に、九大病院は勝木司馬之助・病院長を班長とする「油症研究班」を結成した。 油症研究班には九州大学だけでなく久留米大学からも臨床、化学分析、疫学の専門家が集まり、原因解明に全力を挙げることになった。原因物質としては「皮膚と末梢神経系を侵す毒物」が推測され、有機塩素、リン、ヒ素などがリストに上った。当初は米ぬかの原料に農薬が混入したのではないかとされていた。 久留米大公衆衛生学部教授は問題の米ぬか油から大量のヒ素が検出されたと発表した。大量のヒ素事件となれば、山口県下で起きた「ヒ素入りしょうゆ事件」や「森永粉ミルク事件」の記憶がまだ人々の記憶に残されていた。しかし九大の油症研究班の分析ではヒ素が見つからず、このヒ素原因説は後退していった。 疫学調査では患者に性差はなく、どの年齢層にも患者が分布し、顕著な家族性を持っており、何らかの要因がその家族に作用したと考えられた。福岡県内の患者のすべてがライスオイルを摂取しており、しかもライスオイルは同年2月5日と6日に出荷されたものに限定されていた。この両日に出荷されたライスオイルで発症した者は81%で、19%は出荷日不明、違う日に出荷されたライスオイルを使用した者には患者の発生はなかった。 10月22日、高知県衛生研究所がカネミ倉庫の米ぬか油をガスクロマトグラフィーで分析、米ぬか油から有機塩素物質を検出したと発表した。この有機塩素物質の報告は重要視されたが、どのような有機塩素物質なのかは不明であった。 10月29日、カネミ倉庫製油工場の立ち入り検査が行われ、油症研究班は持ち帰ったサンプルから塩化ビフェニール(PCB)を検出した。カネミ倉庫製油工場では鐘淵化学工業のPCB「カネクロール」を脱臭目的で使用していた。11月4日、勝木・油症研究班長は「カネミ油症の原因は米ぬか油に含まれていたPCBである」と正式に発表した。PCBは米ぬか油の脱臭のために熱媒体として使用されていたが、PCBはパイプを挟んで米ぬか油に接しているだけであった。PCBはパイプの中を通るだけで、タンクの米ぬか油に混入するはずはなかった。PCBがなぜ米ぬか油に混入したのかが問題になった。 九大調査団はPCBを通していたステンレスのパイプに圧をかける実験を行い、パイプに小さな穴(ピンホール)が3カ所空いているのを見いだした。つまりこのピンホールからPCBが米ぬか油に混入していたのだった。 PCBがステンレス製のパイプの中で塩化水素を発生、これが水と反応してパイプに穴を開けたとされたが、このピンホールが原因だったとして、なぜ2月上旬に製造されたものにだけPCBが混入したのか分からなかった。この疑問について、パイプのさびや焦げついたライスオイルが穴をふさいだとされた。 しかし事故から10年以上たった裁判の過程で、このピンホール流出説が間違いであったことが明らかになった。PCBはピンホールから漏れたのではなく、タンク内にあるパイプの接合部から漏れていたのだった。このパイプの接合部がタンク内にあったことが設計上の重大なミスであった。パイプ接合部がタンクの外にあれば、PCBが米ぬか油に混入するはずがなかった。しかも工場側はパイプの接合部からPCBが漏れていたことを知っていたのだった。一定の量のPCBがパイプの中で循環しているはずなのに、PCBの量が極端に減少しているのを工場側が気づき、パイプ接合部のボルトを締め直していたのだった。このことから2月上旬に製造されたライスオイルのみにPCBが混入して、それを摂取した人たちに被害が出たのである。カネミ倉庫側はこの人為的なミスを隠していたのだった。 PCBがどのような被害をもたらすかは、先に発生したニワトリの「ダーク油事件」で容易に想像できたはずである。それにもかかわらずカネミ倉庫はPCBに汚染されたライスオイルをそのまま出荷していたのだった。 先に発生したニワトリの「ダーク油事件」、多くの犠牲者を出した「カネミ油症事件」、この2つは同じ工場の同じ製造過程で米ぬか油にPCBが混入して起きたのだった。ダーク油事件が起きたとき、農林省の関心はニワトリにとどまり、人間にまで及ばなかったことが残念でならない。またダーク油事件でPCBに汚染されたニワトリが、その後どのように処分されたのか明らかにされていない。もちろん生き残ったニワトリの卵は、そのまま人間の体内に移行したものと思われる。体内に一度入ったPCBは排泄されず、排泄されるのは出産によってPCBが妊婦から新生児に移行するときであった。 カネミ油症事件の真相が明らかになったころ、カネミ油症を飲んだ母親から、皮膚の黒ずんだ赤ちゃんが生まれたことが報道された。PCBは油に溶けやすい特徴があり、体内に入ると脂肪組織に蓄積される。特に胎盤に蓄積されやすく、新生児に移行しやすかった。この事実に人々は大きなショックを受けた。そして皮肉なことに、出産のたびに母親の症状は軽くなった。油症事件の翌昭和44年に被害者から生まれた13人の子供のうち2人は死産、10人は全身が黒色で、その他の異常所見も多くみられた。黒い赤ん坊は成長とともに肌の色が白くなっていったが、これは成長により体内のPCBが希釈されたせいで、身体のPCBが減少したからではなかった。 長崎県の五島列島の玉之浦は人口4400人の集落であるが、113世帯、309人がカネミ油症の被害者となり、21人の黒い赤ちゃんが誕生した。玉之浦に犠牲者が多く出たのは、この地区の店でカネミオイルを盛んに宣伝し、安い値段でセールを行っていたからである。 カネミ油症患者の症状は醜く黒ずんだ皮膚症状が主であった。PCBは身体に長時間蓄積され慢性の症状を引き起こしたが、当時は長期的な危険性の認識は乏しかった。PCBは身体全体をむしばみながら、やがて死亡例が続出することになる。 PCB汚染による被害者は1万4000人に達していたが、カネミ油症の認定患者は症状が著明な1857人だけであった。また事件から5年以内に27人が死亡したが、認定患者であっても救済の手は差し伸べられなかった。そのため患者らが法廷闘争に立ち上がった。 中毒事件を起こしたPCBは、最近では地球汚染物質としてよく知られているが、当時は危険な物質との認識は少なかった。PCBは電気の絶縁性が高く、不燃性で安定性に優れているため、トランスやコンデンサの絶縁体、熱媒体、塗料、印刷用インキ、複写紙、可塑剤などに広く利用されていた。 カネミ油症事件を引き起こしたPCBは鐘淵化学工業が製造したものである。そのためカネミ油症の被害者はカネミ倉庫だけでなく鐘淵化学を相手に裁判を行うことになった。鐘淵化学が訴えられたのはPCBの毒性や金属腐食性を知りながら、食品工業に売り込んだ責任を問われたからである。 鐘淵化学は「自動車や青酸ガスなども危険だが、使用者はそれを周知の上で使っている。使用者が責任を負うべき」として、食用油を製造したカネミ倉庫に責任があると主張した。鐘淵化学はPCBの使用上の注意事項として簡単な説明をしただけであったが、もし「毒性が強いため、加熱用パイプのピンホールのような小さな傷にも注意して使うようにとカネミ倉庫側に警告していれば、恐らく食用油製造にPCBは使わなかった」とカネミ倉庫側は裁判で証言している。通産省はPCBの使用を全面的に禁止することを関係業界に通達。鐘淵化学はPCBの生産を全面中止し、PCBの国内生産は完全に中止となった。 |
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