とうとう被害者を出してしまった今回の騒動。
「高崎経済大学」にて2年生の女性が自殺した件の話である。
例の如くフェミテレビ(フジテレビ)を見ていたが、
あの報道に疑問を持つ者がいる事は、そう珍しくはないようだ。
「あんなの絶対おかしい」そんな声を上げている人もいるという事である。
実質「女性側に問題がないのか?」と言えばそんな事はない。
特に、准教授側の「留年と言っただけでこの処罰はおかしい」という部分に賛同する人が意外に多い。
大学は遊びに来る所でもなければ、ある一定以上のレベルに達していない者が落とされるのは、
今も昔も変わらぬ事であり、これが問題視されるのであれば一流大学はただの大学に成れ果てる。
また、「とうとう」と書いている通り、これはとっくの昔に予測済みの事象である。
故に記事を書くのに早々手間はとらずに済む。
この問題は起こるべくして起こった問題であるからだ。
現代の「大学への入学」はアファーマティブアクションの効果により、
一定割合以上の女性の入学が約束されている。
当然、ここには「本来なら合格できなかったであろう人間」が含まれる事になる。
もちろん、「女性の入学が約束されている」と書いている通り、
「合格出来ないであろう実力不足者」も、当然女性のことである。
この言葉に嫌悪感を抱く者は、現実を知るために一流大学の合格者の男女の人数の差と、
「センター試験結果高校別ランキング」を参照にすると良い。
しかし、女性の中にも自力で受かっている者もいる。人間やれば出来るのだ。
やれば出来るが、それなのに男女でこれだけの差が開いているという事は、
「女の子は恋愛とかオシャレとか色々忙しいので、学校の方で私達を優遇して下さい」
学生という立場を全く弁えていない、そんなふざけた思いが女性の心の何処かにあり、
その願いを叶えた制度がアファーマティブアクションであるとも揶揄できる。
さて、ここで1つ目の問題が発生する。
「入り口の扉すら自力で開けられない者が、この先々の競争の中で生き残れるのか?」
経済論の結果風に言うならば、これは限りなく「不可」に近い。
入り口のレベルが高いという事は、その扉の向こうは更にレベルが高い事は言うまでもない。
決して「入った者勝ち」の世界ではないのである。その辺を誤解している人間が多い。
それ故、大学のゼミや講義のレベルの高さについていけなくなる事も珍しくはないようだ。
彼女の場合もそうだったのであろう事は、課題の1つも提出できなかった事がそれを示している。
アダム・スミスの重商社会への批判を紐解く問題は確かにレベルが高いが、
(特に、「特定の用語を必ず使用しつつ、現代への影響を示せ」なんて無茶なものは大学院レベル)
社説の要約を1本も書けない経済大学生なんて明らかにおかしいのである。
「課題がどれくらいのレベルだったか?」というのは実はさほど問題ではないのである。
彼女は、「それ以前の段階で、すでに躓いている」からだ。
女性は何らかの壁にぶつかると、「自分が悪い」と考えるか、「相手が悪い」と考える。
「いや、人間はどっちかしか考えないでしょ?」という指摘はノーサンキューだ。
女性の場合は、「限界がない」のである。つまりは、「許す」という思想が殆どないのだ。
つまりは、「相手を殺すか、自分を殺す」この極論に達する事が少なくない。
また、女性なら分かると思うが、男性は突発的に相手を直接攻撃するのに対して、
女性の場合は「じわじわと相手への怒りと憎しみが湧いてくる」のである。
時間的な猶予はあるが、その分やり口は陰湿であり、徐々にエスカレートするのはそのためだ。
ここに歯止めを掛け緩和するのが、「周りの者の優しさ」である。
「認められない→リスカ・OD・自殺未遂・自殺」はクライシス・コールの典型例である。
また、これらは歯止めを掛けない限り、「常に死に向かって歩き続ける」
「死にたい病」とも言われるが、これが「死にます」に変わった時は、
もう手遅れで、「誰にも助けられない」と専門家も言っている。
これを起こさせるような事をしてはいけないと言われても、
それでは「常に相手を認める」ことが必要になってくる。
「自分の存在が否定される」ことから、この症状が起こるからだ。
この「存在」の定義は個々により違うわけであるから、
「同じような問題を起こさないようにする対処」とは、
「万人の存在と主張を受け入れる」という思想を意味する所となる。
現在の自分の実力以上の新境地を目指す気持ちは、人として成長する過程で不可欠なものである。
その気持ちは確かに受け止められる。彼女は精一杯のことをやろうとはした。
しかし、それが叶わなかった時に、「死に安息を求める」ことは決して許されない。
これは単なる、「行き過ぎた現実逃避」に他ならないからだ。
また、彼女を苦しめた張本人は准教授ではなくフェミシズムである。
人には、「今の自分の身の丈に合った環境」というものが必ず存在する。
そういう所でのびのびとやりたい事を目指し努力していく事だって悪い事ではないのだ。
「女性の割合を増やすため」に、彼女をとてつもなく不相応な所へ送り込んだのは、
他ならぬ、「アファーマティブアクションであった」・・・それを決して見逃してはならない。
死者に鞭打つ事など、いかに私とて不本意に思うことではあるが、
再発防止と更なる問題の勃発防止を真に願えば、
これらは非常に重要な事である故、書かざるを得なかった事を了承して頂きたい。
被害者のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
准教授はこれまでの取材に対し、「はじめから処分を前提とした大学の調査だった。
『留年』と言って辞めさせられては教育にならない」と反論している。
とあるように、普通留年の人数なんて何千人といるはずである。
上の考えでいくと、教授は日本からいなくなってしまうと考えるのだが・・・
教授にメールで通告を受けたらしいが、なぜその前に対処出来なかったのかを考えるべきだ。
それにしてもこの大学って自殺者多いみたいですね・・・
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