悠悠緩緩な日々

いろいろとあり、精神的に長いお休み中です。早くこの状態から抜け出して、またここで交流させて頂きたいです^-^;

我が家の歩み

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いのの生い立ち 2

いのの生い立ち 1 の続きになります。


りゅうがおなかに出来た時、いのも情緒が不安定だったのか、いつも以上にぐずる時がありました。
朝、園バスが待っているのに、少し遅れて行ったので、彼女の機嫌が最高潮に悪かったんです。
バスに乗る気は全くなくて、それでも先生は誘います。
どうしてもダメなら、最終的に先生が無理やり抱え込んでバスに乗ります。
この抱え込んだ状態で、彼女の両手はバスのドアの端っこををしっかりとつかんで、絶対中まで入れられないように、自らつっかえ棒のようになりました。
その時、
「先生なんか大っ嫌い!!ママなんか大っ嫌い!!!」
もう凄まじい叫び声で、何でこんな思いをさせられるのかと涙ぐんでしまいました。
一緒にバスを待っているママ達も唖然。
やっと、つっかえ棒のいのをバスに乗せて、席に座り込む先生。
その時の先生の面白くなさそうな顔が胸に突き刺さりました。
申し訳ないやら、情けないは、恥ずかしいは…。
この状態は一度では収まりませんでした。

この子は何で私の嫌な事を選んでするんだろう、という想いがずっとあります。
小さな出来事がたくさん積み重なって、積もり積もって・・・
一緒に生活を共にして行く上で、非常に辛い子です。
りゅうのように受け止めてやれる余裕がないし、八つ当たり気味ですし、余計に悪循環だと思います。

りゅうの診断が決まった時「りゅうがそうだったら、いのはどうなるんだ!」と思いました。
絶対に、りゅう以上に当てはまります。
そして、りゅうのドクターに診断をお願いしました。
きょうだいはものすごく早く診て頂けるので、7月には診断結果が出ました。
児相の方の結果はまだ頂いていませんが(半年経つのに)、ADDなんだそうです。
注意欠陥障害。
年齢も大きいし、学校での生活で特に困ったことやトラブルもないので、特別な事は何も言われませんでした。
気になる事があれば、りゅうの診察の時に話を聞きます、程度でした。


小学校時にしでかしたこと。

・前の学校で1年の頃、住んでいたマンションを素通りして遠くのお友達のところまで遊びに行った。
 お友達も通学路のすぐ側のうちのマンションにそのまま遊びに来るので、どのように注意しようか困って、お母さんに電話すると「ハッキリダメって言ってもらわないと困ります。私も主人に怒られます。」と逆にこちらが怒られた。
・苦手なお友達から何か言われて、消しゴム等を隠したり取ってきたりした。
・前の小学校で小2の頃、お友達に言われるがままに自分のお金を持ち出して、コンビニで友達分も買って食べた。
 友達は冗談なのか「金持ってこいや〜」と言ったらしい。
 使ったのは数千円。
 食べたお菓子のゴミ袋を持ち帰って来て発覚。
 この事でお友達の家まで行かせて頂いたが、留守で先生が変わりに対応して下さった。
・消しゴムのカスを払って机の下に落ちたのを、となりの席の下へ足で払う。
・冬空の真っ暗な中、6時を過ぎても帰ってこないので、近所を探し回り、学校にも電話してプチ騒動になった。
・怒って「出て行きなさい!」と言うと、本当に出て行く。
 謝る事を知らない。
・彼女の部屋を掃除していると、片付けのクリアボックスで何かが動くのが見えた。
 ものすごく驚いて、ドキドキして開けるとハムスターが入っていた。
 お小遣いで買ってきたのを黙っていた。
・今の学校になり、下校中、一通の道を数人で帰っていると後ろから車がクラクションを鳴らしたので、うるさいからと車に蹴りを入れた。
・半年前、こっそりともらった臨時収入を隠していて、DSやソフトを一気買い、ン万円使用。
 これも彼女の部屋を掃除して、空箱を発見してわかった。

・・・・・・・まだたくさんありました。

小学校では常に忘れ物をし、宿題もしないか、忘れます。
今はマシにはなったようです。
宿題をする場合は寝る直前など、隠れてしているようです。

先生に怒られる時の態度について、注意を受けたこともあります。
(怒らせるのが上手い。謝れない。ふくれる。等)
ものすごく頓珍漢というか、間が抜けている子です。
今見ていたテレビの、どうして今言ってたじゃない?と不思議になるような簡単な事を聞いてきて、どうも頭の中で分っていないようです。

同じ歳の子に比べて、理解力に乏しいです。
幼稚園の時からそうでした。
○○ちゃんがいつ引越しする、という事を先生が皆に伝えているのですが、長女に聞いても的を射ません。
同じ歳の子数人に聞くと、○○ちゃんがいつ引越し、ときちんと言えるのに、です。
今もそれは大して変わりません。

りゅうの事も大変ですが、私にとって『どうしていったらいいのかわからない』のは、いのの方です。
りゅうは一緒に生活する上では、まだ大変ではないんです。
人前だと辛いのですが…。
いのは、ほとほと疲れます…。

いのの生い立ち 1

いのの生い立ち

いの(長女)の事を書いておきたいと思います。
長くてスミマセン<(_ _)>

彼女ができた時は、両家で初孫でした。
旦那の実家や、義母の姉妹は女の子があまりいなかったせいもあり、大喜び。
私の実家も、私が一人っ子なのもあって、それはそれは大喜び。
転勤族なため、両家から離れているので、盆・正月くらいからしか会えません。
彼女の一人っ子時代は5歳までと長かったので、未だに一人っ子気分は抜けないんだと思います。

公園デビューは1歳くらいの時。
すぐ近くの公園へ初めて行ったら、いきなりおもちゃの取り合いでした。
そこで、初めて自分の子は気が強いんだと知りました。
結構ショックで、その日から行かなかったのですが、2ヵ月後くらいに再度チャレンジ。
そこから、毎日毎日、転勤で今の所に移り住む3歳半くらいまで通いました。
最初は行き辛かったり、入り辛かったり、いろいろありました。
中でも社宅の団体で来られていたので、それが入り辛くて…。
ですが、同じように一人で公園に来たりする方とは自然に仲良くなって行きました。
未だに年賀状のやり取りをします。
「あの子がこんなに大きくなったんだ〜」と、年賀状の写真が楽しみだったりします。
なぜか、男の子のお友達ばかりでした。

今思えば、一番幸せで楽しい育児期間だったように思えます。
親バカですが、可愛くて仕方ありませんでした。
「かわいい、かわいい」が私の口癖だったと、振り返って母に言われて驚いたくらいです。

ですが、子供が成長するにつれ動くも激しくなり、借りていたマンションの真下の人から、騒音の苦情ばかりでかなり精神的には参るようになりました。
寝たきりのお嬢さんがいらっしゃるそうで、そんな事は全く知らなかったし、
「○時に寝るので」と、昼寝の時間をいわれてもこちらも合わせられません。
公園のお友達を連れてきても、うるさいから下から天井を棒で突いてガツンガツンとやられます。
真上の人にも
「はるひさんち、うるさくないですか?」と訪ねていたそうです。
その真上の階の人にお話と謝罪に行くと、
「うちも男の子二人育てたからわかるけど、どれだけ怒鳴っても静かになんかしないわよね。」
と、逆に元気付けられました。
直接の苦情もあったし、電話もかかって来て、しばらく電話に出るのが怖かった覚えがあります。
真下の部屋は南側に寝ていると聞いたので、子供の遊ぶ部屋を西側の部屋にチャンジもしました。

次第に、些細な事でよく怒鳴り、わめく自分になっていったような気がします。
「静かにしなさい!!」
「言う事聞きなさい!」
と、1〜3歳の子に怒鳴っていて、
「お前の奥さん、怖いな」と旦那の同僚にも言われた程です(泣)
両親もそんな私を見て「孫がかわいそうだ」とよく言っていました。
家にいるのが怖くて、公園通いを続けていたのかもしれません。

いの自身は、スーパーでもすぐどこかへ駆け抜けていく子でした。
こちらを振り返らないから、何回か迷子になって呼び出された事もあります。
大きなショッピングモールでひっくり返って大癇癪を起し、旦那の会社の人が通りかかって
「お前んちの子か…」と言われたことも…。
それほど、あの頃から癇癪はひどく、扱いにくい子でした。

公園から帰る時も、ほとんど毎日
「今日は○○くんちに行く!!」と大絶叫。
巨大マンションのリビング側のすぐ下を通って帰るのですが、絶叫が響き渡って、恥ずかしいは情けないは…引きずって帰ってから何度怒鳴ったかわかりません。
玄関の内側で怒鳴って
「出て行きなさい!もう知らない!」
と、怒ってしばらく放っておくと、裸足で本当に出て行って、近くのお友達の家のチャイムをピンポ〜ンと押して、訪ねて行ったこともありました。
こんなびっくりするようなことを平気でする子でした。

癇癪を起し、絶対謝らない。
人を怒らせることが非常に上手で、なんて扱いにくい子なんだと思っていました。
突拍子もないことをする子だったので、りゅうの症状にもおかしいとは思えませんでした。

転勤で引っ越して来て、今の住所とは違いますが、同じ市内に住み始めました。
マンションの苦情も来ない、しっかりした作りの所を選んだので、苦情とは無縁とはなりました。
転勤前の所で幼稚園を決めていたのですが、突然の転勤だったので、また最初から知らない土地での幼稚園探し。
ありとあらゆる所を見学に行きました。
10箇所以上は回ったかもしれません。
決め手がなかったので、同じ区内で比較的親が楽の出来そうな(…(-_-;)幼稚園にしました。
そこは私立で、バスでの登園でした。
園からは、特別何か言われた事はありません。
相変わらず扱いにくくて、がちゃがちゃした子だな、というままです。

我が家の歩み 3 転園

「我が家の歩み」では、今までの記録を載せていきます。

息子の幼稚園での突拍子のない態度に思い悩んだ記録です。
今も、これからも?、多分悩んでいくんだと思います。
ちょっと気分が重くなるので、苦手な方はスルーして下さい^_^;<スミマセン!


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この春、時間枠のしっかりした私立幼稚園に転園を考えてた。
元々、あまりにもりゅうのふらふらした態度や、孤立した状態が辛かったから、逃げたかった。
そして、診断をして頂いたドクターに、ふらふらの原因を聞いた時に転園したいと思った。

去年の春、引越しの為に今の幼稚園に転園した時、まだ余裕があった。
自由保育の公立幼稚園。
「あら、ちょっと他にも元気な子がいるな」
と、他の子をそんな目で見ていた一瞬が私にもあった。
この幼稚園も引越ししたばかりで、共感もあった。
こちらの園は人数も少なくて、りゅうも緊張していたようだったけど、イスにもきちんと座って入園式などに出席していた。
(年中からしかない園だったので、りゅうは入園式は2回経験している。)

そこから1年間、ひどくなる一方…。
大人としか遊ばない。
先生のお手伝いは喜んでする。
大人に関わってばかりで、同級の子には興味がない。
先生が参加を促しても、参加する気がない。
決して園が悪いわけではない。
ただ合っていなかったのかな、と思う。
いつもふらふらどこかへ行ってしまう。
人前では逃げて帰りたくなる様な、外れた行動ばかりする。
…そんな彼になってしまった。


年少時に在園していた、前の幼稚園とどうしても比べてしまう。
教室では、整列したイスが中央にあって、部屋の壁側で皆それぞれ友達と遊んでる。
それを見つつ、ふらふらとイスの中をさまよってたり、友達の様子を見ていたり。
その輪に入りたさそうにしていたようにも思えた。
実際、輪の中に入って遊んでいるのも見た事はある。
奥の方に教室があるので、なかなか見学ができなかった。
写真の申し込みに来たついでに、チラッと機会があれば覗く程度。
教室の戸口に立てば、「あ、誰か来た」という感じになるので、行き辛かった。
年少組40人が3クラス。
1クラスに若い先生が2人。
小さい子が制服を着て、ちょこちょこ遊んでいるのは微笑ましかった。
バスで帰ってくる時も、1時間くらいかかるからよく寝込んでいて、起こされていつも不機嫌で「抱っこ」で帰っていた。

園の発表会も、泣きそうな顔で私の方に来ようとしてたけど、ステージへ列を成して歩いていく途中だったので、その列のまま皆と歩いていった。
発表も、皆をちらっと見ながらやっていた。
間違ってるところもあったけど、最後までグズグズの一つもなく、やっていた。
あの園では、恥ずかしいと思った経験はない。
あの頃を思い返すと、逆に辛くなってくる。
今の状況とあまりに違うから。

当時の方が、まだ兆候は少なかったんだと思う。
だから、余計に前の園からのアドバイスを頂いた時、素直に診察して頂いていれば、と悔やまれてならない。
もっと早く療育を受けていたら…。
一生悔やむんだと思う。
あのままの兆候の少ない、健常に近い状態で成長したりゅうをみたいと切実に思う事がある。
でも、それはりゅうではない、という思いも。

あのりゅうはどこへいったんだろう。


ドクターの話では、自由保育に向いていないのだそうだ。
前の私立幼稚園の仕切り方が、りゅうにとっては分り易かったのでは、と仰っていた。
しっかりした枠にはめてやる方(時間枠)がいい、と。
ふらふらは、僕は今どうしたらいいんだろう、の表れだったと。
これを聞いて悔やんだし、泣けてきた。
だから、私立の幼稚園には特別な想いがあるのは確か。

りゅうは今の園も先生も大好き。
転園を思い立った時は、他の私立の申込時期が既に遅過ぎてダメではあったけど、時期がよければ、りゅうの意思には関係なく、アスペルガーを少しでも理解できている園に転園させていたと思う。
大きな幼稚園なので、今までもアスペルガーの子は在園していたし、実際どう対処していくかきちんと学ばれていた。
少しでも彼の負担を軽くしてやれる、とそう思った。
対応がわかっている人がいると、本人もまわりも助かるとも思う。
また新たな園でもきっと、先生大好きになるのは想像がついたし、親としては近道したいのが一番の理由だった。

今の園の先生は、アスペルガーについては受け持ったことがないそうだ。
先生も園長先生も「私たちに是非任せて欲しい」と、りゅうのために対応などについて勉強して頂いている。
転園の書類を私立幼稚園に持っていく直前、自宅までお話に来て頂いた程。
もうこの先、こんなにりゅうのために真剣に向き合って下さる方はいないんじゃないか、と思えるほど。
ものすごく熱心で、愛情あふれるいい先生で、親の私もりゅうも信頼している。
でも、勉強中、というところが親としては焦っていた。
1月の終わりに園長先生に相談してから、4月のみぃの入園式の日まで悩み続けた。


入園式はひどかった。
旦那の膝の上にりゅう。
同級生の年長になる子供達は、最前列で新入生を待って着席しているのに。
式の間、奇声をあげることもあった。
当の新入生のみぃは、いつものように石のごとく突っ立って、意地を張って、ぐずぐず状態。
何かしら面白くない事が起こると、すぐに癇癪を起こしてどうしようもなくなる。
融通がきかない、扱いにくい子。
新入生の列に入る事も拒否して、担任の先生の膝の上から降りない。
うちの子達だけが浮きまくり。
冷たい視線。
本当にこのままでいいのだろうか。
このまま逃げたい。
旦那もこの日、思い知った、と言っていた。

この日、式が終わると、以前見学させて頂いた他の幼稚園に駆け込んだ。
20万円持って。
すぐ入れて欲しかった。
一体私は何をしてるのか…と自分でも思ったけど、たまらなくて。
流石にもう入園や転園には遅すぎて、いい返事はもらえなかった。
以前連絡した時は、2月で遅い時期だけど、対応できると仰って下さっていた。
2人連れて、見学にも行った。
今から補助の職員もとれないし、加配なしで、転入生は難しいだろうと。
様子の分っていない園にいきなり来ても、本人も回りも困惑する。
お金まで持参していたので、(仕方なく)お返事待ちます、的なお返事を頂いた。
結局入園式をしてしまえば、転園は難しくて今のまま。

対応している園(経験がある)か、今のままの園(未経験)か、この答えがずっと欲しかった。
1月末からずっと悩んできて、4月早々、診断と上記の時間枠のある園のほうがいい、とドクターに言われて道が開けたような気がした。
今から思えば、転園させたくて、その答えに後押しして頂いたのに乗っかったのかな、と思う。

私自身も、今の園の対応も、手探り状態。
先生には感謝感謝で、素敵な先生達にめぐり合えたと思う。
ここだけは、この園に来て良かったと思っている。

我が家の歩み 2 診断

りゅうが2〜3歳の1月頃だったか、インフルエンザの高熱で一瞬ひきつけたが、すぐに戻った。
これはカウントしないと仰っていた。


りゅうが入園してすぐのゴールデンウィーク、帰省先、今度は旦那の実家でまた入院した。
今度は急性腸炎。
のちに気管支炎。
夕方、急激に熱が上がって水分も取ってくれなかった。
夜中に病院へと急いだ。
救急病院で、患者があふれる中、熱を下げようといろいろとしてみても熱が一向に下がらない。
ひきつけが怖くて怖くて…、今でも思い出したくない。
42度まで出たが、いつも飲んでいる抗けいれん剤の薬のおかげでひきつけはなかった。

ここもできたばかりの大きな総合病院で快適だった。
子供病棟があり、2人部屋。
もう一人は中学生のおねえちゃん。
1週間くらいの入院期間。
また一日中付きっきり。
誰も来ない。
再び、檻のようなゲートのベッド。
点滴の管をつけた腕を板で固定してあるので、相変わらずそれが武器になっているのも、以前と一緒。
退院する日が同じで、最後の夜にはおねえちゃんのベッドで遊んでもらっていた。
大人しい、しっかりしたおねえちゃん。
親御さんはお勤めなのか、またに来られる程度。
感心した覚えがある。
退院前夜、初めてプレイルームに行く事を許された。
そこにはおもちゃやテレビがあり、‘あたしんち’をやっていたので一緒に見る。
あのテーマ曲とかを聞くと、この入院時を思い出す。

入院中、看護婦さんから連絡を受ける。
救急に、みぃが来ていると。
義母と義兄に連れられて、みぃがぐったりしていた。
こちらで買ってもらったと思われる大き目のパジャマを着てぐったりしている。
それを見て、涙が出てくる。
久しぶりの抱っこ。
男の子とは違う、柔らかいふわっとした感触で、熱い。
少し腸炎の疑いがあるそうだ。
私も入院中、診察してもらって同じ事を言われた。
あとは、義母に任せるしかない。
いつもいつも心配や迷惑ばかりかけていて、申し訳ないと思う。

怖くて、申し訳ない気持ちもあって、もっとしっかりするまで、とあちらにはあれから帰省していない。
申し訳ない気持ちでいっぱい。


10月年少時、園から呼び出された。
「友達の名前がでてこない」
「一度そういうところを紹介するので行ってみて下さい。」
「違っていても、笑い話で済みますから。」
「いつも朝、バスから降りてきて、抱き付いて来てくれる可愛い子。
手遅れにならない内に、早い方がいいです。」

ただ、ただ、バカにされたと思った。
うちの子のどこがおかしいのか。
癇癪持ちで言う事を聞かなくて、ゴーイングマイウェイな いの がいるので、そういうのは性格だと思った。
そんな事くらいで行かなければいけないのか、と。
ものすごく不服ではあったけれど、園からの要望なので申し込んだ。
2〜3ヶ月待ちもざらで、診察には1年待つ、と聞いた。

10〜11月頃、家に書類を作りに担当の方がいらした。
2月に発達テスト。
流れとしては、その1年後くらいに診察、らしい。
発達テストは結果云々よりも、どちらにしても最終的に医師の診断がある、と聞いて納得できなかった。
おかしいとどうしても思えなかったから。
発達テストでは何も言われなかったので、(注・ここでは判断しないもの)
「様子見にさせてください」
と、そこで終わられてしまった。
釈然としない気持ちばかり。
いのの方が余程大変!との思いが強かった。

小児神経のO先生に相談すると、
「僕はこの子を検査するのは薦めない。
しなくていいと思う。
昔の子みたいでじっとしていなくて、元気があっていい。
今の子が大人しいから目立つんだ。
じっとしていなくて大変だろうけど、逆にそれが羨ましいと思ってる親御さんもいるよ。
でも、この子は興味もいっぱい持ってるし、コミュニケーションもとれる。」
と、先生のパソコンをいじらせて、りゅうの興味を惹きつける。
りゅうの言うままに作った絵をプリントアウトして下さった時もあった。
いつ行っても、ベッドの下にもぐりこんだり、ごそごそする状態。

太鼓判を押していただいたような気になった。
これもあって、おかしいとは思いたくなかった。


それから急に引越しが決まり、年中から今の幼稚園へ転園した。
そして、より兆候が出てくるようになる。
今まではバスの乗り降りくらいでしか、我が子を知らない。
それが送り迎えをするようになって、どれだけ自分の子が他の子と違うのか、いやと言うほど思い知らされた。

死んだフリをするようになった。
(情報量が多すぎて、シャットダウンの意味らしい)
激しく浮くりゅうと、何かといえば「すみません」と言っている自分。
みぃのプレスクールでも、みぃは相変わらず融通が利かなくて、恥ずかしい思いばかり。
連れて行きたくない。
行きたくない。
行きたくない。
9月ごろには親の私が、おかしくなってくる。
相談場所を求めて、結局、自相にお世話になることになった。
7月頃に一度、お電話は頂いていたような気もするけど、その時は流した。
でも、結局自ら助けを求めた。
私を助けて欲しいけど、原因になっているのは子供だから。
必死だった。


担当者が1年前と同じく10〜11月に自宅に来られて、種類を作成した。
2月には発達テスト。
その担当者は偶然にも1年前の方で、
「前と比べてできることも増えたけど、症状は顕著になってきた。」
と言われた。
自閉症スペクトラムに入るだろうと。
帰って、すぐにネットで検索しまくった。

3月には言語テスト。
そこで初めて、アスペルガー症候群では?と言われた。
「去年まで診てた子が、よく似ているよ。
多分診断名がついても、アスペルガー症候群って言われると思う。」
ここでも涙が出た。
誰が見ても、うちの子はそうなのだ。

3月、O先生に5歳までと言われた抗けいれん剤の件と、診察を受けに行く。
薬は飲んだり飲まなかったり、という状態だったので、もう飲まなくていいと言われた。
そして、今回の流れを言うと、O先生は何も言われなかった。
先生が「受けなくてもいい」とここで仰ったとしても、受けていたけど、やはりそうかと思った。
「今のこの流れ(テストや診療を受ける)に乗っていった方がいいんでしょうか?」
「そうだね。」
ショックだった。
O先生は、違う見解を持っていて下さると思ったから。
どこで、この子はもしや…と思われ始めたのだろう。
線引きのできない病気とは本当に難しい。

「もし、診断で名前がついたら、そうだ、と言うことですか?」
と聞くと
「そうだね。」
と。
「ただ、何でもかんでも自閉症スペクトラムの中には入れないで、といつも言ってる。」
と仰っていた。

O先生ともお別れなのが、ちょっと寂しい。
何度も通った小児科外来。
心配だったら、また折を見て診て頂けるそう。


4月はじめ、1年かかるといわれるのに異例の早さで診断を受ける。
(1年前があるからかもしれない。)
興奮気味で、ソファーをトランポリン代わりに大喜び。
部屋から外に出て行ってしまって、スタッフの方が見ていて下さった。

そこで、自閉症スペクトラムといわれる。
加配が必要で、時間枠の設定もスケジュールも、カードもいると。
「診断名は?」とこちらが聞くと、
「自閉症にはカナーから高機能まであって、その中の高機能自閉症。
言語に問題はないから、高機能自閉症の中でもアスペルガー症候群かな。」
とハッキリした診断名は仰らなかった。

園でも児相でも、どこでもすぐに泣きついて相談して、あの頃の私は相当やばかったと思う。
そして、今も。

とても長いのですが、我が家の経歴(病歴?)を載せようと思います。

**************************************

りゅうが熱性けいれんで入院したのは、まだ11ヶ月の時。
いの(おねえちゃん)が肺炎で2週間入院して、ようやく退院して3日後、経過を見てもらいに病院に行った日だった。
熱を出し、病院の駐車場から先ほど来たばかりの病院へ駆けつける途中、ひきつけた。
いのの熱性けいれんでひきつけは経験したが、怖かった記憶がある。

この時のりゅうのひきつけは長かった。
病院に行っても、まだひきつけてうなっていた。
先生が言われるには、

・うなる症状を見たことがない。
 うー うー という声が外にもかすかに聞こえてきた。
・左右非対称
(後に「カルテに記載していない」と言われたので、言われたかどうかは不明となった。
 私の中では言われたと記憶している。)
・年齢が1歳未満

ということで即入院。
いのが3日前までいた子供用の病室1室のみで、ひどい状態の病室にまた舞い戻ってきた。


1室にベッドを無理やり押し込めて、8人くらいいただろうか。
窮屈で、隣とのベッドの境がほとんどない。
その境に、簡単なイス兼用荷物入れが置いてあり、昼間も通るのが困難。
夜は、その兼用イスをベッドの下に入れて、空いたスペースに付き添いの親が簡易ベッドを借りて寝る。
カーテンも狭すぎて意味がない。
うちは一方が壁だったので、まだラッキーだった。

いのの熱が下がらず、安静に静かにしていたいというのに、隣のベッドは交通事故で足を怪我した小学生。
彼は、痛くてずっと泣いたり叫んだりしていた。
突然の事故でかわいそうではあるけど、安静にしておく患者と事故の患者を並べるのはどうなのだろうか。
決して特別なことをして欲しいわけではないが、配慮には欠けると思った。
いるだけで、精神的に病気になりそうなところだった。


りゅうはたっちができるので、柵をあげて落ちないよう、檻のようなベッド。
点滴のチューブを取らないため、手は木の板で補強し、包帯でグルグル巻き。
この手が武器になって、よく柵をカンカン叩いていた。
当時、臨月の私は1日中、りゅうから離れなかった。
夜中も狭い檻ベッドで一緒に寝る。
足を曲げないと寝られないサイズだった。
いのの入院時は、昼に私、夜は旦那OR義母が泊まる生活を送った。
2週間もの入院生活だったので、全員が疲労感を覚えて、救われた矢先のりゅうの入院。

りゅうの場合、離れると私自身が怖かったので、身体的に無理でも一緒にいたかった。
まだ歩く事もできない赤ちゃんだから。
夜中は空調が暑くて、マタニティーのワンピースを捲っておなかを出して寝ていた事を思い出す。
見回りに来る看護婦さんには恥ずかしかったなぁ。
3日の入院期間。


半年に1回脳波の検査を受けていくことになる。
MRIもとった。
とにかくじっとしていないし、睡眠薬を飲ませたくても、私が上手にできなくてこぼした時もあったし、飲んでくれなかったりと、いつも大変な検査だった。
絶対に脳波の日は、旦那も一緒で2人がかりだった。
結果はどれも異常なし。

入院から半年後に熱性けいれんを起こしたが、これはいのの時と同様、通常のすぐに戻るけいれんで異常はなかった。
入院した病院に行ったのだが、診療外の時間で小児科医がいなくて、熱性けいれんを起こすかもしれないと伝えたのにろくに見てくれなくて、数時間後けいれんを起こした、という記憶が残っている。
「小さく頃はよくおこすから別に問題ない」とその研修医の女医に言われた。

脳波の専門医はいつもの先生と違い、威圧的な先生だった。
だから何?みたいな態度で、看護婦も何も言えない。
こちらからの質問にも答える気はない先生。

入院時に見て頂いた当時の主治医となっていた先生も大病院で一人、朝から夜まで診ていて、こちらが見ていても大変そうだった。
看護婦との口論も数回見た。

この辺りから、不信感や不安が少しずつ募っていく。


りゅうの退院から2週間後に、みぃは生まれた。
逆子でものすごく悩んでいたのに、ぎりぎりになって逆子が治った。
おなかの中で、私と一緒におねえちゃんやりゅうの看病に付き合ってくれた。

そのみぃが、1歳前の検診でひっかかった。
歩かない。
未発達。
脇腹が異常にくぼんでいる。
病院を紹介された。

MRIなどで検査するが異常なし。
定期的に診ていくことになる。
1歳3〜4ヶ月で歩いたし、こちらはあれから心配な事はない。
よく食べ、よく動き、二人に比べて病気知らず。
ただ、疑いは私の中にはずっとある。
癇癪持ち・融通が利かない等、おねえちゃんとそっくり。
その点、りゅうは素直に謝る事ができるので、うちの女の子達は非常に扱いにくい。


りゅうが2歳半のお盆帰省時、高熱が出た。
日中、いつも恒例の友達とのバーベキューから帰ってきて、熱を出した。
休日診療へかかったが、ひきつけの薬を待っている間、待合室でひきつけた。

これは本当に長くて50分くらいひきつけた。
先生や看護婦が数人がかりで、血管に点滴の針を刺そうとしても、収縮して刺さらない。
意識が戻り、またけいれんを繰り返す。
汗水流して、先生が交代交代、処置してもりゅうは戻ってこない。
汗をたくさんかいて、ぬぐってもぬぐいきれず、先生自身どうしていいのかわからない状態で、そんな先生を見、りゅうを見る私は不安やら何やらいっぱいになって…。
こんな処置時は、親は外に出されるが、ドアが開くたびに、先生の焦った状態が見える。
もうパニックになりそうで、ひとりで待合室に出てからそれ以降をよく覚えていない。
旦那に電話したのだろうか、どうだったか。
待合室に出される前、先生はりゅうの上に馬乗りになっていたような。
けいれんがおちついて点滴が刺さって、ひと安心して、MRIもすぐにとっただろうか。
そういえば、おさまってから、処置室のベッドでりゅうにしばらく付き添っていた時間もあったような気もする。
即入院。
荷物を持って来てくれた、私の父親のひどく心配気な表情だけが印象に残っている。

重積状態の熱性けいれん。
5日の入院。
24時間付き添った。
誰の交代も望まなかった。
離れると不安で。
誰も見舞いに来ない、寂しいけど、不思議と快適な日々。
移転してきたばかりで、綺麗な病院、病室。
総合病院で最新の設備が整っている、造りもゆったりしたところだった。
子供病棟があって、人数も少なかったので、3人部屋を1人で使えた。
気分的にも楽で、入院は辛いし孤独感も味わうけど、とても救われた。

その病院のドクターからひきつけ予防の薬をすすめられた。
入院中はずっと処方されて、帰ってからも服用していくのか考えた。


家に帰ってから、旦那の叔母が小児科医なので相談してみる。
安全な薬ではあるらしい。
他の病院にも相談してみるのもいいらしいとの事。

とりあえず、今までの主治医に相談してみたが、飲まなくていい、との答えだった。

このことがあってから、みぃが当時、経過観察のお世話になっていた小児神経の先生にも、りゅうの事で相談してみた。
みぃ自身はこの頃、経過を診て頂くのも終わりの頃で、入れ違いのようにりゅうがお世話になった。


白衣を着ない、大らかでユニークなO先生。
子供は白衣を見ただけで病院を怖がるらしい。
「だから着ない」と仰っていた。
「脳波は意味がない」とも言われた。
だからこの病院では一度も撮っていない。
寝ている間ずっと撮るわけではなく、無理やり寝かせた30分くらいしか、見ない。
その間に異常な波が出るとは限らないからだそうだ。

「僕だったら薦めます。」
と言われて飲み始める。
5歳くらいまで服用、と言われた。
3ヶ月ごとに診て頂き、薬をもらった。
その間心配だったのは、5歳を過ぎたら…ということ。
その薬なしで大丈夫なのか。
そのバクバクした不安な気持ちは今もある。

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