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最初にお詫びをしなければならない。
じつは自分が今まで賢治が聴いていた「田園」と思っていたそれは、
どうも違う可能性がでてきた。
じつは賢治の記念館にある「田園」のそのレコード番号は
1927年にポリドールで発売されていたものだった。
指揮はハンス・プフィツナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団。
自分が以前から言っていた賢治の「田園」と言っていたそれと、
たしかに同じ指揮者同じオーケストラだが、
自分の指示していたそれは1929年の録音だ。
当然1927年に発売できるわけなどない。
しかもそのレコードは当時の目録では電気録音となっていたが、
その数年後の目録からはそのレコードそのものが削除されていた。
他のプフィツナーのベートーヴェンがそのままなのに、
この「田園」だけが消滅してしまったのだ。
それもそのはずだ。
これは1923年に録音されたアコースティックもので、
1929年に先立って行われた
同じ指揮者とオーケストラによる最初の「田園」の録音なのだ。
そして1932年の目録に当時最新の録音技術という記がついた、
同じ指揮者とオーケストラによるそれが登場した。
おそらく1931年か1930年に発売された、
これが自分がかつて「賢治の田園」といっていた
いわゆる1929年盤であり広く現在でも流通しているものである。
これを賢治が再購入したという記録も記述もない。
つまり賢治が所持していた「田園」は
ハンス・プフィツナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団の
二度に渡る同曲の最初の録音であり、
いままで自分が間違って指摘し
そして現在もCDで聴けるそれは再録音の方なのだ。
ようするに目録も間違っていたし、
自分もレコード番号を確認していなかったという
初歩的な二重ミスによるものだ。
こんなことに何年も気づかなかったとは本当に情けない。
しかも宮沢清六さんの「兄のトランク」にも
賢治が「田園」「未完成」「ミサ」を購入したときのことを
記していた記事があったが、
このうち「未完成」と「ミサ」は発売時期がかなり近いもので、
そうなるとこの「田園」だけがポツンと離れた時期というのも解せない。
そうなるとこの田園は1923年盤を指していることになる。
もちろん「ゴーシュ」の最終形ができた時期が
この再録音盤の発売時期の直後ということから、
ひょっとするとこの新盤を聴いたことにより、
一気に筆が進んだという可能性もあるにはあるが
それはあくまでも何の根拠も無い推測だ。
ほんとうに情けないかぎりだ。
まさか賢治の録音の収集の出発点からそもそも間違っていたとは。
こういうことは常に慎重にやらなければいけないという、
ほんとうに厳しい教訓になりました。
しかもいろいろとネットをみていたら、
その1923年盤について指摘しているサイトもあった。
そういうところに注意していない点でさらに情けないものがある。
けっこうすでに知られてることなのかもしれないし、
知らぬは自分だけなのかもしれないが
とにかくここはけじめをつけたいと思う。
ほんとうに間違いを流布し申し訳ありませんでした。
深くお詫びし今後こういうことのないように努力します。
尚、幸いにしてこの1923年盤が
なんとYou Tubeに全曲UPされている。
ここにそれをリンクしておきます。
上から曲順になっており全部で四分割されています。
第一楽章
第二楽章
第三〜第四楽章
第五楽章
このことにいつてさらに新しいことが判明したらまたここに書き込みます。
ただ今回のことはかなりいろいろとご迷惑をかけましたので、 今月いっぱいはこのサイトの更新を自粛させていたただきます。 ご了承のほど、よろしくお願いいたします。 |

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訂正の情報有難うございます。間違いは誰にでもあること。人間である限り、完璧ということはありえませんから。又、おもしろい記事を期待しております。
2011/11/11(金) 午前 9:41 [ アラベスク ]
そう言っていただけると少しは救われます。もう少しこの件につきましては調べますのでまた何かありましたらご報告させていただきます。コメントありがとうございました。
2011/11/12(土) 午前 0:52 [ ひまや亭 ]
以前、ETVで藤原真理さんが、チェロ奏者の立場から「セロ弾きのゴーシュ」を解説しておられました。藤原真理さんは「セロ弾きのゴーシュ」に出てくる、ガミガミしてこうるさく注意する指揮者は、宮沢賢治と関わりのあった我が師の斉藤秀雄そのものだという風に指摘しておられましたが、斉藤秀雄と宮沢賢治と接点が実際にあったか疑問です。むしろ、この指揮者は、神経質で狷介で生前に色々トラブルがあったと伝えられるハンス・プフィツナーの性格を反映しているような気がします。宮沢賢治は、ハンス・プフィツナーの事を調べていたのではないかと、或いは天才的な霊感で、このレコードの指揮者の性格は、こうだと想像したとも思えます。
2011/11/19(土) 午前 8:57 [ 楚人冠 ]
たしかに斉藤秀雄氏との関係は多くが憶測でしかありません。それに比べるとプフィッツナーのことをそう考えていた可能性はたしかにありますし、また当時の書物に掲載されていたプフィッツナーの写真からもそういう考えが導き出された可能性もあります。これはとても貴重なご意見をいただきました。深く御礼申し上げます。
2011/11/21(月) 午後 4:18 [ ひまや亭 ]
藤原真理さんは番組で、宮沢賢治は上京した際に新響の演奏会に通い、団員からチェロも習っていた。当時の新響には斉藤秀雄が在籍していたから、宮沢賢治と接点があったのではないかと解説していました。
ところで、プフィッナーで疑問に思うのは、ブルーノ・ワルターと親交が深かったのに、ワルターは彼の曲をスタジオ録音しなかった事です。親友だったというマーラーは数多く録音したのに、不可解です。
2011/11/27(日) 午後 10:01 [ 楚人冠 ]
これはあくまで推測ですが、戦前はともかく戦後はレコード会社からブフィッツナーの録音の打診がなかった、もしくはワルターが打診しても色よい返事がレコード会社側からなかったという気がします。戦犯ではなかったものの、フルトヴェングラー同様、決して好意的には思われていなかったように感じられますし、そういう人の音楽が売れるのかというところもあったし、それによってワルターのそれにまで傷がつくことを心配していたのかもしれません。もっともそれ以上にアメリカでの当時の知名度が異常に低かったのかもしれません。すべて憶測なのでなんとも言えませんが…。
2011/11/29(火) 午後 10:17 [ ひまや亭 ]
1923年の録音をYouTubeにupしたz650b11976です。プフィッツナーは「田園」を3回録音しています。レコード番号が40056〜61であれば、1926年に収録された2回目のレコードになりますが、いかがでしょうか。
2019/5/25(土) 午後 5:52 [ z65*b11*7* ]