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(会場)ミューザ川崎
(座席)3階RB2列12番
(曲目)
ペンデレツキ:広島の犠牲者に捧げる哀歌
モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調 K.456(P/フセイン・セルメット)
ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 作品73
1984年生まれというからまだ29歳という指揮者だ。ポーランド出身の指揮者というと、分析的かつ理知的な傾向をもちながらも、その音楽はどことなくドイツ・オーストリア系の指揮者のそれを思わせるようなところがあるような、そんなかんじの指揮者が多いというイメージがある。
スクロヴァチェフスキやヴィトなどもそんな感じを受けたが、この日のウルバンスキも同じような印象を受けた。
全体的にどの曲に対しても非常に明晰で、造形もしっかりしてるが形にとらわれるということはない。またひじょうにどの音もバランスよくクリアに聴こえ、しかも見通しがが図抜けてよい。おっそろしく耳と採寸感覚がいい指揮者なのだろう。それだけに練習不足や調整不良などからくるオケの不調は、この指揮者にとっては他の指揮者以上に大きなキズになる可能性がある。この日のオケはそれをひとこと付け加えておかないといけないくらい、一部管楽器セクションが不安定だった。
さて最初のペンデレツキ。曲の内容とタイトルがじつはまったく関係がない、それこそかつてドヴォルザークの交響曲第8番を「イギリス」とよんでいたそれといい勝負だろう。だがこの演奏を聴いてるいると、にもかかわらず、「ここは広島に原爆が落ちた直後の惨状」「人々の苦しみ」「祈りや読経の響き」と勝手にこちらが思い込んでしまってもいいくらい、そんな雰囲気が感じられるような演奏だった。別にウルバンスキがそういう描写に力を入れていたわけではないが、曲に対してその音楽を真摯に真正面ら取り組んだ結果がこれとなると、偶然の産物とはいえ、この手のようにある意味漠然とした曲は、タイトルひとつで聴き手によってはひとつの曲が、人それぞれにいろいろとメッセージを与えるものだと、なんとなく考えさせられてしまったものだった。
それにしてもとても聴きやすく明晰で硬質な演奏だった。白一色ともいえる音質がさらにそのイメージを強固にさせた。ただこれにはホールの質もあるのかもしれない。
続くモーツァルト。これもやはりとても明晰な響きが軸となっていたが、音そのものはけっこうブレンドされ、どこか懐かしいような響きに満ちた、なんとも抒情的で爽やかなロマンティシズムにみちた演奏だった。かといってビブラートかけっ放しというわけでもなく、むしろときおりそういうことを抑制した響きが散見されたりと、いろいろな対比によるコントラストの鮮やかさを、手を変え品を変えと繰り出してくる。ただ音が明晰明快を基としているためか、嫌らしさやあざとさというものがない。なんとも年齢の割に計算高く聴かせ上手な指揮者とあらためて感心させられた。
因みにソロのセルメットも粒立ちのよい、これまた自由かつ小気味よい、ロマンティックで爽やかな演奏を展開していた。こういう楽しさを前面に出したモーツァルトというのは何とも心地よい。
20分の休憩後後半のブラームス。
ここでは今まで述べたウルバンスキの特徴がすべて結集されたような演奏だった。抒情的なところは抒情的に、決然としたところは決然という、これまたメリハリのはっきりした演奏で、ふつうなら間延びして聴こえてしまう第一楽章の反復も、ここでは再度そのメリハリの妙がもう一度聴くことができるという、そういう愉しみを感じさせられる場と変わっていった。これでオケが万全だったらもっとその愉しみが増していたことだろう。
だがもっとも特長的だったのが終楽章のコーダ。これほどいろいろと手を施し、工夫を凝らしたコーダというのも珍しい。熱狂や勢いに走ったり頼ったりすることもなく、その変化と対比で聴かせる演奏というのも珍しく、これだけ弦の動きに耳がもっていかれた演奏というのも稀という気がする。
そして演奏は最後弦を主体とした、じっくりとした響きで幕をおろした。ほんとにいろいろな意味で「聴かせる」演奏だった。ただだからといって推進力や生命力が乏しくなるということもない。このあたりもじつに旨く、ある意味クレバーな印象も与えられた演奏だった。
とにかくウルバンスキはなかなか素晴らしい指揮者でした。あとその指揮する後ろ姿が、かつてみた若き日のカラヤンを彷彿とさせるような所もたまにあったからかもしれないが、カラヤンあたりとちょっと音楽の方向性に似たものを感じさせられた。
いろいろと多くの引き出しをもち、しかもそれらをバランス良く使いこなせる指揮者だけに、将来がとても楽しみな指揮者です。ただ彼の少し上の世代があまりにも分厚いので、そこのところだけがちょっと心配です。
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