花と緑

ガーデニング2年目の挑戦!

つれづれ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全16ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

ところが最近、この時期が一番寂しさを感じるときでもあります。
年賀状を書きたくなくなってきました。

皆さんは、今とても忙しく生きていらっしゃるから幸せですよ。

訃報の知らせがどっと来る年齢ってあるんですね。
父の友人は80歳代ですから、ほとんどお友達は亡くなってしまっているようです。
男性のほうがやっぱり短命らしく、デイケアに行っても、殆ど女性だそうです。
年をとってくると、当然のことながら訃報は増えて当たり前なのに。

それが今年・・・同い年の友人の訃報が舞込んで来ました。
青春時代の友の訃報は堪えます。
まだ50代です。
ポパイが特別早すぎたから・・・・45歳
(ポパイが亡くなったときに前後して、ご近所で40代の方がなくなったことがあったわ。)
それから暫くは、若い方の死に出会わないでいました。

ポパイの死後は、無我夢中でゆっくり考える事ができなくなって、あっという間でしたから・・
パソコンに出会って、初めてゆっくりとポパイの言ったことを思い出しながら、書き込んだ事がありました。

私が『死』を友とするようになったのは、ポパイが亡くなって10年経ったころからです。(~.~)*
50才以後から、不思議体験しすぎたからね。(~.~)*

このブログは、一度に全部書き込めないので、バラバラに書き込んでしまうので、分かりにくいのですが、死後の世界があることの一部分でも伝えられると良いかな〜と思いつつ。

タブー

『死』について語るのは、日本ではかなり難しいですね。
私は、臨死体験有りなので、『死』はすばらしいものと思っているから、ちょっと皆さんと意見が合わないかもしれませんね。
家族の死に直面して、やっぱり元気なうちに考えておく事が大切だと思いました。
外国では、学校で教えているところも多いのですが・・・。
そう言う訳で、オリーブが『死』を語ることが多く、戸惑う方も多いかもしれませんが、死は悲しむものではないと思っている私が存在するんだと思っていただきたいのです。
確かに暫くの別れは、断腸の思いです。
悲しいです。でもまた会えるんだと私は思える人なのです。
妄想だと思われてもかまいません。(~.~)*

「おき楽に」と言っても無理かもしれませんが、そんなふうに考えている人間もいるんだと言う程度で読んでくださると嬉しいんですけど・・・・無理ですかね?

オリーブのシャングリラの「 死を少しだけ身近に感じて 」は、反応が少なくて・・・なぜ?と思ってしまいました。(~.~)*

何だか話のつじつまが合わないけれど父に聞いてみました。
8月6日の夕方に広島駅に着いたそうです。
とても宇品の本隊には帰れないので、歩いて楽々園の陸軍病院に行ったそうです。
何キロあるかしら?車でもかなりかかりますから必死だったろうとは思えます。
母は父親の事が気になり、翌日将校さんにたのんで紙屋町あたりまで行ったそうですが、それから先は進めなくて、楽々園に帰ったとか。
父は4日後に一度入市を試みたそうです。
母と帰った日にちを良く覚えていないそうです。
それから、衛生材料を楽々園の陸軍病院に半分送り、後の半分を山口県の陸軍病院に送ったのだそうです。
あまりにも沢山で分からないと言う事で種分けするのに、父と部下二人を連れて山口県に半年いたのだそうです。
それから故郷に帰ったら、今までどこで遊んできたとしかられ、言い訳をする人ではないので頭にきてそこを止めて広島に帰ってきた、と言っています。
でも10月に母と結婚してるんですよね。どこかで話がずれている。(~.~)*

母は67歳で肺がんで死にました。
「この癌には放射線治療は効きません」と言われただけで、原爆のゲの字も言われた事がありません。
健康診断はしてくれますが、何の説明も無いのが現実です。
なぜ父は生きているのかな〜?と思っていた事の原因が分かった気がします。
母は原爆の翌日入市していること。
父はその4日後に入市したことが関係あるのかもしれません。(ただ今86歳)
これからさきあってはならない事ですが、もし核爆発に遭遇する事があったら、4日以後に入市してください。
政府はきっともっと詳しい話が分かっているはずですから、公表して欲しいものです。

核は使用されるべきではない・・・たとえどんな事があっても!

少しばかり宇宙人になった父にたずねてみました。
「おじいちゃん、どうして広島に来たん?」=来たの?
「話した事無かったか?」
「昔に一度聞いたような気がするけど、よく覚えてないの・・・よね・・」
「昔の事は・・・・忘れたな〜」と言いながら、かなり覚えていましたのでちょっとだけ(~.~)*

戦争でニューギニアに行きました。
衛生兵(1等兵に進級)
○○県より金沢で沖本中尉と二人でパラオに行きました。
そこで部隊と合流し、ニューギニアに行ったのです。
聞きにくいことですが聞いてみました。
「戦争で人を殺した事ある?」
「無いよ!衛生兵だからの〜注射ばかりしとったからな〜」
「良かったね・・・」
「うん、背が小さかったから兵隊になれなんだ(笑)」

ニューギニアには約1年滞在し、目前で人の足がぶっ飛んだときの処置が良かったのか、沖本中尉が下士官候補生にならないかといってくださったとかで、広島の三篠橋兵舎(陸軍病院)で1年間教育を受け所属部隊に帰ることになりました。
ところがニューギニアの部隊は全滅で帰るところが無くなっていました。
「たった一人、生き残ってしまった。沖本中尉が命の恩人よ。」と言っていました。
そこで広島の暁部隊の船舶司令部の衛生材料課?に転属して、下士官に任官されたとか。

そこで母は、筆生(事務員)をしていたのです。
母は18歳か19歳ごろで、父は23〜24歳くらいだったのかな?

本来なら故郷の○○県に帰って何処かに所属を希望できたのだそうですが、末っ子なので自由でいたかったのか、教育を受けた広島に残る事にしたようです。ここらへんは曖昧で良く分かりません。
そこでそのことを故郷に帰って、部隊の転属願いを出すために1週間くらい帰郷しました。
その間に原爆が落ちたのです。
ここでも命拾いしたのです。
広島駅に着いたときは、焼け野原であまりにも熱くて線路沿いにある部隊(私が名前を忘れました)に行きました。
ちょうどそこに母が6日の朝、書類を届けに早く出かけて到着して直ぐに原爆の落ちるのを見た話は、母から聞いたことがあります。

母も何十分か遅く出かけていたら死んでいたのだそうです。
手が足りないので、看護婦がわりに何もできないけど逃げてきた方々の治療を手伝ったといっていました。
「班長殿(父)の顔をみてホッとした」と言っておりました。
それから暫くしてトラックが所属部隊に行くことになり、二人も乗せてもらったのです。
これで入市被爆したわけですが、それこそ『地獄』を見てしまったわけです。
死体を井桁に組んで積み上げ、油をかけて燃やしている中を通りぬけていったと話してくれたのは、母でした。(私が小学6年生の時一度だけ)

父は一切原爆の話はしません。
ただ、終戦の時に衛生材料課だったので、当時物資が無く医者もいない状態だったので、「注射ばかりしたよ」と言っていました。
「役に立たなかったけどな〜」と淋しそうに言ってました。
それでも息子さんが治療が受けられたと、感謝してくださった方が、自分の娘と結婚してくれと言われたそうです。
その娘さんが母の友人で、母が父に好意を持っていたのを知っていて間を取り持ってくださり、結婚したそうです。

両親から戦争の話は殆ど聞いたことがありません。
せいぜいこれくらいの話を聞くのに、60年も経っているんです。
父も母も、もともと寡黙の人だから・・・きっと頭から消し去りたいと言う思いがズーとあったのではないかと思います。


今、こうして書いていると1年前までは、遠い昔の話ぐらいにしか思っていなかったことです。
北朝鮮のおかげで・・・そんな事考えてもみなかった核実験の現実が頭の中でとぐろを巻いているような気がしてしまいました。
戦争反対!攻めてきても自衛以外何もせず、やられっぱなしの覚悟ができているか?
自分でも分かりません。
平和憲法を守り通すも一つの方法です。
全員で殺されてもいいじゃないですか、といえない自分がいるから・・・

こんな世の中は無くなってしまえ!戦争で滅べばいい、と言えない。
2006年は、私にとって必ず見てやる(半分は冗談で終わって欲しいと思っていた)時の始まりだったのかと、闇の中の気分から抜け切れていない。
ますますヒドクなる。
これではいけない!闇を呼び寄せている!と思うのに、どうにもならないのです。
どなたか、パッといいニュースをくださいませんか?
小さな光が今欲しい!

開く トラックバック(1)

そこでHP(オリーブのシャングリラ閉鎖中)を検討する暇もなしなので、このブログに少しでも転載しておくことにしました。
まとまりませんが、私がHPを作る気持ちになった原因と結果までは書き込めません。
少しでも伝えたい事をバラバラではありますが転載していきます。
もう少し暇になったら少しでもマシなHPをつくろうと、気持ちだけですが持ち続ける事にしました。
まとまらないブログになってしまいましたが、お許しください。

もともとHPが一杯になってしまったので、オリーブのシャングリラの「花と緑」だけ、このブログを使わせていただこうと思って始めたものなのに、体調他諸々の事情が勃発?し続け、「なんでもあり」の人生と同じく、色々になってしまっている。(笑)
「花と緑」を「なんでもあり」にかえたいくらいです。(~.~)*

このご時世、平凡に生きられる事が「幸せ」と思っていますので、皆様方も日々お幸せにお過ごしくださることを祈りつつ毎日を過ごしております。

もし、平凡以上のお幸せな方は、ぜひともこのブログに書き込んでください。
少しでも、明るく楽しく過ごせる時間が増えるのは最高の幸せだからです。
私にも、あなたの幸せのオスソワケをくださいませ。
あなたが幸せなら、私も幸せだからです。(~.~)*

平凡以下の不幸に出会ってしまったときは、ゲストブックにワメイテお帰りください。
少しでも気分が晴れますようにと祈っております。(~.~);;

相変わらず、たまにしか書き込めないと思いますので、お返事がなかなかできないと思います。
「ごめんなさい」と先に言っておきます。

皆様のうえに、愛と平和がありますように!

全16ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ori**uori_*u
ori**uori_*u
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事