『日本周遊紀行』

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日本周遊紀行(129)東京 「江戸城と振袖火事」 



江戸城、炎上す・・!!


さて、この江戸城郭の大天守であるが・・、
完成からわずか19年後の明暦3年(1657)1月の、いわゆる「振袖火事」(明暦の大火)で焼失してしまう。 
天守再建の声も多かったが、保科正之(徳川秀忠の庶子)が異議を唱え、四代将軍徳川家綱もこの意見を受け入れたため、天守はついに再建されなかったという。
つまり、世界に誇る江戸城・大天守閣は、僅か19年という最短の寿命を記録してしまったのである。

現在、NPO法人によって「江戸城天守閣再建活動」がなされているようであるが、さて・・?。



因みに、振袖火事とは明暦年間の大火のことで、明暦3年1月18日(1657年3月2日)に出火、当時の江戸の大半を焼失するに至った大火災である。
この明暦の大火は、三日間にかけて外堀の内側を殆ど焼き尽くしたと言う。

この頃の外堀は現在でいう北は秋葉原からお茶の水、西は四谷、南は新橋、東は隅田川というから、山手線の内側と匹敵するか、あるいは全体としては広いともいわれる。
この火災による被害は、延焼面積・死者共に江戸時代最大で、江戸の三大火災の筆頭としても挙げられる。 

天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、諸説まちまちではあるが、死者は3万から10万人と記録されている。
江戸城天守はこれ以後、再建されなかったという。

火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大のものであり、世界三大大火の一つに数えられることもあるとされる。

明暦の大火を契機に江戸市中の都市改造が行われることになる。
火災防備上、千住大橋のみしかなかった隅田川へ両国橋や永代橋などを架橋し、市街地の造成が行われたという。
又、延焼を遮断する防火線として造成した広小路は、現在でも上野広小路などの地名で残っており、当時の防災への取り組みの痕跡が残されている。

幕府は耐火建築として土蔵造や瓦葺屋根を奨励したが、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるとおり、その後も江戸はしばしば大火に見舞われている。



「振袖火事」とは・・、

江戸市中、江戸城の火事の発生原因説の一つに「振袖火事」とされる要因がある。

上野の商屋の娘「おきく」がお寺の小姓を見初めて、小姓が着ていた着物の色や模様に似せた振袖をしつらえてもらった。 
だが娘は小姓を想い続けながら恋の病に臥せ、そのまま明暦元年16歳で亡くなったという。
寺では法事が済むとその振袖を古着屋へ売り払い、次の娘の手に渡したが、その娘も病気になり死亡した。
更に、振袖は再び古着屋の手を経て次の娘のもとに渡ったが、同じように亡くなったという。

不吉な振袖について三家は相談し、因縁・厄災の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにした。 ところが、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いた強風によって火の付いた振袖が舞い上がって本堂の茅葺屋根に落ちて燃えはじめ、それが燃え広がって江戸中が大火となったという。

以上が長年伝えられてきた明暦の大火の出火原因とされる。
だが、この言い伝えには続きがあって、本妙寺に隣接して風上にあった老中・阿部家が火元であると噂された。
真の火元は老中・阿部忠秋宅であり、ただ、老中宅から出火とあっては幕府の沽券(こけん)に関わるということで、本妙寺が承知の上で火元の濡れ衣をかぶったという。
幕府の要請により本妙寺が火元であるとの汚名を引受けたのだと・・?、


ところで、江戸徳川時代は安定期であるとはいうものの、家康や秀忠の時代は諸国まだまだ不穏な時代でもあった。
まして、家康秀忠は関が原から大阪夏の陣にかけて、否というほど「大阪城」の威容に翻弄されてきた。
江戸に政経の中心を移してからは戦略的には無論であるが、徳川の政権を誇示するためにも大阪城には負けないくらいのお城は必須だった。
更に、城普請することにより諸国の物持ち大名に対して少なからずの出費をさせ、それによって藩力を弱体化させるという狙いもあった。

家康、秀忠の目論見どおり江戸開府以来30年余りで、あの豪壮無比な江戸城・天守閣が完成している。
五層六階(地下室もあった)の高層で約60メートルの高さがあった。

当時の江戸城下は木造建築の平屋建てが殆どで、せいぜいあっても二階建てが大部分であったろう。 そんな中、千代田の高台に60mの天主が出現するのである。

この天主は江戸市中はもちろんのこと遠くは常陸の国、相模の国辺りからも望観できたに違いない。 
そしてその後も260年余の徳川政権と江戸城下を見守る筈であったが、完成から僅か19年後に廃塵と化したのである。


今となっては、お城なんかは封建支配の抑圧の象徴などとも云われるが、実際、江戸っ子にとって、「江戸のお城に天守閣がない」というのは、やはりある種の寂しさと屈辱があったことは否めない。  
名古屋にも大坂にも天守閣があるのに、花のお江戸には天下のお城が無いなんて、江戸庶民は結構悔しかったのでは・・?。 
てやんでい、将軍様のお城は天下一に決まってるんでえ、そんなシロモン(城物)はいらねんだよ・・!」とか強がってたけど、内心は口惜しかったのでは、200年の永きにわたって・・!。



現在、NPO法人・「江戸城再建を目指す会」というのがある・・、

「 かっての都・江戸は世界で最も魅力的なまちの一つと謳われていた。 もしここに、1657年の明暦の大火により失われた天守閣を始め、江戸城の遺構が再建されれば、それは世界に伍して発展する国際観光、交流都市東京の形成に寄与するだけでなく、21世紀における日本再生の新しいシンボルにもなり得る 」としている。

最近になって、江戸城再建構想が活発化しつつあるが、果たして・・?。

更に江戸城物語は「桜田門



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