『日本周遊紀行』

「goo」で、「yahoo」な国柄・・、日本万歳・・!! http://www.geocities.jp/orimasa2001

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復讐の魔女と化した、佐世保の女子高生、

 
 

最近の社会的事件ニュースと言えば、長崎県佐世保市の高校1年、松尾愛和(あいわ)さんが殺害された事件でしょう。 

ただ、報道においては相変わらず殺害された方は既に死んでしまったから人権等は無く、従って、名前も、住所も、写真も出されて報道されています。 

 

ところが、殺した方は相変わらず、未だ生きていますので当然人権があるモノとして、個人情報、即ち、プライバシー保護とかで全てが隠されているのでしょう。

但し、小生は今別に加害者の名前を知りたいとか、写真を見たいと言うのではありません。 言いたいのは何時まで経っても、こうした矛盾が罷り通ってていることに疑問を感じるのです。

 

今は、ネット社会と言って全ての事が、右から左へ移動して全ての事が明らかになってしまう世の中です。 お役人のこうした硬い頭が世の中を偏屈にしている、一つの原因かも知れません。

ネット上でも既に、いくら未成年の加害者だとはいえ、殺された被害生徒の情報は沢山溢れるほど報じられているのに、殺人者である加害者だけ隠すのはおかしいとの、こうした疑問の声も上がっているのです。

 
 

さて、今度の事件で小生個人としては、愛された実母は早く死に別れ、それに15歳の女の子の一人暮らしを強いた親、即ち、父親の事はどうなのかと疑問を感じざるを得ません。

その状況でわずか15歳の娘の一人暮らしをするということは、精神的には耐えがたいほどの苦痛と厳しさを感じたはずです。

 

今回の事件、特に、報道機関は興味本位に、犯人は家庭の問題とか、精神異常とか、人間的に未発達などとしてかたずけてしまい、犯人憎いと結論付ける。 又、直接学校や生徒達には関係のない教育委員会でも、大業に大騒ぎして学校を責任の所在として決め込んでしまいます。

 

確かに、被害者の女子生徒は余りにも可哀想ですが、犯人としての加害者の女子生徒は頭も良さそうですし、その為に父親憎し、父親への復讐がわき起こり、更には人間不信に陥って、自己犠牲で魔女と化し、人間そのものへの復讐をしたのではないか、とも思われるのです。

 

犠牲になった被害者は、人間復讐の為の魔女の相手となり、犠牲になったものとも思われすが、これは事件と言うより災難ではなかったのかとも考えられるのです。

 
 
 
 
 
 
<strong>明治時代の日本・韓国・中国の国情;(明治期の旅行家・イザベラ・バードの実録)</strong>
 
 
 

 
 
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)という人は、英国人の女性旅行家・紀行作家です。
生まれたのが1831(文政13)年、亡くなられたのが1904(明治37)年です。
 
彼女は、江戸〜明治期のシナ、朝鮮半島、日本を紀行し、数々の写真とともに、当時の3国の状況を仔細に観察し、述べています。
 
彼女は、1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜けての旅をしました。
 
彼女の『日本奥地紀行』では当時の日本を結論的にこう書いている。
 
『 私はそれから奥地や蝦夷を1200マイル(1930km)に渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている 』
 
 
 
特に、栃木から鹿沼市へ抜ける日光杉並木を観て、「よく手入れされた麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感した」と綴っています。
 
 
また日光で滞在した金谷邸では、その内外に日本の牧歌的生活があると絶賛し、ここに丸々2週間滞在したうえ、日光の景勝地を探訪しています。
 
日光滞在10日目に訪れた奥日光では、梅雨時の豊かな水と太陽に育まれた植物・・・
 
コケ、シダ、木々の深緑、そして鮮やかに咲き誇る花々が、中禅寺湖、男体山、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯元湖を彩る様子を闊達に描写し、惜しみない絶賛を与えています。
 
街道の終点である湯元では、温泉を訪れている湯治客の様子を詳細に記し、その宿屋が
 
「たいへん清潔である」と評し、
 
そして
 
「ここは埃まみれの人間ではなく、妖精が似合う宿である」とまで形容した。
 
さらに山形県の赤湯温泉では、置賜地方を「エデンの園」と称え、
 
その風景を「東洋のアルカディア」と評した。
※アルカディア=ギリシャ神話に出てくる理想の楽園
 
 
彼女は、『日本奥地紀行』では当時の日本を次のように書いています。
 
「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で、日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。」
 
「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。
子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。」
 
「いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。
子どもたちは、私たちの考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振舞いは、人に大きな好感をいだかせる。」
 
「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。」
 
「ほんの昨日のことであったが、革帯一つ、忘れものをしていた。
もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。
彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。」
 
「彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。」
 
「日本の大衆は一般に礼儀正しいのだが、例外の子どもが一人いて、私に向かって、中国語の「蕃鬼」(鬼のような外国人)という外国人を侮辱する言葉に似た日本語の悪口を言った。
この子はひどく叱られ、警官がやってきて私に謝罪した。」
 
「家の女たちは、私が暑くて困っているのを見て、うやうやしく団扇をもってきて、まる一時間も私をあおいでくれた。
料金をたずねると、少しもいらない、と言い、どうしても受けとらなかった。
彼らは今まで外国人を見たこともなく、少しでも取るようなことがあったら恥ずべきことだ、と言った。」
 
「吉田は豊かに繁栄して見えるが、沼は貧弱でみじめな姿の部落であった。
しかし、山腹を削って作った沼のわずかな田畑も、日当たりのよい広々とした米沢平野と同じように、すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、風土に適した作物を豊富に産出する。
これはどこでも同じである。草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は、日本には存在しない。」
 
「どこでも警察は人々に対して非常に親切である。
抵抗するようなことがなければ、警官は、静かに言葉少なく話すか、あるいは手を振るだけで充分である。」
 
「警察の話では、港に2万2千人も他所から来ているという。
しかも祭りに浮かれている3万2千の人々に対し、25人の警官で充分であった。
私はそこを午後3時に去ったが、そのときまでに一人も酒に酔ってるものを見なかったし、またひとつも乱暴な態度や失礼な振舞いを見なかった。
私が群集に乱暴に押されることは少しもなかった。
どんなに人が混雑しているところでも、彼らは輪を作って、私が息をつける空間を残してくれた。」
 
「私はどこでも見られる人びとの親切さについて話したい。二人の馬子は特に親切であった。
私がこのような奥地に久しく足どめさせられるのではないかと心配して、何とか早く北海道へ渡ろうとしていることを知って、彼らは全力をあげて援助してくれた。
馬から下りるときには私をていねいに持ち上げてくれたり、馬に乗るときは背中を踏み台にしてくれた。
あるいは両手にいっぱい野苺を持ってきてくれた。それはいやな薬の臭いがしたが、折角なので食べた。」
 
「私の宿料は《伊藤の分も入れて》一日で三シリングもかからない。
どこの宿でも、私が気持ちよく泊れるようにと、心から願っている。
日本人でさえも大きな街道筋を旅するのに、そこから離れた小さな粗末な部落にしばしば宿泊したことを考慮すると、宿泊の設備は、蚤と悪臭を除けば、驚くべきほど優秀であった。
世界中どこへ行っても、同じような田舎では、日本の宿屋に比較できるようなものはあるまいと思われる。」
 
「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったり融けあう。
彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけて感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」
 
「しばらくの間馬をひいて行くと、鹿皮を積んだ駄馬の列を連れて来る二人の日本人に会った。彼らは鞍を元通りに上げてくれたばかりでなく、私がまた馬に乗るとき鐙をおさえてくれ、そして私が立ち去るとき丁寧におじぎをした。このように礼儀正しく心のやさしい人びとに対し、誰でもきっと好感をもつにちがいない。」
 
「伊藤は私の夕食用に一羽の鶏を買って来た。ところが一時間後にそれを絞め殺そうとしたとき、元の所有者がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来た。彼女はその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、というのである。こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。私は直感的に、ここは人情の美しいところであると感じた。」
 
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バードは、朝鮮を1894年に訪問しています。
釜山、ソウルに滞在した後、漢江流域を踏査し元山へ、そして同年1112月にはロシア領内の朝鮮人社会を視察した。
そこで「朝鮮奥地紀行」を著します。
当時の朝鮮は、日本が統治する以前、李氏朝鮮末期の時代にあたります。
 
「朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。」
 
「政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして道徳における中国の影響には卓越したものがある。これら全ての面で朝鮮は、強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。」
 
「私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興(中国浙江省北部の県)の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた。
大都市、首都にしてはそのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。」
 
 
「礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。
その結果、25万人と見積もられている人びとが“地べた”、主として迷路のような路地で暮らしている。
その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。
実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。
さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたドブと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。」
 
「ソウルには美術の対象になるものが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。
公衆用の庭園も無く、行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。
劇場も無い。
ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。
ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。
しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルは寺院無しの状態で放置されている。
一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている。」
 
「ミラー氏と召し使いが綱を強く引っ張っている時、私はしょっちゅう川岸沿いに独りぼっちで、2時間か3時間ぶらついていた。
その小道が淋しい所かまたは村に通じていようがいまいが、私は、ひどく躾の悪い遣り方で示された好奇心以上の不愉快なものには、一度も出会わなかった。
そしてそれは、主として女性によるものであった。」
 
「その肩に税の重荷が掛かっている人びと、つまり特権を持たない厖大な大衆が、両班にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。
両班は代金を支払わないで、人びとを酷使して労働させるばかりでなく、さらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立てを行なっている。
ある商人か農夫がある程度の金額を蓄えたと噂されるか知られると、両班または役人が貸し付け金を要求する。」
 
「女の人たちと子供たちは山のようになって、私の寝台の上に坐った。
私の衣服を調べた。
ヘアピンを抜いた。
髪を引き下ろした。
スリッパを脱がした。
自分たちと同じ肉や血なのかどうか見るために、私の着物の袖を肘まで引き上げて、私の腕を抓った。
私の帽子を被ってみたり、手袋を嵌めてみたりしながら、私のわずかばかりの持ち物を詳しく調査した。」
 
「長安寺から元山への内陸旅行の間、私は漢江の谷間でよりも、朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。
日本のこの上なく見事な手際のよさと、中国の旺盛な勤勉に比べて、朝鮮の農業は無駄が多く、だらしない。」
 
「朝鮮では、私は朝鮮人を人種の滓と考え、その状況を希望の持てないものと見做すようになっていた。」
 
「私は出発する前に、無感動できたなく、ぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて、宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の真ん中でじっとしていた。
朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない、と感じた。」
 
「もしある人が小金を貯めた、と伝えられると、役人がその貸与を要求する。
仮にその要求を承諾すると、貸し手は往々にして元金または利息に二度と会えなくなる。
もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、破滅させるために捏造されたある種の罪で投獄される。
そして要求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる。」
(これって、いまの日本?!)
 
「狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。」
 
「朝鮮の大きくて普遍的な災難は、大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか“たかり”に耽る習慣である。
それを恥としないし、非難する世論も無い。
少ないけれども一定の収入がある人は、多くの親類、妻の親類、大勢の友人、親類の友人たちを扶養しなくてはならない。」
 
1897年の明確に逆行する動きにも拘わらず、私はこの国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。だが、次の二つの事が非常に重要である。
1、朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事。
2、君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。」
 
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バードは189512月に上海に渡ります。
上海から揚子江を万県まで遡り、さらに陸路を保寧府、成都まで進んだ。
彼女は、中国社会の活力と公正さを高く評価しるけれど、それは“最悪”の朝鮮社会を見た直後だったからかもしれない。
 
「中国人は無学であるし、信じがたいほど迷信深い。だが、概していえば、いろいろな欠点はあるにしろ、ひたむきさという点では他の東洋民族にはないものがあるように思われる。」
 
「〈文人階級〉の多くの人々の無知さ加減はひどい。
それは宿坊での会話の中にとめどもなく現われてくる。
軍のある高官は、劉を頭とする黒旗軍が台湾から日本人を駆逐したとか、劉が神々に誓った誓いと祈りが功を奏して台湾海峡が大きく口を開いたとか、ロシア、イギリス、フランス、日本の海軍が戦渦に広く巻き込まれ、やられてしまったとか言って憚らなかった」
 
「中国で仁が重んじられているという印象は日常生活からはさほど受けない。
中国人の性格に関するこの国での一般的な見解は、冷酷、残忍、無慈悲で、徹底して利己的であり、他人の不幸に対して無関心であるというものである。」
 
「彼女たちの質問はまことに軽薄だったし、好奇心は異常なまでに知性を欠いていた。
この点で日本人の質問とは好対照だった。
ここには、していることに目新しさも多様さもなく、食べることと書くことだけをしている人間を何時間にもわたってジロジロ見ることに費やすという、大人としての異常なまでの無神経さが見てとれた。」
 
「群集はどんどん増え、囃し立てたり怒鳴ったりして、どんどんやかましくなった。
口々に『洋鬼子』、『外国の悪魔』とか『吃孩子(子供食い)』と叫ぶ声がどんどん大きくなり、怒号と化していくのがわかった。
狭い通りはほとんど通れなくなった。
私が乗った車は、何度も何度も棒で叩かれた。
泥や嫌な臭いのするものが飛んできて命中した。
ほかの連中よりも大胆なのか臆病なのかわからないが、一人の身なりのよい男が私の胸を斜めに強打した。
叩かれたところはみみず腫れになった。
後ろから両肩を強打する連中もいた。
わめく輩は最悪だった。
激昂した中国の暴徒だった。」
 
「信じられないような汚さ、古期英語を用いないと表せないようなひどい悪臭、薄汚なさ、希望のなさ、騒がしさ、商売、そして耳障りな騒音は中国の都市に共通する特徴である」
 
「中国の町のごろつき連中は、無作法で、野蛮で、下品で、横柄で、自惚れが強く、卑劣で、その無知さ加減は筆舌に尽くせない。
そして、表現することも信じることもできないような不潔さの下に暮らしている。
その汚さといったら想像を絶するし、その悪臭を言い表せる言葉は存在しない。
そんな連中が日本人を、何と『野蛮な小人』と呼ぶのである!」
 
「トルコやペルシャ、カシミール、朝鮮を、私のように数年にわたって旅したことがある人なら、中国の人々が虐げられた国民などではさらさらないことがわかって驚くことになる。
また、現制度下にあってさえ、賄賂はあるものの税は軽く、働けば金になり、理にかなった自由もかなりあることがわかって驚くことになる。」
 
「大勢の薄汚い役人が何もせずにぶらぶらしているといったことはなかった。この点は朝鮮とは異なっていた。」
 
「飛び道具は手近にいくらでもあった。石の一部は轎や轎かきに当たったし、私の帽子にも当たって帽子が飛ばされてしまった。
『外国の悪魔』とか『外国の犬』という叫び声のすさまじさといったらなかった。
石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。
そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れ込み、気を失ってしまった。」
 
「病気の苦力は木の下に横たえられた。
そこで私はその男の燃えるような額に濡れたハンカチを当ててやった。
その時、中国人の潜在的な残虐性が現われた。
あの実に愛らしい創造物である観音が広く崇拝されているのに、この連中には何の感化も及ぼしていないことがわかった。
何も運んでいない苦力が5人いたので、一匹のラバの荷物を5人で分け合い、病気の男をラバに乗せるように提案してみたけれど、拒絶したのである!
この12日間、寝食をともにしてきた男なのに、である。
しかも、お前達はこの男をここに置き去りにして死なせるつもりかと尋ねると、彼らはせせら笑いながら、『死なせればいい。もう何の役にも立ちませんぜ』とのたまった。
病気の男が懇願した水が目と鼻の先にあったにもかかわらず、それをやろうとさえしなかった。」
 
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最後に、ペリー提督の日本評をひとつ。
 
「日本人は自分の祖国に対しては感激家で、先祖の偉業を誇りとしている。
 
教養ある人も普通の人も天皇の古い皇統に対し限りない愛情を抱き、古い信仰や風俗習慣を重んじる。
 
それゆえ外国人が、日本人の民族性に追従し、彼らの宗教や風俗習慣を尊重し、そして原始時代の伝統や神として崇められた英雄の賛美に好意をもって耳をかたむける。」
 
 
≪おまけ≫
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 日本周遊紀行(230)白馬 「冬季長野オリンピック」(2)  .



1998年・平成10年2月17日、ジャンプ団体

この日、白馬には激しい雪が降っていた。 
ジャンプ台を見ても、選手のスタート地点が見えないほどの悪天候である。 係員が懸命に整備をしても、新しい雪がすぐに降り積もり、予定されていたトライアルは中止が決まり、本番の開催が危ぶまれる状況だった。 

ジャンプは風の影響が強い競技だということはよく知られているが、降り積もる雪も競技には大きな影響をもたらす。 先ず、時速90km前後の猛スピードで滑り、飛ぶ選手たちにとって、激しい雪で視界が妨げられるのはとても危険、さらに、助走路に新雪が降り積もると、スピードがあがらず飛距離は伸びない。 だがしかし、すでにスタンドは超満員、このまま競技は中止されても仕方がないほどであった、予定よりか成り遅れてから、なんとか1本目の競技が始まった。


1本目のジャンプ、日本の1番手・岡部の飛距離は121.5m、続く斎藤が130mの大ジャンプで、2位のオーストリアに44ポイントの大差をつけて首位に立った、やはり日本は強い。 
残す2人はラージヒルのメダリストコンビ、さらなる大ジャンプを期待して、スタンドには楽勝ムードが漂よう。 

でも、神様はそんなにお人好しではなかった。 3番手の原田が登場するのを待っていたかのように、雪がいっそう激しくなってきた。 
会場に原田の名前がアナウンスされた、カメラのアップで、何とか姿は捉えられるが、戻すと雪の中に消えてしまいそうだ。 大丈夫なのか? 競技が続行されるのかどうか心配であったが、日本は参加した13チームの最後に飛んでいる。 3番手のジャンプを残しているのは原田だけ。 

原田がスタートした。 「ハラダ! ハラダ!」という応援の大歓声が、白い風に吸い込まれる。 
ところが、雪の合間からうっすらと見える90m付近のランディングバーンに姿が見えたとき、原田はもう、吸い付かれるように着地していた。 飛距離は79.5m、こわばった表情で電光掲示板を見上げる原田、ハイテンションだった大歓声が、一瞬で凍り付いたように鈍い響きに変わった。 

このとき、日本中の人々の脳裏には、4年前、リレハンメルオリンピックの悪夢がよぎった。 最後のジャンパーとして登場した原田がまさかの失敗ジャンプ、ほぼ手中にしていた金メダルを逃してしまった出来事である。
あれから4年、原田はリレハンメルの雪辱を果たすために、あらゆる努力をしたはずだが、それが・・、直後の原田の一言「屋根付いてないから、しょうがないよね・・」・・と。
 

ジャンプ競技ほど“運“に左右されるスポーツはない。 どんなに努力しようが工夫を重ねようが、本番で吹雪に見舞われたり、積雪で助走路のスピードが奪われれば全て水疱に帰してしまうのである。 
名ジャンパーであった秋元正博氏は「この競技は運が五割だからね」と。 だからといって、「どうせ最後は運だから」と開き直ってしまえば、その選手はそこで成長は止まる。 勝利の女神に愛されるためには、運を信じて険しい坂道を一歩一歩進んで行くしかない、ジャンプは人生そのもののようだ。


雪の勢いは一向に弱まらない、セカンドラウンドが始まって8人目、チェコの選手が飛んだところで競技は一時中断される。 
数分後、セカンドラウンドだけの記録を一度キャンセルして、観天望気の後、競技は再び開始された。 できることなら「もう一度最初から」やり直してくれないものか。 原田選手に、もう一度チャンスをあげたい。 しかし、神様が、いや原田は、さらに感動的なドラマを用意してくれていたのであった。
 

競技2本目、逆転劇の幕開けは、岡部から始まった、日本選手1番手の岡部が137mという驚異的な飛距離をマークした。  
15日の個人のラージヒル2本目に原田がマークした136mというバッケンレコードを更に更新したのである。 
原田がビデオによる飛距離測定器の範囲を越えたため、この日は手書きの飛距離表示板を増設、142mまでスムーズに判定できるようになっていたらしく、早速、それが役に立ったのである。 続く斉藤は124mの安定したジャンプで日本は再びトップに立った。 あとは原田と船木のジャンプに期待、金メダルの夢が再びはっきりと視界に入ってきたのだ。

そして、原田である。 1回目の失敗ジャンプが、まだ頭の隅に残っていて二の舞を演ずるのか、それとも、きれいさっぱり忘れて新たな気持ちで飛び出すのか・・?。 相変わらず雪の勢いは強く、条件は一回目と同じである。
 
再び、NHKの工藤アナウンサーが、ややカン高い声で実況していた・・、
そして「さあ、いよいよ原田スタート・・・ん・・高いぞ・・高くて、高くて、高くて・・、行った・・原田、大ジャンプ・・!!」、ついさっき岡部が樹立したばかりのバッケンレコードに並ぶ137mのスーパージャンプだった。 
場内は興奮のルツボ、TV観戦士(小生)は「ヨッシャー・・!!」とガッツポーズ・・!。 そしてその後、猛烈なプレッシャーの中で着実に決めた船木のジャンプは125m。 
飛び終えた船木が、祈るような表情で会場の電光掲示板を見上げている。次の瞬間、地鳴りのような大歓声のボルテージがさらに上がる、

『 1位 JAPAN」、日本が金メダルである・・!! 』


船木がガッツポーズをしながら、背中から雪の大地に倒れ込み、原田、斉藤、岡部、日本チームのメンバーが、抱き合い、飛び上がって喜んでいる。 原田が、先頭を切って船木に駆け寄り、一度は立ち上がって仲間を迎えた船木が、原田と抱き合ったまま、再び地面に倒れ込む。 
会場はこの上ない熱狂の渦に包ました。
グオオオーと、わき上がるような歓声の中に「はらだー!」、「ふなきー!」と選手たちを祝福する。 誰からともなく起こった「ニッポン!ニッポン!」という大合唱が、いつ終わるかもともなく白馬の山にこだました。 
興奮が永遠に続くのではないかと思うほど、感動的なドラマにすべての日本人、観客が酔いしれていた。 その後、原田が泣きながら「船木、船木・・」と叫んで、コメントしていたのが印象的であった。 やはり、原田はヒーローであり、勝利の女神は日本チームに、原田に、微笑みと愛を下されたのであった・・!!。



今、白馬のジャンプ台は、あの日の思いを秘めるように静まりかえっている。

尚、長野オリンピック競技の内、アルペンスキー競技は男女の滑降、スーパー大回転および複合は白馬村の「白馬八方尾根スキー場」で実施された。 
又、神城地区の山間には「スノーハープ」という競技場が在って、世界一流の選手たちをも唸らせ難コースと言われたクロスカントリー競技が行われた。 
現在は、冬は歩くスキー(クロカンなど)、グリーンシーズンはローラースキーなど自然散策も楽しめる。 又、当地域は「蛍の里」としても整備されつつあり、行楽地域としても絶好の場所になっている。


白馬の別宅に付いた・・!。
ガラン・・!、とした部屋で大の字になって気持ちを落ち着かせる。 そして、名物、「倉下の湯」で身を清め、2,3日ノンビリして、厚木の実家へ戻ることにしよう・・!!。

時に、平成17年6月17日 18時


《 西日本編・・完 》    



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 日本周遊紀行(230)白馬 「追憶・冬季長野オリンピック」  .



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写真:白馬村と白馬ジャンプ台



白馬:「追憶・冬季長野オリンピック

序ながら、あの冬季長野オリンピック・白馬ジャンプ競技の感動的名場面を思い起こしてみよう。
1998年・平成10年2月11日、白馬の空は晴れ渡っていた。 

この日、先ずノーマルヒルの競技がいよいよ開催されるのである。 やや高台にある競技場の観覧席は日本選手の原田や船木の登場を、今やおそしと待ちわびていた。
いよいよ本番。 1本目のジャンプは原田雅彦選手がやってくれました。 最長不倒、K点越えの91.5mでトップに立つ。 
飛び終えて、満面の笑顔で歓声に応える原田選手。 
次に飛んだドイツのトーマが84.5m。最後に飛んだ船木和喜選手はやや伸びを欠いた87.5mのジャンプに終わり、原田選手が断然トップで折り返した。 1本目を終えて1位が原田選手、そのほかの日本選手は船木選手が4位、葛西選手が5位、斉藤選手が7位である。 一本目は真さに期待通りの強さであった。 

空は本当に気持ちよく晴れ渡り、さわやかなそよ風(ジャンプ台には向かい風)が吹く絶好のコンディションで、誰もが、もう原田選手の金メダルを信じているようである。 
2回目を待つ間も会場は大興奮!
しかし、・・あああ、これは神様のいたずらか・・! それでも原田は主役であった。
 

2本目の競技は、1本目の上位30人が出場し、下位の選手から順番に飛んでいく。 
船木が登場したのは勿論最後から4人目、満員のスタンドが歓声とともに大きく揺れた。
飛距離は90.5m、2本の合計ポイントは233.5点、フィンランドのアホネンを合計ポイントで2点上回りトップに立つ。 
残すは3人、1人でも船木に及ばなければメダルが確定する。 船木の次に飛んだのはオーストリアのビドヘルツル、飛距離は船木選手と同じ90.5mまで伸ばした、ビドヘルツル選手は1本目88mを飛んで3位、ああ、抜かれてしまうかという不安を抱きながら見守る。 でも合計ポイントは232.5点、船木には届かない、大歓声が起こる、船木のメダルはもう確定した。 
飛距離の合計では船木を上回ったビドヘルツルであったが、世界一美しいといわれる船木のジャンプは、飛型点を多くかせいでわずかな差を守った。
これで原田選手が「自分のジャンプ」をしてくれれば、日本が金銀のメダルを獲得できる可能性があった。 次はフィンランドのソイニネン、見事なジャンプで89mを記録した、ソイニネンが着地した瞬間、「ウオオオ」という声があがつた。 船木が逆転されたのである。 
なんにせよ、これで原田選手が「ちゃんと飛んで」くれさえすれば原田が金メダル、船木が銅メダル・・、最高の成績である・・?。

いよいよ最後のジャンパー、原田の番がやってきた。 
白馬の山を貫くような大歓声が起こる、いよいよ原田がスタートした。
そして、結果は・・、原田はやっちゃいました。飛距離は84.5m、合計ポイント228.5点で5位に転落してしまったのである。 
「ああああああ・・!!」、着地した位置を見て、やけに長いため息が渦巻いた、あのリレハンメル・ オリンピックの団体戦、最後のジャンプで失敗したシーンが頭をよぎる。
 

残念ながら、日本選手の金メダル獲得はならなかった。 
それでもバーンを滑り降りてきた原田は、終始笑顔を崩さず、手を挙げて歓声に応えた、ヘルメットを取り、周囲のスタンドに何度もおじぎをしている。 
きっと「応援してくれたのに、金メダルが取れなくてすみません」という意味なのだろう。 悔しさに顔をゆがめていいはずなのに、観衆を気づかい、取り囲む報道陣の質問にもていねいに答えている原田選手の姿。 
観衆の誰も、原田を責めるような声を飛ばしたりはし、むしろ「ラージヒルは期待してるぞぉ!」という声があちらこちらから聞こえていた。 
  

ジャンプ・ラージヒルの日、1998年・平成10年2月15日、天候は雪である。 
競技の前にトライアル(試技)と言う練習ジャンプがあり、飛んだ原田は108mの失敗ジャンプ、船木は着地でバランスを崩して転倒してしまい、あやうくフェンスに激突しそうになった。

ともかくも、1本目の競技が始まった。 
岡部の1本目、飛距離はなんと130m!大差をつけて、まず首位に立つ。 原田がスタート地点に姿を見せると、満員のスタンドから大歓声だ、ノーマルヒルでの屈辱を晴らして欲しい。 原田の飛距離は120m、失敗というわけではないが、風に恵まれず、やや不本意の5位。 
そして1本目の最後に飛んだ船木の飛距離は126mで4位につける。

1本目が終わり、2位に岡部、4位に船木、ややポイント差はあるものの6位に原田が続く。
ファイナルラウンドは1本目の上位30選手だけで争われる。 風の条件がよくなったのか、1本目より飛距離を大きくのばし、K点を越えるジャンパーが続出する。 

25人目、いよいよ原田の2本目、地響きのような歓声があがる。 
そして、原田がやってくれました。 NHKの工藤アナウンサーが「・・・さあ、原田スタート・・、ン・・高いぞ・・どこまで行くのか・・立て、立て、立ってくれ・・立った・・!!」の絶叫口調が耳に残る。
そして、135m地点を越える大ジャンプ。 見ていても伝わってくるような衝撃に、足と両手を大きく広げて転倒しそうになるのを耐えきった。 まさに奇跡・・、歓声が爆発音のように激しく原田を祝福する、これでメダルに手が届く! アップの画面でスタンドには、もうすでに泣いている人がいるようだ。 

ところが、会場の電光表示板には、いつまで待っても「HARADA」の飛距離やポイントが表示されない。 
白馬のラージヒルのジャンプ台では、ビデオを使って飛距離判定をしているが、カバーしているのは135m地点までで、原田は、その135m地点をはるかに越えて着地してしまったのだ。 

測定ビデオのないところまで飛んでしまったために、測定されないまま次の選手がスタートしている、「原田はどうなんだ?」、観戦諸氏はヤキモキ・・、すばらしいポイントをマークしたのは間違いないが・・?。 競技は進む、そして、続いて船木がやってくれた。 原田の大ジャンプの興奮もさめやらぬうち、またまた130mを越える大ジャンプを見せた。 飛距離は132.5m、しかも、テレマーク姿勢もぴたりときめて、飛型点は審判全員が20点満点というずばらしいジャンプであった。  
残るは2人になって、1本目2位の岡部が登場、この時点で船木が1位、原田のポイントはまだ発表されないが、残念ながら岡部の飛距離は119.5m、最終的に岡部は6位。 
いよいよ最後のビドヘルツルである、この時点でトップは船木、もし、ビドヘルツルの飛距離が伸びなければ、船木選手が金メダルである。
スタートを切った。 我々日本人は「落ちろー!」と心の中で叫んだに違いない。 それが通じたのか、飛距離は伸びなかった、120.5m。 
原田のポイントはまだ表示されないままであるが、船木が1位であることはもう間違いない、船木の金メダルが確定した。 ラージヒルでは会心の金メダル、観衆に向かって大きく手を上げて喜びを表現している。 

競技はすべて終わった。 でも、原田のポイントはなかなか表示されない、一度は観衆の声援に応えた船木が、少し心配そうに原田に歩み寄る。 そして、電光表示板に「HARADA」の名が浮かび上がった、3位である・・!。 
飛距離は136m、白馬の山が割れるような大歓声が起こる。 
金メダルの船木選手は本当にすばらしい、でも、原田の銅メダルは、見ている者にとって、金よりも輝いていた、オメデトウ・・日本、次は団体である。

ここでは何と言っても原田の2本目のジャンプが注目された。 白馬の冬のバッケンレコード131.5mであるが、それを4.5mも上回る大ジャンプであった。 
この辺りの地面(雪面)はほぼ水平で、着地した瞬間は、物凄い衝撃が全身を打ったはずである。 後日談で、この136mジャンプの着地の際、あまりの衝撃の大きさで原田のスキー板にヒビが入ってしまったという・・、凄い・・!!。 


次回は、「ジャンプ団体




 
 
 
 

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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「姫川」 .



イメージ 1
白馬連峰を望む姫川と大糸線
(提供 http://tetsurohyakkei.web5.jp/tetsurohyakkei.gallery03top.html さん)



「姫川」は、フォッサマグナの西縁、いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って白馬村から糸魚川市まで流れている。
地球規模からいうと、北アメリカプレートがユーラシアプレート(主にアジア・ヨーロッパ大陸の殆どをで、全陸地面積の37%を占めるという)とぶつかり合い、地下深くに潜り込むというの活動が、この姫川流域で地表面や地表近くに出現していると考えられている。 
姫川は、まさに日本列島を東西に分割する大断層に沿って流れる川なのである。


その姫川流域は、北陸の海岸や富山県の翡翠海岸など国内でも有数の翡翠(ひすい)の産地で知られる。 
糸魚川−静岡構造線(フオッサマグナ)に関係する激しい断層活動、造山運動で鉱物の変成作用が起こり、地上に揉(も)みだされ地表付近に出現したといわれる。 
硬玉ヒスイの産地のひとつ姫川支流である小滝川の「ヒスイ峽」の翡翠は特に良質であるといわれ、そのため糸魚川市、青海町の産地共に国の天然記念物に指定され、一般の人の翡翠の採掘は禁じられている。 
現在市場に出ている翡翠宝飾品の大半は海外、主にミャンマー産とみられている。 
東洋では特に重宝がられ、中国では他の宝石よりも価値が高いとされている。 
石言葉は長寿、健康、徳で、緑色のものが最も価値が有るという。

 
姫川は糸魚川・静岡構造線にそって、南から北へほぼ一直線に流れている。
姫川の源流域は白馬連峰に端を発する支流の松川・平川の扇状地が分布し、平坦な盆地(白馬盆地)を形成しているものの、流域の大半の地形は白馬岳をはじめとする標高2000mを超える山々が連なり非常に急峻である。 
水源は白馬村の親海湿原湧水群(日本100名水)といわれるが、元々の水源は青木湖であったとされ、佐野坂の地すべり堆積物によって堰き止められたと考えられている。 

そのため、親海湿原(およみしつげん)の湧水は青木湖からの浸透水であるともいわれる。
白馬村から発した水流は、北アルプスの北端と妙高山系・雨飾山の山峡の狭い空間を一級河川の「姫川」の急流となって流れている。 
全長わずか58キロで平均勾配100分の1・3、つまり100mにつき1・3m下るという急流である。 
その流域は信州・長野と上越・新潟地方とを結ぶ国道148号線が走る数少ない交通路であり、又、大糸線が並行して走る交通の要衝でもある。 その河岸には道路、鉄道に沿って民家もひしめき合っている。 


姫川は麗々しい名前とは裏腹に「暴れ川」としても知られている。 
その急流さのため豪雨による度々の洪水に襲われている。 土砂災害も絶えず、道路や鉄道が不通となることも度々であり、近年では平成7年の大洪水で鉄道、道路がかなりに亘って流失寸断された。 
又、翌年にはこの災害復旧工事中に土石流が発生し作業員14人が死亡している。
又、姫川は糸魚川・静岡構造線にそって、南から北へほぼ一直線に流れているが、周囲の地質は非常に脆弱(ぜいじゃく)であり、地すべり地形が広く分布する。 
特に千国、小谷地区に到ると山稜が急激に狭まりトンネルが連続するところ、そこに大きな支流の「浦川」(中土駅の北側)が流れ込み、この上流に「稗田山崩れ」という大崩壊地が見られる。 


稗田山崩れは日本三大崩れの一つとも言われ、(富山県立山・「鳶山崩れ」、静岡県安倍川上流・「大谷崩.れ」)明治44年(1911年)、稗田山(ひえだやま・コルチナスキー場の北側)の北側斜面が大崩壊し、大量の岩石土砂が支流の浦川を急流下して姫川河床に堆積し、高さ60m〜65mの天然ダムを形成してしまったという。 
堰き止められた姫川は「長瀬湖」と呼ばれる湖を出現させ、川沿いの集落で死者23名、負傷者・水没家屋多数などの甚大な被害を与えた。 
この辺りの集落であった来馬地区の川原の下には、明治時代当時の宿場町が、今でもそのままの形で埋まっているともいわれる。 
「稗田山崩れ」の詳細は以下に・・、

<a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-2.htm" title="「稗田山崩れ」">「稗田山崩れ」</a>
http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-2.htm 
<a href="http://orimasa2005.blog101.fc2.com/blog-entry-15.html " title="「稗田山崩れ」">「稗田山崩れ」</a>
http://orimasa2005.blog101.fc2.com/blog-entry-15.html 



【追記】

「糸魚川」は2009年8月、地質・世界遺産に認定された。
世界的に貴重な断層や火山などを有し、世界遺産の地質版とされる自然公園「世界ジオパーク」に洞爺湖有珠山、糸魚川(新潟県)、島原半島(長崎県)の三地域が日本で初認定された。
地質版の世界遺産とされる「世界ジオパーク」に糸魚川市が認定されたと、市が世界ジオパークネットワーク(GGN:ユネスコ機関)から連絡を受けたもの。 世界ジオパークは貴重な地質遺産を保護し、観光や学習の場として地域振興に役立てていくものとし、ユネスコが支援するGGNが審査し、合格すると認定される。
世界ではこれまで18カ国に58カ所あるが、日本にはなかった。 糸魚川地域は、断層の糸魚川静岡構造線やヒスイ産地の小滝ヒスイ峡、活火山の焼山など豊富な地質資源があり、国内初の認定を目指して昨年GGNに申請していたもので、ガイドマップの作製など認定に向けた準備を進めていた。




気分も晴れやかに、糸魚川の平野から山峡の地へ入り込んでゆく。
白馬方面へ近ずくにしたがって、空模様も明るくなり、小谷村の栂池高原の入り口である「白馬大池」辺りへ来ると、薄日も差して晴れ上がってきたようである。 
山間の地を抜けると、いよいよ白馬村である。 
白馬盆地といわれる山あいの平地が大きく広がり、右手に広大な北アルプス・白馬連峰の峰々が出迎えてくれている。 
昔の旅人は牛馬を連ねて、姫川流域の北アルプスの山峡の急峻な地を、艱難辛苦しながら、はるばる練り歩き超えてきた。 
そして、ここ白馬の平穏な地まで来て初めて一息入れ、おまけに、この絶景を見て心を安め、明日への活力を得たという。 


その白馬三山である主峰・白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳は未だ白き衣を纏ったまま、小生を迎えてくれた、有難かった。 
一事を成し遂げた満足感からも胸が熱くなり、長旅で緊張感がほぐれたことも手伝って目頭が熱くなるのを覚える。 

因みに、地域である白馬村やJR大糸線の白馬駅はいずれも「はくば」と呼称するが、山岳における白馬連峰、白馬岳の呼名は「しろうま」と称してる。 残雪期になると、山の傍に「代かき馬」、「代馬」のような雪形が現れることから代馬から変じて「白馬」になったと言われる。


白馬山系は日本一の高山植物のメッカであり、多くの行楽、登山客を迎え、山麓には長野県はおろか、全国有数の広大なスキー場が広がっている。 
その八方尾根の南側には「白馬のジャンプ台」が隣接している。 ラージヒル、ノーマルヒルと平行して並び、その存在はすぐ確認できるが、夜はライトアップされて、その曲線が美しく、いっそう存在感がある。 


白馬のジャンプ台は、オフシーズンには観光見学用として一般公開している。 
二人乗りのリフトを乗り継いで、透けて見えるデッキプレイとの階段を登るとき、余りの高さに身震いを生じるのである。 
さらに展望デッキへ・・、実際にジャンプ台を生で見ると心の底から「このジャンプ台から飛び降りるなんて、それだけですごい」という気持ちになり、あの長野冬季オリンピックの名場面が浮かんでくるのである。


原田選手が開会式後のインタビューで「<strong>鳩になってみようと思います</strong>」なんて気の利いたジョークを飛ばしていたが、いいジャンプをすると鳥になったような気分を味わえるというのは、少しもおおげさな表現ではないのだろうと感じる。 

ジャンプ台の下には記念館があって、当時の長野オリンピック、ジャンプ競技の感動的な記録が展示してある。


次回は、最終章、「長野冬季オリンピック、白馬の感動をもう一度・・!!」




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