『日本周遊紀行』

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温泉と観光

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日本周遊紀行;温泉と観光(20) 「能取湖・網走湖」 



オホーツクライン・国道238は、能取湖(のとろこ、のとりこ)を半周する。 

この湖もオホーツク海に通じる「海跡湖」の一つで、以前は海水流入部の湖口が季節的に開閉しておこる汽水湖であったが、1973年(昭和48年)に護岸工事が行われて湖口が固定され、周囲には大きな河川が流入していないことから、現在は完全な「海水の湖」となっているようである。 
従って、周囲31kmの能取湖はホタテやツブ貝、ホッキなどの宝庫であり、春から夏にかけては潮干狩りの名所にもなっている。

しかし、何といってもここの名物は「サンゴ草」であろう、季節柄、所々に湖面が紅色に染まっている。
秋の草紅葉(くさもみじ)にしては色が鮮やかで、濃すぎるのである。 


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卯原内地区のサンゴ草群落

卯原内という園地に来た時、これが最大規模になっていた。 
ここは「紅い草」の名所らしく、人の出も大勢見受けられる。
中央部には見物用であろうか、歩道用の木製の桟橋らしいモノが湖の中央に向け延びている。


この紅い草を「サンゴ草」という。 

サンゴ草は塩分のある湿地に生え、高さは15センチくらいで、9月中旬から10月にかけサンゴのように赤く染まることから、この名がついているらしい。 丁度、今が真っ盛りといったところであろう。
正式名は「アッケシ草」というらしく、 そう・・、あの牡蠣で有名な厚岸で元々厚岸湖で発見されたことから、その名が付けられたらしいが、今ではこちらの能取湖のほうが、主役になったようであ。 

聞くところ、付近ではここ能取湖南岸がサンゴ草の群生としては最も多く、日本一の群落地として知られているという。
遥か沖合いまでの水辺に、真っ赤なじゅうたんを敷いたように広がる様子は、真に圧巻で印象的である。 



能取湖からすぐに網走市に入って「網走湖畔」に出た。

網走湖はサロマや能取湖とやや異った雰囲気が感じられるようで、周囲は山や森に囲まれて深く青味が濃い、北からの微風でややさざ波だっていた。
冬季は氷結してワカサギ釣りの名所になるらしい。

停年時、「上さん」と真冬の北海道を二週間に亘って周遊した時(1999年2月)、この網走を訪れている。 
網走湖は氷結していて、網走湖の出口付近にアザラシが昼寝しているのを見かけたことがあった。 
あの時、網走は「流氷まつり」の真っ最中であり、網走港湾での雪氷像などを見物した後「オーロラ号」で流氷観測ツアーにでかけたのであった。 
あの日、前日まで流氷は遥か沖合いにあって、流氷ツアーは無理であろうと言われていた、だが、前夜の北西の強い風にのって流氷は港の近くまでやって来ていたのである。 乗船に際して、お互いに「ヨカッタネ・・、」と言葉を交していた。
そしてその時、船員が流氷上に「アザラシ」が見られる公算は大きいよ、と聞かされ楽しみにしていたが、 しかし、残念ながら実際はその姿は無かったのである。 

その後、美幌峠から屈斜路、阿寒湖への途中、この網走湖で「アザラシ」を拝見したのであった。 
アザラシは5、6頭ほどいたのだろうか、時折、国道側に集まっている人間達を見るが、ちらっと見るだけで警戒している様子は全くない。 とは言っても見物しているのは数人で、多くは気が付かないで素通りしている。 寒いし、この時期、地元の人は珍しくもない風景なのであろうか・・?。
寝返りをうったり足の向きを変えたりして、とにかくノンビリしている、やはり、自然の姿はいい。

 
網走湖は能取湖とは違って、海岸より4〜5km内陸に入ったところにあるが、それでも湖面標高は0mで、潮が満ちると下流部の網走川から海水が逆流する。 従って、網走湖のアザラシは海水と一緒に網走川を遡って湖まで到達したわけである。 しかも網走川はもろに網走市街を貫いているので、市街のド真中をアザラシが泳いで通っているというわけである。 
さすがに北海道ならでは、網走ならではの風景である。 
アザラシは大抵の場合、流氷と共にやってくるので、やはりシーズン限定なのであろう・・?。
この時期釣人は、ワカサギを釣りながら珍しい訪問客にも会えるかもしれないのである。


網走湖には「呼人半島」が湖面に大きく張り出している。
ミズバショウ群生地もある半島内は秘境を思わせ原生林が広がっていて、森林内には呼人探鳥遊歩道が整備されている。 
ウォーキングやバードウォッチングにはオススメで、キビタキ、アカゲラなどの野鳥を見かけることも多いという。 
又、この半島の対岸である湖畔から天都山山麓にかけて、余り知られてはいないようであるが、実は近年有力な温泉が湧出し、ホテルや旅館が点在する温泉街を形成している。 
前近年、我等も「網走湖荘」に宿泊したことがあるが、当ホテルが、1981年(昭和56年)9月に800m深度でボーリングを実施して源泉を開発して開湯したという。 
他の温泉と比べても比較的歴史が浅いが、いずれも大自然の中にスッポリ納まって雰囲気をなしている宿屋が多い。 
泉質は、ナトリウム温泉、鉄分温泉で、効能は神経痛、筋肉痛、リウマチなど、道東の旅の疲れを癒してくれる。

尚、湖尻の女満別方面は広大な湿地が広がっていて、ハンノキやミズバショウの群落が広がり、「女満別湿性植物群落」として国指定の天然記念物となっている。 
周辺の林にはタンチョウ、アオサギの営巣地もあり、野鳥の楽園にもなっているちか。


次回は「濤沸湖、小清水花園」



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日本周遊紀行;温泉と観光(19)佐呂間 「佐呂間の天変」 



序ながら、佐呂間町の異常天変について・・!!、

昨今の地球温暖化による「異常気象」のよるものか・・?、
それにしても北海道東部は竜巻がほとんど起きない「空白域」ともいわれるが・・!!。

佐呂間町・サロマ湖南岸のほぼ中央に計呂地という地域があり、計呂地川に沿って10数km南へ行くと「若佐」という地区がある。 
ここより国道333号線が北見へ向っているが、若佐地区からは山岳地のため大きく曲折している、この地区を短路直線化するために鹿島建設を中心とした共同企業体(JV)がトンネル工事を行っていた。

この地域で、2006年11月7日午後1時30分頃、突然、突風竜巻が発生し工事をしていた作業員用のプレハブ小屋周辺で、11月7日午後8時現在、9人が死亡し多数の負傷者を出した。
佐呂間町の「突風竜巻被害」である。


死傷者が多数出た若佐地区では、新佐呂間トンネルの掘削工事が行われており、丁度被害の出た場所に作業員用のプレハブ小屋が3棟建てられていた。 
その内の2棟が屋根もろとも突風に吹き飛ばされ倒壊した。

当時は、多数の作業員が会議のためプレハブ小屋の2階にある会議室に集まっていたことが9人の犠牲者を出す結果となってしまった。 
一方で、住宅地にも甚大な被害が出たにもかかわらず住宅地の住民の被害は怪我人が9人出ただけであったという。 
これは竜巻発生当時、住民の多くが近所で行われた葬式に参加するなどして家を留守にしており、偶然にも竜巻被害を免れたためであるといわれる。

現場では大型トラックが、いとも簡単に吹き飛ばされたり、まだ新しい家の屋根が吹き飛んだり、電柱も根元から倒れて吹き飛ばされ、被害の凄まじさを物語っている。 
電柱が多数倒壊したため、11月7日午後10時頃まで佐呂間町と北見市の一部において住宅63戸で停電が発生し、また、現場付近の住民も避難した。
災害状況で戦後に限ると、単独の竜巻突風災害では最悪の死者数ともいわれ、竜巻の規模は、気象庁によるとF2以上と発表されており、被害の状況からF3以上ではないかともいう見方も強い。

なお、北見工業大学土木開発工学科教授(構造工学)の大島俊之は、調査の結果、瞬間風速が毎秒83メートルに達することが判明、規模をF3と発表したとという。 

因みに、F2とかF3というのは竜巻やダウンバーストの規模を被害状況から推定するためで、シカゴ大学の藤田哲也教授が1971年に提案した基準で「藤田スケール」といわれるものである。 
過去に、日本ではF4 以上の竜巻は観測されていないという。


では、「F」と名づけた藤田スケールとは如何なる規模になるのか・・?、
参考までに「竜巻の風速と被害状況」は以下のように決められているという。


【F0 (風速17 〜32m/s)】
煙突やテレビのアンテナが壊れる。小枝が折れ、また根の浅い木が傾くことがある。非住家が壊れる。

【F1 (33 〜49m/s) 】
屋根瓦が飛び、ガラス窓は割れる。 また、ビニールハウスの被害甚大。根の弱い木は倒れ、強い木の幹が折れたりする。 走っている自動車が横風を受けると、道から吹き落とされる。

【F2(50 〜69m/s)】
住家の屋根がはぎとられ、弱い非住家は倒壊する。大木が倒れたり、またねじ切られる。自動車が道から吹き飛ばされ、また汽車が脱線することがある。

【F3 (70 〜92m/s)】
壁が押し倒され住家が倒壊する。 非住家はバラバラになって飛散し、鉄骨づくりでもつぶれる。 汽車は転覆し、自動車が持ち上げられて飛ばされる。 森林の大木でも、大半は折れるか倒れるかし、また引き抜かれることもある。

【F4 (93 〜116m/s ) 】
住家がバラバラになってあたりに飛散し、弱い非住家は跡形なく吹き飛ばされてしまう。鉄骨づくりでもペシャンコ。列車が吹き飛ばされ、自動車は何十メートルも空中飛行する。1 トン以上もある物体が降ってきて、危険この上ない。

【F5 (117 〜142m/s) 】
住家は跡形もなく吹き飛ばされるし、立木の皮がはぎとられてしまったりする。自動車、列車などが持ち上げられて飛行し、とんでもないところまで飛ばされる。数トンもある物体がどこからともなく降ってくる。

と・・、如何にも恐ろしい状況が想定されている。

次回は、「能取湖・網走湖



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日本周遊紀行;温泉と観光(18)佐呂間 「サロマ湖」 



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佐呂間・「サロマ湖」のワッカ原生花園



サロマ湖畔の「ワッカ原生花園」は竜宮城への入口・・?、
広大なサロマ湖へ来た。 昨年秋、上さん(妻)と道東旅行の時この地まで訪れたのが記憶に新しい。

広大なサロマ湖の展望地・展望台は各地にあるが、湖全体を見渡すにはピラオロ台の近くの標高376mの幌岩山がベストである。 
ただ、「道の駅・サロマ湖」はサロマ湖周遊の休憩地として適しているが、湖岸に在りながら林の陰で湖面が見渡せないのは残念である。

サロマ湖は、成立から言えば「海跡湖」で、オホーツク沿岸の砂丘とその発達によってできた湖の一つで、静岡の浜名湖、島根の宍道湖など我が国では七つの湖があるといわれ、その内の一つである。 
湖の性質から言えば「汽水湖」(海水と淡水が入り混じっていること)で、面積は約152km2 琵琶湖、霞ヶ浦、に次いで、日本で三番目に大きい湖で網走国定公園に含まれる。 

湖は東西に長い、海と湖を仕切る砂洲は長さ25kmにも及び、貴重な植物の宝庫である原生花園となっている。 
湖岸各地に景勝地があるが、特に南東側常呂町の栄浦地区にはワッカ原生花園などの名所もあり、湖に落ちる夕日の美しいことで知られる。 
流入河川は十種以上も数え、またサロマ湖への海水の流入は多く、湖水の塩分は海水に近いものとなり、海水魚も多く入り込むようになった。湖は、ホタテや牡蠣の養殖が盛んであり、漁業法上は「海面」に指定されているという。

海面(かいめん)とは、一般には海の水面、海水面のことで、あたりまえであるが、主に漁業関連法令で用いられる用語としては、次の湖については漁業法で海面として指定されている。 
琵琶湖、霞ヶ浦北浦、浜名湖、加茂湖、サロマ湖、風蓮湖、厚岸湖等々・・、

 

国道238が常呂町に入ったあたりで、サロマ湖西岸から栄浦方面へ目指してみた。
途中、展望休憩地があった。
湖岸展望地としては真に雄大で、ここから眺める湖畔景観が随一ではないかと、と思わせる程の素敵な見晴らしである。 
塔型の看板があって、何故か「気温18.8度 北緯44度07分 東経143度58分」と記載してあった。 
本日は、平成16年9月28日午前の頃である。


栄浦大橋を渡って程なく「ワッカ原生花園ネイチャーセンター」へ着いた。
原生花園のセンターハウスで休憩所を兼ねた建物の中には、付近の自然や原生植物のパネルの展示をしている。 
自然保護のため自動車、バイクはセンターから先は入ることができないが、ワッカ原生花園を周る馬車や自転車のレンタルが有る、建物裏手より原生花園が広がっていた。

ここのワッカ原生花園は、日本最大級の原生花園であるという、ここからはサロマ湖と砂洲を挟み隔てて広がるオホーツク海も望まれる。 サロマ湖の砂州部分を「ワッカ半島」と云い、幅は広いところで700メートル、狭いところで200メートル程の帯状の土地が、凡そ20キロメートルにわたって続く。 
狭い所ながら、森林有り、草地有り、砂地有りと、その生態系は多採である。
ちなみに原生花園というのは便宜的な呼び方で、学術的には「海岸草原」と呼ぶのが正しいらしい。

厳しい自然環境下にある北国の臨海地域では、その悪環境に耐えられるような種類の植物しか育たない。 
それらによって形成されるのが海岸草原、すなわち原生花園というわけである。 
だから可憐に咲き誇るというよりは、もともと悪環境に強い種が、したたかに咲き誇っていると云えるのである、そのしたたかさも含めて、原生花園というのは魅力の一つになっいる。

しかもこの地に「真水」が湧き出ているところがあるらしい、それも砂州の中央に湧き出し、この水は、その名も「花の聖水・ワッカの水」と言われている。 
元々、ワッカ原生花園という名称はアイヌ語で「ワッカ・オ・イ」(水が・ある・ところ)、からついた名だという。 オホーツク海とサロマ湖に挟まれた細い砂洲に、1万年以上も前からこの地に真水は湧きだしている、サロマ湖の不思議に数えられてる。

原生花園の砂洲・ワッカ半島に「竜宮街道」という一本の道が走っている。
「浦島太郎伝説」から借用した名称か・・? どうかは不明だがロマンチックな名である。 「竜宮城」へ通ずるのに、この雰囲気は最適の場所、ルートかも知れない。 
しかしこの寒冷のオホーツク海にカメやタイ、ヒラメはいるのだろうか・・?。

ここからの夕景がまた素晴らしいという、今はまだ午前の中で陽は高いが、これが西に落ちる頃サロマ湖面全体が素晴らしい演出をして暮れるのであろう。 
ワッカ原生花園」は、この先、小清水町にある小清水原生花園と共に、オホーツク沿岸砂丘列に成立した代表的海岸草原として、両者併せて第1回目の北海道遺産に選定されている。

次回も佐呂間・「番外編」



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日本周遊紀行;温泉と観光編(17)紋別 「流氷と温泉」  


北海道は北東部のオホーツクの町・紋別である・・、

臨海工業地をそのまま進むと広大な公園らしいところへ突き当たった。 
道の駅「オホーツク紋別」で、昨夜は、この道の駅で車中の人となった。 
明けて、先ずは新鮮な空気を胸一杯吸い込む、軽い深呼吸を3〜4回して、周りが薄赤く染まっているのに気が付いた。 
海辺の方角から丁度日の出が始まっていたのである、腕時計は5時25分を指していた。 直ぐ近くに小さな「物見台」らしき物が有ったので、日の出の様子をカメラでキャッチ・・、

この物見台は「アムールへの架け橋」とあり、そして次のように文言が記されてあった。

アムールへの架け橋

『 −この階段は「架け橋」といいます−−「架け橋」の前方、遥か遠くに流氷の生みの親であるアムール川の河口があります。 アムールへの架け橋から心の眼で流氷の古里アムール川、そして毎冬訪れる雄大な白い海・流氷へ思いを馳せて下さい。  なお、冬季間は安全のため上り口は封鎖させていただきます 』 とあった。

「紋別」は流氷の街である、それにしても折角の流氷の時期に、この物見台に上がって流氷を観察できないのはチト残念なことでしょう。 



先にも記したが、流氷が見られるのは日本では北海道のオホーツク海岸だけであり、北の方から流氷が押し寄せてくる。 
樺太最北部、間宮海峡のアムール川(黒竜江)河口付近で流出してきた汽水域が氷結し、寒気とともに海流、風向によってやって来る。 
北海道沿岸への流氷が襲来するのは、ほぼ1月の中旬ころであると言われ、そして紋別海域に現れるのもこの時期である。 

2月の初めには流氷は千島列島の南端(北方四島)に達して、その一部は太平洋に流出を始める。 3月の初めか中旬には、流氷域が最大となって、オホーツク海の80%を覆ってしまうこともある。
4月中旬には流氷は、オホーツク沿岸から去っていき、5月下旬にはオホーツク海から完全に氷がなくなる。 



流氷は近海漁業者にとっては厄介者であるともいわれるが・・?、
しかし流氷は漁民にとって貴重な「」をもたらしてくれる大切な存在でもある。 
流氷は植物プランクトンを大量に運んできて、春先、太陽光に当たるとこれが爆発的に増える。これによって、海底のエビやカニ、ホタテなどを栄養にして育つ。 
又、これを餌に動物性プランクトン(北海で人気のクリオネはこの一種)も増え、この動物プランクトンを餌に北方の魚が集まり、オホーツク海は豊かな漁場となるのである。  毎年、冬になると北海道の沿岸に押し寄せるオホーツクの流氷は、北の自然の厳しさと、その営みの壮大さを堪能させてくれると同時に、豊富な食を運んできて呉れる。流氷の去った後は、壮大な漁場を約束してくれるのである。



快晴の朝、朝食前に散歩に出かけてみた。

先ず、すぐ横に立派な建物が眼につく、「北海道立オホーツク流氷科学センター」とあった。 
流氷に関することが学べる体感展示コーナー、流氷船ガリンコ号の特徴、厳寒体験室、展望室からの眺望・・、各々の施設があるらしい。 
海岸沿いに石を造形した公園がいい、遥かに伸びている防波堤で早朝から多数の人が釣り糸を垂れている。 その先の海中タワーらしき物は「オホーツクタワー」と称し、海中階下の展望室は冬期は流氷の下の海と神秘的な流氷の観察が出来る。 
流氷のない時期には回遊魚やタワーの下部に定着している魚介類の観察が出来るようだ。 又、防波堤の内側は国際船が入出できる大きな港であり、そして何といっても紋別を代表する観光の主役の「ガリンコ号」の停泊港でもある。

オホーツク海を襲う白い悪魔」と言われて、オホーツク海沿岸に住む者にとって流氷はやっかいな存在だった。 格好の漁場は厚い氷の下で海藻は引きちぎられ、魚場は無くなり漁港は傷つく。
だが流氷がオホーツク海に多くの恩恵をもたらしていることは先に記した。 
そして冬のオホーツク沿岸に押し寄せる海の邪魔者を、逆手に取った流氷観光ツアーは新たな財源をもたらしたのである。


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陸に上がった「ガリンコ号」


紋別市では、アラスカの油田開発用に試験的に作られた砕氷船を「ガリンコ号」と名付け、流氷の海へ乗り出し、流氷を観察する観光に打って出たのである。 
流氷観測には、紋別沖合約1kmのオホーツクタワーからでも、海底7.5mから流氷下のさまざまな生態の観測ができるが、4本の巨大なドリル型スクリュウをグルグル回しながら音をたてて流氷を砕きつつ、豪快に進む船からの眺めはまさに圧巻、壮観である。 
重厚な流氷をガリガり欠割りながら回転するスクリューは、アルキメディアンスクリューといって、まさに巨大なドリルが回転してる様は、これを見ただけでも乗船したかいがあるという。

その流氷観光は、オホーツク海の流氷原を力強く進む「ガリンコ号」のユニークな姿と珍しさとが相まって、迫力ある流氷を間近に見れるクルージングは、冬の北海道の人気者になった。

流氷の海を体全体で感じたい、寒くても全然平気」という人はデッキから眺めるのも迫力があり、時折アザラシやオジロワシが姿を見せることもある。
今は、ガリンコ号2号が活躍中で、乗り場は海洋交流館の裏側、オホーツクタワーの傍にある。 前に働いていたガリンコ号(1号)は、岸壁のガリンコステーションから少し離れた陸の上に置かれていて、砕氷船の形や大きさ、スクリューの形が生で見られ良く判るという。

紋別市は流氷渡来の地として、流氷研究国際都市を宣言し流氷の大切さを訴えている。



紋別の温泉・・?、

「紋別には温泉は有りますか・・?」、
「ハイ・この近くに天然温泉ではないが立派な施設がありますよ!」 
街のほぼ中心である国鉄廃止線になった紋別駅の跡地に、スーパーマーケットや海鮮・生鮮市場棟「オホーツク・海紋市場」と温浴施設やレストランなどがあった。 温泉は「湯けむり紋別・とっかりの湯」という。

施設はまだ新しく綺麗に整っているようで、早速、「とっかりの湯」を訪れた。 
磨かれた廊下の横に二十帖ほどの広い休憩室があった。 
お湯の特徴としては、「お湯には紋別大山の森を通る伏流水を使用。遠赤外線を放射するブラックシリカ(神明石)でお湯を仕上げているといい「血液の循環を促進して新陳代謝を高めてくれる・・、」とあった。

因みに、センターの名前にもなっている「とっかり」とは、アイヌ語の浜ことばで「アザラシ」という意味だという、今でも、北海道の漁師たちはアザラシのことを「とっかり」と呼んでいる者もいるという。


次回は「サロマ湖」



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今回より北海道の日本周遊紀行;「温泉と観光」の後編として北端の「宗谷岬」から南部の「洞爺湖」周辺の全13編を投稿いたします。 お楽しみに・・!




日本周遊紀行;温泉と観光編(16)  「宗谷岬」 



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写真:本土最北の地・「宗谷岬」のシンボルマーク(小生が訪れた時刻を指している)




 日本周遊;温泉と観光(16) 「宗谷岬」 


遂に、北の果てへ来た、そして稚内から宗谷岬に向かう。

途中、小さな「声間岬」の南に「大沼」がある。
北海道の南端、函館郊外にも「大沼」があるが、こちらは最北端の大沼である。

周辺は湿原地帯、秋になると、越冬地への中継点として、また春になるとシベリアへと帰る休息地として約5,000羽の白鳥(コハクチョウ)が飛来する。 
「白鳥おじさん」こと、吉田敬直氏による個人的な給餌活動によりコハクチョウが呼び寄せられ、日本でも有数の飛来地になったという。 
さらにはハクチョウのほかマガン、アオサギ、オオワシなど通年100種類以上の野鳥が観察でき、時期になると大沼はどこを見ても白鳥だらけ、野鳥だらけとなり、周辺にはミズバショウの群落も見られるという。


国道のすぐ横に「稚内空港」が広大に広がる。

こちらも日本最北のジェット化空港として、利尻及び礼文の離島生活路線、あるいは道北と札幌を結ぶ路線の基地として地域にとって重要な役割を果たしている。

丘陵高所には、お馴染みとなった風力発電の風車が並ぶ。 
最北の地は、風が強い町なのである。 冬は雪が降りだすと即、吹雪なってしまい、夏も風のせいで暑く感じないと。
調べてみると・・、この辺りは北海道の中で最も風の強い地方らしく、1年のうち毎秒10m以上の強い風が吹く日は何と130日にのぼるという。 

宗谷の地は、低層山脈のなだらかな丘陵性の地形で、ほかには遮るものが何もないことから強風が直接吹いてくる。 
その風を利用して稚内市はデンマーク製の風力発電を導入しているという。 

1基当たり1億4000万もするらしく、現在、17機稼動中という、金額は・・??。 この風力発電が、今問題になっている環境問題の一つの解決策になればと思うのだが・・?。



海面より少々高目を、「宗谷岬」を目指して進む・・、

岬先端に、鋭三角のモニュメントが天を指していて、見字盤には「日本最北端に地」と記されている。
三角錐のデザインは北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフにしているという。

駐車場横の売店の出入り口も三角屋根を模ってあり、その正面には「宗谷岬・時刻13時25分・日本最北端・気温21.0℃・北緯45度31分14秒・日付平成16年9月27日」と記してあった。

岬には「間宮林蔵」の立像があり、そこから樺太(現実はサハリン)は微かに遠望できた。距離にして43kmは決して遠くない距離であるが、しかし今は遠い・・?。 


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その間宮林蔵が、樺太が大陸でなく島である事を発見するのは1800年初の事であった。

江戸後期、ロシア軍艦が蝦夷北方にしばしば現れるようになり、合わせて事件を頻繁に起こすようになる。 その為幕府は、北方警備のため宗谷に守備要員を派遣し、その中に松田伝十郎がいた。 
更に幕府は、伝十郎と間宮林蔵に樺太の調査を命じている。又、当時1800年前後にヨーロッパで「サハリンが島であるのか、半島であるのか」の論争が起こっていて、それらに決着を図るべく幕府天文方は松田と間宮をサハリンに派遣し、探検させたとも云われる。

林蔵は幼少より数理にあかるく、日本地図の親・「伊能忠敬」の門人になる。 
忠敬は上総(かずさ・千葉県)、間宮林蔵は下総(しもふさ・茨城県)の出身でいわばお隣同士であった。 

忠敬は、林蔵のことを「非常の人」と世間に告げていた。 
林蔵は、その後北方・千島等を測量するため、伝十郎とともに小船でサハリンの最南端シラヌシに上陸する。 

両人は東西に分かれて、林蔵は東より北上し、海上あるいは陸上より調査を行なっている。 林蔵は一旦帰国するが、直ぐまた二度目の調査に出かけている。


1808年、西海岸を探検した松田は、海峡最狭部に達し、ここが海峡であることを確認し、間宮も松田に合流して、同様に海峡を確認した。
併せて翌1809年、間宮は、現地人の船で海峡を越えて大陸に渡り、この地域の詳細な調査を行いながら、そのまま大陸に渡り黒竜江を上って満州(中国東北部)にまで達している。 


日本では、大陸と樺太の海峡を「間宮海峡」と呼んでいるが、一般には「タタール海峡」(韃靼海峡)と称しているようである。 
又、海峡の最短部は距離で7km程度であり、そこを間宮海峡と呼ぶ場合もあるようだ。

明治8年、条約により樺太全島はロソア領になり、千島全島は日本領になった。 
その後、日露戦争で樺太南部は日本領に成ったが、太平洋戦争の敗戦で全てを失った恰好になっている。



岬の右側に「宗谷岬」の歌碑が有り、そこから絶えず曲歌が流れていた。



『宗谷岬』  歌:千葉紘子

流氷融けて 春風吹いて
ハマナス咲いて カモメも啼いて
遥か沖ゆく 外国船の
煙も嬉し 宗谷の岬
流氷融けて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬


幸せ求め 最果ての地に
それぞれ人は 明日(アシタ)を祈る
波もピリカの 子守のように
想い出残る 宗谷の岬
流氷融けて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬



海道沿いに「最北・・」と謳った看板の商店や民宿が目立った。

この旅の現時点までは、「北上」と名打ったが、これから先は「南下」である。 何故「北上」で、「南下」と称するのは定かでないが、きっと地球の緯度の関係かも知れない・・?。

因みに、日本海側は夕陽・日の入り・日没なのに対して、コレからのオホーツク海・太平洋は旭日・日の出・日昇等となる。
北海道は知らないが、一時期本州では裏日本、表日本などと称していた。 小生はこの呼名は余り好きではないが、最近では「裏日本」という呼称は差別的用語に当たるとかで、使われてないようだが・・?。


「日本周遊紀行」の内、宗谷岬からはオホーツク海、太平洋岸を南下することのなる。
次回からも御期待下さい。

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<a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-k.htm">稚内 「宗谷岬」</a>
<a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-2.htm">稚内 「野寒布岬」</a>
<a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-2.htm">稚内 「九人の乙女の碑」</a>
<a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-8-3.htm">稚内 「氷雪の門」</a>



次回は、「紋別の流氷」
 
 
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