『日本周遊紀行』

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日本周遊紀行(6)伊東 「東伊豆」 



「伊東温泉」


熱海のはずれにある網代温泉からは海岸近くでもかなり高所を走るようになる。
屈曲した道をしばらく行き最高所から一気に下った処は宇佐美の海岸である。
湾曲した砂浜の海辺は透明度も良く、夏は海水浴客で賑わう、民宿の町といってイイほど民宿が多く、我が家も子供が幼少の頃、毎年ここにはお世話になるところである。
ここは、すでに伊東市であった。


東海岸のR135沿いは大温泉タウンが並ぶ、湯河原、熱海、そして伊東温泉だ。
温泉街は熱海にも劣らぬ程のホテルや旅館が並ぶ、温泉は源泉の数が780本、毎分の湧出量は34,000Lもあり熱海より多い。
又、飲食店も多く昔の歓楽街的温泉の要素も多く現存する。



ところで熟年の方なら存知よりも多いと思うが、あの古賀メロデーの元祖ともいえる「湯の町エレジー」はここ伊東を舞台に生まれたともいう。  
あのギターの奏でる前奏、間奏のメロデーは、なんとも湯の街の哀愁にピッタリの曲で、小生、若かりし頃ギターをカジッタ時に最初に覚えた曲でもあった。 


湯の町エレジー』 詞 野村俊夫 曲 古賀政男 唄 近江俊郎
伊豆の山々 月あわく     淡い湯の香も 路地裏も
灯りにむせぶ 湯のけむり   君住む故に なつかしや
あああ 初恋の          あああ 忘られぬ
君をたずねて 今宵また    夢を慕いて 散る泪
ギターつまびく 旅の鳥    今宵ギターも 咽(むせ)びなく



「東伊豆温泉郷」

また伊東はもう一つの顔がある。
南部は概ね丘陵地帯になっていて、大室山の麓にある伊豆高原や一碧湖周辺は四季を通じて一大レジャー基地になっている。
城ヶ崎海岸は大室山の大噴火で溶岩が海に落ち込んだ際に形成されたリアス海岸で、断崖絶壁は見る者を圧倒する景観だ。
特に門脇崎の吊橋から、絶壁に白く飛沫を上げる波濤を見下ろすときは冷や汗ものだ。

伊豆高原から赤沢温泉、北川温泉を経て熱川温泉へ・・、
この辺りは天城山系の最高峰、百名山でもある「天城山」(1406m)がいきなり海岸へ落ち込んでいるところで、そのためR135も細々と通っている。
かなりの高所の国道沿いに標識があり、細い急な路地を下ると、まもなく海岸沿いに熱川の細長い温泉街があった。


熱川温泉・「高磯の湯」

処々のホテルには温泉の掘削井戸があって、そこからモウモウと噴気煙が上がっていて、源泉温度はほぼ100℃に達しているという高温泉である。
温泉街の外れに目的の波打ち際の「高磯の湯」があった。季節的に水を抜かれた青いプールの脇を通って露天風呂へ、ライダー連が数人いて些か騒々しいが、やはり露天風呂はいい。
湯は真透明でごくわずかに細かい白っぽい湯の花があるようだ。

海岸なのでやや塩味がする。
しかし周囲は野生味が感じられないのは残念、コンクリートの床で海際は鉄柵で囲ってあるので、湯に浸かると紺碧の海原は見えない。
人工物が自然を邪魔しているのだ、早々に退散した。 
ついでに熱川温泉は大田道潅が発見したといわれるが・・、



「天城トンネル」  

稲取温泉から河津浜へ・・、 
ここは伊豆半島中央を貫く幹線路R136、R414、修善寺、湯ヶ島、湯ケ野の合流点になる、通称中伊豆とも称している。こちらも趣のある温泉地や自然が多い、なかでも何かと有名な天城峠は御存知だと思う・・が、川端康成の「伊豆の踊子」は天城峠つまり旧天城トンネルが舞台になている。

明治38年に完成したトンネルは全長445メートル、アーチ・側面などすべて切り石で建造され、石造道路トンネルとしては日本に現存する最長のものであるとか。
有形文化財に登録され、2001年には道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されている。 また、「日本の道百選」にも選ばれている。

今は静寂を保つこのトンネルは歴史的にも、文学的にも観光の名所になっている。 
トンネルの手前には旧峠道が延びている。
トンネルができる前の往時の路は、急峻な地形や切り立った崖の上で、そのため天城越えで尊い命を落とした人もいたという。

幕末アメリカ領事館の初代総領事ハリスが通商条約締結のため, 下田より江戸に上ったときに通ったのがこの峠である。
そのときのハリス一行の日記には・・,

『 路は狭く, 鋭角で馬の蹄を置く場所もなく、ようやく峠を越えて湯ヶ島に着く。 今日の路は道路ではなく通路とも言うべきものだ 』

と記されていることから, 相当な難所であったことが判る。

旧天城トンネル、更に新天城トンネルの完成で北伊豆と南伊豆の距離は一挙に短縮された。


次回、伊豆南端の「下田」は、「黒船祭り」の真っ最中であった。




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日本周遊紀行(5)熱海 「熱海・湯の町」



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写真 熱海海岸と寛一お宮の像



「熱海温泉」・・、

総じて云える事だが、伊豆半島は山岳半島であろう、多くの山々は海岸線まで迫り出している。 特に東海岸のすぐ後ろは箱根高地から伊豆箱根スカイラインが天城高原、天城山辺りまで天空を走っている。

このスカイラインの下、伊豆半島の付根部分を丹那トンネル(たんなトンネル)が1934年に開通している。 
東海道本線の熱海駅〜函南駅間にある複線規格のトンネルで総延長7804m、完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長であった。
火山地帯特有の断層と温泉湧出という難工事で16年の長期間と事故による67名という犠牲者を出している。 

それまでは箱根の連山をぐるっと北側を廻る、現在の御殿場線が東海道線であった。
このトンネルの開通で日本の大幹線といわれる東名阪の交通事情は大きく進展したといわれる。 
この丹那トンネルの東の入り口が「熱海」である、古くからの温泉地であり、地名は「海から熱い湯が湧き出ていた」ことからであろう。
山地丘陵地の狭いエリアに大型ホテル・旅館が立ち並び、国鉄東海道本線開通以降、首都圏からの保養客が押し寄せ一大保養地になった。
かつては新婚旅行や社員旅行の定番の行き先であったが、社員旅行自体の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽傾向にある、2000年代に入り温泉を引いたマンションが増加しているという。 
保養マンションが主であろうが新幹線を使用すれば首都圏へは通勤圏内でもある。


熱海温泉は日本の三大温泉(熱海、別府、南紀白浜)の一つ。 また、日本の三大温泉場(別府、熱海、伊東)の一つとされ、源泉湧出数500本以上、古くは大半の源泉が硫酸塩泉であったが、近年ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、海沿いの源泉は海水の混入量が増えているという。

熱海のスポットと言えば海岸にある「お宮の松」と「寛一・お宮の像」であろう。 
尾崎紅葉の「金色夜叉」から模じったもので、その前に砂浜のサンビーチが広がっている。 



市街地より東方山地に「伊豆山神社」がある。
頼朝が鎌倉に幕府を開くに及んで、幕府最高の崇敬社として箱根とともに二社を関八州鎮護とした。 
元はといえば頼朝の恋人であった北条政子が、密かに逢瀬を楽しんだ神社といわれる。
父に逆らって恋人の元に抜け出してゆく「政子」は、後に政権を握ることなど考えもしなかったに違いない。源氏旗揚をした後、この社にせっせと戦勝祈願をしたという。


新金色夜叉』 曲・詞・宮島郁芳 
熱海の海岸を散歩する     僕が学校おわるまで
貫一お宮の二人連れ      何故(なぜ)に宮さん待たなんだ
共に歩むも今日限り       夫に不足が出来たのか 
共に語るも今日限り       さもなきゃお金が欲しいのか

 
次回は、伊東温泉




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楽器と自動車産業の活気ある町・「浜松」・・、

R150はバイパスの「遠州大橋」を指していた。海岸に迫る「あばれ天竜」の有料大橋(100円)を渡ると、間もなく天下の国道1号線に合流する、この辺り浜松の高層ビルが覗える。
浜松市は2005年7月1日に平成の大合併による県西部の11市町村を編入合併したことで、人口、面積とも静岡市を上まわり県内最大となっている。国内の市としても高山市に次いで2番目に広い広域自治体で、2007年4月には政令指定都市移行をめざしているという。
面白いことに、浜松市民の中には静岡県の県庁所在地である静岡市に対してのライバル心が多く見られるという。産業面では常に優位に立ち、合併によって人口、面積とも上まわり、更にその意識は強くなっていると・・?。
また、「名古屋の衛星都市」として見られるのも嫌うというが、豊橋市とは「相愛関係」にあるという。豊橋である東三河が、風土から政治色まで浜松・遠州地域と似ている部分が少なくないためであるとか・・。

浜松には「浜松まつり」という、勇壮な大イベントがある。
毎年5月3日から三日間にわたって開催される凧揚大会で、G・W期間では全国有数の人出で賑わう人気の祭りだ。主に町単位で参加し、男子誕生による端午の節句にちなんだ初凧と、町同士が凧糸の切り合いを行う凧合戦の二つからなっている。
古来、浜松城下の各種職人町同士の対抗意識から自然発生的に生まれた祭りであったらしく、特に糸きり凧揚げ合戦は通称「喧嘩凧」といわれ、人々の意識を高揚させ、競争意識、対抗意識を助長しているともいわれる。室町期より存在したといわれる永く伝統ある浜松祭りは、浜松人独特の気風を醸成していったのかも知れない。

「浜松市」(主に旧)は工業都市として有名であり、製造品出荷額は約2兆円を超えるという。浜松の工業の大半は小規模工場であるが、楽器、自動車・オートバイに関連する大企業は世界的にも著名であるのは周知である。特に、「日本の楽都」と呼ばれる程、楽器産業が盛んな都市で、特にピアノは全国シェアの100%を占める独占産業である。
旧浜松市内にはマハや河合楽器製作所、ローランドの本社がある。ヤマハは、山葉寅楠(やまは とらくす:和歌山市出身、山葉家は紀州藩士の家柄である)がオルガンを製作したことから始まったという。楽器工業の他には、半導体・スポーツ用品・自動車部品メーカーで、本業の楽器以外に様々な分野で事業展開している総合企業、グローバルメーカーである。御存じ、オートバイは子会社「ヤマハ発動機」として独立している。
河合楽器は日本の楽器メーカーとして世界第2位のシェアを占める。ヤマハに勤務していた河合小市が独立し、河合楽器研究所を設立したのに始まる。ピアノを中心とした楽器製造・販売のほか、近年はカワイ精密金属等(長野県)でピアノの部品素材のノウハウを生かした半導体素材の生産も行っている。あの連合赤軍あさま山荘事件(1972年2月19日に始まる、軽井沢にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件である)として、当時、連合赤軍に占拠された軽井沢の浅間山荘を所有していたのは、河合楽器であった。
この二大メーカーが、1960年代の高度経済成長とともに浜松の楽器産業は飛躍的に発展し、世界的な楽器の生産地となっている。
又、輸送機器 では、本田技研工業・創業の地で、現在もオートバイ(中型・大型二輪車)の主要工場がある。また、スズキの本社工場もあり、浜松のヤマハ(厳密には隣の磐田市)、スズキ、ホンダの三社が、日本はおろか世界のオートバイ産業をリードしているといっても過言ではない。現在の浜松のオートバイ産業は、全国の60%以上を占めている。更に軽自動車は50年前(1955年)に日本で初めて浜松地域で製造されて以来、全国の30%以上を生産され、小型四輪自動車も、浜松は全国有数の生産地域となっている。
浜松は江戸時代から綿織物の産地として栄え、明治時代には現在の「笠井」を中心として綿織物の大生産地となっていた。これらの産業基盤が、現在の機械産業の基礎と成っているとも云われる。自動車メーカーのスズキは、大正期・鈴木式織機株式会社(創業者・鈴木道雄氏)として設立 し発足している。 

浜松の「鈴木氏」・・、
ところで、先日、偶々(たまたま)テレビを見ていて、日本の姓名・苗字に関することを放送していた。
苗字の数の多いビッグ3は佐藤、鈴木、高橋と言われるが鈴木という姓は、小生の周辺にも知人、親戚は居るが、ここ静岡、中でも浜松が圧倒的に多いという。 先ず、電話帳を調べて浜松市のページを開くと鈴木姓が記載されているのは33ページ、「佐藤」、「高橋」が3ページ半とその多さは群を抜く。
或る篤志研究家により静岡県の「鈴木姓」の状況を調べたところ・・、県内世帯の記載件数はの3・7%にあたる4万7242件、世帯数で4倍強の東京都を抑え、47都道府県中、堂々のトップで、単純計算では全国の鈴木家の11・9%が静岡在住ということになるという。
又、静岡でも特に鈴木氏が多そうな浜松市西部の篠原地区で、或る幼稚園では「園児325人中64人が鈴木姓。年中組の一つの組では母29人のうち11人が鈴木です」と言う・・、小学校でもこの傾向は変わらないという。
次にあるお寺を訪ねたところ境内には「鈴木家之墓」が林立し、御堂に安置された位牌も「鈴木」ばかりが目につく。若い住職さんは「墓の地図を作ったのですが、鈴木さんの墓は多すぎて、檀家(だんか)さんに聞かれても場所を即答できません」と苦笑そていたという。問えば約200人の檀家のうち8割が鈴木姓、同姓同名の鈴木さんが亡くなったのを勘違いし、元気な方の家にお悔やみに訪れたという笑える・・?話も結構あるという・・。

鈴木姓は古来熊野信仰と関係が深いといわれ、熊野地方は平安期の頃より「熊野三党」(鈴木、榎本、宇井)が支配していたといわれる。全国に3000を超す熊野神社は、鈴木一族が神官となって広めたともいわれる。明治になって姓を付ける時、身近にいる由緒ある存在として鈴木姓を名乗った人が多かったのでは・・といい熊野神社が多い静岡や愛知、神奈川、福島などに鈴木姓が多いと分析している。
鈴木姓の都県別ビック3は静岡が47242、東京が43303、愛知が39991(1999年、名字図鑑)であり、人口の比率からすると静岡が断然多いのである。

国道1号(浜名バイパス)を行く、本来有料道路であったが、本年早々に無料化された。ほとんど海上にある浜名大橋、浜名湖が遠州灘に通じる開口部をひと跨ぎするこの橋は、トコンクリート橋としては国内最大級を誇る優美な橋といわれ。特に、ここからの眺めは最高である。左に太平洋・遠州灘が視界いっぱいに広がる、右に弁天島島越に浜名湖が光る。あまりに広大な景観に思わず車のスピードが緩む、しかし運転しながら眺めるのは危険だ・・!!。
浜名大橋の下、浜名湖と太平洋が繋がっているところを「今切口」と云うそうで、室町期の大地震と翌年の暴風雨により陸地が切れて外海とつながったと言われている。江戸時代には渡船が通い、今切の渡し又は荒井の渡しと関所があって「新居に関」と称していた。
R42へ出て、あとは渥美半島を一気に「伊良湖岬」へ向かう。

次回は、渥美の伊良湖へ・・・、

城下町・掛川・・・、

大東町、大須賀町は平成17年4月1日、掛川市と合併し新「掛川市」となっている。
従来の掛川の街(掛川市)は内陸部にあって、沿岸部を通る小生にとっては縁の薄い地域であった。しかもこの沿岸道のRI50からは間に2〜300mの山塊が横たわっていて掛川の市街は全く見通せることもできない。しかし大東町、大須賀町と合併し新掛川市に成ったことで、その縁が生じてしまった。従って、歴史の街「掛川」のことを、些かなりとも触れねばなるまい。

市内中心部の掛川の街はJR掛川駅を中心に東名高速、東海道(国道1号線)、そのバイパスと交通網が接近集中している。その駅前のほぼ中心地に新装成った「掛川城」が小高い丘に構えている。この城は日本初の本格木造建築であり、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元したもので天守閣をはじめ、その他の造営物は市民の寄付により再興されたという。合わせて、駅から掛川城までの周辺地では、都市としての殺風景な姿を一変させ、城下町風の美的景観が整備されたという。
又、市内の中心部を東西に大田川の支流である「逆川」が流れる。この川が、切り立った崖のように見える点から「缺けた川」と呼ばれ、次第に略されて「懸川」となり、「掛川にと改名されたといわれる、掛川市の由来でもある。
古来より掛川(掛川城)は東海道の東西交通の要衝としてその意味は大きかった。

掛川城は通称、懸川城、懸河城ともいった平山城(平地にある丘陵を利用して造った城)である・・。古くは室町時代中期に守護大名であった今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられ、そのまま朝比奈氏が城代を努めていた。戦国期、朝比奈氏の主家の今川氏が甲斐の武田信玄・三河の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭って和議で開城することになり、掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った
掛川城の南方にある「高天神城」は、その後の武田・徳川両氏の激しい攻防戦の舞台となった城であり、掛川城と合わせて1582年(天正10年)の武田氏の滅亡まで徳川氏の領有であり続けた。
「関が原」の後の1590年代に、豊臣秀吉の家臣であった「山内一豊」が城主となり、掛川城の大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門の建設と共に城下町の整備により、東海随一の名城とも呼ばれていた。
山内一豊は戦国期の武将で織田信長に仕え、その後豊臣秀吉の家臣として小田原の役後、遠州掛川に六万石の藩主として治まる。 関ヶ原合戦では東軍・徳川家康につく、この時、一豊は「味方につく以上は、居城・掛川城を兵糧ごと差し上げる所存」といって、家康や周囲の臣を驚かせた・・。その義を以って、戦勝高禄で土佐24万石に封じられた。
有名な「妻の内助の功」の話は、彼がまだ織田家の小侍であった頃、信長が「各々(おのおの)馬を参じよ」と指示を出す。この時、馬を買う金がなく困っている彼を見て、妻が黄金10枚を渡し、無事駿馬を買うことができた。この「美談」で一豊は織田の家中で一種の名士となったという。
山内一豊とその妻、千代を描いた小説に司馬遼太郎『功名が辻』がある。
2006年(平成18年)にはNHKの大河ドラマ「功名が辻−山内一豊の妻−」が、ほぼ原作通り放映された。戦国期の侍、信長、秀吉、家康をはじめ関係武将が続々登場し、取り巻く女性陣も艶やかに、特に一豊の妻・千代の「良妻賢母」ぶりを主題にして、物語は展開した。キャストに千代:「仲間由紀恵」、山内一豊:「上川隆也」、織田信長:「舘ひろし」など・・。
歴史時代物が好きな小生にとって実に楽しみで、尚且つ、戦国物はたまらない・・・。
因みに、高知市の「はりまや橋」の近くに「掛川町」が存在した。これは、掛川から高知に移住した山内一豊の家臣が、居を構えた事に由来する。だが、現在では掛川町は「はりまや町」となっているらしい。高知市には山内一豊が建立した「掛川神社」も存在する。この神社は、一豊が高知に入城した際、掛川城の北東(鬼門)にある龍尾神社(素盞鳴尊・スサノオを主祭神としており、掛川城の北東(鬼門)に位置するため、その守護神として、山内一豊を初めとする歴代城主から崇敬を受けた)を高知城の北東に勧請したものであり、掛川に因んで命名されたという。

袋井の名刹・・・、
浅羽町は本年4月1日より袋井市に吸収合併され、新「袋井市」が誕生している。
袋井市は何といっても遠州三山が有名であろう・・?、過ぐる年、上さん(妻)と訪れたことが有るが、この遠州路・袋井、森町から三ケ日の内陸沿いには名刹古寺が多いのである。
其の内の代表的古刹を紹介しておこう・・、     
先ず、JR鉄道の南に位置する、法多山尊永寺(ほったさんそんえいじ)は奈良朝初期の創建で真言宗の名刹である。 今川、豊臣、徳川などの武将の信仰も厚く、本尊は正観世音菩薩で浅草観音と同じく、ご利益は厄除け開運・・。正月の初詣には東海一円の人々が訪れ、名物の厄除けだんごと桜の名所が売りだとか・・。
次に、萬松山可睡斎(ばんしょうざんかすいさい)は、室町初期に開山された曹洞宗の寺院で、徳川家康が命名した寺院として有名・・。古来火の神といわれる秋葉山本宮秋葉神社から三尺坊大権現が遷座され火防災除の寺であり、春先のユリや初夏の牡丹が美しい寺、又、元タレントの「ポール・牧」氏が修行した修行寺としても有名である。
又、医王山油山寺(いおうさんゆさんじ)は奈良朝初期、行基により開山、真言宗の古刹で、本尊は薬師如来で行基自身の作と伝えられる。古くは石油が出たところから「油山寺」の名が付いたといわれる。ユニークなのは、この寺は目の守護、眼病平癒のお寺として信仰を集めている。自然と一体となっている寺院で国の指定文化財である三重塔や山門は見所であろう。

次回は、遠州浜松・・、

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    「御前崎灯台」

灯台巡り・・・、

今回の「日本全国海岸線巡り」の大きな目的の一つに岬巡り、灯台巡りも楽しみの一つにしている。 
日本は島国で四方が海に囲まれ、従って海の航路の安全を守るために灯台は欠かせない、 特に岬の先端の灯台は重要である。 地の端にポツンと立って、一晩中クルクルと海を照らす灯台という存在に、ほとんどの人には意識されず、役に立つのかどうかもわからない。 でも、それを必要とするものにとっては、絶対になくてはならないのである。  
陸地の端を巡る小生にとって、このような灯台に挨拶をしないわけにはいかないのだ、灯台は航路を照らす・・、と思われがちであるが・・、実はそうではなく、自身・おのれ(灯台)の存在を知らしめているだけなのである。しかし、「灯台下暗し」ともいわれる・・?。

御前崎は東に駿河湾、西に遠州灘を控えて、最南端の鋭角の岬である。 国道150の海岸線から眺めると、程よい高地を成していて、灯台設置には絶好のポジションであることが解る。 御前崎の築港、漁港を左に見ながら、道なりにそのまま行くと、岬の先端を回って浜岡町に抜けてしまうが、途中に分岐があり、灯台の案内板に従って登ってゆくと、そこに白亜の灯台があった凛として屹立している。
周囲は、絶好の展望地で太平洋と浜岡の砂丘が遥かに見渡せる・・。 周辺に広がる自然公園には「御前崎ケープパーク」が整備され、灯台からも洒落た造りの石段を歩いて海辺に通ずる、自然と親しめるようになっている。

ところで、ここ御前崎は海域を二分する地形で海流、気象現象が厳しく、また暗礁が多いともいわれ、昔から航海の難所であるという。 江戸幕府はこの地に見尾火灯明堂(みおびとうみょうどう))なるもので明りを照らした。
この燈明堂は、江戸期の寛永年間(1635年)年に建てられた江戸時代の燈台で、木造お堂形式の建物である。 当時は、幕府から1ヶ月当たり9升の灯油や灯芯、障子紙が支給され、毎夜、村人2人が行燈(あんどん)の火を絶やさないよう火の番をし、翌朝、日が昇ると板戸を閉めて帰ったと伝えられている。 1871年(明治4)年にカンテラ燈台が竣工し、その座を譲るまでの実に240年という長きにわたって、御前崎沖を航行する船の安全を見守ってきたという。
明治5年、英国人R・H・ブラントンの指導のもと現在の西洋式灯台の建設工事を開始し、明治7年に点灯を開始している。 回転式の一等閃光レンズ(直径259cm)を使用した灯台としては我が国最初のものであった。現在は海抜53mの地点から光達19海里(航海上の距離の単位。1海里は1852メートル。緯度1分の長さに相当)まで光を放つ・・。 日本の灯台50選の一つ、参観灯台で一般人も見学できる。

1957年(昭和32年)公開当時一世を風靡した長編大河映画「喜びも悲しみも幾年月」が製作された。 高峰秀子、佐田啓二主演の灯台守夫婦の半生を描きながら、各地の灯台を描き、生きることの意味をさわやかに問う傑作である。その後昭和61年、「新・喜びも悲しみも幾年月」が加藤 剛、大原麗子、中井貴一出演で再映画化された。中井貴一は、佐田啓二の長男で、つまり二代目である。映画は、ここ御前崎灯台も題材として登場している・・。

『喜びも悲しみも幾年月』詞曲:木下忠司 唄:若山 彰
おいら岬の灯台守は     冬がきたぞと海鳥鳴けば
妻と二人で沖ゆく舟の    北は雪国 吹雪の夜の
無事を祈って灯をかざす   沖に霧笛がよびかける
灯をかざす           よびかける

星をかぞえて波の音きいて
ともにすごした幾年月の
喜び悲しみ目にうかぶ
目にうかぶ


近年の若者達は知らないと思うが、「端やん・・」、こと往年の「田端義夫」が切々と歌い上げた「ふるさとの燈台」はこの御前崎灯台がモデルとされている。

『ふるさとの燈台 唄・田端義夫(昭和28年)
真帆片帆 唄をのせて通う   年経りて 星に月に偲ぶ
ふるさとの 小島よ        むらさきの 小島よ
燈台の岬よ            燈台の灯りよ
白砂に 残る思い出の     そよ風の 甘き調べにも
いまも仄かに           思いあふれて
さざなみは さざなみは    流れくる 流れくる
胸をゆするよ           熱き泪よ


御前崎から再びR150へ出て、遠州灘の沿岸を並行して進む・・。
先ず目に付くのが広大な敷地をもつ浜岡原発である。中部電力、所管の原発で1976年、国内でも比較的早期に営業運転している。原子炉は現在五機有し、総発電量は500万kwの能力を有し、その内、5号機が最大出力の138万kwで、今年(2005年)1月営業運転をはじめた。 過去に比較的古い1,2号機で配管破断事故や原子炉水漏洩事故等々を起こし、周辺住民とのトラブルを生じている模様で、特に近年東海地震の発生が取りざたされ、浜岡原発はそのほぼ中心に位置するため、耐震性が懸念されているという。
あるジャナリストは、「世界で最も危険な原発は、日本の浜岡だ・・!!」とも言っているようである・・。
地震といえば、過去の地震で最大だったと想定されるのが、1854年の安政東海地震でマグニチュード8.4程度という、当事者は、これを参考にマグニチュード8.5を安全基準に設計しているという。 又、地震に伴う津波は最大6m程度を想定し、原発敷地の前面には高さ10〜15mの砂丘があることから、津波に対する安全性は確保されていると言っているが・・。

その砂丘の事である・・。
国道150の沿岸は濃い緑の松林が続き、その向こうは有名な大砂丘になっている。
御前崎から天竜川(御神渡り:おみわたり、で有名な長野県中央部の諏訪湖が水源)の河口にかけて、遠州灘沿いの海岸線に続く広大な砂丘地帯で通称「遠州大砂丘」と称している。 河口を利用した漁港以外に港湾施設はなく、各町域をまたいで約30kmもの砂丘が延々と続く日本一の砂丘地帯である。鳥取、吹上(鹿児島県)と並び、日本三大砂丘のひとつに数えられるが、なかでももっとも幅が広いのが浜岡砂丘だという。
その昔「あばれ竜」と呼ばれた天竜川の流砂が打ち上げられて出来たものである。
近隣に影響を及ぼしていた砂の害を防止するための手立てとして浜岡砂丘の特徴は、粗朶(そだ)という木の垣根を立てて風や風砂を防御する方法である。垣根は斜め45度に立て、風を抑えながら、砂は垣根に堆積しながら45度方向に移行してゆく・・、つまり内陸部住地、耕地への風砂防止策(柵・策を労する・・?)である。この人工斜め砂丘は松林の防風林と相まって、浜岡独自の景観を呈している。

榛原郡御前崎町と小笠郡浜岡町は2004年4月1日に合併して市制施行し、「御前崎市」が誕生している。

次回は「掛川」から・・・、


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