『日本周遊紀行』

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 日本周遊紀行(96)尾道 「尾道の街」   、



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尾道の市街と新尾道大橋(右は向島)


尾道は、「坂の町」、「石畳の町」としても知られるが・・、

再び、新尾道大橋まで戻って来た。 
尾道海峡(正式には対岸の向島との間はその狭さから尾道水道と呼ばれる)沿いに尾道の市街が橋の下から海岸に沿うように延びていて美観を呈している。 

海岸の後背部は「坂の町」と言われるとおり、傾斜の大きい丘陵地に居宅が密集していて、この独特の雰囲気が尾道を演出している。
この狭い平坦地に山陽本線、国道2号線、そして四国を結ぶ「しまなみ海道」が開通し、瀬戸内の十字路、交通の要衝として更に活気を帯びているという。 


しかし元来、尾道は瀬戸内の海洋、海路、造船で栄えた町である。
瀬戸内海を堰のようにしている大小の島々は、その間を流れる海流は速く、船の往来も難儀した。
尾道水道は、その点地理的に見ても川のような狭い海域ではあるが比較的穏やかな様相である。
瀬戸内海の中央に位置することも手伝って、尾道は自然の良港を形作った。

その開港の歴史は古く、平安期には対明貿易や北前船、内海航行船の寄港地として、又、内陸からの荘園米の積み出し港となって中世、近世を通じて繁栄をとげている。 
北前船が開発された江戸時代には、尾道の港は日本海と瀬戸内海を通って北海道と大阪を結ぶ西回り航路の寄港地として全国から様々な物資の集積港として大いに繁栄したという。
廻船問屋が立ち並び、活況を呈する港には各時代の豪商を生み、多くの寺社仏閣の寄進造営が行われたとされる。 


又、尾道は全国でも有数のお寺の町でもあり、重要無形文化財指定の古寺が凡そ40社寺も存在するという。 
いたる所に存在する仏堂社殿は、おのずと美しい自然環境を生み、歴史を凝縮した景観を創り出す。
尾道は往古近年、歴史の町、寺の町、坂の町として文人貴人の足跡を留めるところともなり、観光都市ともいえる所以となっている。

志賀直哉は、この地で「暗夜行路」を書き、「放浪記」の作者、林芙美子は尾道の女学校に通つた。 また、小津安二郎監督の「東京物語」や大林宣彦(尾道出身)監督の尾道三部作(「転校生」、「時をかける少女」、「さびしんぼう」)・新尾道三部作(「ふたり」、「あした」、「あの、夏の日」)などにより、映画の街としても有名になった。

文士・詩人の足跡をたどって回る「文学コース」や市内約2キロにわたって点在するお寺を巡る「古寺めぐり」と、お楽しみが揃っている尾道は、一方では「坂の町」、「石畳の町」としても知られる。



坂の町のエピソード
普通、雨を憎むのが一般旅行者であるが尾道に限って、濡れる石畳や階段、狭い道を流れゆく雨水は情緒たっぷりに感じられるという。 

だが地元に住む住人に言わせれば、実際の生活面での事情は困惑しているらしく、買い物1つするにも大変で、車は駐車場が必要不可欠であるが中々確保できない。
家を改修するにも材料を人手で運ぶ様で余計な費用がかかる。
坂道沿いには売り家、空き家などが山ほどあるらしいが売るに売れず、終いには「家、あげます」みたいな人もいるらしい。 

ここに家を買って住むにぁ、覚悟が必要だえ・・!」と御近所さんは洩らすという。 
美しい「」の生み出す街並みの中にも、それなりの現実の厳しい風が吹いているようである。 
それに人気の街だけに、値段もそこそことか・・、いやはや・・!!。


2010年9月27日から半年間にわたり、NHKで連続テレビ小説『てっぱん』が、現在放送されている。
広島県尾道市(向島)に生まれたヒロイン・「村上あかり」(瀧本美織)が尾道と大阪を舞台に、困難を乗り越えて大阪でお好み焼きの店を開店するという庶民派ホームドラマである。

次回は、「広島



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 日本周遊紀行(96)尾道 「越智氏伝承」   、



尾道は、越智氏にまつわる伝承の地・・、

越智氏は、大三島・大山祇神社を奉祭してきた氏・豪族であり、今も地名として伊予・今治の半島(地図で見ると北に突き出した高縄半島)は「越智郡」と称している。

大山祇神社は、愛媛県越智郡大三島町宮浦に属している。 
又、松山市の東南部に越智町があり、ここにも小さな社であるが「大山祇神社」を御祭りしている。 
土佐の高知にも「越知町」がある。

又、広島県尾道市近辺(三原・福山・瀬戸内島域部)には村上、三島という苗字の家がやたらと多いという。 
越智、土居、河野という苗字も結構ある。 これらの苗字の発生源が古代豪族「越智氏」であるといわれる。


越智は元々、「小千」、「小市」、「乎千」などとも記され国造家(古代豪族)に端を発するらしく、物部氏(渡来人)が越智氏の元祖であるという説もある。 
「おち」という言葉は4世紀頃から史料に登場する。 
大和朝廷の配下として小市(おち)氏が登場し、国造(くにのみやつこ)に任じられている。 小市は越智氏の祖といい、国司や郡司に命じられ、大三島宮司の祝氏、水軍を興す河野氏や土居氏などが同じ越智氏の系統から出ている。 


越智氏は朝鮮半島との深い関わりがあるともいわれ、中国の「越」(えつ)の国にも関わりがあるといわれている。 
日本列島には中国江南の越人(えつじん)が朝鮮半島南部を経て到来し、稲・青銅器を中心とした弥生文化を伝えたものといわれる。 
その意味で、「越」の地名が日本列島にあっても特に不思議ではなく、現に、古代・北陸地方は「越の国」といわれるのは周知である。 


「越」が、越人に由来するかどうかは疑問もあるが、古志、高志と言う地名は存在する。 
おそらく、「エツ、コシ」という呼称は異音同義で、新潟地震で有名になった越後の国に、「山古志村」というのは記憶にあたらしい。


北陸の地、加賀・越前の白山信仰の開創、泰澄大師(たいちょう たいし:奈良期の越前の高僧・越の大徳といわれる)は越前の越知山で修行したとされ、当山に鎮座している越知神社は越知山三所権現、つまり伊弉諾尊、大山祇神(伊弉諾尊の子)、火産霊神(火之迦具土神:伊弉諾尊の子、大山祇神の兄弟神)が祀られているという。 
伊予の大山祇神社や越智氏などと、何らかの関連があるのではないかと言われる所以である。


白山信仰は、古代には“シラヤマ”と呼ばれていたようで、朝鮮半島の新羅(しらぎ)の山にも通じるといわれる。 
古代北陸・「越の国」(こしのくに)は、日本海からの渡来人達の技術集団が多く移住し住んでいたようであり、弥生期における大陸文化が大きく華開いた地域でもあって、各地にその足跡や痕跡、遺跡が多く残されている。


第26代天皇・継体天皇(けいたいてんのう)は北陸・越前から来たとされ、「越の国」の技術や財力が継体天皇をして中央政権に進出させたのではないかともいわれる。 
更に、継体天皇を通じて瀬戸内、四国地方へ「越人」(こしじん)達が中央から派遣されたことは容易に想像できる。 
その結果、伊予の越智や土佐にも高岡郡越知町など「越の国」に符合する地名、人名になったとするには当然の希有かもしれないのである。

伊予の国の高縄半島の東側、今の今治を中心として小市国造(おちのくにのみやっこ)という集団がおおきな勢力をもっていたことは先に記したが、この小市国造は、物部氏(渡来人)と同じ祖といわれ、後世、「越智」と記されてる。 
越智は、「越」で元はこの一字であり、「オ」は尾っぽのような細いもので、「チ」は土地の地になり、「尾道」はオチの道であり、越智の道であったとも言われる。

中国江南の越人が朝鮮半島を経て、北陸へ渡り、中央政権を経て瀬戸内、四国へ伝わった、所謂、越智の祖の「北陸ルート」とも考えられる。 
彼らは、「越の国」(中国江南であり、北陸地方でもある)の航海や船の建造技術、鉄生産などの技術を伝えたのではないかとも考えられ、これが後の世の造船技術や村上水軍に繋がったとも思われるが・・?。

引き続き「尾道」



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 日本周遊紀行(97)大三島 「大山祇神社」 





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全国11,000社余りの大山祇神を祀る総本社




天照大神の兄神である大山祇神
・・、

四国は古事記・日本書紀の「国生みの神話」で、伊予の二名島(ふたなしま)という名前で出ている。伊予国は、日本でもかなり古くから開けたところであり、古事記の冒頭の部分では伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の神が、国産みをする場面に登場する。
古事記には、『ここに伊邪那岐命、先に「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、後に妹・伊邪那美命は「あなにやし、えをとこを」と言ひき。かく言ひおえて御合わして、生める子は、淡路の穂の狭別島、次に伊予の二名島を産みき。』とある。 
つまり、イザナギとイザナミが結婚して、先ず、淡路島を生み、次に伊予つまり四国を生んだと言っているのである。 「四国は、面四つにして伊予、讃岐、阿波、土佐と名を付けた」の下りは先に述べた。

天照大神の兄神である大山祇大神(オオヤマズミ)は、瓊瓊杵尊(ニニギ)が「天孫降臨」に際して、娘神の木花開耶姫尊(コノハナサクヤ)を瓊瓊杵尊の后妃(きさき)となるよう命じた大神であり、国を奉り、国土・日本民族の総氏神である。 
神武天皇の東征に際して、大山祇神の子孫であった小千命(乎千命:オチノミコト)が先駆者として伊予二名島(四国)にわたり、瀬戸内海の治安を司っていた際に、芸予海峽の要衝である御島(大三島)に大山祇大神を主神として「大山祇神社」(おおやまずみじんじゃ)祀った。 
又、仁徳天皇の頃に「伊予・越智国造」の祖が創祀したことにはじまるともいう。 


瀬戸内海の「しまなみ諸島」は、大小の多数の島々がその海域を塞ぐように列島を成していて、大三島はその中でも最大の島である。 
市街地は島の中心西部で、フェリーが着く宮浦地区であろう。その町の奥まった一角に、日本総鎮守と呼ばれるの大社殿が鎮座している。 海・山の守護神として尊崇され、約2600年前、神武天皇東征に先駆けて創建されたという。

初代天皇・神武天皇が即位したのが紀元前660年(紀元節)とされているので,日本の歴史が始まった直後から鎮座している神社である。
以来、神の鎮まる神聖な島・「御島(みしま)」と呼ばれ、本州、四国、九州を鎮守する日本総鎮守の神として崇拝されてきた。 
現在の大三島の呼称はこの御島から起ったと伝えられている。

全国11,000社余りの大山祇神を祀る総本社で、中国地方では古来より北の出雲大社、南の大山祇神社といわれ、全国の大山祇神社、三島神社(「三島」の名称も、ここ大三島からとされる)の総本社である。

四社詣「大山祇神社、熊野大社(紀ノ国)、厳島神社(安芸国)、宇佐神宮(豊前国)」または五社詣(上記に太宰府天満宮を加えたもの)の中心ともなっているといわれる。 
山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。 
源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の甲冑、刀剣の類の多くが、この神社の宝物殿に集まっているという。
社殿境内の中央には創建当時に植栽されたという「楠の大樹」が蔽っている。根回り20メートル、樹齢は2600年(大社創建当時)と言われている。 



ところで2600年前っていつ頃の時代・・?、
2600年前といえば神武天皇が即位した年代(2660年前といわれる)と類似する。つまり、紀元前600年代で、紀元前7世紀のことである。 
史上、700年代が奈良朝、600年代が飛鳥期で古代と言われ、それでも西暦は紀元後である。 紀元前3世紀あたりが弥生前記というから、2600年前は余裕で「縄文時代」にあたるのである。 
屋久島の縄文杉も真青という訳である。 
因みに、縄文杉の樹齢は当初、5〜6000年と言われたが、近年の測定法で2700年前後とされている。
周囲の社叢林は、日本最古といわれ楠の原生林であり、昭和26年に国の天然記念物に指定されている。

次回は、尾道、「越智氏」の伝承



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日本周遊紀行(96)尾道 「しまなみ海道」   、




http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/5e/d1f48a1eb944cb2d3d61c3be90d165a4.jpg
しまなみ海道に架かる世界一の斜張橋・「多々羅大橋」




「しまなみ海道」は徒歩、自転車で通行ができるという・・、

山陽道を一路、西下して尾道方面へ向かう、
本州と四国を結ぶ三つの橋のうち、西側に架かるのが愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶのが「しまなみ海峡道」である。

この道は愛称を全国から公募し、「瀬戸内しまなみ海道」と称するようになったという。 
瀬戸内海のこの辺りは大小の島々が最も密集している所で海流が激しく、従って海洋交通の難所でもある。
瀬戸大橋、明石海峡大橋に続き、最後に開通した「しまなみ海道」は、これらの島々の内、大きな六つの島を渡りながら結んで通る、まさに海に浮かんだ「しまなみ」海道(本四連絡道路・今治―尾道ルート、西瀬戸自動車道)である。

しまなみ海道は、美しい瀬戸内海に浮かぶ島々に個性的な10本もの橋が架けられている。 
又、このルートの最大の特徴は全ての橋を徒歩、自転車で通行ができ、自動車で一瞬にして渡ってしまうのではなく、のんびりと橋の上からの絶景を楽しみながら渡れるのがいい。だが、距離的には本州・尾道から四国・今治までの自転車・徒歩の場合は約80kmにも及ぶという。 1999年(平成11年)5月に全線開通したが、一部の島では有料高速道路は未だ見完成で、現在も工事が進められている。

福山西I・Cから一旦2号線の尾道バイパスに出て、西瀬戸尾道I・Cより先ず一つ目の「向島」へ渡る。
渡ると言っても今までのイメージの大海峡の大橋を跨ぐのではなく、川のような細い水路のような向こう側で、「向島」が島という印象はない。
しかし、細い海峡を挟んだレッキとした島なのである。

ここには二つの橋は平行して架かり、今走っているのが「新尾道大橋」で自動車専用道路であるが、もい一つの「尾道大橋」は通勤、通学や買い物など、所謂生活橋としての役割を果たしている。 
向島には、日立造船・向島西工場が在り、ここに映画「男たちの大和/YAMATO」の撮影のため「戦艦大和」の実物大ロケセットが造られ、撮影終了後は一般公開もされるという。


次は因島である、繋ぐ「因島大橋」は橋長1270mの端正な吊橋で、上下二段構造になっており、上部は自動車専用道、下部は自転車歩行者道が架かっている。 因島は、全国でも珍しい島の都市・因島市であった、しかし、2006年1月、隣接する瀬戸田町とともに尾道市に編入され消滅している。
先にも記したが室町・戦国時代、「日本一の水軍」といわれた村上水軍が能島、来島、因島の三島に本拠地を置いた地でもある。 
国道沿いの小高い丘に、今は展示資料館になっている「因島水軍城」があり水軍旗や甲等、水軍に縁のある品多数が展示されてる。水軍城は水軍の故里・因島に相応しいものとして、歴史家・奈良本辰也氏の意見を参考に1983(昭和58)年12月に築城されたという。水軍城の麓にある「金蓮寺」は村上水軍の菩提寺で、裏には水軍歴代の墓があり、宝筐印塔18基や五輪塔などが多数ある。

次に生口島である・・、
ここを渡る「生口橋」は「やじろべえ」の原理でバランスをとりながら、ケーブルを張って造られた斜張橋で、世界第九位の規模を持つという、実は、次に渡る「多々羅大橋」が世界最大なのであるが。 生口島は、現在高速道としては未開通で、一般国道317号を行くようになる。 
東海岸沿いの見通しの良い道路で、眼前には「岩城島」をはじめ内海を塞ぐように島々が乱浮している。 
生口島は行政名は瀬戸田町といい、町の中心は反対の西側の突端部にあり、すぐ前の「高根島」も町域に属する。 島の西方、サンセットビーチの沖合2kmの沖に浮かぶ「鯨形」をした島は「ひょうたん島」といい、昔、NHKテレビで人気を誇った人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島と云われている。

生口島・瀬戸田町の出身の著名人に、日本画壇の最高峰といわれる平山 郁夫(ひらやま いくお)氏がいる。 絵心画才の無い小生にとって、絵画の価値や良さはあまり判らないが現代画家の最高峰にいるともいわれ、その作品価格は存命する画家の中で飛びぬけて高いと言う。 奈良・薬師寺の玄奘三蔵院伽藍の「大唐西域壁画」の十三壁面は生涯の大作といわれ、「仏教伝来」、「入涅槃幻想」、「祇園精舎」といった、仏教を主題にした幻想的な作風を確立している。 
又、シルクロードシリーズやアンコール遺跡をはじめとする世界各地の文化遺産の保護修復活動やユネスコ親善大使など国際的にも貢献、尽力している。 
瀬戸田町のほぼ中央に「平山郁夫美術館」が在り、現、東京芸術大学学長でもある。


島の南端から再び「しまなみ海道」の有料道路に入る。 勿論、次の海峡の大橋に掛かる「多田羅大橋」である。瀬戸田PAより、その壮大な勇姿が望めた。広島と愛媛を結ぶ斜張橋で、姉妹橋であるフランスのノルマンディー橋を超えて世界一の優雅な橋になった。
その姿は巨大なハープに似て、別名ハープ橋ともいう、まさに夢の架け橋である。

大三島」に来て上浦P・Aで一服入れる。 
西側遠方で「ヘリ」の爆音声が頻繁に聞こえている、良く見るとボーとであるが煙がタナビーている。昨日昼頃、ラジオニュースで報じていたようだが、未だ消火に致ってないようである。
その後の情報によると、「28日夕方、今治市大三島で発生した山林火災は、3日目を迎えた30日になっても延焼が続き、これまでに130ヘクタール余りが焼け、火の勢いは弱まったものの、依然延焼が続いている。 地元だけでなく広島県や香川県からも応援部隊が投入され懸命の消火活動が続いているが、延焼部分は急斜面のため消火活動に入れない状況である。また、島内の別の場所でも不審火と思われる出火が3件相次いでいることから、警察、消防等で警戒を強めているという。 山地であるため、人的被害は出ていない模様」

その後、愛媛県今治市の警察は、別の放火事件で逮捕・起訴された男が火をつけた疑いが強まったとして、森林放火の疑いで再逮捕した。調べに対し、容疑者は「もやもやした気持ちから放火した」などと供述し容疑を認めているということで、警察で さらに裏付け捜査を進めているという。 
とんだお騒がせ事件である・・!!。

次に「伯方島」であるが・・、
パーキング・エリアの正面には、視界を塞ぐように「伯方島」が横たわる、この狭い海峡を跨ぐ変わった形の白いアーチ橋が「大三島橋」であるが、しまなみ海道の行程は事情によりここまでとする。
伯方島は、「はーかーたーの しお」とTVのコマーシャルでお馴染みの「天然塩」の生産地である。 ビニール袋にはっきりと「伯方の塩」と明記してあり、我が家でも時折愛用しているようである。

昔は「」は専売品で自由に売買できなかった。食料品店の前に「塩」、「塩販売店」、」「塩小売店」などと書いた看板をよく目にしたが、平成9年の自由化で何処でも、誰でも売買出来るようになった。
ところで日本は世界の中でも塩の自給率がきわめて低い国の一つだという、天然資源としての岩塩もとれず、古くからの海水からの塩田製塩法に頼っていた。 
しかし、世界的にみて多雨な地域にあるため天日での製塩も容易ではなく、近年これに代わって「イオン交換膜製塩法」(工場の中でつくられる塩。海水から濃い塩水を抜き出して蒸発装置で煮詰める)という製法が登場した。「伯方の塩」は、輸入(メキシコ)天日海水塩を日本の海水で溶かしてそれを煮つめて結晶させるという、ニガリやミネラルを適度に含んだ天然塩にちかい塩を生産しているという。
塩は、人が生活するのに必要不可欠の物であるが、最近は健康、美容指向で「塩パック・塩マッサージ・ダイエット」と銘打って塩を直接肌に擦りこんだりするが、「塩浴法」という擬似温泉入浴法が評判だとか・・?、実は我が家でも時折行っているが。



そろそろ、しまなみ海道から「おさらば」しよう。 
因みに、大三島までの普通車通行料金は西瀬戸尾道⇒大三島まで2300円(往復 4600円)、自転車は260円(往復 520円)、歩行者は無料となっている。 

次回は、大三島の「大山祇神社


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                写真:国宝・世界遺産「厳島神社」


日本三景の真価は、弥山頂上の眺めにあり・・、

日本三景の一つ「厳島」(宮島)は、厳島神社を中心とした島全体をいい、世界遺産にも登録されている。
世界遺産について・・、
日本三景は他に天橋立(京都府宮津市にある砂嘴)と松島(宮城県松島町を中心とした多島海)があるのは周知であるが、この二箇所いずれも世界遺産登録に動いたが、現時点では「厳島神社」以外は登録に至っていない。 
「厳島神社」が世界遺産に指定されたその基準として、厳島神社の歴史的社殿群が周囲の環境と一体となった景観を呈し、又、その後の日本人の美意識の一基準である精神文化の重要な資産となっていることが条件にもなっている。 建築物は、日本に現存する社殿建築の中でも、平安時代の古い形態の「寝殿造り」の様式を踏襲する重要な見本であり、又、厳島神社は、神道、仏教との所謂、神仏混交と分離の形態が良く現存していること等が理由としている。 そして、平成8年12月、「厳島神社」が、正式に世界文化遺産として登録された。 登録された区域は、社殿を中心とする厳島神社と、前面の海および背後の弥山原始林(天然記念物)の森林を含む区域で厳島全島の約14パーセントを占めるという。 登録された遺産のうち、厳島神社の本社本殿・弊殿・拝殿等の建築物、大鳥居・五重塔・多宝塔建造物群、それにバッファゾーン(緩衝地帯)と言われる「厳島全域」を指している。

社宮の南側、弥山の山麓に厳島神社の別当寺としてそれまで祭祀を行っていた厳島の総本坊「大聖院」(真言宗御室派仁和寺)が在り、ここより「弥山」の頂上への登山道が開かれている。 斜面は、温暖帯の天然記念物の弥山原始林が広がる。弥山は古来より神聖な地域で、人間が自然の力に浸る修行の道場として考えられた。そのために、乱りに樹木を切ることをせず、天然の姿を今に残すことが出来たという。
「弥山に登らずして、宮島を論ずる勿れ」と云われるらしい・・!、又、「日本三景の一の真価は、弥山頂上の眺めにあり」ともいわれている。
「弥山」は、宮島最高峰の山で海抜530m、頂上の展望台からは瀬戸内海が絶佳一望できる。 山頂には大小様々な奇岩怪石が散在し、これに応呼するように806年弘法大師(空海)が開基した真言密教の道場・「弥山本堂」や、その他の伽藍が並ぶ。 特に「霊火堂」(不消霊火堂)は開祖以来、凡そ1200年間途絶えることなく燃え続けている弘法大師の「消えずの火」が灯っている。 
この火を採って、かつては八幡製鉄所の種火や広島の平和公園の「平和の灯」が点じられたという。ところがである、本年(平成17年)5月5日、ゴールデンウイーク真っ最中の午後、失火で本堂が全焼してしまったそうだが、しかし幸いなことに「消えずの火」は、いち早く僧侶が、ろうそくに移して無事だったという。
因みに、最澄(さいちょう・空海と同時期に入唐した高僧、天台宗の始祖)が創建した延暦寺の総本堂である「根本中堂」の本尊、薬師如来像の前には「不滅の法灯」(消えずの火)が開山以来1200年にわたり灯され続けている。

その弥山には登らなかったが、神社そのものの余りの美事さに感服しながら帰路に就いた。途中、宮島名物「紅葉饅頭」を自己土産に買った。

次回は、岩国・「錦帯橋」です 

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