『日本周遊紀行』

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日本周遊紀行(137)坂梨 「三地方の追分」  .




なまこ壁が昔の風情を残す「坂梨」




「坂梨」は、豊後地方と日向地方、そして肥後地方の「追分」である・・

田園風景の国道57を行く、阿蘇外輪の山並みが行く手を遮るようである。
平地を過ぎて山間地に入った頃は既に肥後・熊本県の「波野村」である。 

山地といっても褶曲した山様ではなく段々状の斜面になっている。
そこは高地冷地ゆえの自然条件を活かした野菜作りの広大な畑が広がる。
この辺りは「そば」と「キャベツ」の生産で名高いという。


国道沿いに「道の駅・波野」があり波野神楽のインフォメーションセンター、「神楽館」が在り、神楽を観賞しながら特産のソバを賞味できるという。

南に外輪山の「根子岳」の勇姿がひときわ豪快に望める。 

道脇に「すずらん自生地」の看板が所々に見られる。 
「すずらん」は本州中部以北の高原や北海道に多く自生しているが、九州地域で野性のものが見られるのは珍しい。 


急な登りの大曲を登りきると「滝室坂」とあった、見晴らしのようところである。 
南へ約1kmの外輪山の絶壁に名所の「古閑の滝」がある。
寒期には全面氷結することで知られ、この氷を民家では氷室に蓄え、病人用に保存したことから滝室の地名が生まれたという。


ヘヤーピンの急カーブから見えてる風景は阿蘇内輪のお馴染みの風景であり、下りきったところが「坂梨」である。 
国道沿いの坂梨は今となっては変哲もない田舎の風情のようであるが、往時は豊後街道の宿場町として大いに栄えたところだという。 

肥後から来ると豊後街道と日向(野尻)往還の追分け(道が左右に分れる所、分岐点)の地であもり、滝室坂方面(豊後街道)や箱石の峠越え方面(日向往還)を往来する人々の旅人宿や商屋、医者等の屋号を持った家々が軒を連ねて大変賑わい栄えたという。 
特に加藤清正公が豊後街道を整備した後、参勤交代は勿論、行商や荷駄を運ぶ旅人が多く往来するようになったともいい、又、肥後と豊後の国境付近でもあったので関所の機能を持った番所も在ったところである。


現在の国道を50mほど南へ行ったところが旧街道で、国道265(日向往還)が分岐する辺りを中心に、東西に連なる宿場の面影が今も残る。 
清水が流れ生け垣や板塀、格子戸や鎧壁の間に常夜灯や軒灯が灯る、そんな風情と人情が「坂梨」に今も残るのである。 地域住民も旧宿場町の風情を残すべく、懸命に努力している姿が覗える。



阿蘇一の宮、赤水温泉の外輪山荘は先日通過した地点で懐かしい、立野のことも先刻記した。


大津から九州道の熊本I・Cへ乗り、ここからから南下して「八代」を目指す。 

カーナビには載ってないが九州高速道は八代で九州本道と新しく完成した南九州道の分かれていて、日奈久まで延びているようである。 
沿岸道なのに山が険しく迫ってきているためトンネルが多い、過ぎると「田浦」であった。

「道の駅・田浦」があり、時刻的にここで一服しばがら昼食を摂る。道の駅エリアの上部天井には工事中の高速道が在り、日陰になっていて都合がいい。 
時折吹き寄せるそよ風が気持ちいい。 

実は熊本地方は本日、最高気温の32℃を記録している、すでにカンカンで暑いはずである・・!。 
尤も、今日が特別暑い日という訳ではない、連日の好天で気温も上昇し、30度前後を記録していて小生も暑さでイササカ閉口しているのである。

次回は球磨・「人吉


『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



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 日本周遊紀行(128)北里 「北里柴三郎」  ,





北里は第1回ノーベル賞の最有力候補となるが、「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外された・・!!、


サッパリ気分で「黒川温泉」を後にする。
粋な川端通りから橋の袂に来たとき、河原近くに共同浴場の「穴湯」がこじんまりと佇んでいて入浴料100円とあった。 

先ほど来た道を一旦小国町まで戻り、熊本、菊池から延びている国道387を行く。 
途中、北里地区(小国町)に「北里柴三郎記念館」があった。 細菌学者で医学博士の北里柴三郎の生家であり出身地である。 

この辺りの地域名は「北里」と称しているが、元々、肥後の国・北里村であったようで柴三郎は江戸末期・嘉永5年に、この村の庄屋の倅として生まれている。当時は「北里村の柴三郎」という呼び名であったろう。


江戸時代には「苗字帯刀」(姓名を唱え、刀を腰につけること)は武士だけの特権であり、身分を示す象徴としての役割を果していた。 
しかし庶民の中でも特に家柄や功績によって、又ある場合には御家人株の売買などによって苗字帯刀が許されることもあった。 
その場合は一代許可、永代許可、名字のみ、帯刀のみの例もあったようである。 


1870年(明治3)に太政官から苗字差許し(さしゆるし)の布告が出されたが、市民は苗字がなくても特に不自由しないので苗字を名乗ろうとはしなかった。 
しかし、明治政府は戸籍整理のため1875年には苗字を持つことを強制、義務づけられた。 

同時に帯刀については、同じく1870年に庶民の帯刀は禁止されている。 
苗字の付け方は各々自由だったらしく、山の方に住んでる人は山に関係した呼び名で山本、山下、山中・・、海辺の人は浜中、浜内、内海・・、村や地域の名を取って付けた人はその土地の功労者や責任ある立場の人であったろう。 

北里家は元々村の庄屋であったので村の名を名乗ったのかもしれない。 
因みに、9月19日は「苗字制度の日・苗字の日」、2月13日は「苗字制定記念日」である。



北里柴三郎は細菌学者として野口英世と並び、世界にその名を知られる。
小生在住(厚木市)のすぐ近く、神奈川県相模原市北里地区に北里大学病院があり何度か世話になったが、近辺の人達にもかなり評判が良い病院のようである。むろん、北里柴三郎が創立した病院である。


明治中期(1901年)、日本最初のノーベル賞の受賞確実とされたが、偏見にて除外された事は「知る人ぞ知る」であろう。 

この時、共同研究者であったベーリング(ドイツの医学者)と共にジフテリアの血清療法を発表し、その功績により1901年の第1回ノーベル賞の有力候補となるが北里は「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外され、べーリングのみがノーベル生理学・医学賞を受賞したという。 

この件に付いての資料が近年発見され、初期のノーベル賞受賞選考の際に明らかな人種差別があった事の証明となり、ノーベル賞の「負の歴史」として残されているという。



北里柴三郎は明治4年(1871)熊本医学校に学び、更に東京医学校(現東京大学医学部)に進んでいる。卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホ(ドイツの細菌学者、炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者)に師事する。 

ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので世界の医学界にその名を留めた。 

帰国後、福沢諭吉などの援助により伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡を残す。
この研究所では野口英世(福島県猪苗代の貧農家の出身・日本の世界的細菌学者で黄熱病や梅毒等の研究で知られる、研究中に自身も感染して51歳で死去)なども学んでいる。 

福沢諭吉の没後の1917年(大正6年)、彼による長年の多大なる恩義に報いるために遺志を継ぎ、福沢の創立した慶應義塾大学に医学部を創設し初代医学部長・付属病院長となる。

新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力したという


又、明治以降多くの医師会が設立されたが、一部は権威争いで反目しあうなど、ばらばらであったが1917年(大正6年)、柴三郎は全国規模の医師会を統合し初代会長となって大日本医師会が誕生する。
その後、医師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあたっている。
昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に多大な貢献をしたのである。

次回は、「湯布院



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 日本周遊紀行(127)南小国 「黒川温泉」   、



イメージ 1
黒川温泉入口の案内板


イメージ 2
黒川温泉・日本の秘湯「神明館」(橋向うの玄関)



イメージ 3
神明館の名物の手彫り浴槽「洞窟風呂」




今や、全国人気No1と言われる黒川温泉も、克ってはそれなりの苦労が・・、

筑後川源流の一つ、田の原川に沿って進むと洒落た田舎つくりの茶屋があった。
そこに「夫婦滝」とカンバンがあり駐車場もあったので覗いてみた。
茶屋の裏側を辿ると薄暗い樹林に囲まれた田の原川に、二筋の渓流から左右に分かれた大小の滝が落ちていた。 

山歩き」を趣味の一つとしている小生にとっては珍しくも何とも無い滝であるが、縁結びの滝として知られ、若い男女が訪れるスポットにもなっているとか、国道のすぐ横にある好条件で、普通の観光客には喜ばれるのかもしれない。


この国道442は別名、日田往還・九州歴史街道と言われる。 
日田と竹田を結ぶ参勤交代の道で田の原や黒川はその中継地にあたり大名や旅人たちが温泉に浸かり、旅の疲れを癒し、一時の休息をとった地である。 
今は車がガンガン通る舗装された道であるが、所々に昔の面影が残っている。 

黒川から先の瀬の本高原までの道筋には、今も美しい松並木が所々に続く。 
松にきく虹の道」と、チョット意味不明だが地元の人は愛称で呼んでいるらしい。


鄙びた「田の原温泉」を過ぎると間もなく黒川温泉の入り口にきたようだ。その名の通り黒い看板に達筆な文字で「黒川温泉」と記してある。 
上流に到ってかなり小幅になっている田の原川の洒落た木橋を渡る頃には、温泉地らしい佇まいが感じられる。 

渓流の傾斜地、雑木林に隠れるように湯宿が点々と並ぶ山あいの温泉地である。 
風情を眺め楽しみながらゆっくり車を進めると左に温泉街の中心地であろうか旅館組合、休憩舎、駐車場があった。 
粋な造りの組合事務所に大きな色鮮やかに黒川温泉の絵地図が掲げてある。



今、この温泉地は女性(若い女性・・?)にとっては、全国でもナンバー・ワンの人気があると言われる。
ここには温泉街の歓楽的な煌びやかさは無い、緑や花に囲まれた趣向を凝らした特徴ある宿屋が離ればなれに点在しているのである。 
且つ、高温で良質な温泉がフンダンに湧き、この温泉を利用した独特な風情ある風呂、特に露天風呂には定評があると言う。 この各旅館の露天風呂巡りはテレビの旅番組や旅行雑誌には時折取り上げられ、話題になるの

である。そのきっかけとなったのが昭和後期に考案されたという“入湯手形”での湯巡りと言われる。
浴衣でのそぞろ歩きが似合う情緒ある街並みが、女性客に特に支持されている所以であろう。


因みに、九州では話題沸騰中で人気度トップはここ黒川温泉であり近年、一躍脚光を浴びマスメディアなどでも温泉ランキングで日本一に選ばれたりするようになった。 

JTB(旧日本交通公社)では全国でベスト3、人気温泉ランキング全国の3100余の温泉地から大手旅行会社をはじめとする“旅のプロ”が選んだ温泉ランキングベスト100では黒川が第6位にランクされている。 

又、黒川温泉観光旅館協同組合は「第13回優秀観光地つくり賞 日本観光協会会長賞」を授与している。黒川温泉の「景観性」、「地域密着性」、「独創性」などが高く評価されたという。

一昔前までは只の田舎の温泉地で寂れに寂れ、温泉街の存続さえ危ぶまれ、閑古鳥の啼く温泉地であったという。
一時、「やまなみハイウェイ」の開通で盛り上がりを見せたが、再び客足が遠のいてしまったとも。

その後、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え一意専心、一躍奮起し温泉街の旅館、住民一体となった再興策も練られ、様々な案が浮かび上がり、試行錯誤と創意工夫によって創り出されたのが現在の“露天風呂と田舎情緒”を主題とした町造りであったと言う。


話は反れるが、町興しに関連して、北の果て北海道・旭川市、町の人の要望で「旭山動物園」が開園した。 始めは順調だったが次第にジリ貧になり、動物の流行病などでダメージを受け、終いには「市のお荷物」といった“不要論”が起き、市が民間委託をも検討していた。 こんな時期、所員たちは「動物の素晴らしさ、動物とふれあう楽しさを感じてもらい、人と自然とのかかわりに目を向けてもらうのが動物園の役割」という園長の思いを形にしたく、その後職員一同が奮起し、お客さんに動物を見てもらう為のアイディアを次々発案し実行してゆく。 
一般に動物の姿、形を見せることの「形態展示」から、旭山動物園では動物の行動や生活を見せる「行動展示」に力点をおいたそうで、実際に置かれている動物の園舎はどれもこれも、その動物に即した創作造作で一杯なった。 この取り組みが評判をよび、入園者数が次第に増加しはじめ、新しい飼育施設が完成するに及んで、更に人気を呼んで遂に、不動と言われた東京・「上野動物園」を抜いて日本一の月間入園者数を記録するまでになった。
実は、小生もこの旅に出る直前の5月の連休に拝見したばかりであったが・・、“人事を尽くして天命を待ち、後に光明を得る”を地でいくような「黒川温泉」と「旭山動物園」の共通項であった。



案内所で品のいい女性に多々話を伺いながら案内書を頂いて、立寄り湯を戴くため「新明館」を紹介してもらい訪ねることにした。 
温泉地の風情を楽しみながら、ゆったり散策気分で歩くうち、向こうからカラフルな浴衣姿の芳紀な美女・・?三人がこちらに向かってキャアキャア笑いながらやって来る。

「おー、賑やかですね、・・ところで新明館ていう旅館は“こちら”でいいのかな・・?」
「ああ、はい、あたしたち、今、そこのお風呂に行ってきたところなの・・」
「へえ、あんた達、湯巡りですか?」
「はーい・・」
「ところで、新明館はどうでしたか?」
「最高・・!、洞窟風呂が良かったわ」
「おおっ、こりゃいい、あんた達東京からかい・?」
「んーん、近いわね、横浜なの」
「おや、おいら厚木だよ・・一人旅サ」


遠い旅先での気さくな会話が、路上で暫く続いて、・・・

「じゃあ、この先も楽しんでね・・バイバイ・・!」
「おじちゃんもね・・!!、バイバイ・・、」


おじちゃん・・ときた。 

湯上り美人というか何れも、そこそこの顔立ち、体つきで、胸の膨らみが妙に眩しく感じた。 

心の隙間に温かい風が吹き込んできて、チョット上機嫌になって温泉場へ向かった。 
いご坂」という妙な名前の細い路地の石段を下る、気の効いた造りの御茶屋が数件並ぶ。

下りきった所が「地蔵湯」という共同浴場で、瓦屋根が三段に施してある重厚な造りである。
この通りは下川端通りといって、黒川温泉街の中心的位置にあり、その名の通り、すぐ横を清流が水音も軽やかに流れている。


新明館は、この川を渡ったところに在った。 
こちらも黒ずくめの専用橋で、橋の中ほどに小休用の長腰掛が設けてあり心憎い演出である。 
正面が玄関になり、玄関枠をはじめ両脇の格子造りの窓枠も全て黒に統一してある。 
提灯がぶる下がっていて「日本秘湯を守る会」とあった。

この会は、全国の秘湯の連合会という組織を作っていて、全国に160箇所ほど加盟しているらしい。 
秘湯歩きの楽しみにスタンプ帳を発行し、加盟する宿に10軒宿泊すると加盟宿へ一泊無料招待するという仕組みである。
そして、全ての宿には例の提灯が、ぶる下がっているらしい。


早速、湯場を巡る、いずれも川端にある。 
先ず露天風呂へ・・、

広く湯ったりした風呂は自然の岩を刳り貫いたような作りで、その迫力には圧倒される。 
ほの暗く神秘的なムードが漂っていて、お湯は成分のせいか赤茶けているようだ、湯浴場の中ほどに東屋が設えてあり一層情緒を出している。 

余り、長湯はしてられない、次に洞窟風呂である。一旦、川端へ出た10数m先に在り、川向こうの道筋からは一時丸見え状態になるが、熟年の図々しさで委細かまわず腰に手拭い一つで向かう。

これがまた凄い・・!、
ちょっとやそっとの洞窟ではなく正真正銘の洞窟風呂である・・!、

中には連絡用の通路もあって、色々な場所で入浴することができる。
何といってもこの洞窟は、ここの宿の主人が永い歳月をかけコツコツと掘ったものであるらしい、いやはや恐れ入りました。 

湯は無色透明だが岩が茶色く変色するほど成分の濃い温泉で、源泉は100度近いとのこと。微かに硫化水素臭も感じられ、泉質的にも最高の湯である。
帰り際、受付のネエチャンが「女の方はいませんでしたか・・?」という、どうやらどちらも混浴だったらしい。 

先ほどの、芳紀三人女性と、この洞窟風呂で一緒に浸かりながら話ができたらナア・・、などと空想に耽る。
こちらの湯場は「日本の秘湯100選・全国の6位にも選ばれている」という・・、納得である。



さて、当館当主・「露天風呂の神様」と言われる「後藤哲也」氏である。
若い頃は時間があれば人気の温泉地や京都、軽井沢といった観光地を訪ね歩き、何故ここには人が集まるのか、自分の目、耳でじっくり確かめて回ったという。

そこで気づいたのは客がお金を払って泊まりにくるのは“癒しと寛ぎ”を求めるからと気がついたという。 
旅館の使命はストレスを解消し、自然という空間に身を置き、非日常的な時間の流れを思う存分開放されたいという気持ちではないかと。
そして“温泉風呂”は時空を超えて、心も体も最も癒される空間であるべきであると。

そこで後藤氏は日本一の露天風呂造りを決意する。 
23歳の若さで、敷地内の岩山を掘りぬいて客が感動するような幻想的な露天風呂を作ることに取り組む。以後、凡そ10年をかけて岩山を削り、現在の洞窟風呂を完成させたという。

更に京都の庭から独学で学んだ樹木の配置等にも気を配り、よりリラックスできる空間を演出した。 評判は口コミで広がり、後藤氏の勤める「新明館」はたちまちお客で溢れかえったという。


黒川温泉は後藤氏の取り組みをきっかけに、地域興しとしての温泉街全体が同様の取り組みを行い成功した顕著な例であろう。 
それは、周辺の豊かな自然環境、豊富な高温源泉を上手に利用し、情緒ある露天風呂に取り組むとともに、「入湯手形」という形を生み出し、温泉街全体が共生したことによるものであった。

次回は、「北里村



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 日本周遊紀行(127)南小国 「日本で最も美しい村」 



自然資源と地域振興を成し遂げる町・・、


バックミラーに映る阿蘇が次第に遠ざかる。
この街道、国道212号線は別名「日田往還道」と称し、古(いにしえ)の道でもある。
今、南小国町であるが、このまま小国町から杖立(杖立温泉)、大山川の清流を北上すると、その日田に出る。 
大分県日田は「日田市」という呼び名より、「天領日田」といった方が聞こえがいいらしい。

「日田」は周囲を1000m級の山々に囲まれた盆地で、山紫水明・「水郷ひた」として広く親しまれている。
歴史的には、安土桃山時代に豊臣秀吉の直轄地として栄え、その後、江戸期には天領として九州の政治・経済の中心的役割を果たし、それと同時に独自の町人文化も華ひらいた。

日田は全国に知られた木材・日田杉の町でもある。
筑後川上流の自然環境に恵まれた広大な林業地に日田杉が植林され、日田地方の主要産業でもある林業、木材業は日本の伝統的な木造建築を支えてきた。


因みに、「天領」とは江戸幕府直轄の土地のことで、日田は九州管内の6カ国の天領を統括し、幕府・代官所も置かれた所でもある。そのため九州の小京都と言われ政治・経済・文化の中心地として栄華を極め、日田への道路も整備された。

その日田往還は日田を中心に福岡、久留米、中津、別府、阿蘇・熊本方面などへのルートがあり、現在の九州における「国道の原型」にもなっているという。
往還は肥後・熊本藩主が参勤交代に利用した道で、熊本から小国を経由して大分県の鶴崎まで通じ、そこからは船で瀬戸内海を通ったという道でもある。

平成17年3月22日には、日田郡の前津江村、中津江村、上津江村、大山町及び天瀬町と合併し新「日田市」として発足している。

その中津江村は2002年の日韓FIFAワールドカップ開催前、アフリカのカメルーン国の関係者が「カメルーンの景色と似ている・・!」としてキャンプ地に指定、来日が遅れた事で更に注目を浴び、今や日本一有名な村として知られる。

カメルーン国・来村を記念して「思い出のカメルーン・中津江村」とネーミングした麦焼酎なども売られ、人気を博しているという。 現在は、日田市に編入されている。



大観峰を下った最初の街が「南小国町」である・・、 

外輪山系の水系を集めて、やがて九州一の河川となる筑後川の基部に当るのがこの町である。 
町といっても繁華街があるわけでもなく山懐に抱かれた閑静な町であり、一見、何の変哲もない人口5000人足らずでの日本国中、何処にでも在るような普通の街でもある。 

しかし、日本でも有数の自然観光地である雄大な阿蘇、九重の山麓に位置し、山里の静かな温泉等で訪れる人、宿泊客が年間27万5千人、一般観光客が100万人というビックタウンでもあり、今や九州で1、2を争う人気温泉地となっている。 
克っては、日田と竹田を結ぶ参勤交代の道の中継地で、大名や家臣達の疲れを癒す場でもあったという。

この町は、「日本で最も美しい村」連合というのに加盟しているらしい。 
この連合は北海道・美瑛町が主唱・提案し、全国に呼びかけて連合国ならぬ連合村を形成している。 
この連合の主たる目的は、素晴らしい地域資源を持ちながら、過疎にある美しい町や村が「日本で最も美しい村」連合を宣言することで、自らの地域に誇りを持ち、将来にわたって美しい地域づくりを行うこと・・としている。


連合に加盟するための条件は・・、

1 人口が、概ね1万人以下であること
2 人口密度が、1平方Km当たり50人以下であること
3 地域資源が2つ以上あること
4 連合が評価する地域資源を活かす活動があること


地域資源とは、景観−(生活の営みにより作られた景観)、環境−(豊かな自然や自然を活かした町や村の環境)、文化−(昔ながらの祭りや郷土文化、建築物)などをいう。 

活動とは美しい景観に配慮したまちづくりを行っていて、住民による工夫や地域活動を行い、地域特有の工芸品や生活様式を頑なに(かたくなに)守っていることである。

昨今、地方分権、地域振興が声高に叫ばれ、国からの財政負担が減少する中、上記の地域造り、町造りに関する事例として、一つのヒントにもなりそうである。

昨年(2004年)、南小国町と北部の隣町「小国町」との合併の是非を問う住民投票を実施した結果「賛成」・828票、「反対」・2407票、投票率 79.16%で否決されているという。 
小さな地域が国の方針に逆らい、自信を持って地元振興を成し遂げる姿がよい・・?。尤も、この町は好条件が整いすぎてはいるが・・!。 

ところで現在、「日本で最も美しい村」連合に加盟している地域は美瑛町(北海道) 赤井川村(北海道)、大蔵村(山形県)、白川村(岐阜県)、大鹿村(長野県)、上勝町(徳島県)、そして南小国町(熊本県)である。 
また、町内近隣の温泉郷は満願寺、田の原、小田、白川の各温泉と黒川温泉が在る。

今からこの地区に在って、全国区にもなった人気の「黒川温泉」を訪ねる。
北の隣町「小国町」から国道442号線へ回って田の原川沿いを行く。

次回は、人気の「黒川温泉




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 日本周遊紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」   、




イメージ 1
写真:阿蘇外輪山の「大観峰」より、



昭和天皇が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した。すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという、それが計らずもギャグになり陛下も気が付いて思わず苦笑されたという・・!




再び、県道11号を走る。
はじめは市街地の道であるが次第に田園地帯になり、やがて、 森の中をヘアピンカーブで阿蘇外輪山を登り、登り切ったところに城山展望台が在った。 

先ほど来た道筋を目で追ってゆくと、阿蘇山にたどり着く、中岳の白い噴気が緩やかに風に靡いていて実に望洋たる風景である。 
大草原の道・県道11号は、その名も「やまなみハイウェイ」といって大分県の九重・飯田高原から湯布院、別府へ到る。 強いて言えば熊本から阿蘇を経由する一大観光高原ルートなのである。


小生は此れより外輪山の大観峰から今人気の黒川温泉へ向かうこととする。
この旅の目的は日本海道一周であったはずである・・?、
その通りであるが、何故内陸へ・・?、

実はこれより別府へ向かって、そこで3〜4日別府の温泉で旅の疲れを癒し逗留をするつもりなのである。 

又、他の理由もあって、数日後に(6月10日)妻及び娘家族と鹿児島で落ち合い合流するつもりなのである、その為の日数調整でもある。



先へ進もう・・、
草原の中の道が“これでもか”・・、というくらい続く。 
しばらくして「やまなみハイウェイ」の県道11号・ 別府一の宮線とは分かれて左へ進むようになる。 

幾つかの牧場を通り過ぎる、所謂、牧歌的風景とはこんな所を指すのだろう、ドライブ好きにとっては、まさに「生き天国」のような道である。 
爽風を感じながら鼻歌気分で、走っている内に「大観峰」へ着いたようだ。


山頂にはかなり大きな駐車場が在り、阿蘇でも人気、有名スポットであることが判る。 
横には立派な売店も用意されていて、この先にピークの展望地が設えてあった。 

大観峰からの眺めは余りにも有名で、先ず、何と言っても世界一といわれるカルデラの真中に悠然と横たわる阿蘇五岳の姿であろう。 
その雄大さは、お釈迦様の涅槃の時の寝姿を思わせるところから、涅槃像(ねはんぞう)とも呼ばれている。 

確かに、東側を頭に仰向けに寝ているようである。 
顔の部分が東に位置する根子岳で、首の部分が日ノ尾峠と凹み、胸が最高峰の高岳、中岳と並び、膝のところが烏帽子岳あたりに相当するのではないか・・、と勝手に想像しているが。

直下には、田園の中に阿蘇で最大の温泉地・内牧温泉郷が望める。 
夏目漱石や与謝野鉄幹・晶子夫婦もここに投宿したという昔からの温泉地で、設備の整った大型ホテルや旅館など大小の宿が30軒余りある。

泉質は含石膏芒硝泉で、神経痛・リュウマチ・創傷に効能があるそうで公衆浴場も9軒余りあり、入浴料もだいたい100〜400円程度で良心的なのが良いと。 
阿蘇周遊の途中に立ち寄るのに良さそうだである、この地から国道212号が曲折を繰り返しながら大観峰まで達している。振り返ると九重の連山も一望できる。 


その雄大な眺めに感動した文豪・徳富蘇峰(熊本を代表する文豪、歴史家、言論人で、太平洋戦争では開戦論者として民衆を鼓舞し開戦へ導いたとも言われる。弟は作家・徳富蘆花)が「大観峰」と名付けたと言われる。 

余分であるが、「大観峰」というのは同意同語で北アルプスの一角、後立山連峰と黒部湖の大パノラマを眺望する、所謂、「黒部立山アルペンルート」のルートの一角にも在ったが。
眺望を意のままにして大観峰から去る。



阿蘇外輪山を下りながら思い出したことがある。 
昭和天皇が阿蘇を訪れたとき、「あれが、阿蘇です」と説明したところ、「あ、そう」と答えた逸話がある。

昭和20年8月、日本が終戦を迎え、国民は失意のどん底に居て、明日への気力を亡くしていながらも米軍はなぜ広島と長崎に原子爆弾を落としたのか、ソ連は何故急に日本に参戦したのか等々冷静に観察しながらも、一方では全国の町村役場では執務が続けられ、交番が普通に機能し、治安は維持され更に、鉄道は時刻表にしたがって運行していたという。 

国土が目茶目茶になって国民、一般人は思考は尋常ではなく、ある種の空白が生じていた。
しかし、日本人の生活意識はしっかりしていたらしく、そのことは世界の常識から見れば驚くべきことであったらしい。


こんな混乱の時期、天皇陛下は戦後の復興のために働いている日本国民を励ますため、日本全国の津々浦々を巡幸し遊ばされたのである。

余談だが、岐阜・高山では人口三万の市に、陛下をお迎えする人々が近隣の村々から18万人もの人々が前の晩から押し寄せ、旅館が無いので市長は映画館を終夜開放斡旋したという話もある。 
又、小生幼少の頃(現、福島県いわき市湯本)、お召し列車(天皇の巡幸列車)が常磐線の湯本駅に到着した際、日の丸の小旗でお迎えし、尚且つ、陛下は親父の勤務していた会社「品川白煉瓦」を訪問され、その時の記念写真を見せてもらった記憶もある。 

そんな中、陛下の九州巡幸は昭和24年の5〜6月にかけて27日間に及んだという。


一般に天皇は何か説明を受けると「あ、そう」と連発することで有名であったらしい。 
陛下が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した、すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという。 
それが計らずもギャグになり、陛下も気がついて思わず苦笑されたという。 

陛下が阿蘇に来られて、何時、何処で、このギャグをとばしたかは定かでないが、県道11号線のやまなみハイウェイの阿蘇外輪山の「山城展望所」へ御立ちになったことは確かであるという。

又、「あの草は何というのか」と御下問されたときに、「陛下、あれはただの雑草です」と答えたという、そしてその人物に向って「雑草という名の植物はない」と窘(たしな)められたともいう。

因みに昭和天皇は生物学者でもある。 
植物や海洋生物の研究にも力を注ぎ、植物学では那須周辺や皇居、伊豆の植物群の研究、海洋生物では特に相模湾のヒドロ虫類(クラゲやサンゴ、イソギンチャクの仲間)に造詣が深く、皇居内に生物学御研究所が建設されているほどである。 

昭和4年、粘菌研究(枯れ木・枯れ葉などの表面にアメーバ状生物:原生動物)の第一人者である南方熊楠より進講を受けられ、粘菌研究でも一流といわれる。 
これまで単独、或いは共同研究で多数の研究書籍を出版・発行している。

次回は、「南小国町





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