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日本周遊紀行(160) 知覧 「特攻平和会館」 、
http://www.c-player.com/_images/archive/d0113J8U0U8L5746MU73RPPAL78U17GQRV0FREO9OON4AVDB17I3F1V/large 写真:特攻平和会館前の実物大の戦闘機(零戦・・?) 以前にも、知覧の項で「特攻」について述べたが、更に・・ 、 食後、ホテル周辺の緑豊かな庭園を孫達とじゃれ合いながら散策したいと思っていたが、ところだが生憎の雨模様である。 代わって広い館内をぶらつきながら、部屋へ戻って孫たちと一暴れした。 テレビがニュース、天気予報を伝えていて、地元地方の予報によれば、本日は「曇り時々雨」と伝えていた。 ぼちぼち出発である。 先ず、景勝「池田湖」へ向かった。 近くを通るR226(南薩道路)を池田湖の南部から辿ってみた。 薩摩富士の開聞岳が至近のはずであるが、今は靄に煙っていて、その姿はホンノリ見えるのみであった。 それでも僅かながら三角錐の形が幽かながら見て取れた時、「ヘー、あれが薩摩富士か、やっぱり富士山だな・・!」と婿殿が感心していた。 西側湖畔を行くが、湖面は灰色に沈んでいて、この辺りは鹿児島南部の景勝地の一つでもあるが、この日ばかりは、その美事さは感じられず、その辺の湖沼と変わらないような陰気な様子で佇んでいる。 やはり、自然の景観は晴れた日の、太陽の下での立体的な輝く姿が、より印象的であろう。 小生が先日訪れた湖畔の園地を訪れてみたが、やはり、小雨に煙ぶっていて芝生は濡れて歩きにくく、本来、湖面より浮かび上がる薩摩富士の勇姿は、こちらも同様であった。 指宿スカイラインを、昨日とは逆に北上する。 知覧付近は、例によって延々と(遠々と・・)茶畑が広がっている。 静岡に次いで西日本一の知覧茶の産地ということで、皆々驚いていた。 先ず、知覧の「知覧特攻平和会館」へ既行者として案内する。 特に子育て真っ最中の若夫婦にはジックリ見てもらいたいのである。 幸いに館前に着く頃には、すっかり明るくなって雨も上がってきたようだ。 広ーく、整備された公園を孫達は、跳ねるように車から飛び出していった。 その先は、やはりあの二機の戦闘機が外部展示してあるところであった。 「ワー・・飛行機だ・・!」 乗り物に興味を持ち始めた4歳の男孫である。 「かっこいいナ・・」実物大の飛行機を、こうやって触りながら見るのは、勿論初めてだろう。 父親も「おお、スゲー!!」といってニコニコ顔で一緒に写真に納まっていた。 所定の入館料を払って全員で入場した。 先ず、壁一面にずらりと並んだ1036名の若い顔の遺影、達筆で書かれた遺書品々、日の丸への寄せ書き等々、小生は、一応拝見しているので冷静であったが、若夫婦をはじめ、年寄りの義母、そして上さんも、それらの品々に食い入るように観ていて、徐々に吸い寄せられていくようである。 面白がっていた孫達も親と一緒に眺めてて「これ、ナーニ・・?」と質問されて、親は説明、返答に窮しているようだが、そのうち飽きてきて嬌声を発し、飛び跳ねはじめた。 子守は勿論、小生である。 大人の真剣さと、孫の無邪気さが好対照で面白い・・?。 近くで見物していた茶髪の少女・女学生風の数人が「ウッソー・・」、「マジ・・?」などと言って、俄かに信じられない風であったが、次第に食い入るように特攻隊員の遺書を読んでいる姿が見て取れる。 当時、桜の小枝を打ち振って特攻隊員の死への門出を見送る知覧高女の女学生達がいたのはご存知かな・・?、 これら隊員たちを見送ったのは、丁度貴女たちの年代でしたよ・・!。 次回は、知覧・「特攻隊員」 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係) 「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm 「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/ 祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm
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鹿児島
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日本周遊紀行(159) 指宿 「ホテルと温泉」 ,
http://www.c-player.com/_images/archive/d011KCR6HUN1JQ9PD0UJTA3UII50LMNIRSJ2AJUCFVTDJ4526ADLCVL/large 写真:指宿フェニックスホテル 「砂蒸し湯」の周りで、孫たち3人も素っ裸で・・、 「指宿フェニックスホテル」は、指宿名物・砂蒸し風呂や洞窟露天風呂で人気があるようだ。昨夜は、我が家族一行が到着しだい、これらの名物風呂を堪能した。 娘夫婦と上さんが「川の字」になって砂に埋もれている。 係員に許可をもらって孫3人も素っ裸で川の字の回りを、はしゃぎながら砂を掛け合っている。 「顔に掛けちゃ駄目だよ・・」、 「はーい」、 「ハーイ」、 小生は先日体験したので、今回は遠慮して孫の監視役である。 砂湯は先ず、受付の係りのおばさんに案内され、手早く浅い穴を砂に掘り、頭を乗せる枕代わりに一箇所砂を少し高く盛り、その上にタオルを敷く。 その穴に横たわると、今度は身体の上に砂がかけられていく。 上半身から下半身へ、勢いよく砂を乗せられると下腹部に重さを感じる。 顔以外すべて砂に埋まったら、後はおとなしく10〜15分そのままボーッとしている。 すると、砂はじんわり温かく知らぬ間に汗が出てくる。 低温火傷というのがあるらしく、どんなんだか不明だが、そんな時は身体をモコモコ動かすといいらしい。 砂の重みのせいか、ズキンズキンと自分の脈動を感じるのである。 まあ、この砂の重さと温かさが心地よいのである。 砂むし温泉は、いわば天然のサウナであり、砂の重みはマッサージ効果もあるようで、あつい砂の中に体を横たえるとじわじわと温まり、爽快な汗とともに気分もすっきりリフレッシュできる。 指宿の旅で、思い出一つの体験としては絶妙であろう。 次に、砂を落して広大な室内浴場、露天風呂へと浴槽入浴に移る、孫達とっては遊園地のようなプールである。 幸いにと言うか、この広い浴場に他の客は誰一人居無く、貸切り状態なので気兼ねは不必要であった。 ただ、孫たちが勢いよく突走って、転ぶのが心配だったが。 大浴場、露天風呂とも展望もよく、気持ちよくレフレッシュできた。 指宿温泉は、薩摩半島の南端の海岸沿いに5kmにわたって湧き出る温泉で、豊富な湯量に恵まれ、市内いたる所から湧き出る。 一日の温泉湧出量は約12万t、泉源は約800箇所在ると言わ、源泉温度は60から80度の高温泉で、泉質のナトリウム・塩化物泉は神経痛、筋肉痛、関節痛、胃腸病、肩こり等々に良いとされる。 旅館やホテルが建ち並ぶ温泉街のメインストリートは、フェニックスの街路樹が茂り、年間を通してハイビスカスやブーゲンビリアなどの花が咲き、南国情緒あふれる地域である。 かつては静かな湯治場として親しまれていたらしいが、現在でも町内には10ヶ所程の共同浴場が在り、何れも入湯料200円前後浸かれるという。 今も自炊施設を持つ宿もあり、湯治の長逗留の人も結構いるらしい。 そして、指宿温泉の特徴は、何といっても名物の「天然砂むし風呂」であろう。 摺ケ浜(すりがはま)海岸の砂浜に湧く天然の砂むし湯は、日本唯一の天然砂むし風呂が体験できる温泉地ある。 「砂蒸」そのものも、300年以上の歴史があるといい、近隣の海岸に出て適当に砂を掘れば、場所によっては砂蒸しができる場所がある。 海岸なので海水浴をし、その後、砂蒸しをするという優雅な温水浴ができる。 また、高温の場所に「薩摩芋」あるいは「生卵」を埋めておけば、ふかし芋あるいはゆで卵が出来上がし、味付けは海水で十分であるという。 お風呂の後は楽しい食事である。 ホテルの食事は夕・朝共にバイキング方式で、皆でワイワイ言いながら楽しくガツガツと戴きである。 孫達は爺・婆が世話役で、当の親の娘夫婦は承知したもんで、まかせっきりの素知らぬ顔で箸を口に運んでいる。 もっとも、小生はビール片手に、上の孫とお喋りをしながらの食事で、手は懸からないのであるが。 そんなこんなで、久しく賑やかな一日を家族と共に過ごし、枕を並べて夢路を辿ったのであった。 目覚めると久しぶりの雨の様気である、長々と雨無しのカラカラ渇水期が続ていたので、少々お湿りが欲しいところであるが、家族との楽しい一時である、今日だけは欲しくなかったのが。 孫達は、まるでランダムに転がしたように、アッチャコッチャの寝姿である、夕べの宵っ張りが効いてか未だ未だ(まだまだ)夢の中である、どんな夢かって・・? 幼児も夢見るよネ・・?!。 小生は例によって朝湯である。 上さんも起きてきて一緒に出掛けた。 大浴場から露天風呂の表へ出てみると、柔らかに降る雨は辺りをシットリと湿らせ、庭園の木々は緑を一層光らしている。 朝の入浴は身体を特に洗うことなく、のんびり入って体中の神経の目覚めを待つのである。 サッパリ湯上り後にホテル内をブラついて、後はご一行と朝食である、さすがの孫どもも半睡半眠(半覚半眠・・?)で、時々、ダダも・・!! 次回は、再び「知覧」へ 【小生の主な旅のリンク集】
祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月)
東北紀行2010内陸部
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《山のエッセイ》 「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」 .
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日本周遊紀行(159) 指宿 「孫」 ,
http://www.c-player.com/_images/archive/d011FBRR2UM9IMAD0Q2PTGTO7D3PMM7JCQFUJ31F4OMBDQRHOUCPNGM/large 桜島フェリー 「なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝もの・・」 、 桜島を満喫した後、その国道224号の所謂、袴腰−赤水の「溶岩直線道路」を通り、鹿児島へ渡るためにフェリー乗り場へ向かう。 その前に港の前にある「道の駅・桜島」へ小用で寄った。 赤い四角錐の屋根が印象的な駅であり、意外と人が多いのに驚いた。 例によって、「フレッシュ」が合い言葉の農産品、農産加工品などが地元産が並んでいるが、中でも目に入ったのが、特産の「桜島小ミカン」や「桜島大根」などであった。 上さんが(妻)、気を利かして1袋購入し、早速、手にしたところ実に小さい、皮をむくと1口で食べられるほどである。 そして、この甘さが抜群であった。 孫たちも 「ジージ、このみかん可愛くて、甘い・・!」と、 「そうだよ、お前たちと一緒だよ」 「・・? 」 桜島小ミカンは、ギネスブックにも登録されるほど世界一小さなミカンで、更に「世界一甘いミカン」だと地元の人は云っている。 意外と歴史も古く、島津義弘が文禄・慶長の役の際に朝鮮半島から持ち帰ったと言われている。 更に驚きは、こちらは世界最大といわれる桜島大根が、やはりギネスに登録されているという。 この小さな島の一角に、世界一の物産が二個並んでいるのも稀有であろう。 桟橋へ向かう・・、 すぐ前は既に鹿児島の市街、ビル群が迫っている。 高速道の料金所よろしく、車に全員が乗ったまま代金を払って、そのまま待機しているフェリーに乗り込む。 4階構造の華やかなフェリーで1階が大型車、2階が普通車で3,4階が一般乗客である。 航行時間わずか13分と非常に短い航路だが24時間運行を行っており、一日88便も運行されている。 日中は10分間隔で発着を繰り返しており、恐らく日本で最も便数の多い航路ではないだろうか。 僅か10分少々の乗船時間であるが、船内にはコーヒースタンドや立ち食いソバなどの設備も整っていて飲んで、食っている最中(さなか)に着いてしまう。 出航後間もなく鹿児島からのフェリーとすれ違う、孫たちも大はしゃぎで元気一杯である。 そんな、こんなもしない内に鹿児島埠頭に着いてしまった。 下りてすぐ水族館があって、早速、孫どもが「ねえー、水族館連れてって・・」と強請る(ねだる)。 時間の関係上、どうしても無理なことを説得するのに一苦労である。 日本西南の大都市・鹿児島の市内見物することもなく、(小生は既に済んでいるが・・、)鹿児島中央駅前から一寸、長目の「武岡トンネル」を抜け、九州道の鹿児島I・Cへ飛び乗った。 行き先は「指宿スカイライン」から、今夜の泊まり宿・指宿である。 今日、朝早くから慌しい一日であったろう、車中、孫どもは疲れきって、三人ともすっかり寝込んでしまった。 上の女の子は小生の膝枕で、気持ち良さそうに寝息を立てている。 可愛い孫たちである・!!。 小生宅は子供三人、女、男、女であり、周囲の身内、親戚、友人の子供たちも、皆、偶然ではあろうが子供三人で女男女の順番も同じである。 おまけに、車中の娘の子(孫)も同様なのである。 自分の子供達は飼育・・?に夢中であって「可愛さ」というのは余り実感が無かったようだが、 実際、大泉逸郎の「孫」という唄ではないが歌詞に「何でこんなに可愛いのかよ、孫という名の宝物」・・と本当に可愛いのである。 毎週末にやって来ては「ばばちゃん」、「じーじ」と纏わり付いてくる。 そのうち、おもちゃ箱へ行って、引っ掻き回し、部屋中にカッ散らかして悪さを始める・・!。 「コラッ・・」と怒鳴っても「イー・・」といって逃げてしまう。 親娘は、そんな孫たちには素知らぬ振りでテレビに夢中なのであり、爺・婆の家だから出来るのである。 たまには孫と一緒と遊び、動き回るときもあるが、あのハイテンションの声と動きには付いてゆけず、しまいには疲れてしまうのである。 婿(娘の旦那)も来て夕食をともにした後、間断なく吹き荒れた豆台風が、勝ち誇ったように意気揚揚と引き上げる。 後は、残された爺・婆は、しばし放心状態に陥るのでのである。 外孫であるが・・、外であれ内であれ、孫の可愛さには変わりがない。 外孫であるだけに日々の成長がわかって嬉しいものである。 尤も、内孫も近所にいるのだが、未だ、小さくて実感が無いが、その内、暴れだすのであろう・・!。 今は、車中でジックリ休眠とっているが、その後、ホテルへ着いたら、珍しさもあって一暴れ、二暴れするのだろう。 その時は大いに付き合ってやろうじゃないか・・!。 上さんの実母である義母も、80歳を過ぎたとはいえ未だゲートボール、カラオケにと元気に暮らしている。 長旅の疲れもあり、車には弱いはずであるが、今のところ、それらしい気配はなくホッとしている。 指宿スカイラインは九州道に直結した日本列島の最も南にある豪快なロードであり、薩摩半島の尾根を左右に分けて東には錦江湾が見える観光道路である。 道路は次第に高度をあげ、左側には錦江湾と桜島から立ち上る煙が見え、右側には広々とした尾根が広がっている。 山の頂上を走っているのに景色を遮る木がほとんどないのでロケーションは抜群である。 知覧インター付近には雄大なお茶畑が広がっている。 ここからは小生が先日通った道程であるが、運転はしてないので快適さを満喫できる。 知覧インターを過ぎると今度は道は下り坂になる。スカイラインの終点には、あの池田湖であるが観光は明日に行うとして、このまま指宿市内へ向かう。 先日と同じルートから市郊外のR226を南下して、南端部・指宿枕崎鉄道が交差する辺り、派手に立ち上がっている「指宿フェニックスホテル」に到着した。 白亜の建物で、南国ムードいっぱいの庭園に囲まれた風光明媚な高台に建つ。 広大な敷地の庭園も見ごたえあるし、錦江湾を眼下に右手には山川港、遠くには本土最南端佐多岬まで遠望できる圧巻のロケーションである。 ホテルは、掛け流しの温泉は勿論であるが、洞窟風の露天風呂や中でも指宿名物の「砂むし温泉」も完備していた。 着後、一眠りして元気づいた孫達が、早速、暴れだした・・!! 。 『孫』 曲・唄 大泉逸郎 なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝もの じいちゃんあんたに そっくりだよと 人に言われりゃ 嬉しくなって 下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔 もみじみたいな 小さな手でも いまにつかむよ 幸せを 仕事いちずで 果たせなかった 親の役割 代りの孫に 今は返して 今は返して いるところ 引き続き、「指宿温泉」 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係) 「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm 「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/ 祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm
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日本周遊紀行(158) 桜島 「火山島・桜島」(2) 、
桜島・大噴火・・!! 、 http://www.c-player.com/_images/archive/d010J97S1SJ5MOLH9CD5D2GPVP0ITA261CIMDFUCMO123T3L9CPVPBC/large 写真:大正年間の大噴火の様子(家並みは鹿児島) http://www.c-player.com/_images/archive/d010SNE01PDVGGBPNDLUSPN7L9QR3OHE6IKKDGBJSSFL27A457L06BP/large 黒神地区、黒神神社の埋没鳥居 (以上2点、資料提供鹿児島市) 島名の由来は、ニニギの嫁さんの木花咲耶姫を祭る神社があり、咲耶島(さくやしま)か転じて桜島となった・・!!、 桜島火山は、姶良(あいら)カルデラという南部に生じた成層火山で北岳、中岳、南岳の三 峰と権現山、鍋山、引ノ平などの側火山からなり、人口が密集する鹿児島市の市街地に近接している。 有史後の山頂噴火は南岳に限られるが、山腹や付近の海底からも噴火はしているという。 江戸中期そして大正、昭和等の各年間に発生した大噴火はすべて山腹噴火であり、多量の溶岩を流出し、火砕流や泥流の発生もあった。 桜島は東西10km、南北8km、周囲40km の島であったが、1914 年(大正3 年)の大噴火で山腹から流出した溶岩により大隅半島と陸続きになった。 南岳山頂火口は、1955 年10 月の爆発以来今日まで長期間にわたって活発な噴火活動を続けており、噴出物(火山ガス・火山灰・火山礫・噴石など)や爆発時の空振、また、二次災害としての土石流などにより各方面に被害を及ぼしているという。 南岳山頂火口から2km 以内は、現在も立ち入り禁止となっていて、平成の現代になっても尚、活動は活発といわれる。 平成12 の爆発では火山灰、噴石が噴出する被害を出し、年間の爆発回数も169 回にも及び、鹿児島市周辺でも直径2 〜 3mm の火山礫も飛散したという。 尚、平成14年以降は比較的静穏が続いているという。 この激しくも恐ろしい火の山に、どうして、優雅な「桜島」という名がついたのだろう・・?。 島名の由来については、島内に木花咲耶姫命と夫:瓊瓊杵尊(コノハナサクヤヒメ、ニニギノミコト)を祭る神社が鎮座していて、当初は、島の名を祭神に因んで咲耶島(さくやしま)と呼んでいたが、いつしか転訛して桜島となったとする説がある。 一方、10世紀中頃、大隅守として京都から赴任してきた「桜島忠信」の名前からとったという説の二つが有るという。 桜島は時に、雨が激しいときには大隅半島(垂水方面)から桜島へと渡る国道が閉鎖され、又、常に噴火する可能性があるので、飛来する(かもしれない)噴石避けのための「避難壕」が島内の各所に設置されている。 そして定期的に、人口4,700人の桜島町では、噴火を想定した島からの避難訓練が行われているらしい。 尚、国立公園は何処もそうであるが、桜島の溶岩類は許可がなければ持ち出しはできない。 大正3年(1914年)の大噴火について・・!、 未だお屠蘇気分覚めやらぬ正月12日の午前10時、桜島南岳が轟然として噴火を始め、鹿児島市内にも大量の降灰が始まった。 噴火は次第に熾烈になり、桜島全島が黒煙、白煙に包まれ、更に、上下動の激しい地震が発生、鹿児島市内では家屋や石塀が倒壊したという。 更に、噴火は拡大し、夜になって爆発音は更に激烈になってきて人々は混乱し、逃げ惑ったとされている。 そして、この噴火で流出した溶岩は、それまで錦江湾に浮かぶ文字通り島だった桜島と大隅半島の間の幅400m、深さ72mの海峡を埋め尽くし、半島と桜島は陸続きとなったという。 今も、東部・黒神地区の神社の鳥居は、上部を残す埋没した姿で痕跡を残し、そのすさまじい降灰の量を端的に物語っている。 この時の噴煙は上空8,000mに達し、遠くカムチャッカ半島にまで灰を降らせたといわれる。 当時の様子を誌書には「その状況は筆舌に尽くし能わざる、犠牲者は死者35人、行方不明23人・・、」と記されている。 次回は、「孫」 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係) 「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm 「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/ 祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 【小生の主な旅のリンク集】
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日本周遊紀行(158) 桜島 「火山島・桜島」 ,
http://www.c-player.com/_images/archive/d011H1AKLSP6ASREVD6B5UDA8RUD3I6O1O12E3A36U816GKCV46F6DS/large 写真:有村溶岩展望所よりの「さくらじま」 垂水から桜島へ渡る時、「早崎」なのに「早咲」と命名したのは何故・・? , 油津、南郷、志布志を経て、小生が昨日辿った道を逆方向へ進み、垂水から向かうは火山島・「桜島」である。 途中、きのう見過ごした都井岬へ寄ろうと提案したが、時間の都合上やはり素通りすることにした。 串間辺りの220号沿線には「大黒」という大きな看板が目立つ。 ホテルや温泉施設、式場等の広告看板であろうが、たぶん“だいこく”と読むんだろうけど、我々はどうしても“おおぐろ”と読んでしまうのである。 車中は、次にサッカーの話で盛り上がる、一昨夜、W杯のアジア地区最終予選で北朝鮮との決勝戦で、「大黒」が決定的と思えるゴールを決めたからである。 志布志、串良から鹿屋の錦江湾へ出た。 既に海上から錦港湾に浮かぶ桜島が見え隠れしている。 垂水の変哲もない市街地を通り抜けると、海岸に沿って家並が続く、所々に廃隧道や線路跡らしきものが望める。 そう、克っての国鉄大隈線の跡であった名残である。 先にも記したが、大隅線は志布志町(現・志布志市)の志布志駅から同県国分市(現・霧島市)の国分駅までを結んでいた、国鉄の鉄道路線である。 国鉄再建の特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された鉄路で、志布志から大隈半島を横断して古江から錦江湾沿いを北上して国分に到っていた。 海潟(あいかた)温泉は錦江湾、桜島を望む温泉宿数軒の鄙びた温泉地であるが、泉温は大隅半島唯一の高温温泉で46〜52度の天然温泉で地域の人たちの人気が高いという。 和田辺りまで来ると桜島がチラホラ見えているので、思い切って和田の海潟の波止場へ出てみた。 案の定、忽然と煙たなびく桜島が海上に浮かぶように現れた。 実に迫力あるポイントである。 もしかしたら、この地が桜島のビュウポイント・ナンバーワンではなかろうか・・?、 おまけに、波止場岸壁のすぐ横には、懐かしい「江乃島」がこんもりと浮かぶ、実に気が和む風景であった。 いよいよ桜島へ向かう。 国道220号の垂水市海潟〜牛根間は「早咲大橋」いう海岸海上の大橋を渡る。 それにしても、右岸は急斜面の山肌が迫り、周囲の風景と相まって中々美事な橋である。 なんでも右手の早崎山・火山が噴火の時、火山岩や火砕流が錦江湾に向かった流れた際、急激に冷されて急な崖になったところらしい。 山裾にはかって旧道があったらしいが、過去の集中豪雨や台風の異常気象時に土砂災害を多く受けて、その度に斜面崩壊が発生して交通が途絶遮断した。 そのために、早咲大橋を急遽、建設、開通させたという。 ところで、「早崎」なのに「早咲」と命名したことは何故・・?、 役所の職員に、そそっかしい人がいて正式書類に早崎を早咲と書き込んでしまい、それが認可されてしまった・・?、 などど邪推するが、定かでない。 全長は888mと実にキリが良い・・!、 この数値には懐かしい思い出がある。小生20代前半の頃、実家である田舎町(いわき市湯本)に、888(ぱぱや)という名称の小奇麗な飲み屋(昔のバー)があり、そこのホステスと相思相愛・・?の仲に成ってしまったのである。(これは余計) 渡りきると鹿児島市桜島町である。 桜島は、今でも活発な火山活動を続けているのは周知だが、1914年(大正3年)の大噴火の際、桜島と大隅半島の間の瀬戸海峡が溶岩で埋まり、大隅半島が今のように陸続きになったという。 現在の垂水市であり、その市境を戸柱鼻という。 ここからは国道224号線になり、斜面の山肌は特有のゴツゴツした火山岩で覆うわれていて、別称、溶岩道路(Lava Road)の名が付いている。 桜島が陸続きとなった戸柱鼻から2キロくらのところに「有村展望所」があり、道の内陸側に駐車場、みやげ物屋が数軒並んでいる。 展望所は、1946年(昭和21年)の大爆発で流出した溶岩原の小高い丘にあり、正面に桜島本山を始め、360度に広がる眺めである。 全長1kmに及ぶ溶岩遊歩道の途中にあり、世界的活火山「桜島」の迫力と錦江湾を手にとるように望むことができる。 東屋のある展望所は三か所あり、周辺は溶岩石や火山砂といった荒涼とした風景が広がっている。 溶岩地帯は遊歩道を散策でき、徒歩5分〜20分くらいで、時間に合わせて自由にコースを設定できる。 桜島山を正面に望める溶岩原の中に、「霧島・屋久国立公園・さくらじま」と標板が立ち、撮影ポイントを示しているのだろう・。 「桜島」(桜島町)は鹿児島県の自治体として、町制施行30年余を経過しているが、平成16年11月1日に1市5町(鹿児島市、吉田町、桜島町、喜入町、松元町及び郡山町)と市町村合併を行うこととなり、新鹿児島市として発足、その長い歴史に幕をとじている。 桜島は、鹿児島市の東方わずか約4km先、鹿児島湾(錦江湾)上に位置し、現在も活動を続けている活火山がこの半島を形成している。 整った山容を静かな錦江湾に浮かべ、湾に面する各地域から眺められる秀麗な姿は、全国に例を見ない景観でもあり鹿児島県民の心の拠り所であろう。 桜島の大部分を構成する「御岳」と呼ばれる山岳は、山頂部分が南北に並ぶ北岳、中岳、南岳から成り、山腹部分にに多くの側火山を配している。 山裾が海まで伸びているため平地はほとんどないが、北西部と南西部の海岸沿いに比較的なだらかな斜面があり、農地として利用されている。 山(桜島火山島)の大きさは、周囲55キロメートル、最高峰・北岳の高さ1117mで、円錐形の上半分が切断された半コニーデ式の火山である。 外周する道路は、北部は県道26号(桜島口=袴腰〜早咲大橋)と南部の国道224号で、国道は島内だけの僅か14km足らずの短い路線であり、袴腰−赤水の2キロ余は一直線に駆け抜ける「溶岩直線道路」と言われ、桜島避難道路としても使用されている。 海側を通っていた従来の国道は観光用道路として残されている。 引き続き、火山島・「桜島」 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係) 「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm 「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/ 祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm
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