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母智丘は巨石文化の跡・・?、
先ず、九州南部の火山について・・、
九州南端の鹿児島から、大分県南部を含む九州中央部まで、これらの地域の地表面から深さ10〜70cm付近には、橙黄色のガラス質火山灰が堆積しているという。 この火山灰は、約 6,300年前に「鬼界カルデラ」が生成されたとされる大噴火のさいに噴出したもので、「アカホヤ」とも呼ばれ、地元・宮崎県の農家の人たちが付けた呼び方であるという。
平家物語でも有名な鬼界ヶ島であるが、現在の場所ははっきりしないというが、鹿児島県南部の海域である薩南諸島の島のいずれかと考えられている。
鬼界カルデラを形成した噴火はとてつもない大噴火で、上空高く舞い上がった火山灰は日本列島を縦断し、東北地方まで達しているという。 火砕流という 噴火現象は、最近では1991〜1995年の雲仙普賢岳噴火が思い出されるが、噴火の規模は、雲仙普賢岳などは対象外で、何でも、富士山1個分が全部吹き飛んだくらいの規模に相当するともいわれる・・?。
カルデラ形成を伴う大規模な噴火は、日本列島では1万年に1度くらい発生しているらしいが、有史時代以降には例がないという。
人類としては、6000年前もの縄文人が唯一の目撃者で、残念なことに当時の縄文文化はこの時、一旦、ほぼ壊滅状態に陥ったことが推定されている。 大規模な噴火は、文明をも滅ぼすほどの大影響が有ったとされている。
鬼界カルデラは、鹿児島県の南方に位置する竹島や硫黄島(京・鹿ヶ谷で平家打倒を企てた「俊寛」僧侶達が流された島として有名)などの島々は、カルデラの縁の一部で、その殆どは海中に没しているという。 因みに、鹿児島県下には他に、凡そ2万4、5千年前に鹿児島湾奥に生じた姶良火山というのもあり、桜島は姶良カルデラの外輪火山に相当するものともいう。 九州は、中央部の阿蘇から南部まで火山王国でもあった。
母智丘に巨石を奉ったとされる縄文人、あるいわ有史以前の人類は、この巨大な火山活動で絶滅の危機に陥ったことは確かだそうで尚、知恵をもって一筋の生命を絶やさなかったのも事実であるとされている。
そして、再び、巨石について・・、
石と人との付き合いは、つめれば人類が発生した当初から有ったと想像されてる。
道具として初め使用したのは「自然石」であっただろうが、後には石を加工して使用するようになり、生活用の備品としても使われた。 以降、人間は自然と石を崇敬するようになり、ここから巨石文化、文明というのが日本を含め世界中に広がったとされている。そして、これらは遺跡として現在に残されている。
巨石文明遺跡とは、明かな意志を持って人が築き上げた建築物であり、自然の悪戯で移動や加工された岩ではない。しかし、巨石文明という言葉が生まれたように、数千年前のある時期に極めて広範囲に渡って巨石建造物が出現したことは事実であり、このような慣習が広い範囲に渡って生まれた背景は、尚、考察すべき価値があるといわれる。
有名なエジプトのピラミッドのように、古代史の一角に占めるものはともかく、石器から縄文時代において、巨石を加工し、運搬し、高位に揚げる技術は超人間的行為とされて、更に、研究推考が残されているという。 いずれにしても、巨石文明は人為儀礼、太陽崇拝、天文台説などに繋がるともいわれる。
現在、普通に見られる神社などの「鳥居」というのは、この世に人間が突然産み落とされた時、最初に創られるた崇敬による巨石のカタチであるともいわれ、それが今の鳥居としての継承されているとも言われる。
母智の丘の巨石は、麓から積み上げた超人間的な造作物か、霧島辺りの大噴火で吹き飛んできて堆積した自然造詣のものかは、尚、創造、研究が待たれるともいう。
尚、この神社に似たような巨石に縁が深いと言われるのが、隣の山田町に在る「東霧島神社」(つまきりしま)であるという。 ここの階段は自然石でてきており、「鬼が一夜にして積んだ」という伝説がある。 神石といわれる別名、「裂磐(さくいわ)」もあり、巨木と巨石の林立する境内は、古代人の祭祀跡や住居跡があったともいわれる。
東霧島神社、母智丘神社とも天孫降臨の「高千穂の霊峰」が望まれ、尤も、都城の町からも高千穂峰を主峰とする霧島連山が仰げる。 地元の人は、高千穂峰のことを「おてんじょだけ」といい、「御天上獄」と書いているらしい。 昔から都城盆地内に住む人達の祖先は、この山を「父なる山」と崇め、こう呼んできたという。
次回、「グッバイ・ファミリー」
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