『日本周遊紀行』

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 日本周遊紀行(201)宮津 「天の橋立・南」 .




伊根の風景を満喫し写真に収めて、来た道の国道178を折り返す。 
序に先ほどとは反対側に位置する「天橋立」の南側へ立ち寄ってみた。 

こちらは賑やかなメイン観光地らしく、北側の静けさと違ってお土産店も多く並び、人通りも多く、智恩寺という由緒ありそうな寺院もあった。 
そこの豪壮な山門の奥に「文殊堂」という本堂があった。


日本三文殊の一つだそうで文殊菩薩の霊場、智恵を授かる文殊さんとして有名で、受験や資格試験などの受験生にご利益があるという。 
文殊菩薩は、昔からの喩えで「三人寄れば文殊の知恵」でもお馴染みの知識の仏様で、普賢菩薩とともに釈迦如来の左側の脇侍をつとめ、(この三体を釈迦三尊という)単独でも広く信仰されている。 


文殊は、右手に剣を抱え、左手に知恵の象徴である蓮華経巻を持つ、そして獅子に跨った姿が一般的である。 
経巻は智慧の象徴、剣はその智慧が鋭く研ぎ澄まされている様、獅子はその智慧の勢いが盛んであることを表現しているという。
 

ところで「文殊」は実在の可能性が高いとされる菩薩だともいわれる。
智恵・理知の働きの実例として、釈迦の弟子たちの中で非常に聡明で大乗仏教の奥義にも通じていたとされる維摩居士(ゆいまこじ:維摩経)という人物がいて、彼に議論を挑んだが殆どの者が次々とやりこめられたという。 
しかしただ一人、文殊菩薩だけは対等に論議することができたという。


尚、居士(こじ)とは、出家をせずに家庭において修行を行う仏教信者の事であり、居士の語源は「家に居する士」である。 
普通の信者と異なる点は、仏教学の知識・実践において僧侶に準ずるか、或いは匹敵する程の力量を持っている修者のことである。 

日本においては、その道に通じ、奥義に達した者として居士が与えられて者もいる。 
剣豪・山岡鉄舟や仏教学者の鈴木大拙、西田幾多郎等々であり、現在でも居士号を取る程の修行を積んだ人の中には、剣道や弓道の達人がいる。 
戒名における居士号は法名の敬称の一つであるが、ただ、江戸時代には百姓農民につけるのは禁止されていたという。
 


右手の廻旋橋を渡って天の橋立へ向かう。
たまたま、観光船が通るところで、欄干を朱色に染め上げた「廻旋橋」がゆっくりと90度回転している。 
これで船の通路が確保でき、小型船(漁船)や観光船の通行が出来るようになるのである。 この観光船は対岸の一の宮・籠神社へ10数分かけて、天橋立を見物しながら往来しているらしい。

因みに、この廻旋橋を渡ったところが細長い1つの島になっていて、これを「小橋立」と称している。 
更に次の橋を渡ったところが「大橋立」といって、そこには約7000本の松の木が繁り、幅20から170mほどの砂嘴(さし)が3.3kmほど続いていて対岸の丹後一の宮・籠神社に達している。


次回も「天の橋立




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この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない
<吉川 英治>



日本周遊紀行(200) 伊根 「伊根の舟屋」 .




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写真:伊根の舟屋(2枚)




丹後半島の先端「伊根」を目指す・・、

海よりの国道178から望む宮津湾は長閑で実にいい。 
養老地区からやや内陸に入ってトンネルを抜けると伊根の街である。
だが、目的地は更にこの先である。 

更に、伊根湾沿いの海岸を行くと、湾に浮かぶ青島の姿がホンノリしてて景観を造っている。小学校の手前から細い路地をゆっくり進むと、舟屋の路地裏らしく合間に海辺の舟屋の姿が見え隠れしている。 

波止場の一角に着いた途端、入り江に湾曲した舟屋の全体の姿が望めた。 
伊根町は複雑な海岸線と深い伊根湾から成る港町で、伊根湾の周囲5kmには約230軒の船のガレージ、「舟屋」が建ち並んでいる。 
その風景は誠に壮観であり、伊根町独特の詩情を漂わせている。



伊根は、古くは「伊禰の浦」と言い、その名称については古代から呼ばれていて、西暦初頭の古文書にも「伊禰の浦より貢を奉る」ときされてあるらしい。 
古くから丹後地方の漁業の中心地であり、湾口に青島を浮かべ、波静かな伊根湾に集落を築いたという。 


元禄2年、当時の学者、貝原益軒(かいばらえきけん)が書いたといわれる「丹後与謝海図誌」によると・・、

『 伊禰の浦は・・・名也、伊根は惣名にして凡、日出より亀島村まで入海の裏向なり、晴岸の勝景なり。丹後鰤というのは此処にてとる。鯨などもとる也。 』 
と記されており、徳川中期の頃まではイルカ、鮪、鰹、鯨等も盛んに捕っていたらしい。
 

海辺に独特の造作を施してある魚民家・「舟屋」は、江戸時代中期頃から存在しているという。 
昭和初期には大部分が二階となり、何時でも舟が出せるように若者が寝泊りし、青年同士の交流をする場にもなり、これを「若衆宿」とも呼ばれた。  

この舟屋は海面すれすれに建てられているので、満潮時ともなれば、あたかも家が海に浮かんでいる様な景観となり、全国にも珍しく、波の荒い日本海では他に見ることのできない詩情を漂わせる。


舟屋の構造は、土台や柱は「椎」の木を用い、梁(はり)は松の原木を使用してがっしりと組んであり、舟屋の間口は二隻引、三隻引といって、まちまちの大きさがあるが、どの舟屋も「妻入」(対語:平入)姿をもち、海側に小さな一定の窓が見られるのも特色の一つである。

舟屋は元来階下に舟を引き込み、二階は縄や綱などの漁具を置く物置場であり、雨や雪の多いこの地では、網の干場でもあった。


現在の舟屋は往時の面影はなく、舟の格納のみにとどまらず、構造空間を巧に利用して一階は舟揚場、物置、作業場をもち、出漁準備、漁具の手入、魚干物の乾場、農産物の置場等多種多様に使用されている。 
又、トイレ、浴場等も作られているて所謂、二次的な生活の場ともなっている。 

最近では伊根の集落や舟屋は、観光的要素をもつようになり、そのため二階は客間などに改造され、数は少ないものの民宿なども営まれているらしい。 

或る民宿経営者は、「海に接している舟屋の一夜」を体験できるのは良いが、中には寝相が悪かったり酒に酔った人などは、いきなり海へ落ちてしまいそうで心配でもあるともいう。


舟屋の立ち並ぶ湾内をじっくりと眺めるには遊覧船がよく、沖から「かもめ」と一緒に「舟屋」や「青島」の素晴しい光景を約30分ほど楽しむことが出来る。

1993年4月からのNHK朝ドラ『ええにょぼ』が放映された。
主演の宇佐美悠季に戸田菜穂、 夫に榊原利彦の物語で、 宇佐美悠季の実家がこの伊根の舟屋であった。


ところで、この度水産庁は「未来に残したい漁業、漁村の歴史文化的財産百選」、所謂、「漁業漁村百選」を発表した。 
漁村に残る歴史的・文化的に価値の高い施設や現在では貴重な工法や様式の施設など、未来に残したい漁村の施設を漁業漁村百選として選定している。 

既に北海道から九州まで名だたる漁業・漁村が選ばれていて、当、京都府伊根町の舟屋も「伊根漁港と舟屋の景観」として当然選ばれている。 又、舟屋は文化庁による重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。

更に、伊根町は美しい漁村風景と特徴的な舟屋があることで、「日本で最も美しい村連合」にも加盟している。


漁村には地域色豊かな食文化や伝統行事、優れた景観などがあり、人を引き付ける魅力に溢れている。 
地元では、多くの人が漁村を訪れるように、地柄、地域を活性化するとともに都市と漁村の交流が進めているという。 
因みに、全国には約6300の漁村があり、これは日本の海岸線が5.5kmに一箇所の割合で港があるということになるらしい。
 

次回は、「天の橋立・南



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「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 

『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真関係)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/


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「世界は一冊の本だ。 旅をしないものはその本を一頁しか読まないことになる。」 
(アウグスティヌス:古代キリスト教の神学者、哲学者)





  日本周遊紀行(199)宮津 「天の橋立・北」    .




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傘松公園より天の橋立(股覗きの名所;資料)



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写真:天橋立の北側風景(堤は砂流出防止のための砂防堤)





『 神の代に、神の通ひし 道なれや 
              雲居に続く 天の橋立
 』

古歌にある「天橋立」は、南側の宮津線天橋立駅の近くで眺めるのが一般的であるが、籠神社の参道横、ケーブルカーで傘松公園に行き、ここの展望台から天橋立の景観展望も絶景であるという。 

しかも、屈んで股の間から覗くと、「天に浮かぶ虹の架け橋」のごとく天空に天の橋立が浮かんでいるようだという。 


多くの観光客は丹後の一の宮である籠神社を通り過ぎて、展望公園での「天の橋立の股のぞき」を楽しみ、バスで西国28番札所の成相寺に参詣するのが普通であるという。 由緒ある丹後国一宮にも是非寄って貰いたいと地元の人は望んでいるという。 


天橋立は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、天と地とを通うのに立てかけたハシゴが、眠っている間に倒れてしまって出来たものと「丹後国風土記」には記されている。
天橋立は又、海橋立、海浮橋という古名もあり、海神の宮による竜宮ロマン伝説もあるという。



我々の遠い祖先人は、天上の神と地上の人間界とを結ぶハシゴによる天浮橋が倒れて出来たものと素朴に感得してたらしく、天橋立は遠い神代から籠神社の神域の内にあり、又、近代に至っても境内であり参道であった。 
幕末・文政の頃、元伊勢(籠宮の事)を目指した善男善女の「お蔭参り」の列が、天橋立を埋めつくしたと云う記録も残っているという。 
何人かの歌に、


『 何時よりか 天浮橋 中絶えて 
           神と人とは 遠ざかりけむ
 』 ともある。



今の宮津市は和名抄に載っている昔の宮津郷であって、宮津と云う地名は籠の宮の津・港)の意であって、それから宮津の地名が起きたと伝えられる。 
又、籠宮の古称は、かっては「与佐宮」(与謝郡の地名の起こりでもある)とも云われ、宮津市域に隣接している与謝郡の地名も併せて天橋立・宮津・与謝の三地名は、古代の籠神社との縁由を物語るといわれる。


天の橋立の砂州の辺りを暫く歩いてみた。

樹齢数百年の古老の松が埋め尽くし、中ほどに一筋の道が延びている。 
南西に突出する砂嘴(砂洲)は、全長約3キロ、幅40〜100m、潮流と風によって運ばれた砂の堆積によるもので白砂青松の美観を呈する。 

しかしながら天橋立の砂州は近年、侵食により縮小・消滅の危機にあるという。 
これは、戦後、上流河川にダムなどが作られ、山地から海への土砂の流出・供給量が減少し、天橋立への土砂の堆積・侵食バランスが崩れたためであるとされる。 
これ以上の侵食を防ぐため、行政では砂州上にそれと直交して小型の堆砂堤を多数設置し、流出する土砂をそこで食い止めようとしている。(写真)


波打ち際に立つと、確かに砂州と直角に石積みの防潮堤が幾筋も見える、やや景観を損ねるが止むを得ない処置だろう。 
神代からの景勝地は、絶対保存が条件である・・!。

「伊達の松島」、「安芸の宮島」そして「丹後の天橋立」は、共に日本三景であることは周知のとおりであり、日本人の最も美景を満足させる所である。


次回は、伊根「舟屋



 
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人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」 <ゲーテ>





  日本周遊紀行(199)宮津 「籠神社」  .



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写真:籠神社・神門



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拝殿後方の「本殿」




宮津の元伊勢と呼ばれる「籠神社」とは・・? 、

与謝野町の町並みを過ごして、天の橋立の北側の付け根に達した。
この辺り一帯は「丹後の国」として古代から栄えた地域で、近辺には奈良期における国分寺跡や府中といった地名も残っている。 

国分寺は741年に聖武天皇の勅願によって、全国の府中(政庁・政府機関の所在地)に建立されたことは度々述べたが、丹後の国の国府(国衙、役所)もこの辺りに在ったとされている。 

国道正面に「籠神社(このじんじゃ)」という壮大な社が鎮まっている。 
成相山を背に、正面は天橋立を望む景勝地に鎮座していて、丹後の国の総鎮社といわれ旧国幣中社で、丹後の国の一宮でもある。 
又、籠神社と国分寺の間からは、墨書土器や木簡、硯などの遺物が出土しており、国府の存在を裏付けているともいう。 しかし、肝心の国庁建物の遺構が未発見であり、国庁域の確定には至っていないともいう。


丹後国」は古代、ヤマト王権(卑弥呼に関連する弥生から古墳時代の王朝で、飛鳥、奈良期の「大和朝廷」とは区分しているようである)から独立した王国だったという説を唱える向きも多い。 

一の宮・籠神社の宮司を世襲する海部(あまべ)氏に伝わる系図が古代の丹後王国の存在を物語っていて、海部氏系図は国宝に指定されている貴重な古文書でもあるという。 
この古文書は瓊々杵尊(ニニギ)が九州・高千穂峰に降臨するより早く、近畿地方(大和説と丹波説がある)に降臨したという彦火明命(ヒコホアカリノミコト)を祖とする海部氏第32代の系図で、丹後国庁の公認印が押してあるほどの公式文書であるといわれる。


彦火明命は古事記には瓊々杵尊の兄神として登場する。 
とすると、この命(ミコト)も天照大神の孫ということになり、しかも、この丹後の地に降臨して国を作ったと言うからには、大和王権(祖はニニギ)と同格の王国であったというわけである。 

彦火明命は、また、別名を饒速日命(ニギハヤヒ)といい、物部氏や尾張氏の祖と言われている。 
このために物部系の王国が、先に丹波や大和に勢力を築き、それを高天原・神武天皇系の所謂、ヤマト王権が侵略したか、連合したかして大和朝廷が 成立したという説かなり有力になってきている。 
このことは「出雲風土記」による出雲の国の「国譲り伝説」に類似しているとも言える。



籠神社(このじんじゃ)の名称は、神代に彦火明命が籠船に乗って龍宮に行かれた故事に因む名称であり、「」を古昔において「コ」と発音した事から「コノジンジャ」と称するようになったという。 

この籠神社は「元伊勢」の一つであり、元伊勢籠神社とも称するという・・?、 
すっきりした佇まいに重厚な造りのお宮で、規模こそ及ばないが伊勢神宮を思わせる清浄な雰囲気の神社である。 

主祭神は彦火明命、相殿(奥宮・真名井神社:元伊勢と言われる祖神)に天照大神(伊勢内宮)、豊受大神(伊勢外宮)を祀っている。 

旧与謝郡で丹後・国分寺にも近く、与謝の海に住む人々にとっては古来より守り神として信仰が厚く、累代の宮司家海部氏もその名のごとく、海民の祖と仰がれる家筋である。 

その創建については、籠神社は奥宮が示すとおり「元伊勢」と呼ばれている。 


注目するのは、第10代崇神天皇の御代に天照大神を大和国から、一旦、ここ丹後国・与謝郡の地に4年間程遷し留まられたといい、更にその後、伊勢に遷宮したといわれている。
つまり、伊勢神宮の遷宮の前に祭られたため、「元伊勢」といわれる由縁なのである。


籠神社の社殿は唯一神明造と呼ばれる独特の建築様式で、これは他に伊勢神宮以外には見られない様式で、こちらは30年毎に御造替(遷宮)が行われていたという。 

そして、その歴史はあまりにも古く、神代まで遡るという。 

重要なものとして、「海部氏系図」という秘法が残され、現存する最古の系図として国宝に指定されている程で、この系図によると当初の周辺人たちは、漢民族(渡来人)であったとも記されているらしい。 

更に、宮司・海部家に伝えられる息津鏡(おくつかがみ)、邊津鏡(へつかがみ)は2千年以上も前のもので、伝世鏡(考古学上として、古くから伝わった鏡)としては最古のものとして社殿に祭られ、こらは天照大神が彦火明命に授けたものと伝えられている。 
皇室に伝わる「三種に神器」の神器鏡(八咫鏡・やたのかがみ)の原型ではないかとも言われている。


社家の海部氏は彦火明命を祖とし、当社の創建以来、代々奉斎(神仏を慎んでお祭りすること)をしてきた民とされ、
驚くべきことに現在は82代目であるという。 

4代目に当たるとされる倭宿禰命(ヤマトノスクネノミコト:天照大神から数えると第5世ということになる・・?)は、神武東征の際に亀に乗って神武天皇の前に現れ、大和国へ先導したとされる。 

海部氏は海民の祖だけに、竜宮物語の主人公・浦島太郎のモデルともいわれる・・?。


次回は、「天の橋立



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希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。」(スティーブンソン)




日本周遊紀行(198) 与謝野 「与謝野氏」   .



宿(国民宿舎・玄武洞)がちょうど円山川沿いにあったので、そのまま南下して一旦、豊岡の町に出る。
豊岡市は2005年4月1日に、周辺の城崎町・竹野町・日高町、出石町・但東町と対等合併し、兵庫県で面積が一番大きい市となったようである。 


豊岡市は、古くから旧国名である但馬国の中心として形成され、奈良期の頃には既に但馬の国の政庁が開かれていた。 
741年(天平13年)に聖武天皇により国分寺の建立の詔令が出され、但馬国分寺、国分尼寺(豊岡市日高町)が建立され、同・804年(延暦23年)には但馬国の国府が同所に開かれている。


市街地を正面に見ながら、円山川を渡って久美浜、峰山方面に向かう。 
既にこの辺りは京都府である。  
宮津線の久美浜駅前から国道312線になり、新道の比冶山峠を越えると「峰山」である。

峰山は、絹織物「丹後ちりめん」の発祥の地であり、最近では全国高校野球の京都代表で、田舎の府立(京都)高校・峰山高校が甲子園で活躍したことは記憶に新しい。 

あの「楽天・ゴールデンイーグルス」の野村監督の出身高校でもある。
尚、峰山は2004年4月1日に周辺の5町と合併し「京丹後市」となっている。


丹後の国」、天橋立の北側へ向かう。
国道312は野田川、岩滝町あたりで国道178に再び合流し、道程はR178となって宮津湾の西側へ向かうことになる。 
この辺りは京都府北部の丹後半島中部から付け根にあたる地域は与謝郡に属し、2006年3月1日、与謝郡の加悦町・岩滝町・野田川町三町が新設合併して与謝野町(よさのちょう)が誕生するという。 

与謝野町は与謝野 鉄幹(本名寛、父・与謝野礼厳が当地の出身地)に縁のある地柄である。父の礼厳(1823‐1898・幕末から明治の僧、歌人)の時代に、元は細見という俗名であったが明治初期、自分の故郷の与謝野という字を当てて「与謝野」と称し、その名が付いたとも言われる。


それにしても平成の大合併のこの時期、それらに従って古(いにしえ)の懐かしい町村名が消えたり、はたまた可笑しな瑞祥的(おめでたい・・?)市町村名が付けられたりしている昨今、「与謝野」という地名は真に小気味のいい、響きのある町名である。


与謝野 鉄幹は(明治6〜昭和10)、京都府岡崎(現・京都市左京区)に僧侶・与謝野礼厳の四男として生まれてる。 
その父・礼厳は庄屋・細見家の次男として京都府与謝郡(現在の与謝野町字温江)の出身という。 

歌人・詩人として明治中期、日本文学界に相当の足跡を残したらしく石川啄木、北原白秋、登山川美子らを育成、浪漫主義運動を展開した功績は大きいといわれる。 

後に妻となる晶子も「みだれ髪」、「源氏物語」の現代語訳をはじめ、後年は歌人として夫婦で全国各地を巡り、多数の歌を残し歌碑や記念碑は無数にある。 

因みに現、与謝野 馨(よさの かおる:現在、金融、経済財政政策、規制改革担当相)は、昭和後期から平成期の政治家・衆議院議員・行政閣僚として活躍中で、歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫にあたる。


次回は、「宮津



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