『日本周遊紀行』

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「希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。」
(スティーブンソン;イギリスの小説家、冒険小説作家、詩人、エッセイスト)  

 日本周遊紀行(209) 吉崎 「高僧と浄土宗派」  .




ここで法然、親鸞、蓮如と浄土宗の流れについて・・、 

本願寺とは今の西本願寺の事であって、浄土宗の流れを汲む宗門である。 
その浄土宗は、平安末期から鎌倉初期にかけて日本の高僧である「法然」(ほうねん:1133年〜1212年)によって開かれた教義であり、後年、円光大師とも言われた。 
法然は比叡山・天台宗の堂僧となり、その教えを学んだ後、それを新しく展開し、教示したのが「浄土宗」であった。


法然の門下生であった「親鸞」は、法然の死後、自身はあくまで法然を師と仰ぎ、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、更に高めて行くことに力を注ぐためとして「浄土真宗」を起こした。 

親鸞(しんらん、1173年〜1262年)は見真大師(けんしんだいし)ともいい、各地で布教活動をするが、35歳の頃、国の権威者から専修念仏禁止(真宗派による予想外の布教成果に嫉妬した奈良・興福寺やと比叡山の仏僧たちによって反旧仏教者と見なされた)の弾圧を受け、それが為、越後国府へと流罪となり、赦免まで5年間を要した。 

親鸞自身は「僧に非ず俗に非ず」という生活を送っていたが、後に、常陸国(茨城県)へと旅立ち、「教行信証」(浄土真宗の教書)など著して「浄土真宗」(一向宗、門徒宗とも通称される)を開く。 

弘長2年(1262年)、京で90歳で没する。 親鸞聖人の墓所として建てられたのが京・知恩院の近くの大谷の本願寺であり、浄土真宗本願寺派の一派とし本山とした。


時代は下って、室町中期の1457年、「蓮如」は第八代・本願寺門主となった。 
当時の本願寺は衰亡の極みにあり、宗派の中心寺院としての格を失い、「青蓮院」(最澄が開基した天台宗寺院:三千院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院とされている)の一末寺に転落していた。 

1465年、大谷本願寺は比叡山の僧兵によって破却され、結果、京都から近江に難を避けた蓮如は越前吉崎に移った。 
この頃、社会そのものが衰退していた時期でもあったが、徐々に民衆が力を得て進展し、農村の生産力の増大とともに旧荘園領主の没落で、農民の地位は次第に向上していった。

蓮如はこうした社会の動きに機敏に対応し、積極的な伝道を開始した。 
蓮如の熱烈な伝道に共感する門徒は近畿から東海、越前、加賀地方に広がった。 

蓮如は親鸞以来の血脈を根拠として北陸の浄土系諸門を次々と統合し、本願寺は爆発的に発展し、「一向宗」とも呼ばれるようになった。 
 

教団の拡大に伴い、1473年には加賀の統治者・富樫氏(とがしし:富樫庄・石川県金沢市 を本拠とする豪族であった)の要請を受けて、守護家の内紛、政事にまで介入するようにる。 
以後、加賀には国主の代理として一門衆が在住するようになり、次第に国人層(役人)に代わって本願寺による加賀支配が行われるようになった。 

1546年には尾山御坊(金沢御堂、後の金沢城)が建立され、越前、加賀は百姓、門徒宗の支配する地域になっていった。 

又、ここを拠点として北陸全体に一向一揆を拡大させて行くのである。 
一向門徒宗は1560年代には越前・朝倉氏と、1570年代前半は越後、加賀の上杉氏と、その後は織田信長とそれぞれ対立し、朝倉氏に奪われた越前吉崎を取り戻すため何十回となく大規模な戦を起こしたともいう(九頭竜川会戦)。 

一般に、加賀の一向一揆とは、1488年頃から1580年にかけて、加賀国の本願寺門徒らが中心となって行った一向一揆のことを指している。
 

戦国期、信長は1496年、石山本願寺(蓮如のときに摂津国石山・現大阪市中央区に建てられ、後に浄土真宗の大本山となった寺院)を降伏させ、尾山御坊は信長重臣・佐久間信盛によって陥落させられ僧・民集団の一揆は解体された。 

関ヶ原戦後の江戸開幕時、徳川家康は本願寺のすぐ東(六条烏丸)の土地を「教如」(石山本願寺の第12代門主)に与え、最大の宗教勢力であった本願寺の勢力分散をはかった。 
これにより本願寺は、西本願寺(現在の浄土真宗本願寺派)と東本願寺(現在の真宗大谷派・真宗本廟・)とに分裂することになった。 
東西本願寺は、この時点から現在まで存続している。


次回は、「小松・安宅



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日本周遊紀行(209) 吉崎 「本願寺・蓮如」   .



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写真:北潟湖




再び国道305から芦原へ出て、金沢方面を目指す。 
北潟湖」という湖畔を右に見ながら暫く走るようになる。 

湖畔は葦の茂る静かな湖で、さして深さも感じられず、所々で釣り人が糸を垂れている。 
広い湖のわりには比較的で身近な沼のような雰囲気をもっている、こんな湖はきっと魚影も豊
富なのだろうと勝手に想像してしまう。 


北潟湖は南北に長い湖(正確には南西から北東)で、北側の先端部は大聖寺川と合流して日本海に繋がっている。 
北部では汽水湖(海水と河水とのチャンポン)の状態であるが、南部ほど真水であるという珍しい湖であり、そのため確かに魚の種類は多いという。 
中には1m以上もある草魚を釣り上げた人もいるとか・・ギョッ(魚)!。


湖のほぼ南端の細くくびれたところの橋を渡ったところ、ここ吉崎地区に「蓮如上人記念館」というのが在った。 
湖の畔にある大きな施設であり、蓮如上人(れんにょしょうにん)の足跡や付近の歴史が分かる資料館で蓮如館、民話館、自然館の三館からなっているようだ。 

資料館である「鳳凰閣」は蓮如上人に因んだものであろう、寺院を模した堂々たる建物である。 
ただ、見学料は各施設込み込みで2000円というのはチト高く、時間のことも考慮して入場は遠慮した。



蓮如(れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧で、本願寺中興の祖といわれる。 
時に、本願寺蓮如とも呼ばれる。 

浄土真宗を起こした親鸞の直系とはいえ、蓮如が生まれた時期の本願寺は、他宗や浄土真宗他派に対し、衰退の極みにあった。 
その本願寺を中興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた高僧であった。 

明治15年(1882年)に、明治天皇より慧燈大師(えとうだいし)の諡号(しごう、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る)を追贈されている。 
蓮如は五十歳前後に、ここ越前吉崎に来て坊舎を建て、数種の教文を刊行するなど、独創的な教示を展開しながら、凡そ、四年間滞在していたという。 

蓮如は本願寺・第八世の門主でもあった。 


次回は、「高僧と浄土宗派




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「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)

日本周遊紀行(208) 芦原 「芦原温泉」   .



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写真:えちぜん鉄道三国芦原線の「あわら湯のまち駅」





九頭竜川の清流を渡り、今夜の泊まり宿「芦原温泉」へ急いだ。

普通、温泉場の立地といえば山懐、河川際、湖の畔、海辺と何かしら自然とマッチした、それなりの雰囲気を持った環境に佇んでいるのが普通のように思っていた。 

芦原温泉は、そんな意識とは別に平凡な田畑に囲まれた平地に在った。  
後で知ったのだが、北陸・芦原温泉は明治16年、農民が灌漑用の井戸を掘っていたところ温泉がいきなり湧き出したのがはじまりというから、さもありなんであった。 
今では、北陸屈指の名湯として知られるようになり、人気も誇っているのである。


先刻、観光案内所より紹介をして頂いた宿屋へ向かう、駅前のT字形の突き当たりにその旅館はあった。 
駅は華やかな温泉街のわりには意外と、こじんまりしてて「あわら湯のまち駅」とあった。 
鉄道は北陸本線ではなく、「えちぜん鉄道」という第三セクター方式の鉄道会社であった。 
2キロメートル東方に、本線である北陸本線の「芦原温泉駅」があるが、地域として金津町に属するようである。



旅館は紹介によって、便利な駅前にある政府指定の一流旅館のはずであったが、印象としては極めてゾンザイな感じが最後まで拭えなかった。

その某旅館の顛末をしたためておく・・!
先ず、玄関で訪問の呼声を掛けたが、返事が無くなかなか応対に出てこない。 
車を置くところへ案内されたが狭くてやっとのところ。 
案内された建物は継ぎ足しの迷路のような部屋組であり、部屋係り女性の御客への対応も扱いも気だるそうで、迷惑そうでゾンザイそのものであった。 
そして、館内の様子からも泊り客が居るのか、居ないのかシーンと静まりかえっている。 
何かしら、否〜な予感がした。

何はともあれ、何時ものように待望の温泉浴室を目指した。 
人っ子一人居ない浴室、大きな湯船には湯がトウトウと流れ込み、大いに期待したところまでは良かったが、湯を浴びると、これがまた熱い・・!!、

我慢して静かに浸かると数秒も浸かってられない程の熱さである。 
元々、温湯(ぬるゆ)の好きな小生にとっては、到底我慢がならない・・!。 
気が付くと外風呂も有るようなので、仕方なく露天風呂へ向かった。 ここなら何とか入れるだろうと思ったが、これが又甘かった、こちらも同様でアッチッチ・・!!、だめだ、こりゃ・・!!。


結局、掛け湯と洗身のみで間に合わせ、女将にこの事を話して善処置をするように申し入れた。 
食事の後(食事に関しても不満充分であったがここでは省略)、就寝前に再び入湯に出向いたが、いっこうに以前と全く変わりなく、そして次の朝も入湯に出向いたが、善処された形跡は無く、昨夕と全くの変わりはなかった。 

帰り際、旅館の女将に厭味たっぷり言ってやったが、なにやら涼しい顔をしていたようにも思い、後はソソクサトと逃げるように宿舎を出奔した。
芦原温泉の善し悪しを全く味わうことなく、後味悪く温泉場を後にする始末であった。



芦原温泉は、北陸、福井屈指の温泉街として「関西の奥座敷」とも呼ばれ、昔から多くの文客にも愛されてきたようで、温泉医療師がすすめる名湯百選にも選ばれているという。 
この名湯を堪能すべく期待を持って、一流旅館を紹介していただいたのに・・!。 
この旅館の対応は、お客のサービス以前の問題で、全く期待はずれであり、終いには腹が立って仕方が無かった。 

思えば、こちらの芦原温泉でも、昨年(2004年)に発生した温泉偽装問題が発覚している。温泉の利用表示に問題がある旅館および源泉の無断開発の疑いがある旅館が、複数軒あったとして、ニュースで大きく取り上げられた。 
ひょっとしたら当の旅館も温泉偽装の関わった宿では・・?、と疑いたくなるほどである。 

その後、あわら市では独自の温泉表示に関する基準を設けたようであるが・・!。

これが政府指定の一流旅館の顛末であり、不満タラタラの芦原温泉、否、温泉宿であった。


次回は、「東尋坊


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「漂泊の旅から、学問が生まれる」  

日本周遊紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(3)
 
 
 
 
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写真:現在の白山神社本殿


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平泉寺(賢聖院)の名勝・庭園(地面は全て苔に覆われている)



16世紀の戦国期、当時の寺社勢力は農民層をはじめとして多数の信者を抱えるだけでなく、有力大名と結び、さらには僧兵集団を形成し、各地で勃発する一揆の後ろ楯となって武器の供給や軍事指揮者の派遣を行うなど、自衛力を超えた軍事力が組織的に展開されていた。 

平泉寺、延暦寺もそれらの一つであり、特に比叡山は仏教信仰の「聖地」とされていたが堂塔も坊舎も荒れ果て、修行もせずに肉を喰らい、女を抱くなどその山門僧侶の腐敗堕落ぶりは明らかであった。 

それでも比叡山そのものは多くの人々にとっては神聖不可侵の地として崇められていたのである。 
それと同時に山全体が要害でもあり、八百年来の俗権不可侵の特権を持つ数百の坊舎は、宗徒が籠もれば数万の軍勢の寄宿に耐えうる力を持っていたといわれる。

このような時期、戦国大名として台頭してきた「織田信長」は天下統一(天下布武)を目指していた。


その頃の延暦寺は、信長と対立している室町暗君将軍・足利義昭の側に付き、宿敵、浅井・朝倉連合軍を匿うなど、反信長の姿勢、行動を起こしていた。

元亀2年(1571年)、延暦寺の武力が天下布武の障害になるとみた信長は、延暦寺に武装解除するよう数度にわたって通達した。 
しかし、これらは全て悉く拒否されたのを受けて、信長は、敵対・比叡山を打つべしの意志を固めた。 

同年9月12日、織田勢は素早く比叡山相手に戦線を引き、全ての出入口を封鎖した。 
三万の軍勢で山麓を囲み、退路を完全に遮断したのである。 

ここに至って、佐久間信盛や武井夕庵ら仏教徒である臣下の諫止などは一切受け付けず、黄金を贈って信長の怒りを鎮めようとした山門の申し出も全て一蹴した。 

信長は、宗徒を根絶やしにする姿勢は決して崩さなかったのである。
 

合図とともに鬨の声をあげながら、織田勢は攻めかかった。 
見つけられた者は僧俗、老若男女構わず無差別に殺され、山頂においても徹底的な破壊と殺戮が行われ、根本中堂をはじめ4〜5百あったとされる堂塔・坊舎の全てに火がかけられた。 

殺された者は3、4千人(諸書によって違いがある)にも上り、比叡山は累々たる死体で埋め尽くされたという。 
この放火と殺戮と奪略は9月15日までの4日間続けられた。 初志の目的を忘れ、時政(じせい・時の政治、軍事)に介入した悪僧坊に天罰が下ったのである・・!。


この時期、白山平泉寺は最盛期を迎えていて寺領9万石、48社36堂6千坊、それに僧兵8千人と称するまでになっていた。 
しかし、叡山消失や信長と朝倉義景の決戦に巻き込まれて苦境に立ち、更に、一向一揆と対決し、最後は一揆の群集に攻められて平泉寺全山が焼き払われたという。  

幸い後の権力者・豊臣秀吉が当寺を保護し、禁制を与えたので寺運は順調に開かれ、元の僧坊らによって白山平泉寺が再興され、江戸期には福井藩、勝山藩の庇護のもと順調にその地位を守った。



時代は下り、明治維新に至って、神仏分離政策により神仏混淆(こんこう)を禁ぜられた平泉寺は寺院、仏像、僧徒を排し、権現の称を廃し、元の「神の宮」に戻った。 

白山神社は、祭神を革めて菊理媛神(ククリヒメノカミ:イザナギ、イザナミの仲裁の神)、伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉冊尊(イザナミ)の三座とした。 

今、勝山盆地の山懐には、僅かな社殿を残して鎮まっている。 白山神社からみれば、中世の物情は夢のようであろう・・!。 



平泉寺の現在の拝殿は、元の大拝殿には及ぶべきもないが、千年前の石畳参道や当時の礎石などが今でも残り、絨毯を敷きつめたような青苔の美しさと共に、美しい自然の姿を見ることが出来る。 

又、賢聖院の庭園は、室町末期の細川高国の作庭で、鮮緑の苔に囲まれ、曲水庭園の様式が取り入れられた名園であるという。 
現在、文部省指定名勝にされていて、住職・平泉家(賢聖院の元別当が平泉家として引継ぐ)の承諾を得て見ることができるという。

  
次回は「芦原



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日本周遊紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(2)   .




資料:往時の平泉寺絵図



九頭竜川中域の平泉寺・白山神社と白山信仰について・・、

九頭竜川中流域は、勝山市域で白山山域の山麓に位置する。 
平泉寺・白山神社は、加賀、越前、飛騨(石川・福井・岐阜)の県境にそびえる霊峰・白山(2,702m)の信仰に端を発し、富士、立山とともに日本三霊山に数えられ、古来修験道の修行道場として栄えた。 
寺院の開祖は、奈良期の名僧・泰澄大師(たいちょうだいし)が開いたとされる。



日本では山そのものを、古来、神聖なものとして崇拝されていた。
加賀・白山は夏でも残雪があり、何時でも雪をいただく神聖な山として信仰の対象となっていた。 

以前の山岳信仰は神聖な山を遠くから遙拝するだけであったが、地元の高僧・泰澄大師は夢のお告げに従って直接白山の頂上を目指した。
そして、その登程の苦しさを厳しい一つの修行、禅定(心を静めて一つの対象に集中する宗教的な瞑想)と捉えた。 

白山の頂上を白山天領といい、又、その修行の登山道のことを白山禅定道ともいった。 
白山信仰が広まるにつれ、白山は、村の鎮守の神として地域に多くの社も建てられたという。 

江戸時代、三国間(加賀、美濃、そして越前)には白山山頂の領有をめぐっての激しい争いがあり、最後には江戸幕府が山頂と山麓の村を天領とすることで決着がついたという。 
しかし、争いの本質は宗教的なものではなくて、むしろ権益を奪い合うということであったとする。 

白山へは三国其々の馬場(ばんば、道のことで信仰登山の登山口)があり、その馬場には白山を祭祀する社寺がある。 
越前の馬場は、勝山の「平泉寺」(白山神社)であった。 

しかし、越前では白山の表道として白山馬場があったが、本峰、主峰が加賀の国に在ったことは口惜しいかったに違いない。(現在は加賀、美濃の国境)


白山の主尊仏は「九頭龍」であるから水神の性格を持つものであり、それが白山信仰の根幹となり、本来は古代から越人(古代名でコシノヒト)の土俗の神であり、地主神であった。 

平泉寺は、今から1300年前の奈良時代に「泰澄大師」(越前国、現、福井市出身、泰澄寺)という徳の高い僧によって開かれた。 
その後に神仏習合が進み「白山平泉寺」と呼ばれるようになり、白山を神としてあがめる白山信仰の寺院として白山権現とも通称された。


若狭一の宮でも述べたが、所謂、平泉寺は白山神社の別当寺であった。 
つまり、神が仏に乗っ取られ・・?、全て仏式による祭事が、ここでも行われるようになったのである。 

今では勝山の古(いにしえの)の由緒ある寺院であるが、だが、その歴史を辿れば中世の頃の白山平泉寺は「悪僧の巣」でもあったともいう。


比叡山と白山平泉寺・・、

平安初期には,叡山系の修行僧が白山によく入山し、9世紀には叡山の僧徒が白山権現を延暦寺に勧請したともいう。 
従って、越前馬場の平泉寺は1084年に延暦寺末寺となり、加賀馬場の白山寺、美濃馬場の長滝白山神社(白山中宮長滝寺)も平安末には延暦寺の末寺となった。 
かくして白山を取り巻く末寺は、白山教団として延暦寺を背景にした政治的にも軍事的にも一大勢力に成長した。 

白山の僧徒は、延暦寺の僧徒と呼応して権現の霊験を説き、北陸、濃尾地方に散在しながら隆盛を極めたという。 
同時期、各地に白山神社が創祀されたが、とくに中部より東日本に濃密であったという。
僧侶達の軍事的意味合いの一つの例として、「平家物語」に次の行(くだり)が有る。

『 白山が一大鳴動を起こし、それが叡山に伝わって一山震動して、叡山僧兵団が都に乱入して御所を脅す・・』・・と

南北朝期には、平泉寺の名で代表される白山勢力は「日本国一番の法師大名である」と、当地を治めた朝倉氏の史記にもある。 
又、「平泉寺に行けば食える」といって、近郷近在の次男、三男坊が遥か遠方から素浪人として寄り集って来たともされる。 

当時の平泉寺は、僧兵八千といわれる北陸一の武装勢力で、社、お堂、院坊合わせると、その数三百とも四百とも言われた。


次回、「叡山の滅亡と平泉寺


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