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日本周遊紀行(148)頴娃 「幸村伝説・・?」   ,




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写真:松原越しに見る池田湖と開聞岳



「大阪の陣」の後、あの真田幸村が豊臣秀頼を奉じて薩摩へ落ち延びた・・?  、



指宿を目指すため、先ず「指宿スカイライン」に乗って頴娃I・Cを目指した。
ところで「頴娃町」・・??、何て読むの・・?、
サッパリ分からない。 

一般に漢字は音読み、訓読みと両方あって普通の漢字なら大抵どちらかが読めるはずであるが、どちらにしても皆目見当が付かない。 
実は、頴娃の2文字で「エイ」と読む。 


地名とか人名の謂れを詮索してもしようが無いが、「頴娃」の2文字の意味はともかく、単字で「頴」は鋭い、秀れる、「娃」は姫、娘、美人、善女などの意味を持っているという。
このような意味合いで付けたかどうかは不明だが、いずれにしても日本的な名称ではなく、古代の渡来人あたりが付けた名であろうと想像は出来る・・?。


近年までは頴娃郡頴娃郷なるものが存在し、中世以降から戦国時代は島津氏の有力家臣であった頴娃氏が領土を支配していたため、その名が付されている。 
現在の頴娃町は揖宿郡(いぶすきぐん)に属し喜入町、山川町そして開聞町などが合併により郡から離れたため揖宿郡唯一の町となっている。 


そして頴娃町は、あの「真田幸村」の伝説地であるとも言われる・・?。

慶長年間・大阪冬の陣があり、そして翌年の大阪夏の陣(冬そして夏の陣で江戸幕府が豊臣宗を滅ぼした戦い)において徳川・豊臣の最後の決戦が行われたが、当の頴娃村の地にも大阪の乱において、豊臣側支援のための軍資、兵員の出費を相当に課せられたという。

夏の陣も終わり、豊臣側の敗戦が決した後、薩摩には豊臣秀頼公を始め、眞田左衛門幸村、木村重成等の上下一千余人の大阪残党が続々と逃がれて来たという。 
真田幸村が薩摩へ豊臣秀頼を奉じて落ち延びたという噂は、童歌にも唄われ流行ったという・・、


『 花の様なる秀頼様を 鬼の様なる真田がつれて 
              退きものいたよ 鹿児(加護)島へ
 』

・・とある。


薩摩では真田を真栄田(真江田)と名乗り、伝説の古書に残っていて墓地まであるという。 

史実的には幸村は1615年5月、夏の陣において家康の本陣へ突撃し討ち死にしている。 
源義経や楠(木)正成もそうであるが、日本人好みの悲劇のヒーローであり、伝説を生んでいるのかもしれない・・?。



車も少なく、展望の良い快適な「指宿スカイライン」であり、時折、池田湖や開聞岳の円錐形の姿が見え隠れする。 

下りきって程なく湖畔に着いた、「レイクグリーンパーク」というサッパリした園地に着いた。 
芝生の先に満々とした湖面が広がる、その正面に円角錐の勇姿「開聞岳」が立つ。 絵になる風景である。 

池田湖は、周囲15キロメートル程の小さい湖であるが、九州では一番大きい湖で、深さも錦江湾と同じ230mもあるという。 

全体に明るく輝くような雰囲気であるが、湖の東側は切り立った岩山が湖面にまで落ち込んでいて、人を寄せつけない険しさもあり、神秘的な佇まいをも見せている。 

池田湖には謎の怪物ネッシーならぬ、イッシーが生息していると昔から言い伝えもあり又、池田湖の東側にある鰻温泉で知られる「鰻池」とは湖底洞窟で繋がっていて名物の巨大ウナギが生息しているいう噂もある。
 


薩摩半島の最南端の海辺から、いきなり立ち上がる「開聞岳」は標高924mの火山で、日本百名山の一つで別名「薩摩富士」とも言う。 
深田久弥氏が百名山を選んだ基準に「品格」、「歴史」、「個性」とあり、これに付加的条件として、1500m以上の高さが加わるという。 

開聞岳は高さこそ及ばないが、いきなり海上から屹立しているというユニークな山容であり、他の、どの山にもこの様な姿は見当たらない特異な山である。 その為に敢えて加えたのだろう。

開聞岳の北麓に枚聞神社(天照大神を祀るが、祭神には諸説がある)がある、「ヒラキキ」と読む。 

枚聞大神の神霊が宿る御神体山で、古代より信仰の山として崇められ、開聞岳は古くはヒラキキ岳と呼ばれた。 

枚聞岳は薩摩半島の南東端に突出している若い休火山で、鹿児島湾の門戸に位置し、即ち海の門である。 
その雄姿は海の門、即ちカイモンであり、一時は海門岳とも言われたそうで、ヒラキキは開聞で音読みでカイモンとも読むので、自ずと両方の意味合いを取って「かいもん」が開聞と呼ばれるようになったという。

薩摩には大壮な三つの山が在る・・!、
  
『 開聞に 西郷南州 桜島 』  小生



夕刻も迫ってきている。
県道28号(開聞岩本線)で一旦海岸へ出て、案内に従って今夜の泊まり魚見岬の先端に位置する「指宿国民休暇村」へ急いだ。


次回は「指宿温泉




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田原家私有林墓石(鹿児島県南九州市頴娃町牧ノ内の雪丸地区)

真田幸村は、大阪の陣のあと、島津の軍船で鹿児島に逃れ、谷山(今の鹿児島市谷山地区)に上陸した。
鹿児島では、真田幸村は芦塚左衛門と名乗ったが、現地の者は、真田幸村を芦塚大左衛門、その子・真田大助幸昌を芦塚中左衛門、孫を芦塚小左衛門と区別していた。

その後、豊臣秀頼を谷山においたまま、尾根伝いに揖宿郡頴娃村(今の南九州市頴娃町)に潜入し、(牧ノ内)雪丸に居を構え住んだ。
その名残として墓が立てられたが、その墓には何の刻印もない。真田幸村は、頴娃村摺木の百姓娘との間に隠し子をもうけたが、徳川幕府の追及を逃れるため、その娘を(別府)大川の浦人に嫁がせ、生まれた子は瓢左衛門と名づけられた。

その子孫は、幕末になって、名字帯刀を許され、真江田姓を称し、(別府)大川の真江田家・難波家の墓には六文銭が刻まれている。

2012/3/17(土) 午後 0:26 [ 今里から美しい日本 ]


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