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旅のはじめに

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日本一周の旅 「旅の準備」


「日本一周の旅」への根拠は・・?

思えば・・、今までの旅や旅行は殆どが短期間でスポット的な小規模の「お出掛け」であり、確か、定年前の休暇で、お上(妻)さんと北海道の10日間というのが最長であった。 定年になって暇とお金(・・?、・・××)と体力は充分備わっているので、単独で長旅を考えた場合、果たして何処へ・・?と、とりあえず考えてしまう。 何処かの海外旅行・・? 何れかの観光旅行・・? ハタマタ道府県巡り・・などと多々目的はあろうが、ただ肝心なのは漠然とではなく、目的、目標をしっかり絞って決行する事である。
ところで、小生は日本(実は満州・・?)に生まれた日本人である(当たり前であるが・・)。従って日本の事をもっと知るべきである、という好奇心が頭をもたげるのである。 日本列島は細長い島国であり、海を眺めながら「海道を巡る!!」、道行きに地域の歴史や文化、自然を訪ねる・・、コレはいいと思った次第である。 言い換えれば「外国の事に関して」日本国内を在る程度知っておいて、其の後に行なうのが筋と考えている。 愛読書である司馬遼太郎の「街道を往く」シリーズを模じった訳ではないが、「海道を往く」である。 

実は何年か前、職場の仲間に定年で暇(ひま)に成ったら日本一周でもしようかな・・などと、ペロッと口に出したことも有り、又、若い頃よりボンヤリと夢に描いていた事も確かであった。 そして、何時の日にか実行することを心に決めていたのも事実であった。 
定年間際、その直後に先ず何を成すべきか・・??を考えながら、その夢が大きく膨らんで、そして、いよいよ現実のハコビと相成ったのである。  さて、現実のものとして実行のハコビ’まではよかったが、本当の意味であらゆる事を想定し具体的な運びをどうするか、を思案しなければならない。
若い時分なら、無計画で明日にでも飛び出して行けばいいものをと思うが、事実、情報等によるとヤングマン達は自転車や徒歩で日本一周、日本各地を何日も、何十日も巡り、苦労や危険を覚悟しながら体験している人達も中にはいられるようである。 しかし、熟年の小生はこれは無理、年甲斐も無く、ではなく年甲斐を考えて趣旨・目的・目標を明確にし、尚且つ短期間で効率よく実行しなければならないのである。

これらを条件を加味して、以下の実行項目を考察してみた。
1 日本列島を2分割し、2回に分けて実行
2 分割は静岡ー糸魚川構造線(フォッサマグナ)を基準に東日本と西日本
3 現在、住居は神奈川で、別宅が構造線上の白馬村に在る
4 先ずは、「東日本」の海道沿いを巡る
5 新潟・糸魚川を基点に日本海側を北上する
6 東北、本州北端より北海道へ、そして、その最北部の稚内へ
7 次にオホーツク海、太平洋を南下する
8 千葉房総より自宅へ帰還
9 手段はつまり脚(車)はワンボックスのマイカー
10 ネグラは車内か現地の安宿(前日又は当日予約)のカタツムリ・ヤドカリ旅行
11 安宿とはY・H、民宿、公営の宿、他
12 途上、出来得る限り「道の駅」を利用する
13 一日の走行目標は200〜300Kmで、陽の有る内
14 趣旨として最寄りの観光地、景勝地、名所旧跡等を巡る
15 地域の歴史や文化に興味を持つ
16 その町の個性、特徴、特色、主旨、趣向を知る
17 名の有る「温泉地」、地域や隠れた温泉地を訪ねる
(NHK・「ふだん着温泉」等)
18 データシートを作成し、その日の内にデータ、日誌等を記録する
19 持ち物・・装備品、持参品を事前にチェックし準備する
20 衣類、特に下着類は出来るたけ現地で洗濯処置
21 食、嗜好品、好みに応じて持参調理する、その他現地にて摂食
22 車への積載は能率、効率よく美的に、ケースの使用が良い
23 要所、要点は事前チェックし地図上に書き込む(地図は最新版)
24 カーナビは絶対必要、そしてフル活用(ナビソフトは最新版)
25 季節の良い時期を選ぶ(春期・5,6月頃 、秋期・9,10月頃)
26 春季、先ず東日本方面へ・・、日本海側、北海道、太平洋岸へ、
27 次年、「西日本」へ・・、先ず三浦、伊豆から東海道、近畿
28 そして四国、山陽道から九州北部、西九州、鹿児島へ
29 次に、東九州から北上して山陰、近畿(日本海)を巡り
30 北陸、能登に至って糸魚川から姫川、別宅白馬へ
・・と、ツラツラと並べて、自分なりに納得しながら着実に準備を進めた。 
但し、沖縄県については余りに諸島、群島が多いため熟慮した結果、後日の訪問となってしまった。 因みに、その後家族と沖縄旅行へ行くきっかけがあったので、其の沖縄の概要や模様は近日述べたいとと思っている。 尚、沖縄県は本島ほか49の有人島と多数の無人島からなるらしい。

さて、いよいよ出発である・・!!


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日本周遊紀行 「旅のはじめに・・!!、吉田松陰、松尾芭蕉、正岡子規の旅人たち」


前回に続いて一昔前の、チョット印象に残った御三方:「吉田松陰、松尾芭蕉、正岡子規」の旅の様子を記したい。
先ず、「吉田松陰」のこと・・、
江戸末期、攘夷論者で有名な吉田松陰は、自国の長州・萩から江戸、そして「脱藩」して東北は本州最北端の竜飛崎まで巡遊しているのである。 その時の旅の様子を綴ったのが見聞記・『東北遊日記』であった。
旅をしたのは、嘉永4年(1851年)12月から4月にかけてであるから、松陰が満22歳のときである。 それによれば、江戸(嘉永4年12月14日)─水戸─白河─会津若松─新潟─佐渡─新潟─久保田(秋田)─大館─弘前─小泊─青森─八戸─盛岡─石巻─仙台─米沢─会津若松─今市─日光─足利─江戸(4月5日)・・、江戸に戻ったのは、嘉永5(1852)年4月であった。 
吉田松陰は長州藩士、思想家、教育者、兵学者と様々な顔を持ち、一般的に明治維新の事実上の精神的指導者・理論者として名が挙げられる。
松蔭は、塾生(松下村塾)達にむかって常に「情報を収集し将来の判断材料にせよ」と説いた。これが松陰の「飛耳長目」(ひじちょうもく:見聞を広め、物事を鋭敏に観察すること)と云われる思想で、その見本として彼自身が率先して、東北から九州まで脚を伸ばし各地の情報を見聞きし、動静を探った。
記録によると、その旅の殆どの部分は苦労の連続であったらしい。 無論、安らぎの一時もあったようで特に、「東北・十三潟(津軽半島・十三湖)の潟を過ぎ、小山を越えたところの眼前には初春の穏やかな風景が広がっていて、浮世の憂さを忘れさせる絶景であった・・」たという下りもある。松蔭は、降りしきる雪や打ち寄せる波、枯地・荒野などの自然景観が、自身に知恵や見識、勇気を与えてくれたことを察している。
松蔭は、この旅を経験するに従って、洞察力を見に付け「人は知識を付けてから旅をするというのが一般的であるが、旅をして学識を広めるものでもある」とも言っている。

次に、御存じ「松尾芭蕉」であるが・・、
江戸初期、伊賀の国・上野を出て江戸に出向き、45歳で「奥の細道」へ俳諧師として江戸の「芭蕉庵」を旅立ち江戸から日光⇒白河の関⇒松島⇒平泉⇒山形領・立石寺⇒新庄⇒象潟⇒越後⇒出雲崎⇒市振の関⇒山中温泉⇒敦賀⇒大垣と奥州から本州中央部を歩いている。
芭蕉の旅の目的は勿論、日本の風土を愛で(めで)歩きながら俳句をたしなむ私的な道中であったが、他に公的な役割を担い情報収集をともなったとも言われている、つまり、隠密、忍者であるという説である。
道中でこれにはこんなエピソードもある・・、
越後の能生町、糸魚川から親不知の難所を越えて「市振の関」に到着し「桔梗屋」という旅籠(はたご)に宿泊したことになっている。 この時の一句に

『 一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月 』
を詠んでいる。 
この句にもあるように、若き女性が(遊女)が「お伊勢さん」へ参るためにたまたま同宿している。そして、明けの朝遊女らは、芭蕉を修行僧と観て暫しの「同行」を頼むのである。この遊女達は何処から出発したかは定かでないが、この先、伊勢へ参るには北陸道から若狭(敦賀)へ出て、琵琶湖、米原を経て鈴鹿峠から津を越え、伊勢に至るのであろうが、実に500〜600kmの長道中である。 しかし、彼はあっさり、つれなく断っているのである。
普通、若い女性にモノを頼まれれば古今東西を問わず断れないのが男というもんで、多少なりともお付き合いをしてやるのが普通であろう。 
推測だが、やはり公的(公儀隠密、特に仙台藩の内部調査とも言われる・・??)な仕事にも携わっていたこそ・・、と想像してしまうのである。 いずれにしても当時、一生に一度の伊勢神宮参詣は庶民の夢であったといわれるが、芳紀女性同士の遠路の旅路で、何の願掛けか想像するに難いが、大変な道中であることは確かなのである。

次に「正岡子規」のこと・・、
さて松蔭といい、芭蕉といい、遊女といい、徒歩での大変な辛苦の長旅である。
だが、気楽な気持ち(実はそうではない、既に「肺病」を患っていたのだが・・)の長道中もあったようで、「正岡子規」(1867-1902)のことである。

『 悟りは平気で死ぬことではなく、どんな場合でも平気で生きること、   
しかも楽しみを見出さなければ生きている価値がない 』 子規
芭蕉は悲壮な覚悟を決めて出発したが、明治の子規は、いとも気楽に・・

『 みちのくへ 涼みに行くや 下駄はいて 』
と軽く一句捻っている。
四国の松山から東京(江戸から東京になる)へ出て、在学しながら芭蕉顔負けの秋田まで気軽に脚を延ばしているのである。 この時に、芭蕉の「奥の細道」に因んで『はて知らずの記』を残している。
他にも俳諧旅行で「房総紀行」、「水戸紀行」、「木曽旅行」など旅の連続であったが、その後更に明治26年7月から芭蕉の足跡を辿りながら帰京するまで1ヶ月間の東北旅行を行っている。 巡った先は上野⇒白川⇒飯坂温泉⇒仙台⇒松島⇒山形⇒作並温泉⇒天童⇒最上川⇒酒田 鳥海山を見ながら吹浦⇒八郎潟⇒秋田⇒大曲⇒象潟⇒岩手・湯田温泉郷⇒黒沢尻⇒水沢 ⇒帰京
この時、山形・最上川では・・、

『 ずんずんと 夏を流すや 最上川 』
と、圧倒される勢いで流れる最上川の水量の豊かさを詠んでいる。
発想の契機は、有名な芭蕉の『 五月雨を 集めて早し 最上川 』にあるともいわれる。
元々、正岡子規は芭蕉に対する批判者として俳句界に登場したとも云われる。 子規は評論の『芭蕉雑談』の中で芭蕉の高名な俳句を次次批判したといい、芭蕉の業績を全面的に否定したわけではないが、芭蕉の俳句には説明的かつ散文的な要素が多く含まれており、詩としての純粋性(「深さ」、「捻り:ひねり」、「切り」)が欠けていることを難じたのであった。

『 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 』 余りにも有名な句である。
正岡子規が最後に奈良を訪れたのは明治28年10月、肺結核を病む身で郷里松山を出て上京の旅の途中で奈良を訪れている。 この時に詠んだ句である。
この後、7年に及ぶ闘病生活を過ごすことになるが、子規にとって奈良の旅が生涯最後の旅となっている。 子規の文学は、殆どが旅の体験をもとに構築されていったという。 子規の文学は、「吟行」と言われる旅の表現であり、大江健三郎は子規を称して「歩く吟人」と呼んだ。

ところで、昔日は(江戸期の頃まで・・)、今日のように一般庶民には移動の自由が公には認められていなかった時代でもある、人々は、今の観光とは異なって神社仏閣への参拝や宗教的な巡礼を理由に旅をする事が多かった。
日本では、お伊勢参り、善光寺参拝など、ヨーロッパではキリストの聖杯、聖遺物などの使徒の誰彼の遺物が安置されているといわれる大寺院、修道院への巡礼が盛んに行われた。
そもそも、「旅」という概念からして、今と昔では受け取る印象は大分様子が異なる。 特に、現代ではインフラの発達により土地を離れるということに対して、飛行機や新幹線など労力を要しなくなった。 その他にも選択肢は数多く存在する。 それに比べれば、徒歩という手段しか持ち得なかったころの昔の遠出は、即ち苦しいことに違いなかった・・と想像するしかない。だが、旅の目的は「移動しながら、何をするか」ということにおいては、今も昔も変わることは無いようである。
現代の文明は、旅から物理的な苦しみの部分を取り除いたようにも思える。
その事を示す例として、近年では人々の足代わりに鉄道敷設が行われた。 その鉄道の初期の目的は関西では伊勢への「近鉄」、高野山への「南海」、関東では日光への「東武」、成田山への「京成」、高尾山への「京王」などというように多くが社寺参拝の観光目的のために造られた事が挙げられるのである。

小生は、旅には三つの「楽しみ」が有ると思っている。
それは実に単純で「計画段階の楽しみ」(事前の下調べ)、「旅本番の楽しみ(苦しみ・・?)」、そして帰ってきた後の思い出しながら(事後の再確認)、アレコレ調べ確かめて観る楽しみがある。 
吉田松蔭の言葉を借りれば「旅をして学識を広めるもの・・」程の大袈裟なものではないが、確かめて再び知識を得るのも楽しみである。 実は、その結果がこの本文・『日本周遊紀行』を表すのに繋がったのであるが。
いずれにしても、「旅行」とは一般に効率的に行うものであろうが、「旅」は非効率であり、それがまた良いのである。

日本周遊紀行・「まえがき」 【終】

次回は、「旅の準備」


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「旅のはじめに」

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「旅のはじめに」


「旅」という文字を三つも重ねて書くと、「旅」という字・・!、こんな字が有ったかな・・?、と不思議に見えてくる。
更に、『旅』という字をバラバラにすると、「方」という字に「人」という文字が三つ入っているのが判る・・、 何とも意味ありげな文字である。
そう云えば、古典落語に三代目・三遊亭金馬師匠が演じた【三人旅】:(さんにんたび)というのが有ったっけ。 何でも十返舎一九の『東海道中膝栗毛』になぞらえて作ったと云われています。

無論、御承知の方も多いと思うが「東海道中膝栗毛」という内容は・・・、
江戸神田八丁堀に住む、栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ、通称ヤジさん)と食客喜多八(しょっかく きたはち、通称キタさん)が、厄落としのためにお伊勢参りを思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮、京都、大坂へと上っていく様子を、狂言や小咄(こばなし)を交えながら描き出した滑稽話である。
各地の名物や失敗談がふんだんに織り込まれ、二人のコンビは、俗に「弥次喜多(やじきた)」と呼ばれている。
弥次、喜多が大坂よりさらに西に向かい、「讃岐の金刀比羅宮」、「安芸の宮島」、更には「信濃の善光寺」を経て江戸へ戻るまでが書かれている。
なお、「膝栗毛」とは膝を栗毛の馬の代用とするという意から、徒歩で旅行するという意味である。 よって、「東海道中膝栗毛」とは自分の足を栗毛の馬に見立て、東海道を歩いていくの意味である。


『人が旅をするのは到着するためではなく、旅をする為である。(ゲーテ)』
(仮に目的地に到達できなくても、そこに至る道のりには多くの発見がある。 到達という結果しか見ることが出来ない人は、そこに到達しても何も発見しないだろう。 発見する目を持たない人の人生には、何の花も咲かず、実を結ぶこともない。)

「旅」をしようとするにもそれなりの目的やキッカケはあろうが、心に決するのはやはり自分である。 
それは積極的、能動的であるのが望ましいが、消極的、受動的であっても構わない、先ず行動を起こす事であるし、旅に限らず物事を起こそうとする時、とかく面倒くさい、億劫だ・・、と思ってしまったら人生の展開、発展性は望めないのである。
日常の矮小な循環社会で、中々時間がとれないという人もいるが、それは言い訳にすぎず、思考力、行動力に乏しいソレッキリの人生であろう。

「熟年」になった今日・・、
今、「団塊の時代」(昭和20年前半頃の第一次ベビーブーム時代に生まれた世代。他世代に比較して人数が多いところから云われている)と言われて久しい。 これらの人々が定年期を迎えて、少し真面目にセカンドライフの人生設計を考える必要もあろう・・。
少しの貯えも出来、趣味や余暇など自由に使える時間も増えるし、これからの長い時間に備えて「自分の生き方」など、可能性を模索してみるべきでしょう。

例えば「旅」のことである・・、
或いはヒョットすると、旅の中で第二の人生を発見出来るかもしれないのである。
「旅はカンフル剤」」といったのは著名な作家・五木寛之であるが、旅というのは日常空間から、日常住み慣れた地域から先ず飛び出す事から始まる。   

「旅:たび」の語源は不定であるが、その意味上の共通性やアクセントの面から、「とぶ(飛)」との関係や、度数を表わす「たび(度)」が「たび(旅)」が転じたものともいう。 
英語でいう「トラベル」とは旅行のことで普通にはツアー会社の旅行を想像するが、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、フランス語の語源「トラベラー」(拷問の意味)に近い状態であるという。 
ラテン語の語源では何と「拷問、拷問のための責め具、拷問台」という意味もあるという。 
それを受けて「つらいこと」や「苦しみ」という意に派生し、現在では「旅」という意味を持つに至っているという。 
尤もで、一昔は「旅」というのは自分の脚で歩いて移動したものであって、そこには多大な苦労や苦痛があった筈である。
然るに、語源の「トラベイユ」というのは納得なのである。

又、「可愛い子には旅をさせよ」という諺の例にとってみても、旅というものに対する前途多難さや、若者もしくは学を志す者たちのとって、「旅」とは何らかの「苦行」から切り離せない意味合いが含まれている。
旅が、我々に楽しみや喜びだけを付与する存在であるとは言い切ることはできないのである。

近年よく耳にする「自分探しの旅」という言葉から連想されるように、異なる土地の住む人々の文化に触れるということは、自己を啓発し、自己の存在を再確認するためでもあるし、もしかしたら新たな自分の居場所を探し出す機会になるかもしれないのである。
「旅」は観光と同義語のように思われ、単なる好奇心や喜びをを満たすだけの手段とも解釈できそうであるが、本来は、同時に苦しみを伴うものでもあろう。

通常の、日常の生活の中では特別なエネルギーは必要としないが、日常から離脱しようとする時、何がしかの定量以外のエネルギーが必要であり、又、発揮されるだろう、その新鮮な活力、エネルギーが時には人間にとって必要なのである。 
非日常体験は多岐にわたるが、その中でも代表的なのがやはり「旅や旅行」であろう。
何事にもそれを実行しようとする時、キッカケが必要であるが、キッカケは自ら心のうちに湧き上がるものであり、決意するものである。 


さて、話を戻そう、(旅に関してであるが・・)
昔日は、今日のように一般庶民には移動の自由が公には認められていなかった時代である、人々は、今の観光とは異なって神社仏閣への参拝や宗教的な巡礼を理由に旅をする事が多かった。
日本では、お伊勢参り、善光寺参拝など、ヨーロッパではキリストの聖杯、聖遺物などの使徒の誰彼の遺物が安置されているといわれる大寺院、修道院への巡礼が盛んに行われた。

そもそも、「旅」という概念からして、今と昔では受け取る印象は大分様子が異なる。
特に、現代ではインフラの発達により土地を離れるということに対して、飛行機や新幹線など労力を要しなくなった。 その他にも選択肢は数多く存在する。 
それに比べれば、徒歩という手段しか持ち得なかったころの昔の遠出は、即ち苦しいことに違いなかった・・と想像するしかない。
だが、旅の目的は「移動しながら、何をするか」ということにおいては、今も昔も変わることは無い・・。
只、文明は旅から物理的な苦しみの部分を取り除いたようにも思える。
その事を示す例として、日本の鉄道敷設の初期の目的は・・・、
関西では、伊勢への「近鉄」、高野山への「南海」・・、 
そして関東では日光への「東武」、成田山への「京成」、高尾山への「京王」などというように多くが社寺参拝のために造られた事が挙げられるのである。


『 悟りは平気で死ぬことではなく、どんな場合でも平気で生きること、しかも楽しみを見出さなければ生きている価値がない 』
・・と正岡子規は云っている。

次回は、正岡子規をはじめ吉田松陰と芭蕉の旅心について・・、


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旅行、山旅情報新聞  
http://www.kankokeizai.com/ 観光経済新聞
http://www.ryoko-net.co.jp/ 旅行新聞
http://www.maitabi.jp/ 毎日新聞旅行(山旅)


「旅について・・、」(夏季休題)


「旅」という文字を三つも重ねて書くと、「旅」という字・・!、こんな字が有ったかな・・?、と不思議に見えてくる。
更に、『旅』という字をバラバラにすると、「方」という字に「人」という文字が三つ入っているのが判る・・、 何とも意味ありげな文字である。
そう云えば、古典落語に三代目・三遊亭金馬師匠が演じた【三人旅】:(さんにんたび)というのが有ったっけ。 何でも十返舎一九の『東海道中膝栗毛』になぞらえて作ったと云われています。

無論、御承知の方も多いと思うが「東海道中膝栗毛」という内容は・・・、
江戸神田八丁堀に住む、栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ、通称ヤジさん)と食客喜多八(しょっかく きたはち、通称キタさん)が、厄落としのためにお伊勢参りを思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮、京都、大坂へと上っていく様子を、狂言や小咄(こばなし)を交えながら描き出した滑稽話である。
各地の名物や失敗談がふんだんに織り込まれ、二人のコンビは、俗に「弥次喜多(やじきた)」と呼ばれている。
弥次、喜多が大坂よりさらに西に向かい、「讃岐の金刀比羅宮」、「安芸の宮島」、更には「信濃の善光寺」を経て江戸へ戻るまでが書かれている。
なお、「膝栗毛」とは膝を栗毛の馬の代用とするという意から、徒歩で旅行するという意味である。 よって、「東海道中膝栗毛」とは自分の足を栗毛の馬に見立て、東海道を歩いていくの意味である。


『人が旅をするのは到着するためではなく、旅をする為である。(ゲーテ)』
(仮に目的地に到達できなくても、そこに至る道のりには多くの発見がある。 到達という結果しか見ることが出来ない人は、そこに到達しても何も発見しないだろう。 発見する目を持たない人の人生には、何の花も咲かず、実を結ぶこともない。)

「旅」をしようとするにもそれなりの目的やキッカケはあろうが、心に決するのはやはり自分である。 
それは積極的、能動的であるのが望ましいが、消極的、受動的であっても構わない、先ず行動を起こす事であるし、旅に限らず物事を起こそうとする時、とかく面倒くさい、億劫だ・・、と思ってしまったら人生の展開、発展性は望めないのである。
日常の矮小な循環社会で、中々時間がとれないという人もいるが、それは言い訳にすぎず、思考力、行動力に乏しいソレッキリの人生であろう。

「熟年」になった今日・・、
今、「団塊の時代」(昭和20年前半頃の第一次ベビーブーム時代に生まれた世代。他世代に比較して人数が多いところから云われている)と言われて久しい。 これらの人々が定年期を迎えて、少し真面目にセカンドライフの人生設計を考える必要もあろう・・。
少しの貯えも出来、趣味や余暇など自由に使える時間も増えるし、これからの長い時間に備えて「自分の生き方」など、可能性を模索してみるべきでしょう。

例えば「旅」のことである・・、
或いはヒョットすると、旅の中で第二の人生を発見出来るかもしれないのである。
「旅はカンフル剤」」といったのは著名な作家・五木寛之であるが、旅というのは日常空間から、日常住み慣れた地域から先ず飛び出す事から始まる。   

「旅:たび」の語源は不定であるが、その意味上の共通性やアクセントの面から、「とぶ(飛)」との関係や、度数を表わす「たび(度)」が「たび(旅)」が転じたものともいう。 
英語でいう「トラベル」とは旅行のことで普通にはツアー会社の旅行を想像するが、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、フランス語の語源「トラベラー」(拷問の意味)に近い状態であるという。 
ラテン語の語源では何と「拷問、拷問のための責め具、拷問台」という意味もあるという。 
それを受けて「つらいこと」や「苦しみ」という意に派生し、現在では「旅」という意味を持つに至っているという。 
尤もで、一昔は「旅」というのは自分の脚で歩いて移動したものであって、そこには多大な苦労や苦痛があった筈である。
然るに、語源の「トラベイユ」というのは納得なのである。

又、「可愛い子には旅をさせよ」という諺の例にとってみても、旅というものに対する前途多難さや、若者もしくは学を志す者たちのとって、「旅」とは何らかの「苦行」から切り離せない意味合いが含まれている。
旅が、我々に楽しみや喜びだけを付与する存在であるとは言い切ることはできないのである。

近年よく耳にする「自分探しの旅」という言葉から連想されるように、異なる土地の住む人々の文化に触れるということは、自己を啓発し、自己の存在を再確認するためでもあるし、もしかしたら新たな自分の居場所を探し出す機会になるかもしれないのである。
「旅」は観光と同義語のように思われ、単なる好奇心や喜びをを満たすだけの手段とも解釈できそうであるが、本来は、同時に苦しみを伴うものでもあろう。

通常の、日常の生活の中では特別なエネルギーは必要としないが、日常から離脱しようとする時、何がしかの定量以外のエネルギーが必要であり、又、発揮されるだろう、その新鮮な活力、エネルギーが時には人間にとって必要なのである。 
非日常体験は多岐にわたるが、その中でも代表的なのがやはり「旅や旅行」であろう。
何事にもそれを実行しようとする時、キッカケが必要であるが、キッカケは自ら心のうちに湧き上がるものであり、決意するものである。 


さて、話を戻そう、(旅に関してであるが・・)
昔日は、今日のように一般庶民には移動の自由が公には認められていなかった時代である、人々は、今の観光とは異なって神社仏閣への参拝や宗教的な巡礼を理由に旅をする事が多かった。
日本では、お伊勢参り、善光寺参拝など、ヨーロッパではキリストの聖杯、聖遺物などの使徒の誰彼の遺物が安置されているといわれる大寺院、修道院への巡礼が盛んに行われた。

そもそも、「旅」という概念からして、今と昔では受け取る印象は大分様子が異なる。
特に、現代ではインフラの発達により土地を離れるということに対して、飛行機や新幹線など労力を要しなくなった。 その他にも選択肢は数多く存在する。 
それに比べれば、徒歩という手段しか持ち得なかったころの昔の遠出は、即ち苦しいことに違いなかった・・と想像するしかない。
だが、旅の目的は「移動しながら、何をするか」ということにおいては、今も昔も変わることは無い・・。
只、文明は旅から物理的な苦しみの部分を取り除いたようにも思える。
その事を示す例として、日本の鉄道敷設の初期の目的は・・・、
関西では、伊勢への「近鉄」、高野山への「南海」・・、 
そして関東では日光への「東武」、成田山への「京成」、高尾山への「京王」などというように多くが社寺参拝のために造られた事が挙げられるのである。


『 悟りは平気で死ぬことではなく、どんな場合でも平気で生きること、しかも楽しみを見出さなければ生きている価値がない 』
・・と正岡子規は云っている。

小生は、旅には三つの「楽しみ」が有ると思っている。
それは実に単純で「計画段階の楽しみ」、「旅本番の楽しみ(苦しみ・・?)」、そして帰ってきた後の思い出しながらアレコレ調べ確かめて観る楽しみがある。 
吉田松蔭の言葉を借りれば「旅をして学識を広めるもの・・」と言うほど大袈裟なものではないが、旅先での事を確かめて知識を得るのも楽しみである。 
いずれにしても、「旅行」とは一般に効率的に行うものであろうが、「旅」は非効率であり、それがまた良いのである・・。

実は、それらのことを考慮しながら、『日本一周の旅』の決行に繋がったのであるが・・、若年の頃より夢に描いていた事が、熟年になってやっと実現したのである・・・。



尚、「日本一周の旅」、その他の記録については、下記のホームページにて好評投稿中です。
ホームページ・・・ http://www.geocities.jp/orimasa2001/  「旅行、登山、その他の記録」 
この後、小生初海外の「ハワイの旅」を記載の予定です。

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