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写真:上空から那覇空港(資料)と那覇空港 |
沖縄紀行
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写真:首里城・曲線の城壁2枚 |
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沖縄紀行(27)那覇 「首里城」 沖縄の最大の名所「首里城」を目指したが、既に日没となり辺りはスッカリ薄暗くなりつつあった。首里城は、識名園の北方・凡そ4〜5kmの所であり、城址公園は確認できたが駐車場の所在ががどうしても判らず、夕方のラッシュ時にも重なって車が自由に走行できず仕方なく退散することになった。ここで、先年の沖縄観光で訪問した際(1999年:平成11年9月)の記憶を辿って、「首里城」の概要を述べたい・・。 沖縄の観光地で首都・那覇にも近く、一番の定番的スポットが「首里城」であろう。 ところで、「首里」というのは沖縄本島の旧都の名称で、かつては首里市(市制施行前は首里区)として存在し、さらに以前は琉球王国の王都として栄えた由緒ある名称なのである。 現在も首里城を中心に首里と付く行政施設や町名(頭に首里と付く町名)も多く、周辺は首里城をはじめとする歴史的遺産が多い。 写真:首里城概略図と守礼門 駐車場は公園西側に位置する公園管理センターの公営駐車場が首里城の入り口にも当たり便利でお勧めであろう、料金も300円前後で2時間駐車できるようだ。 順路通りに歩くと先ず有名な「守礼門」に着く、門上部には「琉球は礼節を重んずる国である」という意味の「守礼之邦」と書かれた扁額が飾られている。 最近余り見かけなくなったが、「二千円札」の表面に沖縄を代表する首里城の「守礼の門」が採用されていることは周知であろう。 何でも、西暦2000年の沖縄サミット開催を記念して発行(平成12年7月)されたらしい。ただ、二千円札の流通量がやや減少しているせいか、地元、沖縄の琉球銀行では流通増大に向け積極的に県内外にPRしているという。 守礼門の前には琉球衣装で正装した若き御嬢さん(ネーネー)が歓迎してくれる・・?と思ったが、実は観光客相手の写真屋さんのモデルであった。 写真:園比屋武御獄、歓会門 守礼門をすぎると、園比屋武御獄(スヌヒャンウタキ)石門の前を通り歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門など重厚な城壁に囲まれた其々の華麗な門を潜る。 通路は緩い階段になっているが、そのわりに緩やかなので時間をかければお年寄りでも大丈夫。 間もなく「日影台」、「下之御庭」といわれる広い場所に出る、この辺りは既に相当な高所になり、見渡すと那覇の街並が一望できる。 写真:瑞泉門、漏刻門、奉神門 下之御庭の「奉神門」は、城の中心的な広場・御庭(うなー)に通ずる派手な朱塗りの門で入り口は三つあり、中央の門は国王や身分の高い人だけが通るところで、左右は家来などが使ったらしい、この門から中が入城料・・?が必要な有料地区になる。 入口をくぐって正面に華麗な朱塗りの「正殿」が見られる。 龍の柱が左右にあり、堂々とした構えは中国の文化の息ずかい、雰囲気が充分に感じられるのである。事実、首里城・正殿は中国の「紫禁城」に似せて造ったとされているが、これらの首里城の概要、内容は後ほど・・。 写真:首里城正殿と玉座 見学コースはまず上の図、右端下側の建物・番所に入り、反時計回りに南殿、正殿1階、同2階、北殿の順にたどることになる。 正殿のハイライトは二階にある琉球王の「御差床」(うさすが)といわれる玉座で周囲を圧倒している。 この「御差床」は、日本建築の須弥壇 (しゅみだん・寺院の本殿の本尊仏像を安置する壇)形式に似て、国王専用の御座所すなわち「玉座」(ぎょくざ)のことである。 玉座の正面上方には大きく鮮明に描かれた「中山世土」(ちゅうざんせいど)の額縁が飾り付けてある。 中山世土とは、「この土地は何時の世までも琉球国王・中山の物」で有る事を永遠に保証する意味を現している。中山とは、琉球王朝の別称で通常は中山王府(ちゅうざんおうふ)とも云われ、首里城は中山城(ちゅうざんじょう)、琉球王は中山王(ちゅうざんおう)と呼ばれていた。 正殿をそのまま進むと学習コーナーなどがあり、スクリーンに映る映像を見ながら、琉球や首里城の歴史を知る事ができる。又、この周囲には、玉御殿(タマウドゥン)とか琉潭池、円鑑池、円覚寺跡、弁財天堂、 沖縄県立博物館など見所もいっぱいあり、全部見て回ると結構時間はかかりるので少なくとも半日程度の時間を取ってきて来たいものである。 引き続き、首里城と琉球そして中国との関係
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写真:識名園の庭園2枚 |
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「漫湖」、マンコでひと騒動・・・、 |



