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四季*おり*オリ*の散歩道で♪
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米沢・林泉寺♪

5月5日  米沢 林泉寺にて
越後・春日山城の山麓に、謙信の祖父・長尾能景によって建立された上杉家(長尾家)の菩提寺林泉寺が、100年後の景勝の時代に米沢に移ったお寺です。
イメージ 1

関ヶ原の戦いの後、米沢に移った上杉景勝の実母・仙桃院が
元和3年(1617年)に林泉寺十四世万安大悦を招聘して同号の寺を
建立されました。
つまり、ここは仙桃院の菩提寺であったお寺ということです。

藩主になった殿方は 上杉家御廟所 に祀られていますので
こちらにはその奥方や子女、また上杉家に仕えた家臣などのお墓があります。
林泉寺 山門
イメージ 2

【元家老 竹俣当綱(たけのまた まさつな)家の門】
この門は、上杉氏10代鷹山公の時代の名家老 竹俣当綱家のものでありましたが
その跡地を受け継いだ売間信任(うるま のぶわか)氏の特意により
明治41年(1908年)8月、林泉寺に寄進されたものです。     
   もとは萱葺き屋根でありましたが、損傷と老朽化がはげしいため
   平成5年(1993年)9月大改修により面目一新しました。

出掛けたのは、枝垂れ桜の時期の終わりそうな頃でした。
庭園も見事なお寺でした。
イメージ 3

このあと、本堂の中に入りいろいろな品を拝見するのですが
展示のされかた、説明されている方の言葉の端々に違和感を感じ。。。
「見方の応援に遠征して来たのに、なんだかアウェーの真ん中にいるみたいだな。」
と思いながらの見学でした。

そんな凹み始めた気分をもっと落とすことになったのは。。。
上越・林泉寺で見た謙信公の書かれた「第一義 の複製額の下に 
林泉寺 所蔵」のように書かれていたことでした。
   「元」ってことは、ここは「現」であるってこと?!
   上越の林泉寺だって、今も林泉寺に変わりはないでしょ!!!
   ただ、時代の流れと共に、ここにも移って存在するだけ。。。

そんな意味で書かれたのではないと分かっていても
ずっと感じていた違和感の後だったので、どうも気分がスッキリしなかったのでした。

   気を取り直して見学です!

豊臣秀吉は兼続をたいそう気に入っていて
「天下の政治を任せられる一人」と絶賛し、豊臣姓を授け桐紋の使用も認めています。

そんな貴重な書状を目にしたり、宝物殿内には与板城祉の大手道入口にあった
兼続の漢詩「人日」の直筆を見ることが出来たり。。。
  与板城祉大手道にある「人日」の石碑

これが無かったら、ずっと気分の悪いままここを後にすることになったでしょう。。。

   本堂を出て、ここに来た大きな目的のひとつ。。。
   境内の墓地へと向かいます。
兼続 お船の墓 
たくさんの人がお参りしてるので
お墓の並ぶ敷地のなか、すぐに見つけることが出来ます。

米沢藩の基礎を築いた兼続とその妻お船の墓です。
イメージ 4

五輪塔を覆う万年塔の正面にくりぬいた亀甲形は
直江家の家紋「三盛亀甲花菱紋」を象っています。 

左が兼続、右がお舟の墓ですが
この時代には珍しく、2人のお墓が全く対等な感じで造られ置かれています。   
イメージ 5

兼続は元和5年、60歳の時に江戸で死去し、米沢徳昌寺に葬られました。
寛永14年に81歳で亡くなったお船も、同寺に葬られましたが
のちに、双方とも林泉寺に改葬されています。

寛永14年(1637年)、絶家となっていた直江氏の菩提寺であった徳昌寺と
僧録の地位をめぐって争った結果、徳昌寺は廃絶となり住職は与板に追放されました。

徳昌寺の寺域は林泉寺に併合され、米沢藩は徳昌寺にあった直江兼続夫妻の墓を
林泉寺が管理することと決めたそうです。   
与板の徳昌寺といえば、直江家の菩提寺でしたのに。。。


今はドラマの影響もあり、すっかりヒーロー化している兼続ですが
時代によっては奸臣扱いされていて、法要すらされていませんでした。 
しかし、10代藩主であった上杉鷹山公が
「直江夫妻の法要を営まずは人情にあらず」として、文政元年に二百回忌を
執行しました。
 
鷹山公は兼続の政策を大いに参考にして、藩の殖産興業に成功したと言われています。
この頃から 直江兼続の再評価が高まっていったと言われています。
甘糟備後守景綱の墓 
上田衆の一人でもある甘糟景綱です。
イメージ 6
   
上杉謙信・景勝に仕えた剛勇で名高き武将です。
上田長尾の家臣 登坂清高の嫡男ですが、謙信の命により甘糟を相続しています。

景勝の重臣として、越後の護摩堂城・五泉城・庄内酒田城の城主となり
慶長3年(1598年)には白石城(宮城県)の城主に任じられます。
慶長16年(1611年)62歳にて死去。


写真の左後ろに写るもう1つの墓は、新津城主・新津左近のお墓です。
もとは越後国の豪族城氏麾下でありましたが、後に長尾(上杉)氏の家臣となったといいます。
新津城。。。今は自動車学校に形を変えていますが、いつか見学に行って来ようかな。
仙桃院の墓 
イメージ 7

上杉謙信の姉、長尾政景夫人、そして景勝の母でもある綾御前(仙桃院)の墓。
林泉寺を建立することに尽力したことから林泉寺中興開基と称されています。
菊姫の墓 
イメージ 8

上杉景勝に嫁いだ武田信玄の四女・菊姫の墓です。
甲州夫人と呼ばれたそうです。

文禄4年(1595年)からは人質として伏見で過ごし
そのまま慶長9年(1604年)に伏見で死去しました。  
享年47歳。
正式な墓所は京都の妙心寺にありますが、後に米沢にも墓が建てられたそうです。

川中島で激戦を交えた信玄と謙信の子が結婚する数奇な運命は
歌舞伎の本朝二十四考のなかの「八重垣姫」のモデルと称されています。

   
この他にも
菊姫の弟で上杉氏に仕えた武田信清などの上杉氏の子女・縁者や
分家である米沢新田藩の歴代藩主、米沢藩重臣の墓があります。

また上杉鷹山公の側室 お豊の方の墓も林泉寺境内に設けられ
景勝の側室・桂岩院の墓も寛永6年4月(1629年)米沢極楽寺に
移葬されるまでは林泉寺にありました。






最後に、兼続、お船、甘糟の墓に見られる万年塔について触れてみます。

万年塔(万年堂)は兼続によって考案された墓石です。
四角柱の形をした外側の覆いと、その中に納められた五輪塔の二重構造で
造られています。

覆いの大きさは大小様々ですが、一様に四角柱の形をしており
中身がくり抜かれて空洞になっている他、正面とする面には必ず穴が開けられて
います。   
この特徴的な形は、兼続が寺院を防衛上重要な施設として考え
城下の四方に配置したこと、更に墓地の墓石にまでその機能を追求しました。

有事の際、この万年塔を積み上げて敵から身を隠す盾としたり
火縄銃の銃眼としても考えられていました。
また、中身が空洞ということで運び出して使うことも考えられ、川まで運び
中に土を入れて沈めれば堰き止めて堀を造ったり川が増水し氾濫の危険性が
高まった時には堤防の補強という水防の考えもありました。

この万年塔は、現在も米沢のあちらこちらのお寺で見ることが出来ます。


      © 2005-2009 四季*おり*オリ*の散歩道で♪. Reserved.

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    展示の仕方や説明の仕方でその人の気持ちが現れるから何かひっかか
    る時ってあるんでしょうね。
    上杉家ゆかりの地や城址巡りなどをして他の比べられるから尚更なん
    でしょうね。
    兼続が万年塔を他の目的にも使えるように考えていたというのは、
    さすがですね。

    ベル父

    2009/8/13(木) 午前 10:07

  • 顔アイコン

    この時代の物語は好きで織田信長・武田信玄・上杉謙信など小説や漫画で随分読んだけど、
    天地人が始まるまでは【直江兼続】知らなかったです。
    良く調べて分かりやすくまとめてますね♪
    ポチッします☆

    KAWA

    2009/8/13(木) 午前 10:09

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    兼続は江戸で没したんですね。だけどちゃんと戻ってきてお船さんと同じ地に眠っているのだと知って、なんだかほっとしました。
    万年塔の役割が興味深いですね。兼続・・・いろんなことをいろんな角度から見ていた視野の広さはサスガです。
    本当に頭の切れる人だったんだなぁ。

    きゅん

    2009/8/13(木) 午後 3:24

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    米沢まで行っていたのですね。すごい!

    run**npiano**le

    2009/8/13(木) 午後 9:11

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    ちぇるしーさんの歴史めぐりは県外にまで及んでいるんですね!
    ずらっと並んだ歴代の米沢藩主の廟は見ごたえ充分でしたね。
    兼続はいろんな場面で知恵者の顔をのぞかせていますが、
    万年塔の役割などを知ると、視野の広い、才覚を発揮していたことが良く解かります。

    cosmos

    2009/8/13(木) 午後 11:45

  • 顔アイコン

    ちぇるしーさんの記事は、ホントにあちこちの記事がアップされてて、行ったことのないリンデンにとっては、ホントに新鮮です♪
    暑いので熱中症のご注意を☆
    ポチ☆

    ネロリ&リンデン

    2009/8/14(金) 午前 1:08

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    ベル父さんへ♪
    相手は悪意もないんですけどね。。。(^_^;)
    ただ、こちらが本物ですよっていう雰囲気がありありと見えたので。
    何処に行っても、城の傍には主要寺院ってあるんですよ。
    万年塔にまで目的を持たせる。。。すごいアイデアですね。

    ちぇるしー

    2009/8/14(金) 午前 7:17

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    KAWAさんへ♪
    謙信公はよく知ってる人が多いですが、亡くなったあとはどうなったかって知らない人が多いですね。
    今回のドラマは、そんな歴史まで分かっていいです。
    ポチありがとうございます。

    ちぇるしー

    2009/8/14(金) 午前 7:19

  • アバター

    きゅんさんへ♪
    兼続は江戸で。。。菊姫は、人質として行った伏見で亡くなってますね。
    直江家の菩提寺が近くにある私としては、遠い地で眠ってることに複雑な思いがありますが、2人揃ってあるのはうれしかったりします。
    とにかく、目配り、気配りの出来る切れ者だったのでは。。。って思います。

    ちぇるしー

    2009/8/14(金) 午前 7:22

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    るんるんさんへ♪
    まだまだ見たい場所があるんです。
    今は車で移動できるけど、この時代の人がここまで来るのは大変な作業だったと思います。

    ちぇるしー

    2009/8/14(金) 午前 7:23

  • アバター

    宙母さんへ♪
    県外の旅も、米沢を含め3県です。
    あちこち見どころがあって、楽しんでますよ。
    こんな風に、歴代の藩主をまとめて拝めるとは思いませんでした。
    歴史巡りの旅をしていると、どれほどの知恵者だったんだろうと思います。

    ちぇるしー

    2009/8/14(金) 午前 7:25

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    リンデンさんへ♪
    自分の興味が向くと、あちこち出掛けるのも苦にならないです。
    付き合う家族が大変だけど、歴史は私よりも旦那の方が詳しいし好きなので。(*^_^*)
    ポチありがとうございます。

    ちぇるしー

    2009/8/14(金) 午前 7:27

  • 顔アイコン

    相変わらず大変良く調べられていますね。
    感服いたします。
    これだけ記事を詳しくわかり易くまとめるには、相当な時間が掛かるのではないですか?
    まとめて「歴史散歩」の本でも出されては?

    iwatoko

    2009/8/14(金) 午後 0:53

  • アバター

    若乃花さんへ♪
    歴史は苦手で、学生の時は全く勉強しなかったんですよ。(^_^;)
    なので、今実際に出掛けて記事にするのは、自分の勉強のためなんです。
    たくさんの人の書かれたものを読ませていただいて書いてるので、本なんて無理!無理!(^_^;)

    ちぇるしー

    2009/8/15(土) 午前 7:37

  • 顔アイコン

    兼続公もお船さんも亡くなったのは江戸。
    お船さんは、ずっと江戸住まいで生涯に3度程しか米沢に行っていない。

    [ 123 ]

    2009/8/21(金) 午後 5:48

  • アバター

    123さんへ♪
    たった3度しか行ったことのない米沢にお墓がある。。。
    生まれ育った越後にあっても良かったわけですよね。
    ちょっと残念だったりします。

    ちぇるしー

    2009/8/21(金) 午後 8:35

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