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最初に城が築かれた時期は不明ですが、平安時代に三条左衛門が築いたといわれています。 天正6年(1578年)3月13日上杉謙信の急死により、景勝と景虎の間で家督相続の内紛が勃発します。世に言われる“御館の乱”です。 三条城主である神余親綱は、当初 景勝に付く態度を見せましたが 同年5月には、栃尾城主の本庄秀綱と景虎に与し、景勝に対抗しました。 三条周辺では景虎側が有勢でありましたが、頚城・魚沼では景勝の勢力が強く、天正7年(1579年)3月17日 御館は落城してしまいます。 3月24日 景虎は鮫ヶ尾城に逃れますが、城将・堀江宗親の離反により 景虎は、自刃という最期の時を迎えてしまいます。 景虎の死後も、神余親綱は景勝に抵抗を続けていました。 天正8年(1580年)4月には、景勝自身が出馬し 三条城・栃尾城を攻めましたが落城出来ずに引き返しています。 その後、神余親綱は景勝に和睦を申し入れてますが成立せず、 同年6月木場城将・山吉景長が三条城内の旧臣に呼びかけ内応を誘い三条城は落城し、神余親綱は自刃することとなります。 景勝は三条城を応急普及し、甘粕長重を城主としました。 長重は、後に主君である長尾景虎(上杉謙信)の一字を拝領し“景持”と改名しています。同じく、上杉氏の家臣である甘糟景継とは、遠縁にあたる人物です。 天正9年(1581年)新発田重家の乱が勃発します、この時中継地点として度々利用され 出馬の都度、景勝も度々三条城に立ち寄っています。 三条城主のであった景持も、木場城の補佐や新潟城・沼垂城攻略にあたりました。 慶長3年(1598年)景勝の会津移封後には堀直清が三条城城主となりますが慶長5年(1600年)関が原の合戦に関連して、上杉の旧臣の一揆の攻囲にあい 苦戦しました。 堀直清が改易となると、三条城は一旦廃城となってしまいます。 城址碑には こう刻まれています。 中世の越後を二分する応永の大乱(1423年)をはじめ越後の戦乱のたびに この城が攻防の中心となった。 その後河道の変化で川欠けとなり、江戸時代の初め元和2年(1616年) 現三条小学校一帯に移城を余儀なくされた 。。。と。 三条城(三条嶋城)があったとされるのは、信濃川と中之口川に挟まれた 文字通り島状の地形の 旧競馬場付近であったと見られています。 旧競馬場は、しばらくの間野原の状態で 年に1度、三条大凧合戦が開催されているくらいでした。 それが、今年開催された国体のために整備が進み 私が見に行った時には、こんな風に整備が整った状態の時でした。 この日も、夕方の涼しくなった時間帯に、乗馬の練習がされていました。 江戸時代に入ってからの河道変化で、三条城は信濃川本流に侵食され 元和2年(1616年)に、市橋長勝が新たに新・三条城を築く頃には 原型を留めぬ程崩壊していたようです。 城址碑に刻まれていたように、現在の三条小学校、三条公民館の辺りに 新・三条城は造られたようで、城に関する町名が残っています。 僅か15年で三条城は廃城となってしまっています。 登城日:2009年6月27日 場所は変わって、こちらは三条市にある“本成寺”です。 永仁5年(1297年)日印聖人によって開かれた法華宗の総本山です。 ここにある黒門は、時代的な背景は分かっていませんが 三条城移築城門であると伝えられています。 三条城を知る、唯一の建造物です。 鬼おどりに来る際も、ここを通り境内にはいりますが 三条城の城門であったと、初めて知った次第です。^_^; せっかくなので、ここからは本成寺を散策してみましょう。 さらに門を潜り、右手にある本成寺の本堂です。 ここで、毎年鬼おどりが開催されるわけです。 いつもは人でごった返している時に来るので、こんなに静かな境内は初めてでした。 毎年来てはいるものの、鬼おどりが済むと 来た道を戻ってしまうので 他の場所を細かに見たことは無かったのです。 水門です。 真っ直ぐ奥が本堂になります。 ここからさらに進むと、辺りはまるで寺町のようになっていて 寿妙院、顕性院、持経院、本照院、久成院、静明院、要住院 一乗院、本高院、蓮如院、青蓮華院 。。。と、数多くのお寺が敷地内に点々とあります。 1つ1つのお寺も趣があって、それらを見ながら参道を進んで行くと 真っ赤な山門に出ます。 朱塗りのため、属に“赤門”と呼ばれています。 両側の柱のようになった部分には毘沙門天王と持国天王が祀られています お寺としてはこちらが正面なのに、車で来ればいつも横から入って来ていたので このお寺にこんなに立派な赤門があることも、今回初めて知りました。 お寺の周囲には堀が巡らされています。 現在は神社に姿を変えた平城の跡も見ましたが まるで、それらと同じようにも思えるような造りがあるようでした。 こうして改めて見てみると 中世の大寺院の名残があちこちに見られるお寺でした。 本成寺訪問日:2009年7月5日 © 2005-2009 四季*おり*オリ*の散歩道で♪. Reserved.
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三条と言えば…やっぱり競馬場かな〜俺は
競馬に嵌まっていた時は、地方競馬も興味あったから
三条競馬場の名前も知ってました。廃止になる前に行きたかったんですけどね〜
まさかちぇるしーさんの記事で三条競馬場に会えるとはなあ〜♪
つるちゃん
[ つるちゃん ]
2009/12/7(月) 午前 8:14
三条でも歩いてみたいような場所があるんですね。。。
いつも素通りです。
時間がある時歩いて見たいです。
2009/12/7(月) 午前 11:08
城跡がキレイに整備されて利用されているんですね〜。
一度は競馬場として使われていて、それが廃止になっても活用されているのって、素晴らしいです。
いろんな門がありますね。それぞれに役割があったんだろうな〜って感慨深く拝見しました。
2009/12/7(月) 午前 11:26
自分の住む町のことでも知らない人が多いと思うんだけれど、いつもちぇるし-さんの、地元愛が感じられます。
競馬場、昔の武将のつもりになって、乗馬体験がしてみたいような…
[ M.iseri ]
2009/12/7(月) 午後 0:37
お祭りやイベントがあるときと なにもない時の閑散とした時とでは 同じ場所でも 違う場所に思えますよね。
私は 人混みが苦手だし やっぱりこういう場所は 静かなときにゆっくり訪れたいと思ってしまいます。
[ LEOmama ]
2009/12/7(月) 午後 2:28
確かに、こうして見ると立派なお寺ですよね。歴史と風格を感じますね。
三条競馬場は、5年前の水害の後は被災住宅から出たゴミの集積場になっていたのですが、ずいぶんきれいに整備されたんですね。
ポチ☆
2009/12/7(月) 午後 9:34
私が訪問した時には、現存の黒門は街中に唐突にあって・・ちょっと驚きました。
近くを車がすごいスピードで走っていて・・なんじゃこりゃ〜〜って感じでしたけどね。
本成寺は本当に素晴らしいお寺さんですよね。感動しました。
2009/12/7(月) 午後 11:59
つるちゃんへ♪
地方競馬。。。今はすっかり縮小されてしまって、ここも煽りを受けました。
日曜になると、ここも混んでいたんですけどね。
2009/12/8(火) 午前 7:30
KAWAさんへ♪
総本山のお寺がある街ですしね。
ここの鬼踊りは迫力あるので、節分の時に是非どうぞ!
2009/12/8(火) 午前 7:31
きゅんさんへ♪
競馬場が廃止になって、ずっと汚れていましたけど、国体のおかげで蘇った気がします。
大きなお寺なんですよ。当時も権力あったんだろうな。。。って思います。
2009/12/8(火) 午前 7:33
花ママさんへ♪
上杉の歴史は越後の歴史。。。なんですよね。
お陰で、県内各地に出掛けてみることが出来て幸せです。
ここであった国体。。。素敵で、思い出深いものになりました。
2009/12/8(火) 午前 7:35
レオママさんへ♪
ここが荒れていた時、広くてさみしい場所でした。
綺麗に整備されて良かったです。
国体も大成功で終わってるし、いろんな面が見られたと思います。
2009/12/8(火) 午前 7:37
アノニマさんへ♪
大きなお寺は、当時権力も強かったと思います。
近いから当たり前かも知れないですが、岩室の種月寺でも、ここのお寺の名前を目にしました。
水害のあと、私もゴミ置き場になっている姿を見ています。
綺麗になって生まれ変われてよかったと思います。
ポチありがとうございました。
2009/12/8(火) 午前 7:39
ログママさんへ♪
護摩堂山同様、この門もよく見ていたのに、お城のものとは知らず。。。
変な場所の真ん中にあるので「邪魔だな!」って思いながら通っていたんですよ。(^_^;)
城にとっても、大きな権力を盛ったお寺だったのでしょうね。
2009/12/8(火) 午前 7:40
改めてゆっくり訪れてみると色々発見があるものですね.+:。(。・ω-)(-ω・。)ネー゚.+:。♡
だから城址・史跡巡りはやめられませんね〜O(≧▽≦)O
2009/12/8(火) 午後 6:38
かおりんさんへ♪
平城は、原型を留めずに違うものになってる場合も多いです。
でも、そこに城があったと思うのは楽しいですよね。
私も、しばらくはやめられそうにありません!!!
2009/12/8(火) 午後 8:20