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直峰(のうみね)城址

直峰城は、通称城山(標高344m)の地形を巧みに利用して造られた中世の典型的な山城です。   
山頂から四方に延びる尾根の中腹にかけて多くの曲輪や空堀、土塁が残り、険しい地形と相まって堅固な構えを生み出しています。
また、越後府中より関東へ通じる三国街道を眼下に望み、古くから戦略上重要な位置を占めていました。

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この城は、鎌倉時代の末正応年間(1288〜92年)南朝方新田義貞に見方した風間信濃守信昭が築いた城であったと伝えられています。
風間信濃守信昭は越後南朝軍の武将として、越後国内だけでなく北陸・関東・信濃へも出陣して活躍した人物です。14世紀中頃のことです。
この戦歴を偲んで、毎年新緑時の5月8日には風間祭が催されます。

時が下がって16世紀前半は 越後守護代・長尾為景の家臣・周防守英忠(すおうのかみえいちゅう)が城主でありました。
上杉謙信時代の城主は不明ですが、直峰城は春日山城の支城として 重要な役割を果たしていました。
謙信死去(1578年)の後、家督相続をめぐって戦った“御館の乱”では、直峰城は景勝方に味方し、時の城主・小日向隼人佐は景勝から感状を与えられています。
その後の天正8年(1580年)御館の乱で功績のあった樋口惣右衛門兼豊(直江兼続の父)が城主となっています。

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16世紀末、上杉景勝国替え後、後に直峰衆と呼ばれたこの地の人々は城主・樋口惣右衛門兼豊とともに米沢城に移り住みました。
その後、春日山城主となった堀秀冶の家臣・堀光親が在城しました。
慶長15年(1610年)堀氏の除封とともに廃城になっています。
城跡からは鍔、金銅千手観音懸仏、青磁碗などが出土していて往時が偲ばれます。
 

今回の山城は、『天地人』の時代、直江兼続の父、樋口惣右衛門兼豊の居城であった
場所です。

   山の麓からも登山道がついていますが
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   車道と一緒の部分もあり、車を停めるスペースも無いことからも
   上の駐車場まで行ってしまった方がいいと思います。
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駐車場から山へ入る道が2本あります。
右にある道が大手道方面へ出るようだったので、私たちは右の道より登ることに
しました。
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   階段道の右脇は段郭が続いています。

郭の奥に、土塁が切れて空堀があるのかと近づいてみましたが土が崩れたものの
ようでした。
もしかしたら、空堀があった部分が崩れたのかも知れないですが、詳細は不明です。
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   登りきった付近は土が盛られ、郭の土塁だと思いましたが
   上まで行くと、この部分が土橋であり、南側へと続いていました。
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   城へ行く道とは逆になりますが、この土橋を進んで行くと
   先には “観音堂” がありました。   
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   古くから 直峰城の歴代の城主が厚く信仰しました。
   現在、城下の直峰城主菩提寺である賞泉寺に安置されている観音像は
   ここにあったものと伝えられています。

   ここより南側には、先ほどの大手道の続き部分があります。
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   道を戻り。。。   
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   ここから進んですぐに “御館様”
   つまり、この城を築いた風間信濃守信昭の御屋敷があった場所のようです。
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【武将 風間信濃守信昭について】
風間信濃守信昭は、上杉謙信が登場する約250年前の越後にあって南北朝の動乱時代を生きた武将です。
今から700年の昔(1330年頃)鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、南北朝時代と約半世紀に渡って動乱の時代が続きました。
当時の直峰城主・風間信濃守信昭は 南朝方の新田義貞を君主と仰ぎ、越後南朝軍の巨頭として越後国内だけでなく、北陸、関東、信濃へも出陣し戦乱の時代に雄をふるいました。
新田義貞戦時後も、終始一貫して南朝軍のもとで劣勢挽回に奮闘し北朝方の足利尊氏を大いに苦しめたと伝えられています。
一方で、風間信濃守信昭は 日蓮上人が亡くなられた直後の日蓮宗を支えた土台骨として、日蓮宗でもその名をとどめています。
鎌倉幕府に仕えていた鎌倉勤番の時、鎌倉那瀬(名瀬)の日昭上人に師事して和島村(現・長岡市)の妙法寺、鎌倉の実相寺、名瀬(現・横浜市戸塚区)の妙法寺を建立しました。
名瀬の妙法寺と安塚町とは昭和57年偶然のきっかけから670年ぶりに長い歴史を越えて再び交流が始まっているとのことです。

風間信濃守信昭屋敷跡を過ぎ進むと、今度は 杉浦五郎衛門、家老 小島三右衛門
友田嘉右衛門、成田駿河守、増田五郎右衛門 と、家老や家臣の屋敷跡であった
表示が連続してあります。
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私たちは突然やって来て
「ここは兼続のお父さんのお城だったのよね!」っていう感じで見学しますけど
地元の人にすれば、いつの時代になっても 城を造った長谷川様のお城であって
(それ以降も、それ以上の功績を残した人が居なかった。。。ということかも)
その意識が根強く残っているので、当時の家老、家臣の名がここに残っているの
でしょうね。
   
イメージ 11屋敷跡を過ぎると
今度は、かなり陽当たりのいい山道を
進んで行くことになります。

この城と共に、春日山城と坂戸城の連絡通路である三国街道を確保した犬伏城の
ある方向です。
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   この日はすっきりと晴れて、前日の雨で汚れが洗い流された空が
   くっきりと綺麗な日でした。

   この山。。。 屋敷跡を抜けると木が少なくて
   足元はすぐ崖の状態なんですよね。。。^_^;
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   景色は抜群に奇麗だけど 
   高所恐怖症の私には振り返りたくない光景でもあったり。。。
 
   そんな、向こうの見える 折れ曲がった坂道を登ります。
   道が幾度も曲がり、実城部分が近いことが分かります。
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   最後の階段道を登り切ると
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   直峰城、実城に到着です。
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                          その2へつづく。。。


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