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四季*おり*オリ*の散歩道で♪
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村上城址(本丸にて)

記事はこちらからの続きになります。

石垣に感動しながら道を戻ると、本丸への虎口であった冠木門跡が真正面に見えます。写真右、道の奥には平櫓があった場所が、そこからの城道は大きくカーブして冠木門へと入る様子が見られます。

≪冠木門跡≫
本丸への唯一の虎口である“冠木門”を抜け、本丸内へと入って行くことになります。













冠木門があった部分には、鏡柱があった穴、石垣にも柱設置の際に出来たと思われる切り込み、さらに手前には控柱の穴と思われるものもあり、非常に興味深いです。






冠木門跡を抜け、枡形内に入ってまず驚くのが、この大きな“丹後石”です。一般的にいうところの“鏡石”というものです。
どうして丹後なんだろう?と思いましたが、近代村上城を形作った藩主・堀直竒公が“丹後守”でしたよね。。。とすると、丹後石の丹後は堀氏の丹後なのかな?!と、ふと思ったり。
写真では大きさが分かりませんが、高さ2m程もある大石です。
一般に、城の重要な門には威厳を添えるために巨石を据える事があります。国宝・松本城にも “玄蕃石” と呼ばれる岩が据えてありました。これも、その類であると思うのですが。。。
実は、村上城には抜け穴伝説があり、これはその抜け穴の入り口である。。。という話もあるのです。

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じゃぁ、出口は何処だ!。。。という話になりますが、麓にある居館跡から、道を奥の三の丸下方面に向かって歩いていくと、城山の斜面に洞穴になった部分を見つける事が出来ます。
ちびと比べても、当時は大人が入れたと思うような穴です。


穴はもう一箇所にも。     こちらの穴は水平に近くなって掘られていました。


この付近の斜面は、何処も土になっている普通の斜面です。しかし、洞穴の周囲だけは岩になった部分が見られ、洞穴の入り口も、これと同じ石になっているのが分かると思います。
そういえば、栖吉城の三の丸下斜面にも、このくらいの穴が開いてたっけ。。。今思うと、あれも抜け穴だったのかな?!

しかし、これは氷室か何かの跡だった。。。という話もあるようです。その事実を見た人は誰もいないわけで、ちょっと空想で夢を見てもいいかな。。。と思ったりします。
また、抜け穴伝説の出口は、ここだけでなく何箇所も候補があるようですよ。



話は戻り、枡形内をさらに進みます。

外枡形と内枡形を組み合わせた虎口で、通路を上から見ると コの字になっています。

本丸入り口からの本丸内の景色。≪天守方面≫                 

≪反対方面≫


本丸に入るとすぐにある天守台から続く渡り櫓跡への階段。
顔を覗かせた石が黒いものが見受けられますが、火災の際、この辺りも焼けてしまった跡でしょうか?!


渡り櫓跡から見る本丸内。旦那とちびは城下の眺めを堪能中。












そのまま歩いて行くと城址碑があります。
村上城は、またの名を舞鶴城といいます。
1600年以降に出来たお城ですので、きっと白い天守がそびえていたのでしょうね。




城址碑前から天守台方向の様子。

天守台の礎石のようなものが並んでいるのが見えます。
天守台の奥でお昼を食べているのは82歳のおじいちゃん。「イヨボヤ会館を見に来たはずが、こっちが面白そうだから。。。」と、臥牛山を登って来たそうです。何ともお元気なことで!殿様気分で城下を見下ろして食べるお昼は、さぞ格別だったことでしょう。
天守台の礎石が綺麗に並んで見えます。そこには30cm程の柱穴があり、三層の天守を支えていたのだろうと思うと感慨深いものがあります。しかし、火災に遭って焼けたためか、礎石の全てにひびが入り、粉々になった状態で、存在しているのが何とも痛々しいです。
寛文7年(1667年)落雷による火災で天守を消失してしまいます。その後、天守は再建させることはなかったといいます。

天守台直下の帯郭です。
写真の付近には乾櫓が存在していました。


この付近は7〜8mの高石垣なので、下を覗くとかなりの高低差を感じます。

そして、ここからの眺めは最高!城下がくまなく見渡せます。





「本庄繁長の謀反」の際、輝虎(上杉謙信)方の軍事拠点ともなったと伝えられている下渡(嶋)城も見えます。そして、三面川の流れもはっきりと見えます。江戸時代の村上藩の財政難を救った三面川と種川制度も忘れてはならないですね。

天守台への石階段






その脇に見える天守台の石積み

天守台へは石階段がついているのに、こちら側には道跡も出来ています。



今度は、天守台とは反対方面の本丸内を見て行きます。
本丸内から見た枡形の様子。この角度だと、通路がコの字になってる様子が良く分かります。

先ほどとは反対に位置する、渡り櫓跡付近からの天守台方向の眺め。
 
渡り櫓跡上から、また別角度の景色を。

一番奥側(北側)より、本丸全体の様子。       

本丸北側には、神社が祀られていました。
同じ場所から後ろを向くと、下方では出櫓部分の修復作業が見えます。

1億円のふるさと創生基金をきっかけに始まった城址復元工事も、予算が不足してるのか?何年経っても一向に修復作業が進まないようです。早い時期に、城址の全体図を見学したいものですが。。。

本丸だけでも随分写真を撮りたくなる村上城ですが、やはり石垣越しに見える城下の景色は何ともいえない構図に思います。

本丸も随分堪能したので、枡形を通り、今度は中世山城探検へと向かうことにしましょう。

私が今まで見て来た山城というのは、その多くが戦国時代のもので、景勝の会津移封と共に廃城になったものが殆どでした。
戦国期から近世まで受け継がれて使われ、こんな風に石垣を残すような山城は初めてなので、いつまでも高石垣に後ろ髪を引かれる思いがしました。  次へ。。。

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