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四季*おり*オリ*の散歩道で♪
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市島邸・その2


記事はこちらからの続きです。
ここからもお屋敷の案内地図と一緒に、明治時代の建築様式をお楽しみ下さい。


≪南山亭奥座敷≫  南山亭に向かう途中にあるお座敷部屋とお茶室。


水月庵が大事なお客様をおもてなしする場であるのに対し、こちらは親しいお客様をもてなす場だったそうです。
お座敷に掲げられた書は、越後が生んだ歌人、書家、美術史家の會津八一のものです。八一の祖先は、市島家の分家(葛塚市島家)にあたる事から、市島家を散策していても八一の名が度々登場します。(文豪って、名家出身の人が多い???)

南山亭奥座敷から南山亭に向かう渡り廊下                 


材質は木の皮でしょうか?
あじろに細工された壁がいい風情です。
同じ細工の扉が、水月庵内にありました。

南山亭より見える祠





≪南山亭≫(県指定文化財)家族の居間や寝室となっているのが南山亭。明治9年の建設で、6世2代の喜右衛門氏の号に因んで“南山亭”と呼ばれています。




ちびと旦那が畳の数を数えていましたが66畳あり、仏間の27畳と合わせると93畳という、広大な家族の生活スペースです。
なかでも目を引くのは仏間。
8畳3間と3畳1間からなり、回廊を巡らせ、始祖以来の市島家代々の霊が祀られています。お寺さんに来たかと思うような立派なお仏壇に、思わず正面に座り合掌。

仏間に続く一帯は、家族の居間や寝室として使用されていました。





今は再建出来ないといわれている大正ガラスの建具や、ランプシェードにも目を奪われます。


南山亭からは、庭園内の散策をしながら、最初に邸宅内に入った場所まで戻っていく事になります。今度は、こちらの地図で確認しながらご一緒にお進み下さい。


≪裏土蔵≫                ≪卍亭≫


南山亭の裏に建つ土蔵は、地震の影響を受けたからか痛々しい姿でした。火災に強い土蔵は、地震には弱いんですよね。


≪會津八一歌碑≫(上写真右)昭和22年の天皇陛下の下越地方巡幸に際し、會津八一の 「天皇陛下を迎へたてまつるとて」の連作短歌5首の中の2首を刻んだもの。碑石は、阿賀野市出湯の花岡石を使用。

石橋を渡り、池の向こうへ。       ≪吉井勇歌碑≫


昭和33年夏、市島成一が吉井勇と越中立山登山の際、新発田名物の豆腐殻鮨を携え、立山弥陀ヶ原の宿で酒を酌んだ時の即興歌を刻んだもの。碑石は五十公野山の古寺石(玄武岩)を使用。

≪松籟庵・しょうらいあん≫(県指定文化財)因州の茶人松・村宗悦の設計による三畳台目の茶室で幕末の建築。風雪で大破したものを、修理復元したもの。席名は、表千家即中斎千宗左宗匠の命名によるものだそうです。




≪岡野弘彦歌碑≫      ≪茶寮≫


岡野氏は、宮中御歌所歌会始めの召人(選者)で国学院大学の教授。先年、瓢湖に遊びに行った際に詠んだ歌です。

≪説教所≫ 仏教の信仰厚かった市島家の歴代当主が毎月17日に僧侶を招き、村人を集めて説教を行ったという、由緒ある建物です。(20数年前まで、実際に行われていたそうです。)現在は休憩所として使われているので、中にお邪魔してみると、立派なご本尊様がいらっしゃいました。(またここでも合掌!)
このご本尊様、明治30年に武州(神奈川県)金沢の海中から、漁師の網にかかって見つかったものだそうで、戦国の乱世の時代、海に沈められたものではないかという話でした。その後、金沢村にある旅館の、信仰心厚いご主人により安置されていましたが、明治34年の春、8代当主であった市島徳次郎氏が、この旅館に宿泊の折り、このご本尊様を拝し、是非譲り受けたいと申し出たことにより、現在この地にいらっしゃり、ここにいらっしゃったお蔭で、私たちも手を合わせる事が出来たわけです。


お参りして外に出ようとして、お隣の薄暗いお部屋にある額を見つけ、また座り込んで読み始めてしまいました。(~_~;)
昨年から私が追いかけている「越後七不思議」の歌が書かれていました。
私の七不思議の旅、ちょうど終わりに近づいていた時だったので、これも不思議な縁でした。


長い塀に沿って道を戻ります。こんなに長い塀って、なかなか歩く機会もないです。


もう1か所、池の上を渡る石橋があるので、池と庭園の様子を!


以前、庭園の池の水は、川(新発田川の事だと思う)から引き入れ、とても綺麗だったそうです。時代も変わり、諸事情も変わってしまったため、現在では別の方法にて水を入れているので水は濁ったまま。「池を泳ぐ鯉も、何だか苦しそうで気の毒でしょ。」と、お話を聞かせて下さった方が話していました。

最初に入った、邸宅の入り口付近と、長い渡り廊下の側面が見えて来ました。しかし、その前にポッカリと開いてしまったスペースが悲しい。。。
≪湖月閣跡≫              看板にあった 在りし日の湖月閣

ここには平成7年まで、他の文化財指定建造物と同じく、昭和37年に県文化財に指定された湖月閣が建っていた場所です。湖月閣は、平成7年4月1日に起こった新潟県北部地震の際に全壊してしまったのです。


湖月閣は、11世5代・徳次郎氏(湖月)の造営に係り、明治30年に竣工。上中下段と3間と付属の間を加え、合計で108畳の大広間に広縁を回し、2階には3間15畳があり、冠婚葬祭などの式行事の本座敷、また迎賓館として用いられ、市島家最盛期の面影を留める建造物だったそうです。残された礎石だけが、当時の面影とその広さを忍ばせます。

≪蔵≫
一番最初に通った門番所(現在の料金所)を通過した場所にある蔵には、資料館とは違った品々が展示されています。
大きくて長い材木類は、倒壊してしまった
湖月閣、本座敷の部材の一部で、復元のため大事に保管してるのだそうです。
後は、生活用品などがいろいろと。。。








この邸宅、一部非公開のお部屋もありまして。。。そう!私が豪農の館巡りで毎回楽しみにしている、台所回りやお手洗いなど、水回り全てが非公開だったんです。
しかし、蔵の中には、お金持ちのお宅に相応しい、芸術的な便器も展示されていますよ。あ!写真にもちょこっとだけ、青磁の便器が写り込んでますね。(*´艸`)
係りの方々は、みんな親切に応対して下さいました。
鯉の餌も置かれているので、帰り際、お腹いっぱい(?)な鯉にさらに餌やりをし、広大で見どころいっぱいの市島家を後にしました。
今度は、秋の紅葉の時期の庭園の散策がいいかな。。。(*^^*)

訪問日 : 2012年6月2日(土)


  (C) 2005-2012 四季*おり*オリ*の散歩道で♪  Reserved.

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    あじろに細工された壁が良い風情ですね(*^_^*)
    ちぇるしーさんの七不思議の旅も終わりに近づいてきていて不思議な縁でしたね☆
    紅葉の時期の庭園の散策記事も楽しみにしています(^O^)
    ポチ凸

    かおりん

    2012/6/21(木) 午後 10:37

    返信する
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    かおりんさん♪
    この壁の雰囲気、とってもよかったですよ。
    越後七不思議は、歌にもなってるって知りませんでした。
    秋のお庭。。。きれいでしょうね。
    いつもポチありがとうございます。

    ちぇるしー

    2012/6/22(金) 午前 7:27

    返信する

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