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四季*おり*オリ*の散歩道で♪
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天神山城址(越中)


天神山城址は魚津市街地の北東い位置し、片貝川と布施川に挟まれた台地上にある天神山(標高163m)と呼ばれる独立丘陵上に築かれた山城です。 
山頂には大きな2つの曲輪があり、本丸の二の丸に相当します。 本丸の中央部には一段高く設けられた狼煙台があり、魚津城を望むことが出来ました。 
また、本丸の南側には眼下を流れる片貝川に沿って長大な土塁が設けられています。 
さらに山頂から山腹にかけて、大小様々な竪堀が残っています。
天正十年(1582年)の魚津城の戦いでは、上杉方の守る魚津城が織田方の軍勢に取り囲まれた折、援軍に駆けつけた上杉景勝の陣を敷いた城として知られています。
天神山はかつて「松尾山」と呼ばれていましたが、室町軍府将軍・足利義材(よしき)が都の乱を逃れて千光寺に身を寄せていた時、持っていた天神像をこの山に祀ったことから名を改めたと伝えられます。
また、山頂からは弥生土器が見つかっていて、二世紀後半起こった倭国大乱に関する遺跡とも考えられます。

富山からの帰り道、ちょっと寄り道で城址散策!
県内にも同じ名前の城址があるのですが、今回は魚津にある天神山城址です。

城址入り口付近には魚津民族博物があり、そこまでは車で細い山道を進めます。
途中、子供の頃にTVCMで聞き覚えのあった「金太郎温泉」の脇をとおり
あぁ、こういう場所にあったのね。。。って。
本来、金太郎温泉付近までが城域であったようです。

お1人様が登城中!
城址へは2通りの進み方が出来るので、まずはアスファルト道で。。。

この場所、ご記憶のほど。。。
アスファルト道は、城址管理か何かのために、後に道を拡張し舗装されているようです。

中腹部分には無数の石仏が
祀られています。

この近辺。。。
また後ほど登場しますので
覚えておいてください。


二の丸 5分も歩けば、もう二の郭が見えて来ます。

現在はと弘法大師教会場が建てられています。
さらに上段の本丸にも建物が見えるので、高さ関係もはっきり掴めます。
本丸 織田軍が魚津城を攻めた際、上杉景勝が後詰として陣を敷いた場所です。

この部分から確認しても、かなり削平の甘いのが見て取れますね。
実城部には光学坊 天神山弘法大師堂が建てられ、牡丹の花が満開でした。
往時も、本丸、二の丸には同等広さの建物が置かれていたことでしょう。

さらにもう一段高い場所に狼煙台があり、天満宮が祀ってありました。

狼煙台から魚津城が見えるはずなのですが、木が生い茂っていて現在では確認できないようです。 戦国時代の人との、何とも言えない距離感の違いを実感します。

狼煙台上より本丸内の様子

狼煙台に続くように、本丸南側には分厚い土塁がみられます。

井戸があるそうなので、入って来た道とは逆の方向へ

降りて来たのはロータリーのようになった場所。当時の郭だった場所を壊して造ったのでしょう。 以前はここまで車で来れたそうで、石仏群はここまで続いています。

井戸へは思う以上に急坂で、観光用装備だったので断念しました。

岩肌のような斜面の穴に続く石仏の道を進むと、幾つかの竪堀が見られます。
道路は後付けなのでしょう、竪堀が上下で分断されているのが悲しいです。

大きく、はっきり残っているのは竪堀Ⅰ。これは上下ともに確認できるのですが
他は斜面上は確認出来ても、下方向は藪で見難いです。

石仏の分岐点。。。マークの写真部分から、再び二の丸方面へと。

二の丸脇に、行きに通らなかったもう1本の道があるので、帰りはこちらから。


すでに現代人の手が入ってしまっているので
何処が本来の道だったのかもわからなくなっていますが、山頂部の見学を終え
クマさんにも遭わずに帰って来れました。






この出入り口付近には、本能寺の変の後
代として入城した、前田利家配下の青山佐渡守・豊後守親子の墓がありました。


【天神山城と魚津城 戦いの軌跡】
明応2年(1493)■政変により都を追われた室町幕府の前将軍・足利義材が越中守護代・神          保長誠(ながのぶ)を頼って放生津(射水市)へ下向。
         この間、椎名氏を頼って千光寺(魚津市小川寺)にも滞在し、守護神で
         ある天神像を残したとされる。
天文23年(1554)■松倉城の支城として、この頃に築城されたとされる
永禄11~12年 ■上杉謙信が椎名康胤(やすたね)の立て籠もる魚津城や松倉城を攻略
(1568~1569)
天正6年(1578) ■上杉謙信死去。景勝と景虎による家督争い「お館の乱」が起こる。
          翌年、景虎が自刃
天正9年(1581) ■織田信長が佐々成政に越中の支配を命じる。
天正10年(1582)
3月    ■織田方の連合軍(柴田勝家、前田利家、佐々成政ら)が、上杉軍が立て
       籠もる魚津城を囲んで攻撃を開始。
5月15日 ■魚津城救援のため、上杉景勝が援軍を率いて天神山城に布陣。

5月26日 ■織田方の軍勢が信濃(長野)と上野(群馬)方面から越後へ侵略。
        本拠地の春日山へ戻るため、松倉城の軍勢とともに天神山より撤退。
6月2日  ■「本能寺の変」が起こる。織田信長死去。
6月3日  ■織田方の連合軍が魚津城を攻略。
6月4日  ■信長の死が知らされ織田軍が撤退。上杉軍が魚津城を奪還する。
天正11年(1583) ■佐々成政が魚津城、松倉城を攻略し、越中をほぼ平定。
文禄4年(1595) ■前田利家が新川郡を領有し、前田家が越中全域を治める。

≪天神山城遠景≫  (下山途中の耕作地より)

訪城日:2014年5月6日(火)


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  • 昔の栄華の夢の跡でしょうか。時代の移り変わりを感じさせますね。

    遊太郎

    2014/5/30(金) 午前 11:21

  • 顔アイコン

    天神山城址素晴らしい所ですね

    由来勉強になりました

    ナイス

    [ とし ]

    2014/5/30(金) 午前 11:32

  • アバター

    >遊太郎さん♪ (*^ω^)o。゚:.・+ こんばんは +・.:゚。o(^ω^*)
    魚津の戦い。。。悲しい戦いでした。
    今は静かで平和な場所です。

    ちぇるしー

    2014/5/30(金) 午後 9:04

  • アバター

    >びんせんさん♪ (*^ω^)o。゚:.・+ こんばんは +・.:゚。o(^ω^*)
    山の上から眺めると、戦の時の緊迫感を感じます。
    いつもナイスありがとうございます。

    ちぇるしー

    2014/5/30(金) 午後 9:06

  • 顔アイコン

    お城(山城)って同じ名前のが無い物だと思っていました。
    石仏たちが不思議な空気を醸し出していますね。

    金太郎温泉!!一軒だけのお宿がある所ですよね??
    実は父の勤めていた会社の慰安旅行先で
    お土産の金太郎せんべいがとっても美味しかったのを
    いまでもハッキリ憶えてます〜!!

    栗千代

    2014/6/1(日) 午前 11:03

  • アバター

    >栗千代さん♪ (*^ω^)o。゚:.・+ おはようございます +・.:゚。o(^ω^*)
    実はもう1つ、同じ名前の城址が存在するようです。
    無数の石仏たち。。。こういう場所にあるせいか、とても神秘的でした。
    魚津・金太郎温泉。。。このフレーズが印象的で、私もいまだに記憶していましたが、周辺では1軒だけでした。
    きっと、お父様思い出の温泉ですね!
    いつもナイスありがとうございます。

    ちぇるしー

    2014/6/2(月) 午前 7:28

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