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五泉城址

【史跡 五泉城址 (八幡宮)】   
五泉城は永徳2年(1382年)長尾憲顕公により築かれ、初代城主は五泉数馬でした
天正11年(1583年)上杉景勝の家臣・甘粕備後守景継は護摩堂山城より
禄高2万石を与えられ、雑兵96人と共に五泉城に移っています。
甘粕は上田坂戸城・長尾政景家臣・高坂家の出身です。
景勝が上杉家の養子に迎えられた時も、春日山城へ一緒に入っています。
謙信公死後の「御館の乱」で、兼続と共に景勝のため奮闘しました。
文禄2年(1593年)五泉城から庄内酒田城へ移り、上杉家会津移封に同行しました
慶長5年(1600年)の徳川家康による会津攻めにて、白河での軍議に呼ばれて
留守にしている間に、伊達正宗に白石城を攻められ、残してきた部下は2日で城を
明け渡してしまいます。
これで景勝の怒りを買って死罪になりかけ、直江兼続の尽力により助かったものの
以後は冷遇されてしまいます。
景継の不遇を聞いて、徳川家康が自らの家臣になるように持ちかけたが断られ
景勝の耳にも入ってしまい、さらに怒りを買ってしまこととなります。
景継は、晩年は恵まれないまま 慶長16年(1611年)5月自害したと言われ
知行6666石は召し上げられました。お墓は、米沢の林泉寺にあります。
五泉はその後天領となり、五泉城は八幡宮社他として整地され
慶安2年(1649年)社殿を調えて宮腰より遷宮鎮座し現在に至ります。 
   

御館の乱後に護摩堂城主となった甘粕備後守景継ですが
新発田重家の乱の頃、戦闘の最前線となった護摩堂城から
この五泉城へと移って来ています。
   
こちらは平城であり、現在は八幡宮となっていて
当時の遺構などは残っていません。
イメージ 1

   境内の様子
イメージ 2

   境内にある “甘粕備後守城跡” の石碑
   ここがお城であった事を証明する唯一のものかも知れません。
イメージ 3

イメージ 4

   社殿の右手から後ろにかけて、幾つかの境内社が並んでいました。
   この神社の御祭神は “日本武尊”とありました。
イメージ 5
   
立て看板によると
尊は、当時地方豪族がはびこり乱世の時代であったため
天皇の命により、これら豪族を平定し、日本の国づくりに大変御尽力をなされ
ことに静岡県焼津では歴代天皇の継承される三種の神器 草薙の剣で
火難を除かれた故事は有名であります。
火防の神は元より、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全、身体健全など
開運心願成就のの神として全国の信者に崇められている神様であります。   
                              とありました。

イメージ 6

   亀の台座に乗った神社。。。  水の神でしょうか?!
イメージ 7

拝殿の右後ろから、用水路を越えて一旦外に出ます。
イメージ 8

   そこには天満宮がありますが、ここも八幡宮の社の1つのようです。
イメージ 9

天満宮に向かって右隣には駐車場があり、この辺一帯も城域であったと思われます。

                       登城日:2009年7月4日


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