雪冤闘争宣言

世間に知られていない冤罪事件がたくさんあります。私の事件もその一つ。どうぞ知ってください。応援してください。

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10、しかし、私は25日に福岡に居たことがはっきりすれば、無実が晴れると思うから、なお執拗に調べてくれと哀願するしかない。
 私が探して欲しいのは、法律で5年間の保存が義務図けられている、商業帳簿類だもの、本気で調べたら見つからぬはずが無いではないか。

11、「ヨシ、調べてやろう。ただしお前が言ってるように、その後も佐藤と会っていたというのでは、話にならん。この日以来佐藤は行方不明だ、ということでなけりゃ、再調査の許可は下りない」と捜査主任が言う。

12、これに乗っては危険だ、ということにそのときの私は気づかなかった。
 25日のアリバイさえ証明されれば、助かると錯覚していたのだ。
 刑事に誘導されるままに、まるでこの日、福岡の見に行った土地で、佐藤と争いごとでも起こしたようにしゃべってしまった。

13、1週間ほどたった8月29日の取調べで、刑事から初めて、「お前のチェックした場所から、5年前に佐藤の死体が見つかっていたぞ」といわれたときの驚きといったら無い。
 しかも近くから、中国服姿の女が2名死体で出ている、これもお前が一緒に殺ったのだろうという。

14、私は佐藤のその後の生活について、台湾の女性2名をつれて、あちこちと旅行していた、と説明していたのだ。話がぴったりと合うではないか。
 3人殺し事件として、マスコミも報じていると聞いて、本当に犯人にされてしまうという、恐怖心がわいてきた。

15、逮捕から取り調べに至る状況は以上のとおりである。
 結論として、私は佐藤殺しの容疑で起訴された。
 なんと私がアリバイのつもりで説明をしていた、26日の福岡のホテルが犯行現場だとされたのだ。

16、事件には直接証拠は何も無い。
 物証なし、目撃者なし、凶器不明、どんな理由で、いつ、どんな方法で殺害し、どうやって死体を始末したのか、何もかも一切不明のままで、有罪20年の判決となった。

17、犯行日を24、25日頃と、大雑把に決め付ける判決って一体なんだろ。
 これでは私には、アリバイ主張が不可能ではないか。25日には給料支払いをして、東京に居たといえるのではないか。
 でも25日の一番機で福岡に向かえば、その日のうちの犯行は可能だと判決はいう。

18、冤罪事件では、犯行の自白調書があって、それが唯一の直接証拠である例が多いが、本件にはそれも無い。

19、そもそも本件の死体は、5年前の8月にすでに発見されていたものだ。
 それが3度にわたる正式な鑑識照会にかかわらず、なぜ、私を犯人と決め付けるまで、佐藤の死体だと認識されなかったのか?

20、捜査当局は、歯のX線写真を裏側から見てしまったので、左右が逆になってしまい、本件死体とは一致しなかったと弁明した。
 でも、素人が照合したのならともかく、鑑識のプロが何度も同じ単純な誤りをするはずが無かろう。
 しかも、X線フィルムの表側には、証拠提出した歯科医によって、きちんと「L」「R」の文字がマジックペンで書き込まれていたのだ。

21、あの死体は佐藤ではない。私は現在では、そう確信している。

22、私自身今もって、なぜこんなわけの分からない事件で23年も服役しなければならなかったのか、不思議でならない。


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1、 1985年7月16日未明、渋谷区円山町で経営していたパブから出た私が、車に乗ろうとしていたところを、警視庁捜査4課(組織暴力団担当)の5人の刑事に急襲されて、逮捕された。

2、 5年前から所在不明になっている、佐藤松雄(私のビジネス相手だった)を殺害して、彼の所有していた田園調布の自宅等の、財産を乗っ取ったという容疑である。

3. 始めから私は殺人容疑を否認。警視庁は事件を立証するためには、私の自白を得る以外には無いので、厳しい取調べを開始した。

4、 警視庁はそのときまでに、佐藤の身元を特定するに足る、すべてのデータを持っていて、警視庁鑑識課、そして警察庁の鑑識課にも委託して、過去に発見された身元不明死体との照合を済ませていた。
 その結果、佐藤の死体はまだ発見されていないと判断していたのである。

5、 私が佐藤の自宅の処分や、預金の解約等の手続きをしたことを認めたから(もちろん佐藤の了解の下にである)、その行為に私文書偽造やら、公正証書原本不実記載などの理由をつけて、別件逮捕を繰り返した。
 結局、私は警視庁の留置場に136日間収容され続け、朝から晩まで、佐藤殺しを自白するようにと責められた。

6、 警視庁では当初、佐藤殺害は1980年の7月半ばだというシナリオを立てていた。「ちょうど5年ぶりのお盆の期間だ。今のうちに死体を出してやれ。成仏させてやれ」と繰り返して私を責める。

7、 これに対して私は、逮捕翌日にはもう「佐藤と一緒に7月25日に、福岡へ担保の土地を見に行っているので、調べてくれ」とアリバイを述べている。
 その後も佐藤と会った記憶は沢山あるのだけど、いくら弁明しても、証拠がはっきりしていないと、刑事たちはまるで相手にしてくれない。
 福岡旅行なら、航空搭乗券、レンタカーの借り出し記録、ホテルの宿泊記録などの痕跡が沢山残っているはずだと思った。

8、 その後の調べで、犯行日は24、5日だろうということになった。23日に佐藤から電話があった記録が見つかったこと、25日の店の従業員給料日に遅配なく私が支払っている(約70万円ほどの計算になる)が、これは佐藤から奪った金に違いない、という理由からだ。
 私が金に困って殺したというのが、警察の作ったシナリオだから、私に金があっては困る。

9、 24、25日に絞って私の行動を逐一詳細に説明させられるのだが、何しろ5年前の平凡な一日のことだ。はっきり出来るわけがない。
 結局25日の話に戻ってしまう。
 私の福岡旅行のアリバイ申し立てに対し、一度は警視庁もしぶしぶ捜査官を福岡へ派遣して調査したようだが、何も証拠が見つからなかったという。


 続きは次の記事に進んでください。http://blogs.yahoo.co.jp/orisen0706/3146722.html

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