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2006.11.13
 
第九番札所・法輪寺から第十番・切幡寺へ。
 
緩やかな坂道を上っていく。
 
道の両側に表装屋さんやお遍路用品店、宿などが並んでいる。
 
休みなのか朝だからなのか閉まっていた店のガラス越しに、いい感じの笠が見えた。
ちょっと小さめで柿渋で塗られた、先達さんが被っていそうなやつ。
 
しかし、今の自分にはこの渋さはまだ早い。
またここに来ることがあって、その時もこの笠があって、お店が開いていたら考えよう。
 


 
途中、仁王門の建築工事のため回り道をしてください、という看板が。
 
歩きだとちょっとの回り道でも嫌なものなんだな、と思いつつ迂回路を歩く。
 
イメージ 1
 
すると、道の脇にこんなものが。
 
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なんだろう…犬のお墓?
 
工事中でこの道を歩かなかったらこれを見つけることもなかった。
見つけてよかったのかどうかはわからんが。
 

 
イメージ 3
 
この橋、「杖無し橋」。
 
イメージ 4
横に碑が建っている。
 
杖無し橋
大阪市東区玉堀町姓不詳シス女(二十五)は大正九年流産して以来心臓脚気に罹り赤十字病院に入院療養を加えたが歩行困難になりその内父も死亡し孤独となったので大阪府東成郡中元町松永敏三郎妻ヒサノから四国巡拝に同行を勧められ、すべての厄介を見てやると言われたので、ヒサノの二子と同行四人で大正十一年三月二十六日撫養(鳴門市)に上陸し二番札所まで両杖を脇に挟んで辿りついたが足は愈々痛み杖に縋るのさえ苦痛に耐え兼ねて是では到底三百里の四国地を巡ることは出来ぬと言って、今帰国しても誰も頼るべきもないので自殺の覚悟まで定めたが、それでは同行者に迷惑をかけると思い直し、日々弘法大師の加護に縋り行ける處まで行こうかと、四月四日第十番切幡寺山下境内まで着くと心急に清々しくなり俄に杖無くして歩めるようになり勇み立って山上の本堂に参拝するや同行の者はこの感激に聲を挙げて泣き喜んだ。此時、住職大平智誡師は本尊の前に観法し、将に護摩供の修行に移ろうとした時なので、此事を聞いて直ちに一行を道場に入れ、護摩供の加護に逢わしめた。この利益を受けた石橋は信仰生活の上に一大記念すべきものとし、住職は之を「杖無し橋」と命名した。
大正十一年四月八日(土)徳島毎日新聞(現徳島新聞社)掲載記事より
 
 
同種の話は八十八ヶ所の他の場所でも耳にすることがある。
 
信じるも信じないも人それぞれでいいと思う。
 
自分は、時代性もあるのだろうけど、これが新聞に載った記事であるということに驚いた。関係者の住所や名前が書いてあるし。それに大正だからそれほど大昔でもないし。
 
そして、こういうこともあると信じる方が、この世界はおもしろいだろうと思う。
 
現代でもきっと、病や何らかの不幸を抱え、救われることを願って八十八ヶ所を回っている方も少なくないだろう。
 
どういうかたちであれ、その方たちが救われることを願ってやまない。
 
それにしても、四月四日にこういうことがあって、八日にはもう新聞記事になっている。
 
大正時代って、意外とスピーディーだったんだな。
 
 

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