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10 years after

大部分において、自分はしょうもない人間である。客観的に見たら、もっとシャキっとしろよとか、ちっとは要領よくやれよ、と言いたくなる人間だ。

でも、もし四国を歩いていた頃の自分に出会ったら、笑顔で抱きしめてやりたい。よう、やってるな!という感じで。

もちろんどこで何をしていようと同じ人間なので、しょうもない自分であることに変わりはない。であっても、あの仕組みの中にいた自分はたまらなく愛おしい。

ということは、あれはいまのところ唯一の、自分が自分であることを認められる、愛することのできる場所なのだな。
2006.11.13
 
第九番札所・法輪寺から第十番・切幡寺へ。
 
緩やかな坂道を上っていく。
 
道の両側に表装屋さんやお遍路用品店、宿などが並んでいる。
 
休みなのか朝だからなのか閉まっていた店のガラス越しに、いい感じの笠が見えた。
ちょっと小さめで柿渋で塗られた、先達さんが被っていそうなやつ。
 
しかし、今の自分にはこの渋さはまだ早い。
またここに来ることがあって、その時もこの笠があって、お店が開いていたら考えよう。
 


 
途中、仁王門の建築工事のため回り道をしてください、という看板が。
 
歩きだとちょっとの回り道でも嫌なものなんだな、と思いつつ迂回路を歩く。
 
イメージ 1
 
すると、道の脇にこんなものが。
 
イメージ 2
 
なんだろう…犬のお墓?
 
工事中でこの道を歩かなかったらこれを見つけることもなかった。
見つけてよかったのかどうかはわからんが。
 

 
イメージ 3
 
この橋、「杖無し橋」。
 
イメージ 4
横に碑が建っている。
 
杖無し橋
大阪市東区玉堀町姓不詳シス女(二十五)は大正九年流産して以来心臓脚気に罹り赤十字病院に入院療養を加えたが歩行困難になりその内父も死亡し孤独となったので大阪府東成郡中元町松永敏三郎妻ヒサノから四国巡拝に同行を勧められ、すべての厄介を見てやると言われたので、ヒサノの二子と同行四人で大正十一年三月二十六日撫養(鳴門市)に上陸し二番札所まで両杖を脇に挟んで辿りついたが足は愈々痛み杖に縋るのさえ苦痛に耐え兼ねて是では到底三百里の四国地を巡ることは出来ぬと言って、今帰国しても誰も頼るべきもないので自殺の覚悟まで定めたが、それでは同行者に迷惑をかけると思い直し、日々弘法大師の加護に縋り行ける處まで行こうかと、四月四日第十番切幡寺山下境内まで着くと心急に清々しくなり俄に杖無くして歩めるようになり勇み立って山上の本堂に参拝するや同行の者はこの感激に聲を挙げて泣き喜んだ。此時、住職大平智誡師は本尊の前に観法し、将に護摩供の修行に移ろうとした時なので、此事を聞いて直ちに一行を道場に入れ、護摩供の加護に逢わしめた。この利益を受けた石橋は信仰生活の上に一大記念すべきものとし、住職は之を「杖無し橋」と命名した。
大正十一年四月八日(土)徳島毎日新聞(現徳島新聞社)掲載記事より
 
 
同種の話は八十八ヶ所の他の場所でも耳にすることがある。
 
信じるも信じないも人それぞれでいいと思う。
 
自分は、時代性もあるのだろうけど、これが新聞に載った記事であるということに驚いた。関係者の住所や名前が書いてあるし。それに大正だからそれほど大昔でもないし。
 
そして、こういうこともあると信じる方が、この世界はおもしろいだろうと思う。
 
現代でもきっと、病や何らかの不幸を抱え、救われることを願って八十八ヶ所を回っている方も少なくないだろう。
 
どういうかたちであれ、その方たちが救われることを願ってやまない。
 
それにしても、四月四日にこういうことがあって、八日にはもう新聞記事になっている。
 
大正時代って、意外とスピーディーだったんだな。
 
 

被写体のバランス!

2006.11.13
 
三日目にして、初めてのお遍路最終日。
 
前日痛めてしまった左膝ウラを気にしつつ、第六番安楽寺を出発。
 
前日お参りをすませていた十楽寺、熊谷寺を通過し、第九番法輪寺を目指す。
 
安楽寺を出てすぐ、車道が少し狭くなっていて、すれ違う車が速度を落としつつも慌しく行き交う。
 
自転車に乗った高校生や、ランドセルを背負った小学生がいる。
 
そういえば今日は月曜日。
 
みんな、働いたり学校に行ったりしてる日なんだ。
 
ちょっと後ろめたいような、申し訳ないような気持ちになった。
 
「歩いてすみません。」
 


 
イメージ 1
 
すだち酎。
 
あまり酒は飲まない、まして焼酎の類は苦手なのに、これは何だか美味しく飲めそうな気がした。
 

 
イメージ 2
 
普通の家並みの間に、普通に牛が飼われていた。
 
辺りの風景は日頃暮らしている町と似ているのだが、この「牛の飼われている風景」は際立った相違点だ。
 

 
イメージ 3
法輪寺の門
 
ちょっと道に迷いかけつつも法輪寺に到着。田んぼの中にぽつんと建っている印象。
 
月曜の朝だからか、人は少ない。門前にお店があったが、朝だからなのかまだ閉まっていた。
 
イメージ 4
本堂
 
イメージ 5
大師堂
 
なんと、法輪寺で撮った写真はこれだけ。あまりに淡白すぎではないだろうか。我が事ながら、何故だ。
 
すだち酎の看板は写真に撮るくせに。
 

 
イメージ 6
 
こんな風景の中に法輪寺はあった。
 
しかしこの青い空、歩いていて気持ちがよくないわけがない。楽しくないわけがない。
 
イメージ 7
 
今日も、きれいな花を見つけた。
 
楽しい。ありがたい。
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
空も、山も本当に綺麗だった。
 
いくらでも写真に残したくなる。寺には淡白なくせに。
 
この目で見た風景は、とても写真では伝えられないくらいによかった。写真のような風景にぐるりと取り囲まれていて…。
 
何より空気が心地よかった。もともと寒い季節の朝の冷たい空気は好きだ。
 
でも、これはきっとそれだけじゃない。
 
 
 

この道の果てに

2006.11.12
 
イメージ 1
 
熊谷寺から安楽寺への帰路。
 
軒先に見事な菊が咲いていた。
 
昔、祖父の家に行くと、庭にいくつもいくつもこんな菊が咲き誇っていたことを思い出した。
 
ふと思った。
 
自分の先祖の中に、四国八十八ヶ所を巡ることを望んでいた誰かがいたのかもしれない、と。
 
それは一人ではなかったのかもしれない、と。
 
自分がいまここにいるのは、その誰かの想いによって運ばれてきたのかもしれない、と。
 
一族の代表としてここを歩いているのかもしれない、と。
 
まだ八番までしか歩いていないこの道のりの先を、急に遠いものに感じた。
 

 
イメージ 2
 
十楽寺と安楽寺のあいだにある、熊野神社。
 
中には入らず、正面から手を合わせ、しばらく立ち止まってから歩き出そうとしたその時。
 
左ひざの後ろ側に、ピリッと電流が走ったような痛みを感じた。
 
歩くとかなり痛い。安楽寺まで、わずかな距離だが苦労した。
 
なにか熊野神社の神様を怒らせるようなことをしたのだろうか、と思ったりした。
 

 
安楽寺では、夕食前にお勤めがあった。
 
この日はご住職がお留守ということで、般若心経などを唱えたあとに、若いお坊さんが堂内の紹介をしてくださった。
 
壁には、空海の書が彫られている。
 
説明を聞いていると、おもしろいところがいろいろあることを知った。
 
単に字が巧いというだけでなく、やはり独創的で個性的な人だったのだろうと推測できる。
 
そして、かなりユーモアのある人だったのだろうとも。
 


 
この日は10人ほどが安楽寺の宿坊に宿泊していた。
 
予約の電話をした時は、自分ひとりしか泊まる者がいないので朝食は出せませんということだったが、その後に朝食もご用意できることになりましたと連絡があったのだが、ずいぶん増えたもんだ。
 
もっとも、ここの宿坊はかなり広くて、10人でもまだまだまだ…という感じだった。
何にしても泊めていただけるのはありがたい。宿坊のあるお寺は、思っているよりずっと少ない。
 
 
夕食中、それぞれの遍路についての話になる。いろいろな動機やスタイルがあって面白い。
 
自分にとってはとても楽しかった大日寺への遍路みちだったが、九州から来た一人歩きの女性は、その道に入ろうとしたところ地元の方に止められ、徳島自動車道の高架下の道を歩いていくように勧められたのだという。
 
危険だから、と。
 
自分には何が危険なのか分からないし、あの道を歩かないなんてもったいない…と思ったが、地元の方が言われるからにはそれなりの理由があるのだろうし、男と女じゃそりゃ危険度も違うだろうし、その人にはそれが正解で、そういうご縁だったのだろう。
 


 
ひとり、60歳前後とみえる四国在住の男性がおられ、前日に八十八ヶ所を回り終えて一番へのお礼参りの途中ということで、他は初心者ばかりの中で半ばヒーロー扱いだった。
 
主に土日を利用しての区切り打ちだったそうだ。近いとそういうことが出来るのが羨ましい。
 
時には夜を徹して歩いたこと、室戸岬に向かう途中にバス停で仮眠していたら近所の家のイヌに吼えまくられ移動しなくてはならなくなったこと、トンネルを歩くときの恐怖感など、おもしろいだけでなくどことなく重みが感じられる。さすが、完遂者。
 
誰かが尋ねた。
 
八十八ヶ所を回り終えて、内面に何か変化がありましたか、と。
 
「何もありゃしませんよ、そんなもの」と、その男性は笑いながら答えた。
 
照れからそう言ったのか、本当に何もなかったのか、あるいは本人もまだその変化に気づいていないのか、それは分からなかった。
 
いくらなんでも、何の変化も成果もないなんてことはないだろう、と思った。
 
でもきっと、変化も成果もご利益も人それぞれなんだろう。
 
本当に、何の変化も訪れないのかもしれない。
 
無理にこじつけるくらいなら、「何もない」と言いきる方がいいのかもしれない。
 
それでもきっと、自分は望む。
 
変化を、自らに足りないものを、この道のどこかに。
 
 

雨の境界線をゆけ

2006.11.12
 
イメージ 1
熊谷寺の多宝塔
 
熊谷寺は広いだけあって本堂・大師堂のほかにも多宝塔、鐘楼など建造物がいろいろあった。
 
イメージ 2
 
仁王門を通って境内に入る手前には弁財天が祀られていた。
 

 
熊谷寺に着くころに降りだした小雨は、帰ろうとするときにはやや強くなっていた。
 
雨具のポンチョは持っていたが、着るかどうか悩むくらいの降り。
 
仁王門を出て少し先にある徳島自動車道の高架下で、休憩がてら雨模様を眺める。
 
すると小さなおばあさんがやって来て、「雨が難儀だねえ。カッパはもっているの?」と言いながら前を横切っていった。
 
持ってます、と答えつつ目で追いかけると、もうおばあさんの姿は見えなくなっていた。
 
よほど歩くのが早いおばあさんだったのか、パッと現われすぐに消えてしまったようで不思議だった。
 
ふと高架のそとを見ると、雨は止みそうになっていた。
 
これなら、ポンチョを着ずに歩けそうだ。なんだかおばあさんが雨を連れ去ってくれたような気がした。
 
イメージ 3
 
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イメージ 5
 
イメージ 6
 
遠くの空を眺めると、雲の切れめから差し込む陽の光が遠くの山々にカーテンのように降り注いでいた。
 
こういう光景を見るのは好きだ。厚い雲の向こうでも必ず太陽はそこにいることを思い出させてくれる。
 
歩いている自分の周りは雨が降っていなかったが、それほど遠くないところで雨音がぽつぽつ聞こえる。
 
雨と、雨が降っていないところの境い目近くを歩いていたのか。
 
背後から雨が追いかけてきているような気がして、少し早足で歩いた。
 
目指すはこの夜の宿所、六番安楽寺の宿坊。

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