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今回はかなり重い内容になります.ご了承下さい.
ベルリンの市街地から北,電車に揺られること45分.Oranienburgという街に到着しました.
この日の目的地はザクセンハウゼン強制収容所.第二次大戦中,強制連行されたユダヤ人やその他政治犯とされた人々約10万人が命を落としたと言われる,悪名高い旧ドイツ軍の強制収容所です.ポーランドのアウシュヴィッツの方が有名ですが,こちらも同等の収容所です.
Oranienburg駅から徒歩20分,小ぎれいなインフォメーションの建物が見えてきました.
入場料を払おうと係員に聞くと,『無料です』と.後で書きますが,跡地の内部はきれいに整備されており,当時の様子を語る整然とした展示やビデオ放映が所々に配されています.これだけの設備を整えながら『入場無料』.過去の汚点を人々に伝えることは義務であるという,信念のようなものを感じます.
収容所跡地の門です.ここから幾多の人々が収監され,そして命を落としました.『ARBEIT MACHT FREI』英語に直すと『Labour makes free(働けば自由になる)』とでもなるでしょうか.これほど恐ろしい嘘はありません.強制労働の末に待っているもの,それは『死』です.死ねば自由になるとでもいうのでしょうか・・まだ入り口だというのに,私はもういたたまれない気分になっています.
収容所の案内板です.ザクセンハウゼン収容所の広大な敷地は,高い壁,高圧電流の流れた有刺鉄線で三角形に形作られていました.三角形である理由は,一目で全ての場所を見渡せるため.壁の至る所には看守塔が立っています.
とにかく広い・・いまでこそモニュメントと一部の建物(復元)を残して一面の草原となっていますが,当時は放射状に収容施設の長屋が建ち並び,数万人が収容されていました.写真で所々に並んでいる直方体の石は,当時の収容施設の建物一つ一つの入り口を示しています.もはや言葉も出ません.
いくつかの建物は当時の位置に復元されており,中には当時の様子を語る資料などが整然と展示されています.また新たに大きな展示館が作られ,第二次大戦当時,およびその後のソ連軍の統治下の収容所に関する資料が,所狭しと展示されています.
これは第二次大戦後のソ連軍統治下,主にドイツ兵捕虜が収容されていた牢獄です.8畳間程度の部屋に30人以上の男達が押し込められ,外出はおろか,日の光さえまともに見ることが出来なかったと言います.食事は一人一日パン半切れと数口のスープのみ,また30人以上に対してトイレはたった一つ.その過酷さ,不衛生さは壮絶を極めたそうです.しかも皆が寝静まった深夜,突如十数発の銃声が聞こえてくるそうです.朝には死体置き場に新たな死体が転がっている・・想像すら出来ない地獄絵図です.
そして最も衝撃を受けた場所はその後です.保存のための白い屋根に覆われ,古い煉瓦の基礎部分が当時のままの姿を晒しています.紛れもない『本物』,それは『処分施設』.そう,数万人が命を落とした,恐ろしい殺人施設です.
入り口,脱衣所,ガス室,銃殺室・・そして焼却炉.こと焼却炉などは,当時のまま残っています.勿論,こんなものにカメラを向ける気は毛頭起きません.ですから写真はありません.人類の愚行の象徴とも言える場所です.ガス室には温水の出るシャワーが付いていたそうです.これは最期を迎える人に対する慈悲などではなく,単にガス(チクロンB)の効果を上げるだけのもの.私が大学に入ってすぐに見た映画『シンドラーのリスト』の場面が頭の中をぐるぐると巡ってきました(あの舞台はアウシュヴィッツですが).
すごく重い内容ですみませんでした.ただどうしても行った記録を残しておきたくて書かせていただきました.
次はまたお気楽な内容で.
つづく
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