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チアパス州のジャングルの中の遺跡。色鮮やかな壁画で有名。西暦590−800年に多くの建造物が建設された。
1946年に発見されたアクロポリスの3つの部屋に残る鮮やかなこの壁画は、最初の部屋で神官、貴族たちが会話し、音楽が奏だされ、戦争に望む様子、2番目の部屋で戦争の様子、3番目の部屋では戦争の勝利により捕虜を生け贄にする様子、チャン・ムアン王の様子などが1221年前の壁画とは思えぬ状態で残っている。部屋の見学は観光客の多いときは一人1分−3分。私たちがいった時間は早くたっぷり見ることができた。地元ラカンドンのマヤ先住民の遺跡警備の二人はしっかり自分たちの祖先の偉大な功績を誇りにもって働いていた。
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メキシコの遺跡
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涙がでるぐらい感動の遺跡ヤシチラン。念願かなっていってきた。
現在陸路ではいくことはできない。まずこの簡単にたどりつけないことあたりから鳥肌がたつ。グアテマラとメキシコの国境にあるウスマシンタ川を約30分下ると見えてきたヤシチラン。残された多くの碑文から359年に国が創設され、6世紀前半から中ごろにはボナンパックやピエドラス・ネグラスに戦争で勝利し、あの巨大都市ティカルやカラクムルとも並ぶほどの権力をもったことが解読されている。素人には解読こそできないけれど、その石碑に刻まれた彫刻や文字をいまわれわれは目の当たりにできるのだ。1500年前に刻まれた彫刻をオリジナルで見えるのだ。ガイドブックに写真が載っている有名な彫刻だけではなく、いたるところに残された碑文、統治者の姿・・・「えーこれオリジナル?!」もう涙ものだ。
まぐさ石とよばれる部分にマヤ文字がきざまれているのがみえるだろうか?
これもマグサ石の部分。寝そべって撮影。美しすぎる。
これも体をうしろに思い切りそらして撮影。手の大きさと比べてみて。しっかりと残るマヤ文字たち。色もかなり残っている。
頭と胴体が別れてしまったが神殿内の隣同士の部屋に保管されている統治者の像。
パパ、ママ、いつまで石ばっかり見続けるの?今日も昼ごはん?!はやっぱり5時すぎだろうか・・・・。
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3月18日、春分の日を少しずらしての観光は空いていて最高。しかも太陽はかげることがなくククルカンの降臨を見せてくれた。地球は季節の大きな境目を向かえ北半球は春。日本にも春が来る。がんばれ日本!
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KABAH遺跡はメリダから約100km南の遺跡。こじんまりしているが雨の神がびっしりと刻まれた神殿などはなかなか見ごたえがある。
遺跡のチケット売り場奥、トイレの横に長年置かれたままの石版。トイレに行かなければきっと気づかないだろう。
上半身の人物が首に蛇を巻きつけている像で、顔はほのかにネグロイド系に見える。この像から、19世紀後半にTEOBERTO MALERがここを「KABAHUACAN」(手に真の蛇を持つ男)と名づけたとされている。
KABAHという現在の呼び名は、それが縮小されたもののようだが、あるガイドブックにはKABAHで「力のある手」という意味と説明されているし、ほかのガイドブックにはまた興味深いことも書かれている。いくつかの説があることが多い考古学、最近は情報化社会でうそもほんともとにかくたくさんあふれている。われわれガイドは日々勉強をしなくてはならないのである。
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メキシコシティのど真ん中、ソカロから1ブロックも歩けばあのアステカの都テノチティトランの大宮殿跡が顔を出しているのが見える。侵略者スペイン人はまさにアステカの中心地に自分たちの新たなるヌエバ・エスパーニャの都を建設した。
1521年のエルナン・コルテス侵略からアステカ王の墓はひとつも見つかっていない。3人の王は火葬にされ遺灰はTEMPLO MAYOR(大宮殿)前にまかれたという歴史的記録は残されている。
2008年夏に発掘されたこの1枚岩の大地の女神TLALTECUHTLI 12トン
上層には金の鈴、クモザルの毛皮、2羽の太陽のシンボルである鷲と金やヒスイの飾り、また装飾されたナイフ。
続く層には太平洋および反対のカリブ海の貝やサンゴ類62種の海産物。
最後の層にはメスの犬か狼で、ヒスイの首飾りをつけ貝のベルト、耳にはヒスイのイヤリングをつけた遺骨。豪華な装飾品は王様のだれかの大事なペットが大地の神への捧げものにされたことが伺われる。
そして資料のほとんどない、しかしアステカ帝国史上最大の権力を誇り領土を最大にしたと言われるAHUITZOTLは1502年に事故死し、200人
さてもう今までの発掘から予測されるアステカ人たちの重要ポイントの位置関係は読めてきているという。近い将来アステカの華麗なる王の墓発掘も真近だろうか・・・。
写真はNATIONAL GEOGRAPHIC en ESPANOL NOV.2010 より。
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