合唱団の近況などなど

合唱団のホームページに寄っみてください http://www.geocities.jp/osaka_hokubu1986/

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WHOの健康の定義「健康とは身体的、精神的、社会的かつ霊的に完全に良好な状態を意味し、決して単なる病気や障害がないということを意味するものではない」。21世紀の初頭にイスラム諸国の起案で追加された「霊的(spiritual)」。宗教心が薄いとされる日本人にとってこのspiritualどう解釈するかは、イスラムのように宗教的規範がないだけにとても難しい。でも僕らはなんとなく、人間の根源には魂があってそれが穢れたり、救いを求めたりしていると思っている。僕は日本人は宗教心が薄いのではなく、宗教的規範が不明瞭なだけで宗教心は薄いわけではないと思う。規範なき宗教などあるのかといわれるかもしれないが、日本の神道と仏教とごちゃ混ぜにしたような日本人教とでも言うべき共通意識はあると思う。

僕は謝罪しない

合唱団が韓国で公演して日本から日帝時代の謝罪の気持ちをうたに込めて来韓されたと紹介された。ぼくはそれは違うと思う。僕は謝罪しない。なぜなら僕には罪がないから。日帝時代は僕の親たちの世代の罪であって僕の罪ではない、まして僕は日本人や日本の代表でもない。僕は僕である。罪のない僕は謝罪はしない。では何のために訪韓したのか、過去の過ちを見つめ、二度と起こさないことを誓うためにである。そして友達として繋がり合うためである。
たとえば目の前にアメリカ人がいて、その人にアメリカという国はひどい国でイラクやアフガニスタンで罪みなき多くの人を殺している、だからお前は悪いやつだと言うか?ということである。それを言ってその人を殴りでもしたら、それこそイラクのテロリストと同じになってしまう。ブッシュはアメリカ人の過半数以上に支持されて大統領にはなったが、半数のひとはブッシュを支持したわけではない。目の前の彼は彼であってアメリカの代表ではない。それが近代的自我と言うもんであろうと思う。人は私的な存在であり同時に公的な存在であるなどとわけのわからないことを言ってはならない。私は私的な存在で、私の行動と発言は私の責任に属してそれ以上でも以下でもない。

かの大戦の責任を思う

僕は、朝鮮、中国へ侵略から太平洋戦争の敗北まで、国民に対しても、アジアの人民に対しても過酷な現実を強いた責任は、ただ単に軍部の悪政ではなく、ましてや昭和天皇一人の責任でもないと思っている。責任は当時の国民がすべからく共有するもんだと思う。ファシズムによる経済的貧窮から脱出は国民が支持した。満州事変という露骨で周到な中国侵略の成功を支持したのは国民であって、国内の貧困層が一発千金を願って中国本土に移住して、夢の国をつくっていった。だからこそ明治憲法下でさえ違法であった満州事変の立役者の罪を裁くことができなかった。12月8日の連合艦隊による真珠湾攻撃の成功を国民のほとんどは喝采を持って受け入れたのである。治安維持法による反対派の弾圧や、言論統制はあったにせよ、国民は本土が空襲され散々な目にあうまでは気付きもしなかったのである。それはすべて自らの責任であるべきであると思う。現在の平和運動家の中にある軍部や天皇制に対する嫌悪感は理解できるが、しかし、その責任はすでに死んでしまった軍人たちや、天皇に転化して、国民はただ圧制の犠牲者で加害者ではないとするのは無理があると思う。誤った国政を取らすことを許した国民である。
ドイツはナチスの謀略でドイツ共産党をはじめとする対立政党が不当に貶められたということはあったにしても、少なくとも自らの選挙で選んだナチスの過ちであることを知っている。当時のドイツ国民が第一次世界大戦の敗戦国として巨大な賠償金から抜け出す道としてナチスを選んだ責任を知っている。一方、日本はどうか。当時は日本に民主主義はなかったとして、自ら国民は免罪されていいのかと思う。

僕は、国境を越えた人と人とのつながりが世界平和の基礎だと信じている。人と人がつながりあう、それは世界が平和であることの果実であり、平和を作り出す基礎だと思う。外交が専門家だけのものだった時代はとっくに終わっていて、テレビで海外を知り、まずは観光旅行から海外を直接感じ初め、いまや個人旅行の時代となり、インターネットを通じで意思を交し合えるようになっている。僕の場合は2000年に会社の業務で1ヶ月アメリカにいたことからそれが始まっている。言葉は十分に通じなくてもお互いに意思を通じ合おうという気持ちがあれば必ず理解しあえるということを何度も実感した。それまで知らない人たちが人と人としてつながり合い、意思を通じ合うことで友達になれる。戦争は相手への無理解、偏見から始まると思う。相手の存在を無視することで戦争という殺人は成り立つ。世界中の人たちが友達になれば戦争は起こらない。そんな簡単なことが日本の平和運動の基礎にあるのだろうかと思う。ぼくはもっと気楽に平和運動やったらいいと思う。それはまず近くの外国人と話すことですといいたい。米軍基地にデモをかけることでも、とても上手にうたを歌うことでもはないと思うのですが?まず気持ちが1番だと思う。

近くて遠い国韓国

韓国に光の種の公演に長野の松代うたう会の人たちといってきた。近くて遠い国韓国。、これまでヨーロッパやアメリカには何度も行ってきた。どこでもここは外国だと心のどこかで覚えていたのに。言葉も文字もまったく通じないのに、韓国は不思議に違和感がなかった。日本にいるような感覚を街角で覚えた。少しもここは外国と構えることがなかった。本当に近くて遠い国韓国。思えば僕は何も知らなかった。日韓併合、秀吉の侵略、朝鮮戦争、元寇など歴史の知識としては持っていたが、韓国の文化、生活、宗教は何も知らなかったことを思い知った。にもかかわらず、僕は何の違和感なく韓国を受けいれられた。これは何なんだろうかと思う。

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