<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
	<rss version = "2.0"  xmlns:blogChannel="http://backend.userland.com/blogChannelModule">
		<channel>
			<title>☆海と山と人と</title>
			<description>思い、感じた、いろんなことを残していければイイかな。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
		<image>
			<title>☆海と山と人と</title>
			<url>https://s.yimg.jp/i/jp/blog/iym_img.gif</url>
			<description>思い、感じた、いろんなことを残していければイイかな。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita</link>
		</image>
		<item>
			<title>『天文学者はロマンティストか？』</title>
			<description>天文学は、音楽や算術・幾何、哲学と並ぶもっとも古い学問の一つで、暦を作ったり時刻を管理したり、または航海で現在位置を星や太陽の位置から計算するために発展してきました。つまり、実学として必要だったわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「天文学のはじまり」&lt;br /&gt;
天文学の発祥は古代バビロニアにあるとよくいわれますが、…&lt;br /&gt;
しかし、もともとは人々の生活圏ごとに異なる星座をそれぞれが自由に用いていました。興味深いのは南米アンデスの星座で、天の川の中の暗黒帯(ガスやちりが濃くて星の光が見えないところ)にだけ、へび、かえる、うずら、大ラマ、小ラマ、おおかみなどの名前が付けられています。アンデスは空がきれいで、星が多すぎて名前の付けようがなかったということでしょうか。この地域では、天の川の中心が真上を通過するので、暗黒帯がよく観察できたことも関係しているのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「天文学は今、何に役立っているのか？」&lt;br /&gt;
日本における現在の暦の運用は、１９４８年に公布・施行された国民の祝日に関する法律(祝日法)によって定められています。前年の２月１日に、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて、国民の祝日や二十四節気などが閣議決定され、官報で発表されるのです。このため、ルール上は、二年後以降の春分の日の日付は確定しないことになります。&lt;br /&gt;
…、国の行政としては、何百年も国の政として大事にしてきた春分の日の決定という暦作りのもっとも基本となるルールを、歴史が浅いほかの祝日同様、ハッピーマンデーにするのは抵抗があるようです。春分の日、秋分の日は日本だけの固有の暦日ではなく、世界共通であることも、その理由です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天文学をいままで実学としては捉えていなかったので、この本を読んで、何だかホッとした。&lt;br /&gt;
「時間」の単位はもともとあったのではなく、人間が天体(宇宙)的事象を基準に計算して決めているんだね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/7907417.html</link>
			<pubDate>Tue, 13 Nov 2007 09:21:35 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>名医の条件。</title>
			<description>名医の条件を２２個あげるとすれば・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１、豊富な知識があること&lt;br /&gt;
２、今までの経験を身につけていること&lt;br /&gt;
３、バランス感覚が備わっていること&lt;br /&gt;
４、患者の訴えをよく聞けること&lt;br /&gt;
５、患者をよく観察すること&lt;br /&gt;
６、患者の言いなりにならないこと&lt;br /&gt;
７、インフォームドコンセントがちゃんととれること&lt;br /&gt;
８、診断をきちっと患者に言えること&lt;br /&gt;
９、自分の専門分野の技術はマスターできていること&lt;br /&gt;
１０、自分の能力の限界をわきまえていること&lt;br /&gt;
１１、自分の専門と専門外を区別できること&lt;br /&gt;
１２、他の医者に素直に相談ができること&lt;br /&gt;
１３、常に教科書で知識を確認していること&lt;br /&gt;
１４、はったりをかまさないこと&lt;br /&gt;
１５、患者をやたらと恫喝しないこと&lt;br /&gt;
１６、迅速な対応ができること&lt;br /&gt;
１７、学問的興味ばかりに走らないこと&lt;br /&gt;
１８、患者のことを思いやること&lt;br /&gt;
１９、診療ネットワークを持っていること&lt;br /&gt;
２０、学会や勉強会に参加していること&lt;br /&gt;
２１、粘り腰であること&lt;br /&gt;
２２、患者は重症から優先して診ること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
らしい。&lt;br /&gt;
これは、医者にこだわりのある人の判断基準らしく、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
っで、&lt;br /&gt;
一般患者の視点での判断基準、&lt;br /&gt;
医者の技量１０の見分け方は、、、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１、診断をはっきり患者に告知していること。また、その診断根拠もちゃんと説明していること。難しい病名は紙に書いて患者に手渡していること。&lt;br /&gt;
２、診断がつかないときは、その理由と鑑別診断として、現在なにを考えているかを説明していること。&lt;br /&gt;
３、検査については、その内容と目的、必要性を説明していること。&lt;br /&gt;
４、治療の内容や薬効について説明していること。いくつかの治療法があるときには、それぞれについてその長所と短所を説明していること。&lt;br /&gt;
５、今後の経過や見通しについて説明していること。&lt;br /&gt;
６、必要のない薬を処方しないこと。&lt;br /&gt;
７、やたらと点滴や注射をしないこと。&lt;br /&gt;
８、患者から質問されたときに、知らないことやわからないことについては、はっきりと知らない、わからないと答えていること。&lt;br /&gt;
９、よく患者の話を聞いていること。言葉遣いも丁寧であること。&lt;br /&gt;
１０、場合によっては図を描いたり、模型を使ったりして説明していること。専門用語は紙に書いて説明していること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医龍、って名医なのかな。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/7120304.html</link>
			<pubDate>Mon, 05 Nov 2007 09:42:32 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>内藤大助ｖｓ亀田大毅、に思う。</title>
			<description>大人が、じゃじゃ馬を飼いならせない社会では、社会(子ども)の暴走は止まらないと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内藤大助選手もアスリートとしてみれば、局面にかかったところで,大人としての結果を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、男としてできる選択肢は他にもあったと思う。&lt;br /&gt;
血の気の荒い１８歳の少年と、その父親、メディアに対して。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大人も、子どもも、皆、それぞれの“事情”や“都合”の中で戦っている。&lt;br /&gt;
内藤選手にも背負うものがあり、失うことのできない何かがあって戦っていたと思う。&lt;br /&gt;
しかし、１８歳の少年が背負うものや崩れる背景にあるものを感じ取る洞察力は、３３歳のチャンピオンにはあったはずである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
顛末は最悪だよね。&lt;br /&gt;
世の中の思考が停止しているみたい。&lt;br /&gt;
暴走した１８歳の少年への世間の大人気ないバッシング。&lt;br /&gt;
じゃじゃ馬を飼いならすことを示せていない社会。&lt;br /&gt;
一方的な賞賛と一方的な批判。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この顛末は３３歳の、チャンピオンになるほどの男の洞察力であれば、想定のつく範囲内にあるはずだよね。&lt;br /&gt;
本質的な革新は何も得ることも、見ることもできなかった気がするのは、ボクだけだろうか？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/4973855.html</link>
			<pubDate>Fri, 12 Oct 2007 21:52:15 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>グローバリズムへの対抗としてのフェアトレード</title>
			<description>『【嗜好品価格が下がり続けていることへのリアクションとして】&lt;br /&gt;
　日本を除く先進諸国は食料自給率が高く、農産物の輸出入であると同時に工業生産物と資本の輸出国の地　歩を固めている。その対極では、エネルギー資源や工業原料用の農産物などの輸出品を持たない途上国が　慢性的な貿易赤字の中で困窮の度を深めている。フェアトレードが扱う品目は民芸品を含めて多用だが、　その代表的な品目のコーヒー・カカオ・紅茶（砂糖）などの嗜好品農産物は国際価格が下がり続けてい　&lt;br /&gt;
　る。それら商品が主要輸出品の途上国の場合、価格低下は農民・農村・社会に破壊的な影響を及ぼす。　&lt;br /&gt;
　フェアトレードが国際価格よりも高い価格を保障し、農民・農村の暮らしの保障・改善(「顔の見える関　　係」!)を必須なものにする理由がそこにある。その意味でフェアトレードはグローバリズムの進展に対す　る対処療法に過ぎないといえるかもしれないが、例えば日本の農業・農村の疲弊や失業者・不規則就労者　の増大などの問題を視野に入れると、たんに倫理的立場からの慈善運動ではなく、グローバリズムへの対　抗運動を国際的かつ国内的に生み出し、その持続的発展を目指すオルタナティブな事業といえるのではな　いだろうか。』&lt;br /&gt;
「季刊ａｔ ８号 特集：フェアトレードの現在」(2007)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※「オルタナティブ」：既存のものと(価値観や秩序などが)取ってかわる新しいもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フェアトレード、って何だかロックな感じがする。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/4063107.html</link>
			<pubDate>Mon, 01 Oct 2007 22:40:01 +0900</pubDate>
			<category>経済学</category>
		</item>
		<item>
			<title>山の天気のこと</title>
			<description>『台風が山の西側を北に進む場合、その山では風向きが東から南へと変わる。その際、風上側では突風や強いにわか雨に見舞われることが多い。この現象は山の南東斜面でとくに強く現れる。台風が山の東側を通過または北東進する場合は、風向きは東から北へと変わり、豪雨が降り続くケースが多い。このため、がけ崩れや、河川の増水に伴う橋の流失、登山道の決壊などの恐れがある。&lt;br /&gt;
※&lt;br /&gt;
今年(２００７年)４月、気象庁は「台風情報」を改訂し、２４時間先まで３時間刻みの台風予想を発表するようになった(従来は１２時間ごと)。なお、７２時間(３日)先まで６時間刻みの台風予想を発表することは従来と変わりない。台風に伴う強風についても、１０分間平均の「最大風速」に加え、新しく「最大瞬間風速」も発表するなどのグレードアップを図っている。』&lt;br /&gt;
「山と渓谷」(2007/9 幣洋明)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【北極振動】&lt;br /&gt;
北極振動(ほっきょくしんどう)とは北極と北半球中緯度地域の気圧が逆の傾向で変動する現象のことである。AO(Arctic Oscillationの頭文字)と略される。１９９８年にデヴィッド・トンプソンとジョン・ウォーレスによって提唱された。 &lt;br /&gt;
北極振動指数が正となる、蓄積期（北極の気圧が平年よりも低い時）は、北極と中緯度の気圧差が大きくなり、その結果極を取り巻く寒帯ジェット気流(極渦)が強くなる。 この結果、極からの寒気の南下が抑えられ、ユーラシア大陸北部、アメリカ大陸北部を中心に平年より気温が高めとなる傾向があり、日本でも暖冬となる。 &lt;br /&gt;
２００７年１～３月。&lt;br /&gt;
逆に北極振動指数が負となる、放出期（北極の気圧が平年よりも高い時）は、ジェット気流が弱くなるため極からの寒気の南下が活発となり、平年より気温が低めとなる。北極振動指数が負を示した2006年は日本でも寒冬となり、日本海側に記録的豪雪をもたらした平成18年豪雪の原因になったとされている。&lt;br /&gt;
富士山では２００７年４～５月で大雪、頂上付近では６月まで降雪があった。&lt;br /&gt;
1980年ごろから北極振動指数は正の値を示すことが多くなっている。 これについては地球温暖化との関連が考えられている。&lt;br /&gt;
北極振動が始まる原因は現時点でははっきりしておらず、北極振動自体も一つの物理的な現象なのか、NAOや太平洋・北米パターン（PNA）など複数の振動が重なりあって統計的に取り出された見かけ上のものなのかについても研究途上である。そんな中で、最近になって急速に注目されてきたのが太陽活動との関連である。また、太陽活動は赤道準二年周期振動(QBO；quasi-biennial oscillation)との関連も指摘されている。[4][5]これら太陽活動と気候変動の関係を調べる研究は徐々に認知されてきており、北極振動における励起因子の解明の鍵となる可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遅ればせながら気象庁の「台風情報改訂」のことは、今更に知りました。&lt;br /&gt;
ニュースでよく耳にする「最大瞬間風速」も「３時間予想」も今年から言われていることなんだね。&lt;br /&gt;
台風が実際に通った進路と、そのときの気象状況や被害状況を確認すると文書の説明を距離感覚で掴めるのかな。&lt;br /&gt;
北極振動というものの具体的な概略もいま初めて知った。以前に北極圏の気圧の振れがヨーロッパや日本の冬の気候に影響を及ぼすとニュース・ステーションで説明したのを見ていたが、その実際の概略を漸くつかめた気がする。昨冬１～３月で雪で少なく春先以降に雪が降ったのはラ・ニーニャ現象のためばかりと思っていたが、むしろ北極振動によって説明されることなんだね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/3812438.html</link>
			<pubDate>Sat, 29 Sep 2007 12:31:19 +0900</pubDate>
			<category>気象学</category>
		</item>
		<item>
			<title>シンジコハゼ</title>
			<description>「シンジコハゼが発見されたのは、昭和61年(1986)のことです。宍道湖のように低い塩分の汽水域やその周辺に生息しています。」（島根県立宍道湖自然館ゴビウス）ということなんだけど、Wikipediaだと、汽水域に生息するハゼは、「- ゴマハゼ、ミミズハゼ、シマハゼ、アベハゼなど」とある。シンジコハゼは実際はこの４つのどれかに近いのか、それとも全く別の種類になるのか、どうなんだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにハゼそのものは、「２１００種類以上が全世界の淡水域、汽水域、浅い海水域のあらゆる環境に生息」ということみたいである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ものすごく種類が多いので、分類を知ることに意味があるのかないのか、わからなくなる。。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/3808145.html</link>
			<pubDate>Sat, 29 Sep 2007 11:33:25 +0900</pubDate>
			<category>生物学</category>
		</item>
		<item>
			<title>台湾ヒノキ：樹齢２０００年を超す巨木たち</title>
			<description>台湾に、３０００ｍ以上の山が１００座以上もあることは、あまり知られていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『台湾では、樹齢２０００年を超す台湾ヒノキの巨木と出会うことができる。&lt;br /&gt;
　※&lt;br /&gt;
　阿里山は、日本統治時代に台湾で最初に開発された森だ。今では台湾有数の山岳リゾート地となってい　る。この森では、土に返ろうとしている樹齢約３０００年の阿里山神木や、樹齢約２３００年の阿里山　香林神木、樹齢約２０００年の千寿檜など３６本のヒノキの巨木に出会える。&lt;br /&gt;
　※&lt;br /&gt;
　阿里山から玉山に向かって車で３０分ほどのところに、台湾で第２位の巨木、鹿林神木がそびえてい　　る。樹齢２８００年、幹周り２０ｍ、樹高４３ｍ、木道があり、神木を一周して見ることができる。&lt;br /&gt;
　※&lt;br /&gt;
　棲蘭神木園の巨木には、樹齢と同じ時代に生きた中国史上の人物の名前がつけられている。司馬遷神　　木、孔子神木など樹齢２０００年を超す神木６本を含め、巨木５０本と会える。&lt;br /&gt;
　※&lt;br /&gt;
　世界にヒノキは６種あり、北米、日本、台湾に分布している。台湾には紅檜と扁柏の２種があり、総称　して台湾ヒノキと呼ばれている。&lt;br /&gt;
　台湾ヒノキが分布する海抜１３００～２６００ｍの地帯は雨と霧が多い。充分な湿度のもとで、ヒノキ　は数百年の時をかけ、ゴマ粒のような種子から平均３０～４０ｍ以上に育つ。現在、巨木、神木として　残っているのはほとんどが紅檜だ。紅檜の巨木は有用な材となりにくく、伐採を免れることになった。　日本統治時代から主に扁柏が伐採され、そのほとんどが日本に運ばれ、神社仏閣の建築に用いられた。　靖国神社、薬師寺などにも台湾ヒノキが使われている。&lt;br /&gt;
　神木の名称は日本統治時代に使われ始め、以後は樹齢２０００年を超すものはすべて神木と呼ばれるよ　うになったが、神木と巨木の呼称の違いには明確な基準はない。台湾の巨木ベスト１０のうち、９本が　紅檜。最古の大雪山神木は樹齢約２５００年、樹高５５ｍ、幹周り２０．８ｍの堂々たる巨樹だ。』&lt;br /&gt;
　「山と渓谷」[2007/9 文・若林純]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
台湾、世界地図で見ると中国の隣、与那国島の向こうにあって小さく思える島だが、登って良しの高い山、潜っては沖縄よりも南西に位置する南の海、中華文化・料理と魅力満載で旅行で訪ねてみたい楽しみがつきない。&lt;br /&gt;
そこに、２０００年以上前から生きている巨木があるとすれば尚更に驚く。&lt;br /&gt;
紀元前５世紀からといえば、日本における弥生時代、中国においては春秋戦国時代からということになる。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/3806977.html</link>
			<pubDate>Sat, 29 Sep 2007 11:19:31 +0900</pubDate>
			<category>生物学</category>
		</item>
		<item>
			<title>山小屋建築家［吉阪隆正］</title>
			<description>【吉阪隆正】(1917-1980)&lt;br /&gt;
父は官僚、母は動物学者として有名な箕作佳吉の次女。箕作家（みつくりけ）は、親族に学者が多いことで知られる日本の家系のひとつ。学者一族としての箕作家は近世の蘭学者箕作阮甫から始まる。阮甫の子孫や婿の系列にも著名な学者も多い。なお、現在の箕作家当主は学者ではなく、箕作本家の学者一家の伝統は途切れている。1933年(16才)ジュネーブ・エコール・アンテルナショナル卒業。1941年早稲田大学理工学部建築学科を卒業。1950年戦後第1回フランス政府給付留学生として渡仏。早稲田大学の教員の立場のまま1952年までル・コルビュジエのアトリエに勤務。1954年吉阪研究室(64年Ｕ研究室と改称)を創設。1959年早稲田大学教授となった。1973年には日本建築学会の会長に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
［？]：ジュネーブ・エコール・アンテルナショナル、ってどんな学校？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本を代表する建築家・吉阪隆正は「アルキテクト」(歩く人＋アーキテクト{＝建築家})と言われるほど、生涯こよなく山を愛した人物だった。&lt;br /&gt;
　※&lt;br /&gt;
　吉阪隆正は、日本山岳会理事、早大アラスカ・マッキンリー遠征隊隊長、早稲田大学体育局山岳部長を　務めるなどアルピニストでありながら、戦後日本を代表する建築家・都市計画家でもあった。アテネ・　フランセ校舎において日本建築学会賞・フランス文化勲章を受賞するなど国内外にすぐれた作品を生み　出し、その一方で、数多くの山小屋建築を設計。実作10作・計画案４作からなる一連の山小屋建築作品　群を発表している。&lt;br /&gt;
　もともと吉阪は、登山やスキー好きが高じて、雪氷学や雪国の都市建築の研究をはじめた経緯があり、　５５年には日本建築学会南極建築委員会委員として南極基地の設計にも携わっている。&lt;br /&gt;
　※&lt;br /&gt;
　［雪の自然落下を促す形態］：野沢温泉ロッジ(64年)&lt;br /&gt;
　［斜面に埋めた形態］：涸沢ヒュッテ(59年)－建物を地盤に埋めることにより、雪崩の被害を最小限に　抑えている。小屋は３棟によって構成されるが、雪崩の来る方向に対して建物の表面積を最小にし、全　壊を避けるために分散した配置をとっている。北穂沢及び奥穂沢の二方を蛇篭(玉石などを詰めた鉄線　を編んだ篭)による石垣で囲っており、石の砦のような外観をもつが、生物が擬態するかのように建築　物の姿は見えず、周辺環境になじんでいる。また、屋根上をテラスとすることでスペースを有効活用している。』&lt;br /&gt;
　「山と渓谷」[2007/9 平瀬有人]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山の建築と言う分野における第一人者のことを初めて知った。&lt;br /&gt;
山の建築は、どんな系譜で、いまにおいて評価されるものには、どんな建物があるのだろう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/3798477.html</link>
			<pubDate>Sat, 29 Sep 2007 09:23:53 +0900</pubDate>
			<category>建築デザイン</category>
		</item>
		<item>
			<title>『自然との共生に関するひとつの指標』</title>
			<description>「南アルプス北岳を取り囲むように流れる野呂川ほとりで、２５年もの間、小屋番を務める星美知子さん。　※&lt;br /&gt;
　入り口の横にはカモシカの骨がぶら下がっている。小屋の中の棚にはさらにカモシカの頭蓋が３つ並んで　いた。彼女はこれらを野呂川沿いで拾ってきたそうだ。この骨たちの来歴は、冬に崖から落ちて足を挫き　そこで飢え死にしたものが、雪解けとともに流され、小屋近くに流れ着いたというもの。カモシカの頭蓋　を見る星の目はやさしい。&lt;br /&gt;
　しかし、両俣小屋にとってカモシカは招かざる客だ。なぜなら、カモシカの食害でヤナギランが姿を消し　つつあり、両俣小屋のヤナギランはなんとか守りたいと星は考えているからだ。カモシカの声が聞こえる　と、彼女は急いで小屋の外に出て犬の鳴きまねをする。「わん、わん、わん」。そうするとカモシカは小　屋に近づかないそうだ。&lt;br /&gt;
　なかなかこうしたあり方はできない。あるがままの自然を無条件に肯定するというのではなく、自分の利　害を主張しつつ、それでも彼女の言うように「山の論理に身を委ねる」。彼女はカモシカの存在を単純に　肯定するのでもなく、互いの主張をぶつけ合いながら「共生」することを選んでいる。あるものごとに対　する完全な肯定も否定も、実際をそれに対する無関心をさらけだしている。共生するためには相手の理解　に努めなければならないだろう。そして理解すれば理解するほど、単純に好きの嫌いのと言えなくなる。　しかし、だからこそ、星はカモシカとヤナギランをめぐる「戦争」をおこさないのだし、ヤナギランに関　してはカタキ同士とはいえ、彼女はそのカタキの死を悼み、その死を身近に置いておくことができるのだ　ろう。こうしたあり方は自然との共生に関するひとつの指標となるように思う。」（「山と渓谷」　　&lt;br /&gt;
　[2007/9]文・宮本敬子）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山を訪ねる者が、自然との共生を考える上での、ひとつのお手本であると、ボクは思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/3782252.html</link>
			<pubDate>Fri, 28 Sep 2007 23:26:50 +0900</pubDate>
			<category>自然保護</category>
		</item>
		<item>
			<title>母と祖母の殯</title>
			<description>今年の５月頃ですが、フランスのカンヌ国際映画祭で河瀬直美監督の「殯の森」がグランプリを受賞していましたね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その翌日くらいだったかと思いますが、同映画がＮＨＫのＢＳハイビジョンのチャンネルで特別放映されていたのを観賞いたしました。一般公開前のＴＶ放映は異例ということみたいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河瀬監督は奈良を舞台に作品を撮る事が多く、学生時代を奈良で過ごした自分にとっても思い入れのある監督です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１０年前、奈良の吉野村を舞台にした「萌の朱雀」という作品で河瀬監督は、当時、カンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞しています。静かですが、たおやかで、むせぶような奈良の夏に胸がいっぱいになるような作品でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回、河瀬監督は「殯の森」では、家族を喪った二人の登場人物、認知症の老人と女性介護士のふれあいを通して人間の生と死を描いています。&lt;br /&gt;
一見、重く思える、このテーマを監督は人が「寄り添う」行為に例えて、見事に昇華している気がします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観た後の清涼感が、とても心地よい映画でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この映画をして、そういったエピソードに非日常的なものを抱いておりましたが、今年の夏、初めて母にも、同じような体験があることを聞かされました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母が高校生の時の夏だったと言っていました。&lt;br /&gt;
その日は母と祖母以外の家族は皆、出かけていました。祖母が「“ノボル”を連れに行こう。」といって佐世保の郊外にある裏山に母を連れ出しました。“ノボル”というのは、まだ戦時中に幼児期で他界した母の兄にあたる人物で、母もその名前だけはどこかで聞き知っていたみたいです。&lt;br /&gt;
むせぶような昼下がり、祖母の運転するオート３輪で郊外まで行き、更に何年もの間に生えかさなった藪が茂る山道を数１０分と歩いた先に現れた、そこだけが草も生えず土が色の抜けたような空間で、祖母が土を掘り起こすと、幼児のものと思われる小さな人骨が出てきたみたいです。&lt;br /&gt;
大きな人物になって欲しいと祖母たちが願いをかけた“ノボル”という名前でしたが、「早く天に昇ったのはノボルだったね。」とそのとき祖母はつぶやいていたみたいです。戦時中の貧しさで息子を亡くし、混乱の中その亡き骸を裏山に埋めることしかできなかった祖母が、およそ２０年を経ていた当時、どんな心境で息子の骨を土から掘り起こしていたのか・・・。そして、分け入るような藪の茂る郊外の山の中に、“ノボル”さんの眠ったいてところだけが何故、草も生えず土が色の抜けたような空間であったのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
認知症の進行で娘のことも解らなくなった祖母に、いまとなっては聞く術もありません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/osamumorishita/3774534.html</link>
			<pubDate>Fri, 28 Sep 2007 22:16:58 +0900</pubDate>
			<category>その他社会学</category>
		</item>
		</channel>
	</rss>