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パトレーゼの走りを初めて見たのは、
1977年富士スピードウェイで開かれた、F1日本グランプリでのことだったはずだ。
はずだというのは、当時のプログラムに載った写真が、
ご覧の通りの甘いマスクで、
レーサーらしいアグレッシブさを感じさせない風貌が災いしてか、
ほとんど印象に残らなかったからである。
私の視線はひたすら、マリオ・アンドレッティ、エマーソン・フィッティパルディ、
ロニー・ピーターソン、そしてスポット参戦の高橋国光、星野一義
といったレーサーの走りを追うことに忙しく、
あげくにコースマーシャルに死者が出た、悲劇的レースだったショックを
引きずりながら、家路についたことを今でも思い出す。
11年後の1988年、今度は鈴鹿サーキットで復活F1グランプリが開催され、
私は34才になったパトレーゼの走りに再会した。
そのパドックにいたのは、一定のキャリアを経て、
ルーキーの甘い面影などきれいに消え失せた、どこまでも渋い“男”だった。
まさに『男の顔は履歴書』を地で行く、いい年のとり方ではないか。
初めてF1を観たとき、その常軌を逸したエキゾーストノートと、
クレイジーなスピードに言葉を失った。
いまだに150キロ以上は出したことがないという、カメ走りのオヤジにとって、
あの誰が世界で一番速いかを競う世界は、シンプルなぶん
本物の純粋さを含んでいて、ひたすら澄明な美しさを感じさせる。
レーサーとしては、決して(超)一流にはなれなかったパトレーゼですら、
命を懸けた走りの末に、これだけの“男ぶり”に成長するのだ。
近頃テレビで流行りの、“男前”が何たらなどという、
ヤワな世界とはものが違うぞと笑ってしまう。
その後もアイルトン・セナ、ネルソン・ピケ、アラン・プロスト、
そして中島悟といったレーサーの走りを求めて、毎年のように鈴鹿へ通い、
時にはそのためだけに海外へ足を延ばすという、
呆れてしまうようなおたくぶりに陥った。
今はもう、たまにスカパーで生中継を観るだけの、
オールドファンに堕してしまったが、
それでもたまに接するF1パイロットたちの本気の走りは、
この連中に好きな女性を横取りされても、
すぐに負けたと諦めるだろうなと思うほど、私を圧倒するのである。
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九州にはオートポリスというレース場があり、一度だけですが(結構不便です)観た事があります。あの爆音とゴムの焼ける匂いを思い出します。
2010/8/21(土) 午前 9:44 [ 黒騎士 ]
オートポリスには行ったことはありませんが、大分空港に降り立つ直前の窓の下に、何度かきれいなレイアウトのコースを見た覚えがあります。
2010/8/21(土) 午前 11:20 [ 牡丹亭と庵 ]
ああ、オートポリスというと、元々は1993年のF1第3戦アジアグランプリの開催地として、ベネトンのスポンサーになった事もありました。オートポリスは93年のアジアGPに向けていかにもバブルらしい設備として、2万人の観客を収容できるコーナースタンド、コースを見渡せる事が出来る高級ホテル「ベラビスタ」、美術館、3回のワールドチャンピオンを手にしたネルソン・ピケの博物館、カートコース、ヘリポート等を備えており、91年3月には全日本F3000、同年10月にはFIA公認のスポーツカー世界選手権の最終戦の開催地になり、同サーキットにはF1デビュー時のミハエル・シューマッハが名誉ある優勝を飾った…。
2014/10/26(日) 午後 9:39 [ マイケルたかお ]