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その日、私は日比谷にあるTテレビの会議室で午後から夜にかけてを過ごした。
翌年の一月から始まる昼の帯ドラマ、
『母の告白』の(私の担当する週の)第一稿が出来上がり、長い打ち合わせをしていたのだ。
名にし負う、ドロドロ路線で知られるその時間帯の骨格がまだつかめず、
よくも悪くも上品なホンを書いてしまったために、かなりの軌道修正をしなければならなくなり、
ああしようこうしようの直しの話が、思いがけず長引いてしまったのである。
後に強烈キャラとして、一部好事家の話題を集めることになる“佐代子”
(山下容莉江さんが怪演)は、この時点でまだ、ちょっと意地の悪い小姑といった
キャラクターしか与えられておらず、私自身も昼帯らしい展開に持っていくには
どうしたらいいのかと、かなり悩んでいたことを記憶している。
で、出た結論はあざとく行こう、
エグイ展開こそこの時間帯の視聴者の望むところ、
もっとずっとテンション高く遊ぼうではないかというコンセンサス。
じつはその意味が理解出来て、本当に乗ったホンが書けるまでには、
まだ一カ月ほどを要することになるのだが、
ともかくも私は最終に近い新幹線で、やや自信を喪失した状態を引きずりながら帰宅してきた。
と、珍しく玄関まで迎えに出てきた家人が、開口一番
「ニューヨークで飛行機がビルに突っ込んだみたい」と青ざめた顔で言う。
とっさに思ったのは、個人の操縦するセスナ機か何かが、
操縦を誤ってどこかのビルに衝突したのだろうということだった。
で、二階に上がってきて点きっぱなしのテレビを観た途端、文字通り愕然となった。
あの貿易センタービルの一棟が、激しく炎上している。
ライブ録画で流れる画面には、
まぎれもないジャンボ機が、一直線に突っ込んでいく映像が繰り返し再現されている。
何なのだ、これは……と口に出した瞬間、
二機目が激突するライブ映像が飛び込んできて、ハッキリ“テロ”だと直感した。
いや、後になってそう思うだけで、じつは“悪意”と表現した方がより正確な、
得体のしれない巨大な意志を感じていたような気がする。
そこから先のテレビ映像は、まさにこの瞬間世界の終末が訪れるのではないかと震撼させる、
地獄絵そのものだった。
全米で十数機の飛行機が所在不明、国防省が炎上中、すべての空港は閉鎖。
そして、間を置かずに大崩壊していく二棟の超高層ビル──。
そのリアルタイムのカタストロフィの中で、
私はついに核のボタンが押されるときが来たと覚悟した。
どこにミサイルをぶち込むのかは分からないが、アメリカならやる、ブッシュならやる。
そして、その核の連鎖はやがて日本をも巻き込む。
そうか、オレはこんな風にして死ぬために、今日まで生きてきたのかと
暗澹とした気持ちに襲われたのだから、ずいぶんと思い詰めていたものだ。
その後の展開については、いまここで論評するスペースも洞察力もないが……
一週間後、私は何とシメキリ通りに、『母の告白』第五週の決定稿を書き上げていた。
世界が破滅するかもしれないときに、男と女が滑っただの転んだだの、
AID=非配偶者間人工授精がどうのだと、こんなお話を書いていていいのだろうか。
そんなことを思いながら仕上げたエグイ物語は、思いのほか評判がよく、
(期待したほどの数字は稼げなかったものの)いろいろなところで
思いがけない賛辞を貰うことになったのだから、考えてみれば皮肉なものだ。
いささか不謹慎な稿になってしまったが、それ以来毎年9月11日が訪れると、
現実の極限と虚構の極限という、アンビバレントな事象のなかで、
結局は明日の糧を得るための筆を走らせていた自分を思い出してしまうのである。
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庵さんおはようございます。
私も仕事をしていました。
人間とはそんなもんですね。
直接自分に関わったのは、阪神淡路大震災だけで、それでも2日ほどで仕事に行きました。
2010/9/12(日) 午前 7:34 [ 亮 ]
亮さん、親の葬式でも腹はへる、酒しか飲んでなくてもウ○チは出るの類ですね。
震災のときに一緒に仕事をしていた後輩は、西宮出身の男でしたが、お袋さんに電話した方がいいんじゃないかという私に、「大丈夫ですよ」とのんびり笑って答えるだけでした。
きっと、あまりカタストロフの実感がなかったのでしょう。
2010/9/12(日) 午前 8:43 [ 牡丹亭と庵 ]
でしょうね。
その時私は尼崎、近所で火事になるわ、ガスは洩れるわ、当時母と住んでいた文化住宅も半壊でした。
神戸には友達も住んでいて、真っ青になったんです。
電話も通じないし、無事を確認する2ヶ月の間、毎日新聞の死亡者欄を確認していましたよ。
西宮も酷かったです。
その人、のんびりしてますねえ(笑)
2010/9/12(日) 午前 8:55 [ 亮 ]
阪神淡路大震災。
九州では当初「神戸を中心とする地震が発生しました。」だけの認識。やがて映像で高速道路やビルの崩壊、火災を見るにつれて「なんだ!この大災害は。」に変わりました。
全社で募金を集め(300万円くらい)地元新聞社に委託しましたね。
9.11事件。
TV見ていて「こんな時間に映画か〜?特撮にしてはリアルだな〜。」でしたね、最初は。そのあと現実だと知って愕然。2機目が突っ込んだ瞬間「信じられない!」と絶叫。
最初に考えたのは「明日の相場は大暴落だ〜!!」でした。「どうするか?」だけが頭の中を駆け巡っていたのを思い出します。
核戦争を実感したのはキューバ危機の時。大人達がヒソヒソと「アメリカとソ連がボタンを押すかも」などと話していました。
2010/9/12(日) 午後 0:04 [ 黒騎士 ]
人類は、これらの事件や災害から多くの未来を学んできたはずだが、国家間の争いも繰り返す災害にも、なぜか知恵の進歩が遅く感じてならない。
アメリカインディアン:ラムビ―族の有名な格言を思い出す。
「知識でなく知恵を求めよ、知識は産物だが知恵は未来をもたらす」と。
2010/9/12(日) 午後 1:21 [ 志紋孟 ]
亮さん、人間ああいうときに本性が出るものですね。
よく、弔いには一番近い者が一番遅く訪れるといいますが、本気で心配しているのかどうか、いざというときに人の本質は図らずもかいま見えるのだなと、つくづく思います。
いや、別にその後輩が冷たい男だと断じているわけではありませんが……。
2010/9/12(日) 午後 1:47 [ 牡丹亭と庵 ]
黒騎士さん、阪神淡路の大震災のときには熱海の旅館で打ち合わせをしていました。
『やがて世界が歌いだす』実在のカラオケセールスマンをモデルに、草創期のカラオケ関係者たちが、芸術の国イタリアにかの機器を売り込みに行くという、涙と笑いに彩られた大コメディ映画のストーリーを考えていたのでした。
考えてみれば、こうやっていつもノーテンキな企画ばかりを考えてきた、恥多い業界生活ではありました。
あ、ちなみに↑の『やがて世界は……』は、あの『おくりびと』の監督で半分実現しかけましたが、結局ポシャって今日に至っています。
2010/9/12(日) 午後 1:56 [ 牡丹亭と庵 ]
志紋孟さん、先ほどは電話で失礼しました。
私信メールを飛ばしておきましたので、ご笑覧ください。
歩くことを許可されたとのこと、何よりの吉報です。
添付した写真が、これからの吉兆であればいいのですが……。V(^0^)
2010/9/12(日) 午後 2:01 [ 牡丹亭と庵 ]
観ましたよ、真っ赤に燃えていました。
日没でなく日昇の赤は縁起がいいと芝の権現さんが言ったとか。
2010/9/12(日) 午後 3:56 [ 志紋孟 ]
志紋さん
それ聞いた事あります。
インディアンの事を調べていた時期があるんで、多分その時ですね。
インディアンの子孫を書いたんですが、その時に調べましたよー。
庵さん
それたまに聞きますね。
その神戸の友達の母親が無くなった時、友達の夫や子供夫婦、私で、あ、何ていうのかど忘れしてしまいましたー(笑)
通夜の前におかんに色々お花を入れたり持ち物を入れたりする儀式ですね。
をしたのですが、他の親族はお通夜が始まってから来てましたね。
私は可愛がっていただいていたので、ゆっくりと最後のお別れが出来て良かったのですが。
2010/9/12(日) 午後 5:41 [ 亮 ]
志紋大兄、今朝も昨日ほどではありませんが綺麗な朝焼けでした。
日昇の赤は縁起がいいとは、何より勇気づけられるお言葉です。
2010/9/13(月) 午前 6:23 [ 牡丹亭と庵 ]
亮さん、友の死に目に深夜に数百キロの距離を飛ばして駆けつける他人もいれば、30分で来れる距離を夜が明けてからゆっくりと、お義理のようにやってくる身内もいる。
いくら涙を流しても、死者への哀悼ではなく自身の感情に酔っているとしか見えない人間もいる。
何を手伝うわけでもなく、列席者と酒を飲み料理を食い、思い出話にふけるだけでお悔やみ面する親戚もいる。
本当に、人の死に目には思いもかけない人間模様が現れるものです。
2010/9/13(月) 午前 6:34 [ 牡丹亭と庵 ]