牡丹亭と庵の備忘録

映像業界人の某が日々のあれこれを興に乗せて語る茶席風

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F1・GPの記憶

昨日は久しぶりにF1の日本グランプリをテレビ観戦。
名前も顔も一致しないドライバーと、初めて聞くマシン(メーカー)名にとまどいながらも、相変わらず熱くクレイジーなレースに興奮のひとときを過ごす。
 
そんな中で、否応なく時の流れを実感したのが、走るドライバーたちが一様に、子供の頃に見たセナとプロストのデッドヒートに刺激され、F1レーサーを目指したとコメントしていることだった。
 
イメージ 1かく言う私は、じつはそのセナ・プロストの戦いをリアルタイムで見てきたオヤジである。
 
左の写真は、1987年に鈴鹿でF1が開催されたときのプログラムと、翌88年の同グランプリの際の観覧チケット。
 
中島悟がロータス・ホンダを駆って走り、そして2年ぶりにフェラーリがゲルハルト・ベルガーを擁して勝ったレース。
 
翌年の、スタートで出遅れたセナが驚異的な追い上げで文字どおりのごぼう抜きの末、プロストを差して優勝した涙のレース。
 
さらにその翌年の、あまりにも有名なセナとプロストのシケインでのからみと、チェッカーを受けながら失格を宣せられたセナのレースも、そのすべてをライブで観戦している。
 
「それがどうした、自分も同じ経験をしている元祖F1おたくだ!」と反論するオールドファンもおられることだろう。そんな方たち向けに、さらにもう一つ自慢がある。
 
イメージ 2
さらに遡ること十年、1977年10月23日に行われた、FISCOでのF1GPも私は生で観戦しているのだ。
 
で、左の写真はその折りに買い求めた公式プログラムの表紙。
 
前年の76年に、日本で初めて開催されたFISCOのF1は、豪雨を押し切ってスタートしたものの、本命のニキ・ラウダが危険だと即レースを放棄し、主催者側の不慣れな運営も手伝って、はなはだしまらないレースになってしまった。
 
そして一年後の富士スピードウェイ、一転して抜けるような青空に晴れ渡ったFISCOにはやはりラウダの姿はなかった。
 
彼はその年すでにシリーズ・チャンピオンを決めており、今さらあんな危険なサーキットは走る気もしないということだったらしい。
 
フェラーリのラウダが出場しないレースは、やや画竜点睛を欠く感はあったが、それでもロータスのマリオ・アンドレッティ、コパスカのエマーソン・フィティパルディ、そしてあの六輪のティレル(タイレル)フォードを駆る、走り屋ロニー・ピーターソンがいた。
 
レースはマクラレンのジェームス・ハントの優勝で終わったが、何よりロニーのタイレルと接触したフェラーリのジル・ビルニューブのマシンが、観客席に飛び込んで二人の死者を出す事故を引き起こし、以後十年にわたって、日本でF1が開催されることはなくなった悲劇のレースとして記憶されている。
 
そんな節々にリアルタイムで遭遇しながら、いつの間にか三十年以上の歳月が経ってしまったのだと、今さらながらに感慨を新たにした昨日のレースであった。

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