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しばらく前のこと、何気なくNHKの教育テレビにチャンネルを合わせると、
ある大学教授が“日常にひそむ危機”をテーマに、ブラウン管講義をしていた。
その講義自体はナルホドと頷かされることが多く、
大いに勉強になったのだが、この教授の口調がどうにもいただけない。
「大部分は“避けれる”事故なんです」
「こうなると“逃げれない”んです」 「昔のシャッターは、途中で“止めれない”構造になってるんです」 等々、ことごとくが“ら抜き言葉”の連発で、耳障りで仕方がない。
年格好から類推するに、私とそう年令はかわらないと思われるのだが、
大学で若い学生たちを相手にしているうちに、
いつの間にか“ら抜き言葉”に抵抗がなくなったのだろうか。
それとも、長野県の伊那地方では“ら抜き言葉”が正しい言葉づかいだというから、
ひょっとしてそのあたりのご出身だったのだろうか?
そう言えば、島田荘司さんの小説に、『ら抜き言葉殺人事件』という一冊がある。
「すぐこっちに出て来れるか?」
「どうだ、見れるか?」
自著に“ら抜き言葉”を使ってしまった小説家と、
言葉遣いに異常なほど潔癖な読者との相剋の果てに、
むごたらしい殺人事件が起こってしまうという主筋の作品である。
世間で“ら抜き言葉”の蔓延が噂にのぼり始めたのは、
「しゃべれる、食べれる」のコンビニCMあたりからだったか。
昨今のテレビではますますその傾向が顕著で、
「え、こんなオヤジやオバさんが」と思うような人まで、
「食べれる」だとか「出れない」とかやっていて、思わずズルッときてしまうことがある。
面白いのは、テレビ局がそのコメントに対してつける字幕が、
「食べられる」「出られる」という具合に、きちんと“ら入れ言葉”に直っていることだ。
流行発信の権化のようなテレビ局にも、どうやら言葉の乱れを嘆くスタッフはいるらしい。
いや、この稿のように即クレームをつけてくる視聴者がいるのかもしれない。
いずれにしても、「なまら、せからしか」などと、
北と南の方言を合体させて楽しんでいるという、
昨今の若者たちには馬耳東風の嘆きだろうと笑っていたら、
私の母親が「じつは自分にも、どうしても気にかかる“ら抜き言葉”があるのだ」と言う。
「声を荒らげる」
お前はいま「荒(あ)らげる」と言ったが、正しくは「荒(あら)らげる」なのだ。
え、「あらげる」も“ら抜き言葉”なの?
子供の頃から、何の抵抗もなく使っていた言葉だけど、「知ららなかった」……
とまではさすがに言わないか。 |
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2010年09月19日
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