牡丹亭と庵の備忘録

映像業界人の某が日々のあれこれを興に乗せて語る茶席風

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秋の彼岸の墓参り

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今朝は起き抜けにまず彼岸の墓参りを済ませてきた。
 
写真はその我が母方のご先祖様たち。
二枚の写真の間には五〜六年の歳月が流れていると思われるが、
その間の I 一族がたどった運命がかいま見えて、不肖の子孫としては忸怩たるものがある。
 
左の写真はおそらく昭和10年ごろの一葉で、末っ子だった私の母親を真ん中に、
曾祖母(会ったことはないが、佐賀龍造寺藩剣術指南の家系を誇りにしていたと聞く)
祖父母(同じく佐賀蓮池藩の武士の末裔)
長女夫妻、次女、三女、
旧制の修猷館中学に通っていた長男、同じく佐賀中学に通っていた次男
の伯父伯母等、一族十人がどこか気取った様子で写っている。
 
右の写真はそれから数年後、おそらく昭和15〜16年ごろの写真になる。
 
高等女学校に進んだ母親の前に曾祖母の姿はなく、この間に世を去ったことが窺える。
そして次女の姿もない。
写真でしか顔を知らない私の伯母は、昭和13年に戦死した婚約者の後を追って
鉄道自殺を遂げたのだ。
 
そしてともに旧制の中学生だった男兄弟は
兄が江田島の海軍兵学校、弟が相武台の陸軍士官学校の生徒に変身して写っている。
その兄は海軍航空隊のパイロットとして後にトラック島で戦死、
弟は陸軍航空隊のパイロットとして特攻任務に当たるが、沖縄に不時着して帰還、
戦後家族をもうけるが訳あって蒸発、そのまま帰らぬ人となった。
 
祖父母はもちろんとうに亡く、この二葉の写真の中で生きているのは
三女だった伯母(もう卒寿だと聞く)と、末っ子の私の母親だけになってしまった。
戦死した伯父の骨、行旅死した伯父の骨はともに墓にはない。
遠く太平洋の海の藻屑と消えた(ついに会うことのなかった)伯父に向かって、
風貌がよく似ていると評される甥っこは、先祖代々の墓とは別に粛然と合掌するのみである。

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