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倭の奴の国の女より 白髪三千丈四千年の元カレへ送る歌
仏教伝来ありがとう 遣唐使ありがとう 漢字文化ありがとう 元寇ありがとう
文化大革命ありがとう 愛国無罪ありがとう 偽物文化ありがとう 毒入り餃子ありがとう
でも……
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先日の稿『秋の彼岸の墓参り』に関する、興味深いホームページを見つけた。
(佐賀の歴史・文化お宝帳〜大應寺比翼塚)
文中に江副美子とある女性が私の母の姉、つまり伯母に当たる。
その夫江副次郎は正確には母のいとこ違い、(母の)祖母の弟の息子で、
私にとっては、伯従父(はくじゅうふ)という係累になるのかな?(間違っていたらご容赦を)
戦後生まれの身のこととて、もちろんこの二人に会ったことはないが、
この“比翼塚”にまつわるエピソードは、“軍国美談”としてニュース映画に編集され、
全国の映画館で流されたと子供の頃に聞いた。
(どういうわけか、そのフィルムをビデオに起こしたものを手元に所持しているが、
まさに“軍国美談”を地で行く、戦時色の濃い大詠嘆調のニュース映像である)
さて、この“比翼塚”の存在はもちろん知っていたが、
機会に恵まれずまだ参ったことがない。
家族ごと当地を離れて幾星霜、
九州に行く機会も、まして佐賀に行く機会も滅多になくなってしまったが、
今度ロケの仕事でも作って、我が先祖にきちんと手を合わせてみたいと思っている。
葉隠の下蔭ふみてをとめ汝(なれ)武士(もののふ)の道をゆきにけらずや
(遺稿集 『散りにし魂』より 題歌 佐佐木信綱)
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今朝は起き抜けにまず彼岸の墓参りを済ませてきた。
写真はその我が母方のご先祖様たち。
二枚の写真の間には五〜六年の歳月が流れていると思われるが、
その間の I 一族がたどった運命がかいま見えて、不肖の子孫としては忸怩たるものがある。
左の写真はおそらく昭和10年ごろの一葉で、末っ子だった私の母親を真ん中に、
曾祖母(会ったことはないが、佐賀龍造寺藩剣術指南の家系を誇りにしていたと聞く)
祖父母(同じく佐賀蓮池藩の武士の末裔)
長女夫妻、次女、三女、
旧制の修猷館中学に通っていた長男、同じく佐賀中学に通っていた次男
の伯父伯母等、一族十人がどこか気取った様子で写っている。
右の写真はそれから数年後、おそらく昭和15〜16年ごろの写真になる。
高等女学校に進んだ母親の前に曾祖母の姿はなく、この間に世を去ったことが窺える。
そして次女の姿もない。
写真でしか顔を知らない私の伯母は、昭和13年に戦死した婚約者の後を追って
鉄道自殺を遂げたのだ。
そしてともに旧制の中学生だった男兄弟は
兄が江田島の海軍兵学校、弟が相武台の陸軍士官学校の生徒に変身して写っている。
その兄は海軍航空隊のパイロットとして後にトラック島で戦死、
弟は陸軍航空隊のパイロットとして特攻任務に当たるが、沖縄に不時着して帰還、
戦後家族をもうけるが訳あって蒸発、そのまま帰らぬ人となった。
祖父母はもちろんとうに亡く、この二葉の写真の中で生きているのは
三女だった伯母(もう卒寿だと聞く)と、末っ子の私の母親だけになってしまった。
戦死した伯父の骨、行旅死した伯父の骨はともに墓にはない。
遠く太平洋の海の藻屑と消えた(ついに会うことのなかった)伯父に向かって、
風貌がよく似ていると評される甥っこは、先祖代々の墓とは別に粛然と合掌するのみである。
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