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「さまよえる泉州人」のブログ
アレも阪和線、コレも阪和線。みぃ〜んな阪和線!時々貨物・・・なブログです。どうぞお見知りおきを。

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それがOSAKA!(POWER LOOP)

皆さん、こんばんわ。
お医者さんで処方してもらった薬がようやく効いてきて、だいぶマシになってきた「さまよえる泉州人」です。
そうするとやはりムシが疼きだしますね、今朝は日の出直後から出動してA26運用のHK609113系HG編成など諸々を、雄ノ山を越えて30分ほど俯瞰撮影してまいりました。
一面水が張られた田んぼ!を期待して行ったんですが、少々期待外れ。オマケに線路際の雑木がデッカクなっていて邪魔なこと・・・。なんともビミョーな朝練でした。

さて先日「SL人吉」号撮影記で非鉄続きと書いてしまいましたが、一つお詫びと訂正を。
あの記事、一週間以上かけて書いていてそこら中訂正しまくっていたはずなんですが、アップした6/1の前日・5/31、会社を休んで医者に行った日の午前中。非鉄に我慢しきれず、行きがけの駄賃で?LA3「OSAKA POWER LOOP」を撮っていたのに、肝心の冒頭、そのまんまでした。あちゃ〜(滝汗)
というわけで、今回はその日、ぜいぜい言いながら撮ったLA3「OSAKA POWER LOOP」を。
医者に行ったついでに、こっちのビョーキもみてもらうべきだったかな?(不治の病だから「手の施しようがありません!」て言われるのがオチかも・・・)
以下、撮影日はすべて2017.5.31です。
(※よろしければ拡大してご覧ください。どうも以前にも増して、圧縮画像の色が綺麗に出ないのと鮮明さに欠けるような気が・・・)

まずは・・・、

イメージ 1
1338電 10M  天王寺
この10M・1338〜1360列車というのは、いつも通勤に使う電車の一本後にやってくる電車でして、小生が乗り換える西九条発7:20の617列車が西九条を出発するときに、ちょうど駅に滑り込んでくる電車です。
普段は西九条で運用チェックする電車、この日は薄曇りの空模様を幸い、天王寺に進入してくるところを久々に一枚。


イメージ 2
 1360電 10M
 大阪城公園−森ノ宮

 で、その1360電をどこで
 狙おうか?と考えた時、
 頭に浮かんだのは相も変
 らずワンパターンな、森
 ノ宮被りつきでした(汗)
 もう「これでもか?」なイ
 モムシ写真。
 以前載っけた一年前の写
 真と全く同じ切り位置(当
 たり前と言えば当たり前
 ですが・・・)、進歩が無い
 ですね(汗)














イメージ 3
 2376電 10M
 大阪城公園−京橋

 次に待ち構えたのも、先
 日狙ってみた場所。
 ただ前回撮った時、思っ
 たより大阪城天守閣
 写り込みが小っちゃかっ
 たのと、季節が冬で少々
 寂しかったので、改めて
 チャレンジ。
 天守閣ラッピング天守
 閣とのコラボ。
 この日は偶々なんとも良
 い場所に艀が繋留されて
 て、良いアクセントに!
 ただ相変わらず、青空!
 とはならないのは「なん
 でやねん!」
 









イメージ 4
1395電 10M  大阪城公園
折り返しはどこで撮ろうかな?とためらった挙句、むっちゃベタにそのまま大阪城公園駅のド定番なアングルで。
平日の朝っぱらからカメラ構えてる人なんか、そりゃおりませんわな。(汗)
とても平和に撮影出来ました。
ちなみにLS08がスタンバってるのも確認、なんでか201系(編成番号は?)と併結されてましたが・・・


イメージ 5
1395電 10M
大阪城公園

せっかく駅で構えてるんだ
から、と振り返ってもう一
枚。
この大阪環状線の駅でよく
見られる、架線ビーム?の
幾何学的構造はいつ見ても
小生好みのアーティスティ
ックなものでいいですね!


















このあと新今宮に向かって、「あべのハルカス」コラボを狙おうとしたんですが、うろうろしている間にタイムアウト!
やらかしてしまいました・・・(涙)
仕方ないのでまた移動。やってきたのが、


イメージ 6
2407E 10M
西九条

「西九条、にしくじょ〜♪」
午前中の環状線から桜島線
直通列車は2・3番線に入
るので、こぉ〜んな感じで
狙ってみたんですが。
なんか今一つでした・・・。




















イメージ 7
 2407E 10M
 西九条

 お口直しに振り返っても
 うワンカット。
 高架から環状線の間を割
 って地平に降りていく姿
 を、600mm後追いで。
 この縦くねりに色っぽさ
 を感じる小生はやっぱり
 〇態?


















イメージ 8
2428E 10M  大阪
え〜、次にやってきましたは梅田阪急ビルへのペデストリアンデッキ。
なんでここに来たのかというと、一つ前の写真、Tc841のお顔見ていただければ一目瞭然なわけでして・・・。
そこに描かれる、大阪ステーションシティをバックに走る「OSAKA POWER LOOP」をモチーフに狙ってみたんですが。
実際に狙うと、ラッピングには描かれていない架線柱やらケーブルやら信号設備やらがとても邪魔!あとノースゲートビルまで入れると煩わしすぎと思い、時空の広場上部の大屋根メインで切り取ってみました。
ちょっと消化不良なんで、もう一回狙い直してみようかな・・・?


イメージ 9 2435E 10M
 大阪

 「どないやねん!」
 あっ、ゴメンナサイ!
 友人の写真見て、思わず
 大ぴちょんくん、パクっ
 ちゃいました・・・(滝汗)
 架線ビーム越しに手を振
 る?大ぴちょんくん、そ
 の日の空気具合で色が変
 わるとの事ですが、小生
 いまだ「るんるんブルー」
 しか見たことがないんで
 すけど・・・(見た回数もそ
 んなに多くないですが)
 「からからオレンジ」との
 コラボはある意味、やば
 いってことかな?(高温・
 低湿度のカラー)









ついでにとぉ〜っても悔しいオマケ!(嘆)


イメージ 10
試?D 「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」  大阪
二つ上の大阪駅を発車する「OSAKA POWER LOOP」を待ち構えている時、いきなりなんの予告も無しに現れた(あくまで情報に疎い小生にとって、ですが・・・汗)「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」
その登場もビックリだったんですが、小生にとって地団駄踏むぐらい悔しかったのは、やってきたその時間!!
「瑞風」が現れたのが10:54。一方、2428EのLA3が大阪駅に到着したのが10:56
もうお判りですね。
なんと、大阪駅で並んでいたんです!
LA3の時間は判っていたんでなおのこと、事前に「瑞風」が来るのを知っていたら、ホームで待ち構えていたのに〜!「ぐやじぃ〜!」(そんなん「しらんがなっ!」)
という顛末なのでした、チャンチャン。

以上、いかがだったでしょうか?
いまや大阪環状線唯一の103系稼働車となってしまった、LA3「OSAKA POWER LOOP」
その去就も既に秒読み段階と言えますが、その最後の時までぜひ元気な姿で頑張ってほしいものです。
ラッピング車輌自体あまり好きでもない小生ですが、このFM802とのコラボで生まれた「OSAKA POWER LOOP」は数少ない、秀逸なデザインだったと思います。
このようなラッピングが生まれてくる土壌を育んできた、「それが大阪!」
ステンレス車輌の323系にもぜひともその精神を受け継いでいってほしいですね!
今回はこんなところで。
ではまた。


皆さん、こんばんわ。
連休中の5月5日のプチ遠征以来全くカメラを全く触っていない、つまり鉄分オフ!・「〇〇・ゼロ!」みたいな、何かの広告のような状態が続いている「さまよえる泉州人」です。
ついでに言うと、この記事一つに一週間以上かかって、書き直しだらけなのも公然の秘密?です・・・。
実を言うとここ2〜3週間、すっかり体調を崩しまして仕事こそなんとかこなして?いるものの、毎晩痰が絡みせき込んでは寝れない状態がずっと続き、また高熱こそ最初の数日でおさまったものの微熱は今も続いたまま・・・。
しかもアホなわたくしめはそんな状態にもかかわらず、5月14日は堺の「海とのふれあい広場」で開催された、「METROCK2017 OSAKA」2日目に参戦してまいりまして
朝から深夜の帰宅まで大盛り上がりの1日を過ごしたものですから(翌日はちゃっかり事前に有休を取っていました・・・笑)、「そりゃ、治るもんも治らんやろう!」と呆れられること請け合いですね。
で、結局昨日は会社を休んで昼から病院に行ったんですが、どうやら風邪をこじらせて多少炎症反応があるらしいとの事。「まぁじかぁ〜!(嘆)」な気分です・・・。
それにしても今年の夏風邪?は鼻・のどに強烈にやってくるようで、小生の知った身の回りの方々の症状も似たようなもの。皆さんもどうかくれぐれもお気をつけくださいまし。
小生も、次の6月26日「Zepp Osaka Bayside」までには治さなくては・・・。

さてそのような余談はさておき、皆さんもまだまだ記憶に新しい昨年4月に断続しておきた「熊本地震。あれから早くも一年あまりの時間が経ちました。
あの地震の少し前に熊本、といっても人吉地方だったんですが遊びに訪れていた小生としても、まさかその直後にあのような震災が降り注いできたことには小生、呆然とし、また居ても立っても居られなくなり、5月と7月に僅か2回でしたが数日ずつ微力ではありますがお手伝いをさせていただきました。
一年たった今も、懸命に生活再建に取り組まれ邁進される方々がいらっしゃる一方で、震災に苦しみ先の見通せない生活を送られる方々も多数いらっしゃる現実に胸が痛みます。
小生もここしばらくお手伝いにも馳せ参じることなく、とても大きな顔など出来ぬ始末ですが、亡くなられた方達のご冥福を祈るとともに、復興に取り組まれる方達のご多幸を影ながら祈り、またささやかながら応援を続けてまいりたいと思っております。

さてさて、今回の記事はその「熊本地震」のほんの少し前に訪問した際の写真です。
ブログにて報告する前にあのような事態が起きてしまい、その後ずっと封印してまいりましたが、一年が過ぎ今更ながら取り上げても許していただけるかな?と思い取り上げてみました。
この訪問、貨〇ちゃんねるで知り合った友人の方々と敢行した、「SL人吉」号と咲き誇るとのコラボを2日間に亘る撮影行。
小生も末席に与からせていただきまして、大いに楽しませて頂きました。
最初にお声がけしていただきましたJさん・MMさん始め、MJさん・Tさん・Kさん・KSさん・Sさん、そして途中ご参加のPSさん、その節は大変楽しいひと時をエスコート頂きまして本当にありがとうございました。あらためて御礼申し上げます。

この訪問のスタートは4月1日、仕事を終えその足で梅田に向かいTさんと合流。夜行バスで小倉に向かって、早朝現地で皆さんと合流。あらためて久闊を序し、揃って一路人吉へと高速を南下しました。
初日は復路メインで行動することとし、往路は復路一発目の場所近い所で、ということで・・・、
(※よろしければ拡大してご覧ください。どうも以前にも増して、圧縮画像の色が綺麗に出ないのと鮮明さに欠けるような気が・・・)


イメージ 1
8241ㇾ 58654+50系ハハフ3車  2016.4.2 渡
まず最初に立ち寄った終着駅・人吉まであとわずか!なところに位置する渡駅。
ここに進入する姿をお出迎えです。
これが小生初の 58654号機とのご対面!C56やC57等とははまたヒト味もフタ味も違った魅力に大興奮!(汗)
この後予定の西人吉桜回廊を想像するともうアドレナリンが止まりませんね!

で、この後はそそくさと目的地に移動。ごく近くのファミレスで食事を摂った後、それぞれ思い思いの場所に陣取って待ち構えるわけですが、当然のことながら、春休み期間中の至極好天に恵まれた土曜日の昼下がり。しかも沿線屈指の桜の名所!想像以上の人出に圧倒されっぱなし。
アングル決めにも随分と苦労しました。
溢れる人波、さらに列車に覆い被さるかのような桜の樹々、規制線や築堤に揺れる草々をぬって構えたアングルで狙ったショットが☟。

イメージ 2
8242ㇾ 
58654+50系ハハフ3車
2016.4.2 西人吉−渡

咲き誇る桜花を潜り抜けて
やってきた 58654号機
優しく舞い散る桜の花びら
のお出迎えを受け、煙を盛
んに吐きながら驀進してく
る姿には機械が持つ力強さ
だけでなく、生き物が持つ
温かさやぬめりを感じまし
た。
ちょっとレトロなイデタチ
の機関助士さんの姿も凛々
しいですね!

ここで合流、ご一緒させて
頂いた鹿児島からお越しに
なられたPSさん。短い時間
時間でしたが楽しいひと時
を有難うございました。







このあとは追いかけ開始。
球磨川沿いを国道219号線で追っかけ。川沿いを山肌を縫うようにして走る肥薩線。
今回は国道から沿線をロケーションしながらの旅路でしたが、随所に「!」と歓声を上げたくなるような素晴らしい場所がありました。
この時の撮影行では寄り道しませんでしたが、これは何回も通いたくなるような素晴らしいところですね!次はいつ行けるかな?(嬉)


イメージ 3
8242ㇾ
58654+50系ハハフ3車
2016.4.2 白石

で、やってきた白石駅。
ここでも列車交換のための
暫しの休息があります。
待つこと僅か。いかにもロ
ーカル、といった風情の中
をおとぎの国から抜け出て
きたかのように現れた「SL
人吉」号
静かな山中の寒駅に進入を
知らせる汽笛が響きます。















イメージ 4
 8242ㇾ
 58654+50系ハハフ3車
 2016.4.2 白石

 対向列車がやってくるま
 で、しばし休息。
 けむりをくゆらせ、多く
 の撮影者達に向かって、
 「ハイ、ポーズ!」





















この日はあと一カ所、八代手前、肥薩おれんじ鉄道との合流地点でもう一枚だったんですが、小生はここでは撮影せず。初日の予定を終了しました。
夜は宿を取ってある場所まで、再び球磨川沿いを上流に向かって遡っていきます。
その宿はくまがわ鉄道・多良木駅すぐそばにある簡易宿泊施設「ブルートレインたらぎ
ここでその日一日の疲れを癒し、その日の話題や友人の方々がそれぞれ持ち寄った遠い?昔の物語を夜遅くまで、酒杯を交わしての楽しい団欒のひと時を過ごしましたのち、ブルートレイン「はやぶさ」のBソロで就寝。2日目に備えました。

前日の心地よい疲れをものともせず、翌朝は早や?5時にはお目覚め!(笑)
周囲を散歩したあと、早速前日も訪れた西人吉の桜回廊へ下見に。今日は下り列車をココで出迎えるのを中心にスケジュールを組みました。
川沿いを今日も八代方面に一旦向かいます。そこでそこかしこロケーションしながら、下り列車一発目の撮影地を選定。
旧道沿いの桜並木を組み込んだコチラの場所に決定!あとはひたすら待ち構えます。
この日は八代から球磨川沿いで「第21回球磨川センチュリーライド」という自転車ツーリングイベントが催されていたようで、この旧道も多数のツアラーが次々とやってくる状態。
肝心の撮影時にはどうなるのか?とヒヤヒヤモンでしたが、幸いツアラーの途切れた時に葉木駅に進入する汽笛の合図が。

イメージ 5
8241ㇾ 58654+50系ハハフ3車  2016.4.3 葉木−鎌瀬
こぉ〜んな感じで撮れました!
咲き誇る花々の間から早くも少しばかり葉をのぞかせている桜樹と、線路際に揺れる菜の花の可憐な黄色!。漆黒の蒸気機関車にとても似合いますね。
ふと振り返ると、通り過ぎたはずのツアラーや通りがかりの旅人の方達も思い思いにカメラを向けていました。

撮影後はすぐさま移動!朝下見をした西人吉へとひたすら向かいます。
現地では前日にも勝る人波であふれかえった桜回廊(驚!)少々押し合いへし合いになりそうな中、先ほど追い抜いた「SL人吉」号を待つことしばし。
やがてココ桜回廊へと向かう上り坂を驀進してやってきた 58654号機率いる「SL人吉」号の姿は・・・、

イメージ 6
8241ㇾ 58654+50系ハハフ3車  2016.4.3 渡−西人吉
それはこの花々が咲き誇る情景にはたしてあうのか?と一瞬思ってしまうほど、物凄い煙を噴き上げてコチラに向かってくるものでした。
煙に負けじ!とばかりに覆いかぶさるように枝を張り出す桜樹。それも右手のソメイヨシノの可憐なさくら色と、対面左手の緋桜の深紅が織り成す光景はなんとも豪華絢爛な舞台のよう。今も鮮明に思い浮かびます。
直前から随分と空模様が怪しくなってきて、煌々と照らす前照灯とくろがねに浮かび上がるナンバープレートがいい感じになってくれました。

イメージ 7
8241ㇾ 58654+50系ハハフ3車  2016.4.3 渡−西人吉
せっかくなので、欲張ってもうワンカット!前日の上り同様、桜舞い散る中を突き進む古豪の姿は、白昼夢を見ているようでした。

多くの歓声を受けながら走り去っていく「SL人吉」号を見送った後、今にも泣き出しそうな空模様を気にしつつ、今度は復路を迎え撃つべく三度球磨川下り。
この日の復路は一発狙いで、しっかりと場所確保。また多彩なアングルを狙えるため、早め早めの行動で現地へと向かいました。
途中恐れていた雨もパラつきだし、一喜一憂しながら向かった先は・・・?

イメージ 8
 8242ㇾ
 58654+50系ハハフ3車
 2016.4.3 瀬戸石−鎌瀬
 (以下4枚とも)

 2日間に亘る「SL人吉」
 影の締めくくりは、かの
 有名な球磨川第一橋りょ
 うを驀進してくる姿を。
 トンネルを潜り抜け、橋
 梁を渡り鎌瀬駅に飛び込
 んでいくシーンです。
 本来球磨川下りの下り勾
 配ですから、このように
 盛大に煙を噴き上げドレ
 インから排出する必要も
 無いんですが、そこはソ
 レ。
 撮影者に対するサービス
 満点の心意気で見せ場を
 演出してくれました。







イメージ 9




























イメージ 10




























イメージ 11





























悪条件の中、400mm手持ちで数十秒間構えシャッターを切り続けるのは重労働ですね・・・。
どうしても目線は煙室ハンドルに向かってしまうため、アングルが安定していないのはそのせいです。(滝汗)

シャッターを切り終え振り返ると、車体を捩らせながら鎌瀬駅を駆け抜けていく姿が・・・。
煙と余韻を残しながらカーブの先に消えていく姿を見送ると、これでホントにオーラス。なんとも熱のこもった2日間を過ごせました。


震災から一年あまり。震災からしばらく、あるいは一年経たんとする前後こそメディアでも様々な角度から取り上げられたものの、昨今はまたまた人の口の端にもあまりのぼらなくなってきました。
さらに話題はどうしても震源地と重なった益城町を始め、熊本市南阿蘇村が中心となりがちで、その他の被災地のことはなかなか伝わってまいりません。
例えば小生がお手伝いさせていただいた西原村なども、今回の震源と思われる断層が東西に走り、その周囲では激甚な被害が発生していました。
あくまで小生が耳にしたり実感した(小生、西原村が主でしたが熊本市益城町にも一度ずつ参加させていただきました)個人の感想の内ですが、多大な被害がもたらされましたが、この西原村のボランティアセンターと村役場が一番機能していたように思います。(県外あるいは九州島外からのボランティア受け入れが他所と比べても迅速かつスムースに思えました)
2回目のお手伝いの時には、一部とはいえ早くも仮設住宅への入居もどうやら始まっていたようで、このあたり東日本大震災時に村の社会福祉協議会のボランティア活動、あるいはその際に県外を含む他自治体とのつながりを構築していたという事もとても大きかったようです。
これは1回目の時に県内山鹿市社会福祉協議会の方に直接伺ったり(その節は大変お世話になりました)、あるいは1回目そして2回目のお手伝いの際に実に多くの社会福祉協議会の応援が現地入りしたのを目撃して確信しました。
近々では小生も直接的なお手伝いが何も出来ないままで、忸怩たる思いを抱いておりますが、また折をみてなにかのお役に立てればと考えております。

以上、今回はこんな感じでしたが如何だったでしょうか?
肥薩線沿線、実に風光明媚な光景が繰り広げられる素晴らしい場所ですね!今まで足を向けなかったのが悔やまれてなりません。
今年は行けませんでしたが、色々狙ってみたいポイントがいくつもあって、来年こそはまた訪れてみたいな、なんてことを考えております。
今日はこんなところで。
ではまた。


皆さん、こんばんわ。なんと本日3本目(驚!)の記事を作成しております「さまよえる泉州人」です。
前回の記事で、さる3日と5日に湘南色6連を撮影に西播にプチ遠征した報告をいたしましたが、この内5日の遠征、帰り際に実はもう一つ悪巧みを企画しておりまして、当然のことながらそれをも実行してまいりました!(笑)
あまり興味のなさそうな同行の友人達には申し訳なかったんですが、某所に保管されているある可愛らしい機関車に逢いに行くのが目的でして、なにせクルマで出かけないと不便なところですから、こういう機会を逃すと次は何時?てなことになりかねません。
というわけで、今回はその報告を。

その逢いたかった機関車というのは、そのスジ(別にコワい方達ではございません・・・笑)の間ではチョー有名な?、帝国車輌製の機関車北沢産業DB1です。
北沢産業やDB1についての詳細は、ド素人の小生なんかよりお詳しい方々が数多いと思いますので略させて頂きますが、かいつまんで言いますと、山陽本線網干駅から分岐していた、立派な?地方鉄道が所有していた機関車、それが帝国車輌製DB1と日本輸送機DB2です。
地方鉄道といっても網干地区の工場向け貨物を細々と運んでいた程度。所有していたこの2輌の機関車からもその内容は推して知るべし、でしょう。
例によって昭和59年2月に実施された貨物ファン悪夢のダイヤ改正の折に、ココも影響を受けて貨物輸送を休止。正式な廃止は平成に入ってからで、平成元年(1989年)5月1日付で廃止となっているそうです。
その後、僚機DB2は網干駅前にある、その名も”北沢網干パーキング”の敷地内に保存されていますが、帝国車輌製DB1は高砂市内にある篤志の方が個人的に保存されていまして、今回はそこを訪れたわけです。

なぜ小生がこの機関車を気にかけていたのかというと、

 1.まず製造元がかつて阪和線鳳駅そばにあった、帝国車輌だったこと。
 2.スイッチャーファンのバイブル?、「世界の鉄道’70」(朝日新聞社刊)に掲載され
   ていた、ただでさえ数少ない帝車製DLのうちの1輌。(あとは江若鉄道所有で
   元熊延鉄道のDC251浪速鉄道産業DB253)
 3.この機関車と同期(共に昭和31年製!)だった帝国車輌→東急車輌製造大阪の構
   内入替機だった機関車を、小生、たまたま昭和60年頃に撮影していて、その後
   ずっとこの北沢産業のDB1のことが気になっていた。
 4.2年ほど前に某サイトの投稿でたまたまこの機関車が現存していることを知り
   訪問する機会をうかがっていた。

といった具合です。

以下、グダグダ書いても仕方ありませんので、興味のある方はぜひその写真をご覧くださいませ。なお、撮影日はDB1に関しましては、2017.5.5です。

※1 今回は以前掲載した写真(記事はコチラ)を比較しやすいように並行して再掲い
   たしますので、より楽しんでいただけるかと思います。
※2 よろしければ拡大してご覧ください。どうも以前にも増して、圧縮画像の色が
   綺麗に出ないのと鮮明さに欠けるような気が・・・


イメージ 1
じゃ〜ん!こんな感じで保管されています、わたくし、元北沢産業のDB1と申します。以後、お見知りおきを。

イメージ 2
あっ、名刺代わりの名札?が写っていませんでしたね!(汗)
こちらからもう一度。

イメージ 3
 え〜、コチラ側が後位側
 という事になるんでしょ
 うか・・・。
 ラジエタグリルはござい
 ません。
 変速機が積んであるはず
 です・・・。






















イメージ 4
で、ここからは比較してみ
てください。
右が北沢産業のDB1
下が東急車輌大阪で撮影
した機関車です。
こうやって比べてみると、
思った以上に違いがありま
すね!
外観上の特に際立った違い
は、窓とボンネットの幅が
大きなウェイトを占めてい
るようです。

















イメージ 5
東急車輌製造大阪工場にて  昭和60年頃


イメージ 6
今度は反対側に回ってみる
と、ラジエタグリルが鎮座
ましまして、このフードの
中には日野製の70PSエン
ジンが。
う〜ん、コチラも思った以
上に違いますね。






















イメージ 7
同じく東急車輌製造大阪工場にて  昭和60年頃

イメージ 8


イメージ 9
 近寄ってみると、なにや
 らキャビンから怪しげな
 ロープが・・・。
 それをたどっていくと、


 ←!
 なんと連結器解放テコに
 たどり着きました。
 車内から操作できるよう
 になっているんですね!
 アッタマいい〜!(笑)

















イメージ 12
足元に寄って見ると、

イメージ 10
変速機から駆動軸を介して、外のプーリー?に。さらにそこからロッドを介して車軸を駆動。

イメージ 11
同じく東急車輌製造大阪工場にて  昭和60年頃
一方、コチラは直接変速機が車軸を駆動しているのでしょうか?このあたり小生、よく判らないんですが、ロッドが一本しかありません。

イメージ 13
エンジン側の方から下を覗いてみたんですが、暗くてイマイチ・・・。
うっかり反対側を撮影するのを忘れてました(汗)

イメージ 14
☝☟ともに、同期の証し!”帝国車輌 昭和31年”の銘板です。

イメージ 15
東急車輌製造大阪工場にて  昭和60年頃

といった具合でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか?

せっかくなので、オマケにもう少し。
コチラは網干駅前に保存されている、日本輸送機製DB2です。
このスタイルは細部の違いはあれど、国鉄の移動機などでもよく見かけたスタンダードなもの。
撮影はいずれも2015.7.15です。

イメージ 16
まずはこちらから。

イメージ 17
 続いて、ラジエタグリル
 側を。



























イメージ 18
真横からも狙ってみたんですが、真夏の真っ昼間!ピーカン、もろ逆光なので補正しまくりです・・・(滝汗)

イメージ 19
製造銘板。「DL10M01067」「876001」「昭和36年6月製」と読めます。

とまあ、こんな感じですが、いかがだったでしょうか?
随分ゆるゆるな記事で、期待された方はゴメンナサイ。
当の本人、撮影した時は大満足で帰宅しましたが、今こうして比較しながら記事を書いていると「ああしておけば良かった」「なんでこれを撮ってなかったんや・・・」とボヤくことしきり。
また改めて逢いに行かなくてはなりませんね!

とまあ、眠くなってきたんで、今回はこんなところで。
ではまた。


MY COLOR

皆さん、こんにちわ。早朝から(えっ???)自宅でまったりと、な「さまよえる泉州人」です(笑)
GW最後の日曜日、といっても小生カレンダーどおりの勤務なので昨日もお仕事でした(泣)が、いかがお過ごしでしょうか?
皆さんご推察どおり、随分もったいぶった前フリで展開してきた湘南色企画?も、いよいよ佳境にやってまいりました。
というわけで、今回は先日3日と5日にプチ遠征してまいりました顛末をひとつ。

広島地区への227系大量投入により、115系の一大牙城は西の下関と東の岡山となってしまったJR西日本。
つい最近まで、A-13・4連編成と D-24〜27・3連編成4本が活躍していた岡山区の湘南色でしたが、D-25が黄色化。さらに事故に巻き込まれたD-24編成を復活させるためにA-13編成をバラシて組み込んで新D-24編成とするも、ほどなくコチラも黄色化。
残すところD-26D-27の3連2本のみとなっていましたが、岡山区が検査入場に合せ、塗色を湘南色のままで継続を発表。結果この春、立て続けに一部改造がなされたとはいえ美しい姿で出場してきたのは、まだ記憶に新しいですよね。
京都の113系湘南色だったC10編成がやはり検査出場でしたが、コチラは地域色化されてしまったため、西日本の湘南色はいよいよこの2本のみとなりました。

今回その2本を併結、6連としてGW中走らせることを岡山支社が発表したものですから、これは行かずばなるまいとおっとり刀で駆け付けた、その成果を以下にアップしましたので、ご覧くださいませ。

(※よろしければ拡大してご覧ください。どうも以前にも増して、圧縮画像の色が綺麗に出ないのと鮮明さに欠けるような気が・・・)


イメージ 1
1320M 変A60?+変A75? D-26+D-27  2017.5.3 上郡−有年
ちょくちょく訪れる此処、千種川での光景。まず最初のトライをどんな構図で決めようかな?事前に考えていたのが、湘南色6連を強調出来る真横からのアングル。
そして現地に来てふと目に入ったのが、堰とその横にある魚道。
これを取り入れない手はない!とばかりに(やや強引に・・・)入れてみました。
曇りがちだったお天気も少しずつ回復。そうすると・・・、

イメージ 2
1327M 変A75?+変A60? D-27+D-26  2017.5.3 有年−上郡
今度困るのは折り返し。陽が岡山方先頭車真正面にきて、両サイドとも陽が回り込まず翳ってしまうという悩みが・・・。
当初は、小生が時折利用させていただくある場所からと思っていたんですが、一枚目を撮影後に移動の際、お声をかけていただいた方のご厚意に甘えてやってきた、千種川西岸・川上側の築堤から「まあ一枚ぐらいはベタな写真を・・・」と撮ってみました。
まあコチラサイドは煩わしいケーブルも細い1本のみなので、スッキリと撮れますしね!

この日はこれにて終了。帰る途中、姫路で日中お昼寝していた岡山区の113系B-08編成をゲット!コチラはもともと想定していなかったので、一粒で2度オイシイ!を地で行くような撮影行でした。(帰りの新快速、尼崎まで爆睡!よく乗り過ごさなかったモンだ・・・)

さてさて、日改めまして今度は5月5日。この日は友人お三方をあらかじめお誘いしていまして、早朝よりマイカーでのプチ遠征です。
目的地は、小生まだ未体験のミツカミ大俯瞰!なにせ現地の詳細が分らないのと、万が一いっぱい撮影者がいて場所確保が出来なかったら・・・、という不安のもとに早朝出撃だったんですが、ノープロブレム!
僅かに迷ったものの撮影場所もすぐ見つかり、しかも朝8時半頃なのに一番乗り?案外と人が訪れないんだと思ったほどです。
足場もまずまずたっぷりと有り、待つこと暫し。その間、貨物列車も数本やってきたのは望外の喜び!もともと貨物撮影のために来てみたかった場所なので、楽しませて頂きました(嬉)
そうこうするうちに撮影に訪れた方々も見えて、いよいよ!


イメージ 3
1308M A62+A77 D-26+D-27  2017.5.5 三石−上郡
山影から姿を現したのは、3日にもお目にかかった湘南色6連!なにせ随分と離れていますから、それなりのスピードで走ってはいるんでしょうが、ゆっくりと歩を進めているように錯覚します。
それを良いことに、アングル変えてはガシャガシャとシャッターを切ってしまって・・・(笑)

 
イメージ 4
 1308M A62+A77
 D-26+D-27
 2017.5.5 三石−上郡

 上のアングルから一転、
 今度は縦位置での1枚。
 有名なS字カーブは昨年
 秋に柵が立てられ、撮影
 出来なくなったとの事。
 もっとも上からだと全く
 問題なし。
 身を捩らせてS字を駆け
 ていく姿、6連だと実に
 可愛らしく感じてしまい
 ます。
 緑基調の光景の中、カラ
 −リングのオレンジがと
 ても映えて目をそばだて
 てくれますね!
 
 
 
 






イメージ 5
1308M A62+A77 D-26+D-27  2017.5.5 三石−上郡
さらに欲張ってもう一枚!(笑) より一層引き立ちます。

で、3カット撮影したあと、まだまだ欲張ることが出来るこの撮影地の利点を活かしてすぐさま移動!歩いて数十秒、眼前に広がるのは・・・

イメージ 6
1308M A62+A77 D-26+D-27  2017.5.5 三石−上郡
こんな光景!今度は開けた田園風景の中を行く湘南色6連。
先ほどのS字カーブから、ぐるっと山を迂回して列車がやってくるまで3分ぐらいあるので、レンズ交換すら難なく出来ちゃいました。

イメージ 7
 1308M A62+A77
 D-26+D-27
 2017.5.5 三石−上郡

 まだまだ欲張って、最後
 にもうワンカット!
 麦畑の中にポツンと立つ
 木(その下には小さな祠が
 あります)を入れ、かつ、
 空も少し取り入れて。
 なんとも贅沢な(詰め込み
 過ぎ?)景色を堪能出来ま
 した。
















相生行を撮影後はそそくさと片付けて、下山。「鳥の目」の次は「虫の目」というわけではありませんが、折り返しは下で狙うことに。

イメージ 8
1313M A77+A62 D-27+D-26  2017.5.5 上郡−三石
麦秋の刈入れにはまだ少し早く、青々と敷き詰められた麦田と先ほど撮影していた山を借景に、サイド寄りのアングルで。
今回の2度の撮影行は、いつもとは違いかぶりつきが無いのが小生らしくない?(笑)

イメージ 9
1313M A77+A62 D-27+D-26  2017.5.5 上郡−三石
では面白くない?ので、最後の最後にこんな感じで!
近づくと、今回の全般検査で取り付けられた、ドア半自動開閉時の開閉ボタンと改造された戸袋窓が結構目立ちます。
ただこれを取り付けたという事は、当面使い続けるという意気込みの表れでもありますね!
6連運用はなかなかタイミングが合わないと実現しないと思いますが、大きな故障も無く元気に活躍を続けてほしいものです。

☟以下はオマケ。(以前もアップした写真の再掲です)

イメージ 10
1727M A49+A52 D-26+D-25(後追い)  2013.4.3 庭瀬−中庄
4年前、やはり湘南色の115系やサンライナー色の117系(それと原色EF64₁₀₀₀!)を取るべくして、友人たちと岡山遠征した折の一枚。
なんの下調べもせずに出かけたので、この湘南6”の突然の出現にはビックリ!


イメージ 11
1303M A41+A31 D-26+A-13  2014.8.31 東岡山
一方、コチラは運用実績を閲覧していて「”湘南7”あるやん!」と気づき、確か朝一「みずほ」で岡山に飛んで行った時の一枚。
またもやD-26が入っていますねぇ〜(笑)
A-13が先頭じゃなかったのがちょっと残念・・・。


以上、いかがだったでしょうか?
阪和線とともに山陽本線特に岡山地区は、幼少の頃から馴染み深い場所でもあったこともあって、かつ不定期とはいえ継続的に撮影を続けてきた身としては、今回の湘南色継続は素直にうれしいですね。
また機会を設けては岡山近郊に湘南色詣でに通おうかと企んでいます(笑)
今回はこんなところで。
ではまた。

皆さん、おはようございます。一昨日、友人達とのプチ遠征の前にこの記事をアップしておきたかった、でも今回もやはり間に合わなかった(滝汗)、遅筆の「さまよえる泉州人」です。
GW前にアップした”サロ163-3”のヒントは、このブログをご覧になっていらっしゃる方々には既にお判りでしょうね!
その成果はまた後ほどとして、今回は湘南色にまつわる小生の思い出話をひとつ。

以前にも書き記したと思いますが、小生の母方の祖父母は山陽本線西阿知駅から少しばかり西に向かったところに住んでおりました。
そこは田んぼや畑を僅かばかり挟んで、山陽本線の築堤すぐそばにあったものですから、また、年に最低2回は訪れる機会もあったことから、小生が幼少のころから鉄道にハマっていったのは想像に難くないでしょう(笑)
当時は新幹線がまだ新大阪まで、あるいは岡山延伸間もない頃でして、山陽本線には昼夜を問わず百花繚乱!電車・気動車さらには客車による特急・急行群が子供の目にはとても眩しく輝いていました。
彼らの事はまたいずれ改めて書き記すとして、それらに交じって(特急・急行のほうが本数が多かったような時代だったものですから、実感としてまさに”交じって”でした!)目につくのはオレンジと緑の電車たち!それが元祖湘南電車・80系なのでした。
無論、「ながと」「とも」「山陽」「安芸」といった急行群にも153系165系といった湘南カラーの電車たちが多数走っていましたし、大阪近郊でも113系がそのカラーリングで走っていたのでその塗色自体にはさほど驚きませんでしたが。
また、あの”湘南型”と言われる独特のマスクも阪和線70系で既に見慣れていましたから、どちらかというと知識のない子供の身には、「急行でもないのに急行みたいな色と車内、でもなんか古い電車みたい・・・」と思えたものです。
さらには時々、変な顔つきの先頭車が引っ付いてくるのには驚き、かつなかなか見かけることが少ないものですから、むしろそっちの方に変に愛着を持ってしまいまして・・・(笑)

ただ当然のことながら、カメラなど持てるはずも無く(そう考えると今の幼稚園から小学校低学年ぐらいのおチビちゃんなんかがコンデジなんかを手にしているのをみると、時代は変わったなぁとつくづく思います)、写真を撮ることも出来ないまま山陽本線岡山口から消えてしまいました・・・。

そんな80系が活躍するのが飯田線のみとなった頃、ちょうど東北新幹線の大宮暫定開業が間近に押し迫った1982年(昭和57年)の春、父親のキャノネットを借りて東北地方や関東地区へ廃止となる特急・急行あるいは旧型客車(オハ61系やスハフ32など)、さらにはED71EF12を撮影に出かけるチャンスがありました。(EF12は結局撮れず仕舞い・・・泣)
その行き帰りに飯田線に残る旧型国電をも撮影して回ろう!というプランを立て、実行したんです。
先日のサロ163-3もその折の一枚。初日には豊橋機関区を訪れ、EF1031の撮影にも成功!したんですが、その時になんでもっと80系をしっかり撮影しなかったのか?というのを反省していくのが今回の記事の趣旨だったりして・・・。
以下、如何にお粗末だったか(戦前型はしっかり撮ってるんです!)というのを皆さんも一緒にご覧になってくださいまし(滝汗)



イメージ 1
257M クハ86346他  1982.4.4 山吹(4403M急行「こまがね3号」車中から)
よくすれ違った車輛の番号をチェックしていたなぁ、と思われたかもしれません。が、この記事をアップするために随分とお歴々の方達の写真等を調べさせて頂きまして、ようやく番号が判明した次第であります。
この写真のクハ86346だと推測される経緯は、

イメージ 2
257M クハ86305他(後追い) 
            1982.4.4 山吹(4403M急行「こまがね3号」車中から)
まずは、振り返って撮影した豊橋側のこのクハ86を調べることから。
拡大してみていただくと判ると思いますが、運航表示幕板部にも僅かに緑の塗り分けがかかっています。
86315までの塗り分けではこの幕板部にもしっかり緑がかかっているのに対し、86316以降はこの緑がかからなくなったそうです。
一方、この写真のクハ86のような中途半端な塗り分けは浜松工場でなされたものらしく、8630586307が該当するんだとか。
当時この両車を組み込んだ編成は、

 ←豊橋                      辰野→
    ・Tc86305+M80310+M80343+Tc86346
    ・Tc86307+M80300+M80341+Tc86300 

だったとのこと。
この内86307の相方・86300(300番台トップナンバー!)は、幕板部にも緑の塗り分けがかかっていたので、これで一枚目の写真がクハ86346、二枚目がクハ86305と推察できました。
こういう時、実に助かります!ありがたい世の中ですねぇ〜。 


イメージ 3
クモニ83102(左)とクハ86354他(右)  1982.4.1 豊橋機関区
実はこっちの方が先に撮影したもので、サロ163-3と同日です。
ここ豊橋機関区訪問の一番の目的は ただ一輌のみ生き残っていたEF1031。その写真は、改めてまたの機会にアップさせていただくとして、今回は80系を。
まず、クモニ83の方から。この時は仕業検査中だったので当然ながら庫内には立入禁止。右のクハ86ともども番号不明のままだったんですが、今回この記事を書くために調べてみたところ判明。
助士側下部に表記されている全般検査年月、”56-8”とあるのが決め手でクモハ83102と確定!
コチラはスカ色という事もあって、昔懐かし阪和線でもよく見かけた70系を彷彿させます。
で、右のクハ86は?というと、注目は正面・V字?の先端部分。これが通常はステップまで到達していないんですが、86301・86309・86354の3輌はなぜかステップまで切れ込んで到達しています。
一方、オデコ・幕板部はというと86301・86309は緑の塗り分けがかかっているのに対し、この写真の主はというと緑の塗り分けはかかっていません。
という事で、この右の車輌はクハ86354だったということが判りました。めでたしめでたし!


イメージ 4
クハ85104(手前) & クハ68418  1982.4.1 豊橋機関区
ややっ!湘南色の103系、発見?んなわけがあるはずも無く、サハ87100・300番台を先頭車改造したクハ85100番台なのでした。
このクハ85、ラッシュ対策の増結のために付属編成として僅か2輌残されていたわけですが、転入の際になぜクハ86ではなくクハ85が選ばれたのかは謎です。
ちなみにたった2輌生き延びたクハ85にもかかわらず、お顔が若干違うというなんともマニア好みな車輌でして、写真のクハ85104サロ85改造の0・300番台も含めたスタンダード?なお顔なのに対し、85100&106−111正面窓の取付位置が若干低いという異端車です。(豊橋には85108が在籍)
まともな写真が撮影出来ませんでしたが、このクハ85EF1031と共にお目当ての一つでした。
岡山でも見かけることが少なく、その違和感ぶりは幼少の小生にも強烈な印象を与えてくれましたね!

最後はモノクロなんですが、


イメージ 5
配9639ㇾ クハ86001+モハ80001+ヨ8000 と 103系6連湊町行普通
                        1986.1.8 竜華(信)[久宝寺]
交通科学館あらため交通科学博物館の展示を経て、現在は梅小路に昨年オープンした京都鉄道博物館に保存公開展示されている80系トップナンバー、クハ86001+モハ80001が展示のために回送されてきたシーンの一枚。
長らく柳井駅構内にて留置保管?()されてきた両車でしたが、交通科学館の展示車輌を増やすこととなった時に白羽の矢が当てられ、ようやく日の目を見ることとなり送り込まれてきたものです。
(※:廃車日付はクハ86001が1977.11.15、モハ80001が1985.9.29)
回送経路なんですがデータが完全ではなく、柳井から広島への回送日時が不明で、輸送列車は当時定期貨物取り扱いがなかった柳井発で設定されていたミカン臨・8860ㇾのスジで広島工場に送り込まれたと何かで読んだような記憶が・・・。(間違っていたらごめんなさい)
広島工場で展示に向けてある程度修復されたあとのスジは、

 1986.1.7 東広島 配9864ㇾ 京都 配9639ㇾ 奈良 配9639ㇾ 竜華(信)

となっておりまして、京都までがEF665[吹]牽引、京都からがDE101164[亀]でした。
小生、当時は浪人中の身。京都まで撮影に行く金も気合もなく、コチラは撮影しておりませんが(汗)、竜華に留置中なら予備校に行く途中にチョコっと寄り道できるので?、朝早起きをしていそいそと向かった記憶があります。
しかもこの状態だと形式写真(風)撮影も出来るので(未スキャンです・・・)、むしろ最初からコッチ狙いだったのかも・・・(笑)
綺麗にお色直しされた両車、朝日を浴びて輝く姿はいわゆる旧国の集大成とも言える栄光に相応しく、神々しいものに思えたものです。

このあと浪速に回送されたんですが、当時の天鉄局局報の書き写しには竜華から浪速へのスジが書き込まれてなく、確か数日後だったような気が・・・。しかも小生見落としたらしく、浪速への送り込みを撮影出来なかったのが今でも心残りです。

以上、小生の湘南電車の思い出ばなし、いかがだったでしょうか?
なにせまともな写真が一枚も無いのが最も悔いが残るところでありまして、わざわざ飯田線に行っておきながら、80系特にクハ86の写真をキッチリ撮っておかなかったのは今更ながら「なんで?」な思いがいっぱいです・・・(泣)
でありながら、なぜ唐突に取り上げたのかは既に皆さんもご想像がついているとは思いますが、次回へと繋がっていくわけでして・・・。
今回はこんなところで。
ではまた。


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