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「さまよえる泉州人」のブログ
アレも阪和線、コレも阪和線。みぃ〜んな阪和線!時々貨物・・・なブログです。どうぞお見知りおきを。

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205系 こぼれ話

皆さん、こんにちわ。
鈴木善幸、もとい前稿にあやかり、勢いあまってもう一本!な「さまよえる泉州人」です。
せっかくなので、205系国鉄時代の写真でスキャン済みが4枚ほど有るのをアップしておきます。
なぁ〜に、皆さんもご存じの通り、いつもの如くたいした写真ではありませんので期待せんといてくださいな・・・。
では以下☟に。


イメージ 2

イメージ 1
上下共:近車出場試運転 南ヤテ・18となる編成  1985.9.19? 放出?
こういうのに限ってデータが無いんですな・・・。それまでも近車はもちろん川重からも続々出場しているのに、なんでこの日に限って撮影したのかちょっと意味不明ですね。
関西ではありえない通勤型車輌の10輌長大編成は、そのステンレス車体の輝きとも相まって、羨望のまなざしで見ていたような記憶があります。

 ※南ヤテ・18 ↼徳庵・大阪                  吹田・東京⇀
          T'c18+M’M54+T36+M'M53+T35+M'M52+Tc18 
 


イメージ 3
右:近車出場試運転 南ヤテ・18となる編成
左:大阪環状線外回り 大モリ・9(Tc249他)  1985.9.19? 大阪
その後、追っかけてやってきたのが大阪駅。たぶん最初から大阪環状線の103系との2ショットを企んでのことだったと思います。
写真のTc103-249はS48年8月に森ノ宮に新製配置された生え抜き車で、H18年4月に日根野に転属してからは阪和線でも馴染み深い車輌でした。


イメージ 4
?C 大アカ・A1(35)  1987.3.27  舞子−垂水
来るもの拒まず!よう撮ってましたな・・・。
この日は国鉄分割民営化を目前に控え、EF58150マイテ492復活運転を果たした日。
往路を須磨海岸で撮影したのち、折り返し列車を待つべく陣取っている合間に撮った一枚で、明石のA1編成、すなわち関西トップナンバー・35番編成です。
余談ですが、折り返しEF58150復活列車は、見事被られ撃沈しました・・・涙。

 ※大アカ・A1 ↼西明石                京都⇀
          T'c35+M'M104+T69+M'M103+Tc35


以上、いかがだったでしょうか?
まぁ、まだなんとかお見せできる写真は後にも先にもコレっきりでして・・・。
なかなかアップする機会も無いので、今回思い切って載せました。
今回はこんなところで。
ではまた。


皆さん、おはようございます。一昨日、友人達とのプチ遠征の前にこの記事をアップしておきたかった、でも今回もやはり間に合わなかった(滝汗)、遅筆の「さまよえる泉州人」です。
GW前にアップした”サロ163-3”のヒントは、このブログをご覧になっていらっしゃる方々には既にお判りでしょうね!
その成果はまた後ほどとして、今回は湘南色にまつわる小生の思い出話をひとつ。

以前にも書き記したと思いますが、小生の母方の祖父母は山陽本線西阿知駅から少しばかり西に向かったところに住んでおりました。
そこは田んぼや畑を僅かばかり挟んで、山陽本線の築堤すぐそばにあったものですから、また、年に最低2回は訪れる機会もあったことから、小生が幼少のころから鉄道にハマっていったのは想像に難くないでしょう(笑)
当時は新幹線がまだ新大阪まで、あるいは岡山延伸間もない頃でして、山陽本線には昼夜を問わず百花繚乱!電車・気動車さらには客車による特急・急行群が子供の目にはとても眩しく輝いていました。
彼らの事はまたいずれ改めて書き記すとして、それらに交じって(特急・急行のほうが本数が多かったような時代だったものですから、実感としてまさに”交じって”でした!)目につくのはオレンジと緑の電車たち!それが元祖湘南電車・80系なのでした。
無論、「ながと」「とも」「山陽」「安芸」といった急行群にも153系165系といった湘南カラーの電車たちが多数走っていましたし、大阪近郊でも113系がそのカラーリングで走っていたのでその塗色自体にはさほど驚きませんでしたが。
また、あの”湘南型”と言われる独特のマスクも阪和線70系で既に見慣れていましたから、どちらかというと知識のない子供の身には、「急行でもないのに急行みたいな色と車内、でもなんか古い電車みたい・・・」と思えたものです。
さらには時々、変な顔つきの先頭車が引っ付いてくるのには驚き、かつなかなか見かけることが少ないものですから、むしろそっちの方に変に愛着を持ってしまいまして・・・(笑)

ただ当然のことながら、カメラなど持てるはずも無く(そう考えると今の幼稚園から小学校低学年ぐらいのおチビちゃんなんかがコンデジなんかを手にしているのをみると、時代は変わったなぁとつくづく思います)、写真を撮ることも出来ないまま山陽本線岡山口から消えてしまいました・・・。

そんな80系が活躍するのが飯田線のみとなった頃、ちょうど東北新幹線の大宮暫定開業が間近に押し迫った1982年(昭和57年)の春、父親のキャノネットを借りて東北地方や関東地区へ廃止となる特急・急行あるいは旧型客車(オハ61系やスハフ32など)、さらにはED71EF12を撮影に出かけるチャンスがありました。(EF12は結局撮れず仕舞い・・・泣)
その行き帰りに飯田線に残る旧型国電をも撮影して回ろう!というプランを立て、実行したんです。
先日のサロ163-3もその折の一枚。初日には豊橋機関区を訪れ、EF1031の撮影にも成功!したんですが、その時になんでもっと80系をしっかり撮影しなかったのか?というのを反省していくのが今回の記事の趣旨だったりして・・・。
以下、如何にお粗末だったか(戦前型はしっかり撮ってるんです!)というのを皆さんも一緒にご覧になってくださいまし(滝汗)



イメージ 1
257M クハ86346他  1982.4.4 山吹(4403M急行「こまがね3号」車中から)
よくすれ違った車輛の番号をチェックしていたなぁ、と思われたかもしれません。が、この記事をアップするために随分とお歴々の方達の写真等を調べさせて頂きまして、ようやく番号が判明した次第であります。
この写真のクハ86346だと推測される経緯は、

イメージ 2
257M クハ86305他(後追い) 
            1982.4.4 山吹(4403M急行「こまがね3号」車中から)
まずは、振り返って撮影した豊橋側のこのクハ86を調べることから。
拡大してみていただくと判ると思いますが、運航表示幕板部にも僅かに緑の塗り分けがかかっています。
86315までの塗り分けではこの幕板部にもしっかり緑がかかっているのに対し、86316以降はこの緑がかからなくなったそうです。
一方、この写真のクハ86のような中途半端な塗り分けは浜松工場でなされたものらしく、8630586307が該当するんだとか。
当時この両車を組み込んだ編成は、

 ←豊橋                      辰野→
    ・Tc86305+M80310+M80343+Tc86346
    ・Tc86307+M80300+M80341+Tc86300 

だったとのこと。
この内86307の相方・86300(300番台トップナンバー!)は、幕板部にも緑の塗り分けがかかっていたので、これで一枚目の写真がクハ86346、二枚目がクハ86305と推察できました。
こういう時、実に助かります!ありがたい世の中ですねぇ〜。 


イメージ 3
クモニ83102(左)とクハ86354他(右)  1982.4.1 豊橋機関区
実はこっちの方が先に撮影したもので、サロ163-3と同日です。
ここ豊橋機関区訪問の一番の目的は ただ一輌のみ生き残っていたEF1031。その写真は、改めてまたの機会にアップさせていただくとして、今回は80系を。
まず、クモニ83の方から。この時は仕業検査中だったので当然ながら庫内には立入禁止。右のクハ86ともども番号不明のままだったんですが、今回この記事を書くために調べてみたところ判明。
助士側下部に表記されている全般検査年月、”56-8”とあるのが決め手でクモハ83102と確定!
コチラはスカ色という事もあって、昔懐かし阪和線でもよく見かけた70系を彷彿させます。
で、右のクハ86は?というと、注目は正面・V字?の先端部分。これが通常はステップまで到達していないんですが、86301・86309・86354の3輌はなぜかステップまで切れ込んで到達しています。
一方、オデコ・幕板部はというと86301・86309は緑の塗り分けがかかっているのに対し、この写真の主はというと緑の塗り分けはかかっていません。
という事で、この右の車輌はクハ86354だったということが判りました。めでたしめでたし!


イメージ 4
クハ85104(手前) & クハ68418  1982.4.1 豊橋機関区
ややっ!湘南色の103系、発見?んなわけがあるはずも無く、サハ87100・300番台を先頭車改造したクハ85100番台なのでした。
このクハ85、ラッシュ対策の増結のために付属編成として僅か2輌残されていたわけですが、転入の際になぜクハ86ではなくクハ85が選ばれたのかは謎です。
ちなみにたった2輌生き延びたクハ85にもかかわらず、お顔が若干違うというなんともマニア好みな車輌でして、写真のクハ85104サロ85改造の0・300番台も含めたスタンダード?なお顔なのに対し、85100&106−111正面窓の取付位置が若干低いという異端車です。(豊橋には85108が在籍)
まともな写真が撮影出来ませんでしたが、このクハ85EF1031と共にお目当ての一つでした。
岡山でも見かけることが少なく、その違和感ぶりは幼少の小生にも強烈な印象を与えてくれましたね!

最後はモノクロなんですが、


イメージ 5
配9639ㇾ クハ86001+モハ80001+ヨ8000 と 103系6連湊町行普通
                        1986.1.8 竜華(信)[久宝寺]
交通科学館あらため交通科学博物館の展示を経て、現在は梅小路に昨年オープンした京都鉄道博物館に保存公開展示されている80系トップナンバー、クハ86001+モハ80001が展示のために回送されてきたシーンの一枚。
長らく柳井駅構内にて留置保管?()されてきた両車でしたが、交通科学館の展示車輌を増やすこととなった時に白羽の矢が当てられ、ようやく日の目を見ることとなり送り込まれてきたものです。
(※:廃車日付はクハ86001が1977.11.15、モハ80001が1985.9.29)
回送経路なんですがデータが完全ではなく、柳井から広島への回送日時が不明で、輸送列車は当時定期貨物取り扱いがなかった柳井発で設定されていたミカン臨・8860ㇾのスジで広島工場に送り込まれたと何かで読んだような記憶が・・・。(間違っていたらごめんなさい)
広島工場で展示に向けてある程度修復されたあとのスジは、

 1986.1.7 東広島 配9864ㇾ 京都 配9639ㇾ 奈良 配9639ㇾ 竜華(信)

となっておりまして、京都までがEF665[吹]牽引、京都からがDE101164[亀]でした。
小生、当時は浪人中の身。京都まで撮影に行く金も気合もなく、コチラは撮影しておりませんが(汗)、竜華に留置中なら予備校に行く途中にチョコっと寄り道できるので?、朝早起きをしていそいそと向かった記憶があります。
しかもこの状態だと形式写真(風)撮影も出来るので(未スキャンです・・・)、むしろ最初からコッチ狙いだったのかも・・・(笑)
綺麗にお色直しされた両車、朝日を浴びて輝く姿はいわゆる旧国の集大成とも言える栄光に相応しく、神々しいものに思えたものです。

このあと浪速に回送されたんですが、当時の天鉄局局報の書き写しには竜華から浪速へのスジが書き込まれてなく、確か数日後だったような気が・・・。しかも小生見落としたらしく、浪速への送り込みを撮影出来なかったのが今でも心残りです。

以上、小生の湘南電車の思い出ばなし、いかがだったでしょうか?
なにせまともな写真が一枚も無いのが最も悔いが残るところでありまして、わざわざ飯田線に行っておきながら、80系特にクハ86の写真をキッチリ撮っておかなかったのは今更ながら「なんで?」な思いがいっぱいです・・・(泣)
でありながら、なぜ唐突に取り上げたのかは既に皆さんもご想像がついているとは思いますが、次回へと繋がっていくわけでして・・・。
今回はこんなところで。
ではまた。


皆さん、こんばんわ。
あと一日働けば、連休だぁー!と心待ちにしている「さまよえる泉州人」です。
と言っても、小生の勤務先はカレンダーどおりの休み。ましてや”プレミアム・フライデー”なんて「何のことですか?」、ぐらいな勢い?でして・・・。

そんなこんなですが、皆さんのGWのご予定はいかがですか?
小生はというと、初日4月29日は大阪城ホールへちょっと野暮用で・・・。で、3日と
5日に少しばかり出かけようかと企んでおります。
「えっ、何を企んでる」かって?

まあの写真をご覧くださいませ。


イメージ 1
1523M(?) サロ163-3  1982.4.1 名古屋 
これは東北新幹線・大宮暫定開業の直前の春、東北&飯田線訪問を敢行した折のヒトコマです。
サロ163の詳細なことはさておき、7輌製造された同形式はこの頃既に廃車が始まっており、この時名古屋駅で見かけた時は飛び上がるほど喜んだものです。
なにせ大垣区所属の車輌のくせに、メインステージの急行「東海」は名古屋にやってこないし、大垣夜行は大阪を早朝に出発しても見ることが出来ないものですから、運用を知らないガキンチョ(今と違って情報源など大変限られてましたし・・・)には、まさか出会えるとは思ってもみなかったお相手でしたから。
出来れば、帯が消される前の状態でトップナンバーだったら・・・(なんと贅沢な!)
このあと1年も経たずに同形式は全車運用を外されていますから、本当にラッキーでした。

という事でしたが、もうお察し頂けました?
この件に関して、ご報告はまた後日にということでよろしくお願いいたします。
今回はこんなところで。
ではまた。


国鉄時代よもやま

皆さん、こんばんわ。今日のテーマは何にしようか、衆院選を前に乱立する政党をみて、どこに投票するべきか悩む有権者の気分の様な「さまよえる泉州人」です。まあ私のブログのテーマは明日以降の生活には響きませんが・・・。
今日は国鉄時代に撮った写真の中から、まあいうなれば適当に私が「おっ!?」と思った写真をピックアップします。面白くなかったら御免なさいませ。
 
イメージ 1
列車番号不明 EF661+コキ  S61.11 山崎ー神足
EF661の写真を見つけました。これが唯一です。満を持してJR移行前提ダイヤ改正をしたにもかかわらず、この空荷の虚しさ。わずかコンテナ一個(!)です。
 
イメージ 4
入換 DE10901  H59 尼崎駅
元祖「デーテン」DE10901です。当時吹田に配置され、大鉄局管内の入替や小貨物を牽引していました。
大阪駅に荷物・郵便車の入換のために現れることもしばしありました。JRには引き継がれず、S62.2.9付で廃車となっています。
 
イメージ 2
列車番号不明 「ここで問題です。私は誰でしょう?」  S61.11 兵庫駅
 
イメージ 5
列車番号不明 「残念ながらもうこの世にはおりません。でもJR西日本さんには同名の方が・・・」         S61.11 新大阪
 
答えは、207系900番台です。国鉄最後に最新鋭の技術、VVVFでデビューしました。
4年後にVVVF通勤車ということでJR西日本から同名で207系がデビューしましたが、内外ともに別物なのは皆さんもご存じのとおりです。900番台はH22.1に廃車となりました。
 
イメージ 6
列車番号不明 クハ115−1  S61.3 岡山駅
 
イメージ 7
列車番号不明 モハ115−1  S61.3 岡山駅 
 
昔からトップナンバーには目がないんですねぇ、私。岡山駅で偶然遭遇しました、B01編成。デカ目・非冷房など、ほぼオリジナルのまま。強い雨脚の中、一人興奮して撮影してました。モハ114−1も撮影しているのですが、画像がかなり傾いているので恥ずかしくて載せれません。ご容赦を。
 
イメージ 8
列車番号不明 モハ112−1  S59.1 湊町(!)
岡山区に対抗して、日根野区からはコチラ!モハ112−1です。ただ日根野区といっても春日色(旧大和路快速色)ですので、阪和線では営業列車としてはめったにお目にかかれませんでしたが。なぜかモハ113−1は撮影してませんでした。なぜだったんでしょうか?
ちなみにクハ111−1は静岡所所属だったので見たことがありません。またこの113系トップナンバー相棒のクハ111−46は網干区、−331は大垣区にいました。
 
イメージ 9
列車番号不明 クハ105−7  S60.11 奈良駅
この写真を載せた意味がお分かりでしょうか?すぐにピンと来た人は相当な105系通です。(105系通じゃなくてもわかる!)車輌番号に注目!つぎに最新の105系編成表を見ましょう。さあ、もうおわかりですね。
この車輌は、JR化後の平成元年11月7日の桜井線踏切事故で、翌平成2年3月1日に廃車となったあわれなクハ105−7なんです。偶然とはいえよく撮影してましたねぇ。国鉄時代の105系の形式写真(風)は、これとあと相棒のクモハ105−517のみです。このクハの運転台はいまも、クハ104−551の運転台として活躍しています。
 
 
イメージ 3
列車番号不明 編成不明
S60.2.21 和歌山駅
 
ご覧のとおり、行き先表示エラーです。
「新快速 天王寺」となっております。
写真のクハ103は冷房改造かつ前照灯
未改造車なので、クハ103−17・31・33
・51・117もしくは119のいずれかです。
 
 
 
以上いかがでしたでしょうか?
とりとめのない内容でしたが、当時合間に
こんな写真も撮っていました。
またこんなテーマをもちます。
お楽しみに。
 
 
 
 
 

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