風のクラシック

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ムソルグスキー作品集 目次(1)

死神のセレナード〜ムソルグスキーの歌曲を聴く
ムソルグスキーの生涯
ムソルグスキー歌曲の作曲年
アリャビエフ「夜鳴うぐいす」

1839年(0歳)

3月21日プスコーフ県クーニイ区カレヴォ村に地主の末子としてモデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー生まれる。6歳の時母親からピアノを習い始める。農奴出身の乳母から民謡を聞く。

1849年(10歳)

ぺテルブルグのペトロバーヴロフスク中学校入学。アントン・ゲルケにピアノを習う。

1852年(13歳)

近衛士官学校に入学。ピアノ曲「旗手のポルカ」

1853年(14歳)

父死す。露土戦争(クリミア戦争)

1856年(17歳)

個人経営のアパートに母、兄と暮らす。ボロディン、ダルゴムィシスキイと知り合う。

1857年(18歳)

キュイ、バラキレフと知り合い、「ロシア五人組」サークルの始まり
星よ、おまえはどこに

1858年(19歳)

夏、軍役を退き、音楽に専心。ひどい神経疲労
私の心のあこがれ
なぜか話して愛する人よ
楽しい時

1859年(20歳)

モスクワ旅行を転機にロシア的なものへの愛着とロシア人としての自覚をつちかう。
悲しげに木の葉はざわめく

1860年(21歳)

「スケルツォ」ルビンシテイン指揮で初演され音楽家として認められる。
モスクワ旅行で気分的に似通った学生たちのグループと知り合う。強い神経病で田舎で静養。
あなたにとって愛の言葉とは何だろう

1861年(22歳)

農奴解放で、経済的打撃。リムスキー=コルサコフ、ボロディンが「五人組」に加わる。

1862年(23歳)

バラキレフがペテルブルクに無料音楽院を開設。
アントン・ルビンシテインのペテルブルク音楽院のアカデミズムに対抗。
62年始め母のユーリヤ・イワノブナ・ムソルグスカヤがカレヴォ村に移り住む。
春病気になりヴォロク村に、秋にペテルブルグへ。
有名な刑事裁判のドイツ語とフランス語の翻訳で収入を得ようとした。

1863年(24歳)

12月生活のため運輸通信省の役人になる。
その後17年間断続的に官吏としての生活を送りながら作曲を続ける。セロフ「ユーディフ」の初演。
革命思想家チェルニヌイシェフスキーの小説「何をなすべきか」の影響で自由主義的生活観を実践。
士官学校時代以来の飲酒の習慣がますますつのる。「サランボー」のオペラ化、リアリズムへ開眼。
ロブコフスキー、レワシェーヴィ、ロギノフスキーの3兄弟らとコンミューンを組織。
私にはたくさんの宮殿と庭園がある
老人の歌
サウル王
しかし、もしおまえにまた会えるなら

1864年(25歳)

歌曲「カリストラートゥシュカ」であわれな農民へのせつせつとした愛情を歌う。
風は激しく吹く
カリストラート(1)
カリストラート(2)

バレアル人の歌(「サランボー」より)

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