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大地震に見舞われた中米のハイチでは16日、各国の救援活動がようやく本格化し始めた。
しかし交通インフラも打撃を受けたため配布は難航、支援物資の奪い合いが各地で伝えられるなど、 一層の治安悪化が懸念されている。 クリントン米国務長官は、ハイチの治安維持にあたる国連部隊の要員が多数行方不明になっていることを念頭に「(国連部隊も)支援を必要としている」と指摘、米軍が今後治安維持に協力していく姿勢を明確にした。 ハイチ沖には15日、救援用ヘリコプターを搭載した米海軍の空母カール・ビンソンが到着し、
米国は本格的な救援活動をスタートさせた。 カール・ビンソンからは、飲料水や食料、医薬品などがヘリコプターで搬送され、被災地で配布された。 米空挺師団の先発隊も現地入りし、17日までに米兵は最大3500人態勢となる見込み。
医師や技師などの専門家も続々と現地の救援活動に投入される予定で、 組織的な救援活動は緒についたばかりだ。 世界食糧計画(WFP)も15日、1万3千人に緊急食料を配布した。 ただ、救援物資の配布が一部地域で混乱を引き起こしてもいる。
地震発生から食料はおろか飲料水も口にできなかった被災者は食料配布に長蛇の列を作っており、 奪い合いが起きたところもある。 また、破壊された刑務所から約4千人の受刑者が逃走したことも治安悪化に拍車をかけているとされる。 米CNNテレビによると、被災地では多数の住民が生き埋めとなっているが、
救助用の重機が圧倒的に不足している。 医療施設でも医薬品や設備が十分でないため、救助されながら満足な治療を受けられずに 命を落とす被災者が確認されているほか、安全が確保できないため、 医師や看護師が患者を放棄して避難することを余儀なくされているところもあるという。 国連平和維持活動(PKO)の「ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)」に
多くの要員を派遣しているブラジルのジョビン国防相は、2日間の被災地視察の後 「人生で最も悲惨な光景」を見たとフランス通信(AFP)に語り、 暴動の発生に備えて致死性のない兵器をハイチ政府に提供する考えを明らかにした。 |
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坂本龍馬の妻、お龍の命日の15日、京都市東山区の京都霊山護国神社に眠る龍馬の御霊が
霊璽(れいじ)に移され、お龍の墓がある神奈川県横須賀市の信楽寺へ墓参りに訪れた。 神社と寺という宗教の壁も越え、龍馬没後143年の時を経て、ようやく二人は「再会」を果たした。 二人が夫婦だった期間は2年にも満たないが、お龍は寺田屋事件で
幕府の追っ手から龍馬の窮地を救ったことでも知られる。 九州への温泉旅行が日本初の新婚旅行ともされる。 お龍は、龍馬の死後、高知、京都と移り住み、1906年1月15日、横須賀で生涯を終えた。 別の男性と再婚したが、信楽寺の墓には「坂本龍馬の妻龍子」としっかりと刻まれている。 二人の再会を長年夢見ていた同神社の木村隆比古宮司(44)が信楽寺に持ちかけ、実現した。
この日は、早朝に京都霊山護国神社で分霊式があり、霊璽に移された龍馬の御霊を、 木村宮司が新幹線で神奈川県へ運んだ。 信楽寺でお龍の命日の法要に参列した後、お龍の墓参りをし、夜には京都へ帰った。 木村宮司は「天国で二人は出会っているとは思いますが、
きっと龍馬はお龍さんの墓にも参りたかったはず。 天で喜んでいるでしょう」と、二人の再会を喜んでいた。 |
京都市東山区の三十三間堂で17日、伝統の「通し矢」にちなんだ大的全国大会が開かれ、 晴れ着姿の新成人が力強く弓を引いて矢を放った。 通し矢の始まりは平安時代とされ、江戸時代には堂の軒下約120メートルを、 武士が一昼夜に何本の矢を射通せるか競った。 大会は60回目で、参加者は有段者の新成人ら約2千人。 午前8時15分ごろ、振り袖に白いたすきを結んだ京都の女子大生らが9人ずつ射場に整列し、 60メートル離れた的を見据えた。 観客も息を潜めて見守る中、次々と矢が放たれた。 |
第28回全国都道府県対抗女子駅伝(日本陸連主催、京都新聞社、NHK共催、村田機械協賛)が 17日、京都市右京区の西京極陸上競技場を発着点に、左京区の京都国際会館前で折り返す 9区間42・195キロのコースで47都道府県チームが参加して行われ、 岡山が2時間16分24秒で初優勝を飾った。 2位は千葉。 京都が3位で大会初の6連覇は成らなかった。(残念><) 滋賀は過去最高の12位だった。 |
茶道表千家の初釜が10日、京都市上京区の不審菴で始まった。 政財界や文化など京都の各界の招待客が訪れ、 茶室残月亭と九畳敷で千宗左家元が練る一碗の茶を味わい、初春の風情を楽しんだ。 午前10時すぎ、千宗室裏千家家元や千宗守武者小路千家家元、 九條道弘平安神宮宮司ら22人を初席に迎えた。 宗左家元が、鐶付(かんつき)に虎(とら)をあしらった大西清右衛門さんの釜や 永樂善五郎さんの交趾(こうち)の水指など今年のえと「寅(とら)」にちなんだ新調の道具と、 十代吸江斎作の茶杓(ちゃしゃく)「猛乕(もうこ)」など用いてお点前をし、もてなした。 床には、千家再興の基となった「少庵召出状」と 三代元伯宗旦筆の「春入千林処々鶯(しょしょうぐいす)」の軸が掛けられるとともに 虎を思わせる「伏虎山」の盆石も。 寅年生まれの宗左家元に、宗室家元が「おめでたいお茶をちょうだいしました」とあいさつした。 京都の初釜は14日まで続き、1500人が出席予定。 17日から東京でも開く。 |





