室町から江戸期にかけて画壇の主流を担った狩野派と相国寺のかかわりを示す 「狩野派と近世絵画」展が、京都市上京区の相国寺承天閣美術館で開かれている。 狩野派は、15世紀半ばに初代正信が相国寺塔頭の障壁画を描いたのを契機に 歴代絵師が数多くの作品を同寺に残してきた。 会場では、このうち111点を展示した。 初公開の「列祖像」は、江戸期に探幽はじめ一門の絵師が総力を挙げて 達磨禅師や夢窓疎石禅師など高僧30人を描いている。 拝観料800円(高齢者と大学生以下は別途割引)。 3月29日まで。 無休。 |
狩野派の世界
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京都で社寺巡りをしているうちに虜になってしまった「狩野派」
室町時代から400年続いたこの豪華絢爛な障壁画の歴史を、私なりにひも解いてみたくなったのです。
室町時代から400年続いたこの豪華絢爛な障壁画の歴史を、私なりにひも解いてみたくなったのです。
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狩野派の宗家は、狩野祐勢正信(1434-1530)です。 足利将軍家の御用絵師を務めていたのが周文で、その後に出る雪舟等は「画僧」です。 ところが周文の後を継いだ小栗宗湛(おぐり・そうたん)は、僧籍をもちません。 その宗湛を継いで足利家御用絵師となったのが正信です。 したがって正信は僧としての修業をせず、専門画工として仏画・肖像画を描く画域を広げました。 正信の子元信が「やまと絵」の手法を取り入れ、正信が当時人気だった中国画の手法を使い分け、それを整理し門弟に各様式を学ばせることによって工房制作を可能にしました。 ここから狩野派400年の壮大な歴史が始まったのではないでしょうか。 私が参考にさせて頂いている書物(別冊太陽・狩野派決定版)には、総勢350余名系図が載っておりますが、これはまだまだ一部との事。 全国各藩のお抱え絵師として流れた狩野派は、現在進行形のきわめて詳細な研究のであるとの事で、本にするのは無理なのでしょう。 元信以降、京都検定(笑)でも有名なのが、松栄とその息子天才永徳、永徳の一番弟子で京狩野の祖・山楽、山楽の娘婿の山雪、京狩野九代・永岳、永徳の息子孝信、孝信の子探幽・尚信・安信でしょうか? その他、円山応挙や尾形光琳、ずっと年代が近くなって横山大観も狩野派です。 絵画にはまったく無縁で無関心だった私が、この先何処まで行くのか全く想像がつきませんが興味のある方、もっと詳しい方は是非ともコメントをお願いします。 肖像権・著作権の問題がなさそうな写真であればこれからは掲載してゆきます。
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