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07/01/14/ Sun 「朝鮮人を想う」、「朝鮮の友に贈る書」、
1919年(大正8年)、柳宗悦が三十歳のときに発表した。
社会派的柳宗悦が突然出てきた。彼は白樺派との交友があったのでまったくの突然ではない。これが機縁となって柳はその後一貫して確実な足取りを見せることになった。朝鮮のふつうの工人が作った陶磁器を現地で知ることで「人々」を抽象観念ではなくて取り込むことができたことによる。

朝鮮は1910年(明治43年)に大日本帝国に併合された。それに対して1919年に3.1独立運動が起きた。武装闘争が激化。
このことに対して日本国内ではほとんど反応を示さなかったのに対して、柳宗悦は朝鮮の独立に応援した。そうした人物はほかには吉野作造があったくらいである。
当然柳宗悦は巡査に尾行されたりした。
彼の動きは社会運動家のものではなかった。抽象観念を旗印にするものではなかった。その根もとはその地の陶磁器を通じて知った当地の人々への共感であった。陶磁器を肌身で知ったことからくる人々への熱い想いであった。

鶴見俊輔が柳宗悦に見本とすべき先達を発見したのは、このときの柳の態度による。柳は、沖縄問題でも、第二次大戦に向かう日本に対しても、同じ静かな抵抗態度を示した。激さないし、抽象観念を旗印にしなかった態度は、ずっと一貫していた。
このことと民藝運動はつながるし、戦後の念仏宗と一遍に対する肩入れでも一貫していた。
柳宗悦は、世界史の中での日本の特質を明確に認識していた。戦後の左翼系の運動の中で柳の思想は軽く見られていたが、今ようやく見直されることになっている。彼の思想は、日本の土着や人々を抱きかかえているからであった。

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こんにちわ、僕も柳のファンです。ちょうど図書館から「南無阿弥陀仏」を借りてきたところです。
朝鮮の独立を支持したのは石橋湛山が有名ですよ。

2008/3/3(月) 午後 7:17 ure*ruh**oshi 返信する

私も柳宗悦を尊敬しています。
彼の文章はとても心に沁みますね。
彼が主張していることは当たり前のことのはずなのに…
戦争は当たり前のことをわからなくしていたんですね。

2008/3/23(日) 午後 6:15 はるか 返信する

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