言葉の上では超弦理論も大統一理論を目指すのですが、理論の出発
点と扱う次元がまったく違います。

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    そのとうりです。大槻義彦

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 私が今東京におらずバンクーバーにいることはバンクーバーの
携帯に電話すれば即座にに分かります。同時に大阪にもいない
ことも分かります。この情報は瞬時にに伝わると誤解しますが、
電話の信号は光速でしか走れませんから、実際には情報も光速
は超えられません。
 
 しかし量子の情報は観測者が局在してませんので光速を超えて
伝わるとも言えるわけです。

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  つまり光子は実体、量子もつれは情報です。これは区別すべ
モノです。東大院生にもお伝えください。

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 何度も書いたが『バンクーバー良いとこ、一度はおいで』だったが
最近これが一転、『バンクーバー悪いとこ』になってしまった。夏場
に滞在するためには『空き室税』というセカンドハウス税がとられる
ことになった。もちろん住民税と固定資産税は別にかかるから、私
の場合年300万円ぐらいかかることになる。3か月滞在だから、1か
月100万の出費。しかもバンクーバーの夏は連日美しい好天と快適
な気温と思いきや最近は7月末から山火事で外出の出来ないほどの
スモッグ。

 『バンクーバー良いとこ、一度はおいで』とエッセイを何かの雑誌に
書いたらカナダ大使館から電話を受けた。カナダの観光パンフレット
にそのまま転載したいから許可してくれ、というモノだった。その時は
喜んで承諾した。しかしもはやこのパンフレットは無意味となった。

 カナダBC州の言い分も分かる。中国人が投資のために『ニセ銀行』
(シャドウ バンク)から金を借りてバンクーバーの家を買いまくるので
マンションや戸建て住居の値段は3倍ぐらいに上がったので、バンクー
の若者は家を買うことが出来なくなった、という不満が背景にある。
しかしこれはカナダ政府(州政府?)の無策のためだ。中国のシャドウ
バンクに対抗してカナダの銀行や政府がカナダの若者にお金を十分
に貸せばいいのだ。

 それはともかくそろそろバンクーバーを引き上げる準備だ。何事にも
入ることより出るときの方が難しい。バンクーバーに未練はない。いや
未練はただ一つ。せっかく定着したバンクーバーサイエンスカフェの皆
様を見捨てることになること。

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わたしはヒューマンジーなどという得体のしれない
       与太話
に興味がありません。

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 コンピュータが2045年に人知を超えるとと言うことはウソ
というわたしに論説に多くの反響がありました。クリック
数は2倍近く。多くは難しいが重要、というものでした。

まとめれば結局コンピュータがいかに進歩しても決して
哲学者になれないということです。哲学は人知の根幹を
なすからコンピュータは決して人知を超えることができない
わけです。

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2045年問題、すなわち『コンピューターの知性が人知を超える』
(シンギュラリティ)と(一部で)予想されて(一部で)騒然となっ
ている現況には大いなる誤解と誤認が含まれている。まずこの『20
45年問題』なるものを概観しよう。
  (以下ウィキベディアから引用)
 技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、英語:Technological
Singularity)、またはシンギュラリティ(Singularity)とは、未来学上の概念
の一つである。端的に言えば、再帰的に改良され、指数関数的に高度化する人工
知能により、技術が持つ問題解決能力が指数関数的に高度化することで、(頭脳
が機械的に強化されていない)人類に代わって、汎用人工知能あるいはポストヒュー
マンが文明の進歩の主役に躍り出る時点の事である。
    (引用終わり)
 つまり人工知能は人知を超えてポストヒューマン文明の主役になる、という
幼稚な発想である。私がここで論評しようというのはこのようなシンギュラリティ
などナンセンスであるということである。
 2045年を待たずとも現行高速コンピューターは部分的に人知を超えて
いる。コンピューターを囲碁、将棋の名人と対決させればコンピューターが
勝つことになる。コンピューターは過去の囲碁、将棋の名人の対決の勝ち手
をディープラーニングして最適なプレーをする。たしかにこの時、コンピューター
は人知を超えた。しかしこれは人知の極々一部の知性を超えただけである。
 人知には機械が決して超えられない深く、強力な様々な知性がある。それは
哲学や感性のことである。つまり世界観、人生観、物質観、社会性、生命観など
のことである。それに加えて美意識、音楽認識、感動なども加わる。
 これらの哲学や感性はディープラーニングでは決して得られないものである。
何故ならば人の哲学や感性は生まれて間もなくから親、兄弟、友達、学友。教師
などとの相互作用の結果培われるものである。それらすべてをコンピューターが
ディープラーニングしようとしても親はどこにいるのか、兄弟、学友、教師は
どにいるのか?コンピューターの幼稚園、小学校、中高学校をどうするのか。
 超高速コンピューターは学校教育のすべてを極めて速く学習するから大丈夫
と幼稚な反論をされるのが目に見えている。しかし大事なことは教科の学習だ
けではない。感性や哲学を形成するためには人が長い時間かけて自己と他者と
の絶え間ない相互作用なのだ。それには時間とチャンスを与えなければならない。
日本の子供たちは1学年総数およそ100万人である。コンピューター100
万台の学校を作るか?!その間に人間は恋もする。失恋もする。祖父母の死に
も直面する。そのような場面のディープラーニングなどコンピューターには出来
ないのだ。
 哲学や豊かな感性を得られなかったコンピューターにはアインシュタインや
モジリアーニは決して生まれない。アインシュタインの相対論はそれまでの力学
や電磁気学の学習、ディープラーニングでは決して発見されなかった。そこには
相対性原理という哲学が出発点となったからである。また天才画家モジリアーニ
の感性、美的構成もディープラーニングでは決して得られなかった。その証拠に
モジリアーニの絵は1920年に彼が死亡するまでは全く不評であった。それが
死後10年ほど経て急に高い評価となった。モジリアーニもピカソの青の時代も
全く認められなかったのは美的感性がそれまでの美的感性をいくらディープラー
ニングしても学べなかった事実を証明している。
 つまりシンギュラリティなど幼稚な空想である。コンピューターが人知を超え
ることなどあり得ない。
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