|
このブログでボブ ディランのノーベル賞受賞を批判し
たら、嘲笑、皮肉、罵倒をいただいてうれしかった。そこ でもう一度書こう。ボブ ディランがノーベル文学賞なら 永六輔はどうか。はるかに上質な歌詞ではないか。例えば 『上を向いて歩こう』と対比してみよう。 ボブディランの風に吹かれてより(訳者は前回と同じ) どれほどの道を歩かねばならぬのか 男と呼ばれるために どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか 砂の上で安らげるために どれほどの弾がうたれねばならぬのか 殺戮をやめさせるために その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない 永六輔の上を向いて歩こうより 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 一人ぼっちの夜 上を向いて歩こう
にじんだ星を数えて 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜 幸せは雲の上に
幸せは空の上に 上を向いて歩こう
涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜 思い出す秋の日
一人ぼっちの夜 悲しみは星の影に
悲しみは月の影に 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜 一人ぼっちの夜 たしかにこの歌、どちらにも文学に求める哲学はほとん どない。しかし永六輔には感性があり美があるではないか。 この感性と美は文学に求める大きなテーマの一つだ。ボブ ディランには哲学もなければその美も感性もない。もちろ ん永六輔の美も感性も流行歌的な底の浅いものだが、ボブ ディランにはそれすらない。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





ディランの詞は時勢に関連するものだと思いますが、
ご紹介の永六輔の詞は、繊細な心の内面が表現されており、
感受性の豊かさを感じます。
更に、スッキリした印象も加えられているようです。
時勢や流行を取り入れたものは風化しやすいと思いますが、
個々の感情を描いたものはいつの時代も通用するのではないでしょうか。
アンドレイ・ボズネセンスキーの「百万本のバラ」という詞がありますが、女優と画家の物語性と二人の細やかな感情の動きが描かれており、誰にもシックリいく感覚です。
ボズネセンスキー氏はもうすでにお亡くなりになられましたが、
逝去された方に受賞という事はないのでしょうか?
芸術作品は後に価値が伝わるという事も含め、
過去の良いものも見直してほしいです。
2017/1/7(土) 午後 0:40 [ 減二 ]
トルストイがお好きなようなので、松井須磨子のカチューシャの唄や小沢昭一のハーモニカブルースとの対比でもよかったように思います。
風に吹かれて以外の名曲も謗ってみちゃどうでしょう?
嬉しさを禁じえません
2017/1/8(日) 午後 8:34 [ oty***** ]