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韓国の有力紙、CHOSUNONLINEは10月5日 の社説で、『またまた日本がノーベル賞(科学分野)』と いう論説委員の社説を載せ、ノーベル賞と縁遠い韓国の現 状を嘆いた。そこには韓国社会の風土が非科学性を温存し ている現状があるという。この非科学性は日本の風土にも 多少は残っており、改めて気になるところだ。 (以下引用) 。。。。。さまざまな選挙期日が法律で定められる前まで、 韓国の大統領選、総選挙の期日は占い師が決めていた。当 時は大統領に有利で野党総裁には不吉な日取りを選んだ。 実務責任者から直接聞いた話 だ。韓国社会と韓国人の意識 の根底には今も科学と理性ではなく、迷信と感情が存在す るのだと思う。非科学、非理性が支配する国がノーベル賞 を切望していることになる。韓国の科学者は韓国のノーベ ル賞受賞も遠くないと言う。有力な候補がいるのだという。 そう望みたいものだ。しかし、韓国の社会風土が科学と懸 け離れているという問題はノーベル賞を数回受賞したとし ても変わりない。狂牛病(BSE)や電磁波に関するデマは科 学と理性が支配する社会では決して生まれないが、韓国で は社会全体を覆った。。。。。韓国人への科学分野のノー ベル賞もいつかは生まれるだろうが、傑出した個人の成果 であるはずだ。社会風土が米国、英国、日本などとは異な るためだ。ノ ーベル賞よりも科学と理性が支配する社会風 土の方が重要だ。変人かのような科学への執念もそうした 風土から生まれ花咲くものだ。 (引用終わり) 韓国でもさすが国有数の中央紙の論説委員となればレベル は高く論理的で冷静である。しかし同時にこの新聞ではこれ まで『韓国の科学研究費は世界で一番』とか、また例の『理 科オリンピック、数学オリンピックで金メダルで世界一』と いう絶賛記事も同時に載せてきた。これには上の論説のよう な鋭い分析や批判がない。 理科オリンピックではもうかれこれ10年あまり、韓国 がトップ、あるいは『準トップ』と大きく報道してきたで はないか。つまり10年前に理科、数学オリンピックで金 メダルをとった学生 は順当に行けばすでに学位論文を提出、 世界有数の研究成果をあげていてもおかしくない。そのこと に一言もふれない論説には違和感を感じる。この傾向も韓国 の社会風土の非科学性の表れと言える。 しかしそれなら我が国は一体それほどその文化風土が科 学的で論理的か?韓国ほどでないにしてもやはりこの国に も『韓国オカルト社会』に負けず劣らずの部分があるのだ。 NHKから民放までのオカルト特番は今でもおおいに幅を きかしているではないか。 (物理科学月刊誌『パリティ』(丸善)より一部転載) -- |

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教授こんにちわ、さっそく感想を書かせてください!!!
ノーベル賞といえば、平和賞(経済学賞もか)をのぞいて受賞すれば至高の名誉を得られるわけです。これを韓国人や中国人にくれてやるなど悔しいですね(私の感想かな?)。
さて茂木健一郎といえば大槻教授に創価学会や江原イタコとの関係を厳しく追及されたりノーベル賞批判なんかでも失笑を買った大言壮語する小物の珍獣ですが((笑))、、ああいったしょうもないのが科学風味を口にしても納得してしまう世間が一定あるということは嘆かわしい面がありますよね。
2017/8/10(木) 午前 1:57 [ yam... ]
その茂木健一郎も時には良い仕事をするものだと感心したのが斎藤環なる精神科医とのオカルト馬鹿同士の論争という名のガキの喧嘩ですが、斎藤環のオカルト性を浮かび上がらせました。
その論争という名のガキの喧嘩はオカルト馬鹿同士が偶然「どちらがより科学的か?」を主テーマに喧嘩したものだったのですが、ああいう風にオカルト馬鹿同士がひょんなことから「どちらがより科学的か?」をテーマに喧嘩するようなシチュエーションといいますか、構図を意図的に創り出せるようになればそれはオカルト層の非科学からの脱却の一つの実際的なテクニックではあるまいか?などと考えが浮かびました(笑)
今回の感想は以上です(笑)
2017/8/10(木) 午前 2:00 [ yam... ]
先生、ごめんなさい。
この記事2017/6/19(月) 午後 11:17にも書かれています。
また勉強になりましたけど先生の新しい記事を読みたいです。
2017/8/10(木) 午後 4:21 [ buru-tasu ]
韓国の報道も中々おかしいですね。
BSEの発生を嘘としてみたり、韓国産であれば被害がないと報道すればいいのに、焼肉の関係でそのようになったのですかねぇ。
何か、いつもたくさん書き込む人がいるのですが、
誰かの因縁の言語をここで確認するためなのでしょうか。
その後、ご自分と投稿を消されているようですが、
これは、人間の常識を逸脱している行為だと思います。
少なくとも私は自分で考えてコメントしていますが、
本人ではなく、因縁の言語というのは意味を与えてはいけないのではないでしょうか?
嫉妬や妬みは個人で解消するでしょうが、
怒り、憎しみが根本にある場合は解消できないと思われますが?
競争心が単なる憧れであれば、一番良いと考えます。
また、競争心ではなく真摯に学問を受け到達度によって達成されるなら、本来人間が持った実力でありましょう。
わたしが言う立場ではないのですが、大学の教授には
その子を大切になされてほしいと思います。
2017/8/10(木) 午後 9:39 [ 減二 ]
先生の大切な学生の為に書きます。
私が学生の頃、父(尋常小学校卒、学歴なし)に、
「その時(××仮称)を持って行け。そうすると解るらしいから。」
と言われました。その後、荻久保の授業を受ける訳ですが、
そのタイミングでパパが××を用意しました。
そして、何故かそれを持って行くように強要しました。
物で暗号(その時誰々が何々を持ってくる)を送ろうとしたようです。
これは、私には関係のない事で、本人にも知らされず意味の解らない事を(悪意かも知れない)事をやらされるのはゴメンだったので、
それは持って行きませんでした。
学問でなければそれは不必要であり、
学問自体も因縁(この時誰々がこれを開発するから)というのでは、
天才なんて絶対生まれませんね。
さて、予定道理が無難でしょうか。
2017/8/10(木) 午後 10:17 [ 減二 ]